1994年1月6日、アメリカ合衆国のフィギュアスケート選手ナンシー・ケリガンが、全米選手権の練習直後にデトロイトのスケートリンクで、右膝を金属製の棍棒で殴打される事件が発生しました。犯人はトーニャ・ハーディング選手の元夫ジェフ・ギルーリが雇ったシェーン・スタントで、ハーディングのライバル排除を目的としたものでした。ハーディングは当初関与を否定しましたが、事件発覚後、米スケート連盟から終身追放処分を受け、フィギュア界に衝撃を与えました。
経緯
この事件は、1990年代初頭のアメリカ合衆国フィギュアスケート界の激しい競争を背景に発生しました。ナンシー・ケリガンとトーニャ・ハーディングは、ともにオリンピック出場を狙うトップ選手として注目を集めていました。ケリガンは優雅でクラシックなスタイルを、ハーディングは力強く革新的なジャンプを武器に、互いに切磋琢磨していました。しかし、1994年のリレハンマーオリンピックを目前に控えた頃、二人の関係は緊張を極めていました。
事件の引き金となったのは、1993年秋頃に遡ります。ハーディングの当時の夫ジェフ・ギルーリは、ハーディングの競技成績向上を望み、ライバルのケリガンを排除する計画を立て始めました。ギルーリはハーディングの元ボディガードであるショーン・エックハルトとともに、ケリガンの怪我を誘発する策を練りました。最終的に、彼らはシェーン・スタントを雇い、ケリガンの膝を標的にした襲撃を実行するに至りました。
1994年1月6日、デトロイトのコボ・アリーナで全米フィギュアスケート選手権の練習が行われていました。ケリガンは午前中の練習を終え、リンク脇の通路を歩いていました。そこに現れたスタントは、迷彩服姿で近づき、伸縮式の金属バトンでケリガンの右膝を数回にわたり強打しました。ケリガンは激痛に襲われ、「なぜ私なの?」(Why me?)と叫びながら倒れ込みました。この様子は、近くにいた記者やスタッフによって撮影され、後日、世界中のメディアで繰り返し放映されることとなります。ケリガンは即座に病院へ搬送され、膝蓋骨周辺の打撲と腫れが確認されました。幸い骨折は免れましたが、歩行すら困難な状態となり、全米選手権への出場が危ぶまれました。
襲撃直後、捜査当局はスタントを追跡。1月10日、スタントはアリゾナ州で逮捕されました。スタントは取り調べで、エックハルトから雇われたことを自供し、計画の詳細を明かしました。これにより、捜査の矛先はハーディングの周囲に向けられました。ハーディング本人は事件当時、オレゴン州で練習中であり、直接の関与を否定しましたが、ギルーリの存在が浮上しました。1月13日、検察当局はハーディングに対し、事件発生前に計画を知っていた可能性を指摘し、証言を求めました。ハーディングはこれに対し、事件を知らなかったと主張しつつ、ギルーリの行動を非難する声明を発表しました。
一方、ケリガンは懸命なリハビリを続け、1月15日の全米選手権に奇跡的に復帰。ハーディングは同大会で優勝を飾りましたが、ケリガンの不在が影を落としました。大会後、FBIの捜査が本格化し、1月20日、ギルーリが逮捕されました。彼はケリガン襲撃の首謀者として起訴され、共謀罪で有罪を認めました。ハーディングは1月27日、オリンピック代表に選出されましたが、連邦検察から事件への関与を問われ、罰金2万5千ドルと3年間の出場停止処分を受けました。
- 1991-1992年:ハーディングが世界選手権3位、ケリガンが銅メダル獲得。ライバル関係の始まり。
- 1993年10月:ハーディングとギルーリの離婚。
- 1993年12月:ギルーリらがケリガン排除計画を立案。
- 1994年1月6日:ケリガン襲撃発生。
- 1994年1月10日:スタント逮捕。
- 1994年1月13日:ハーディングに事件関与の疑い。
- 1994年1月15日:全米選手権、ハーディング優勝。
- 1994年1月20日:ギルーリ逮捕。
- 1994年3月16日:ハーディングが有罪を認め、終身追放。
このような経緯を経て、事件はフィギュアスケートの世界を超え、国民的なスキャンダルへと発展しました。メディアの過熱報道が、二人の選手を「善悪の象徴」として描き、スポーツの暗部を露呈させることとなりました。
結果
事件の結果は、関係者それぞれに深刻な影響を及ぼしました。まず、被害者のナンシー・ケリガンについては、襲撃からわずか2ヶ月後の1994年リレハンマー冬季オリンピックで、銀メダルを獲得する快挙を成し遂げました。金メダルはウクライナのオクサナ・バイウル選手に譲りましたが、ケリガンの精神的な強靭さと復帰劇は、世界中の称賛を浴びました。しかし、この出来事は彼女の心に深い傷を残し、競技生活の終わりを早める一因となりました。
加害側では、シェーン・スタントは共謀罪で18ヶ月の懲役と保護観察5年、エックハルトは同罪で18ヶ月の保護観察、ギルーリは共謀罪で2年の懲役と罰金10万ドルを科せられました。トーニャ・ハーディングは、1994年3月16日の公聴会で、事件発生前に計画を知っていたことを認め、米スケート連盟(USFSA)から1000ドルの罰金と競技会からの追放を言い渡されました。当初の3年停止処分から、終身追放へ格上げされ、フィギュアスケート界からの事実上の追放となりました。ハーディングはオリンピックで8位に終わりましたが、このスキャンダルにより、彼女のキャリアは一夜にして崩壊しました。
組織的な影響として、USFSAは選手間の競争環境を見直し、セキュリティ強化を図りました。また、事件はスポーツ界全体に「勝つための手段」の倫理を問う議論を呼び起こしました。メディアの役割も問題視され、センセーショナリズムの弊害が指摘されました。経済的には、スポンサー離れが発生し、フィギュアスケートの人気に一時的な打撃を与えましたが、逆にドキュメンタリーや書籍の形で新たな関心を集めました。
全体として、この事件は「アメリカンドリームの崩壊」を象徴するものとなり、個人の野心が犯罪に結びつく危険性を示す教訓となりました。裁判の過程で明らかになった詳細は、書籍やドキュメンタリーで繰り返し語られ、後世のスポーツ史に刻まれました。
その後のナンシー・ケリガンとトーニャ・ハーディングの動向
事件後、ナンシー・ケリガンは競技生活を続けましたが、精神的・身体的な負担から、1994年のオリンピックを最後にプロ転向を決めました。1995年からはアイスショーに出演し、自身の経験を活かしたパフォーマンスで人気を博しました。1995年に実業家のジェリー・ソロモンと結婚し、3人の子をもうけ、家庭を大切にしながら公の場に姿を現すようになりました。2002年のソルトレイクオリンピックでは、NBCの解説者としてデビューし、その後もオリンピックや大会の放送で活躍しています。
ケリガンは慈善活動にも積極的で、障害者支援や女性アスリートのメンタルヘルス啓発に携わっています。2017年の映画『アイ, トーニャ 史上最大のスキャンダル』公開時には、ハーディングの視点が描かれたことに複雑な思いを語りましたが、過去を水に流す姿勢を示しました。現在はマサチューセッツ州在住で、家族との穏やかな生活を送り、時折メディアで事件を振り返り、許しの重要性を説いています。彼女のレジリエンスは、多くの女性に勇気を与え続けています。
一方、トーニャ・ハーディングのその後は波乱に満ちたものでした。事件直後、フィギュア界から追放されたハーディングは、経済的に苦境に陥りました。1995年頃からボクシング界に転向し、1996年のエキシビションマッチでデビュー。プロボクサーとして数試合をこなし、注目を集めましたが、怪我とスキャンダル続きで1998年に引退しました。その後、自動車レースのメカニックやウェイトレスの仕事で生計を立て、2002年には現実番組『The Surreal Life』に出演して世間の目を引きました。
私生活では、2000年にマイク・ソリスと結婚し、2010年に息子ジョセフ君を授かりましたが、2011年に離婚。2018年の映画『アイ, トーニャ 史上最大のスキャンダル』公開を機に、再び脚光を浴びました。この作品でマーゴット・ロビーがハーディングを演じ、アカデミー賞に輝いたことで、ハーディング自身もインタビューに応じ、過去の過ちを悔いる姿を見せました。2020年代に入り、母ラヴォナ・ファウラーとの確執がメディアで報じられましたが、2022年のドキュメンタリーで和解の兆しが見えました。現在はオレゴン州で静かに暮らし、フィギュアスケートの思い出を胸に、家族との時間を大切にしています。ハーディングの人生は、逆境からの再生の物語として、多くの人々に語り継がれています。
- ナンシー・ケリガン:1994年引退後、アイスショー・解説者・慈善活動。家族3子と安定した生活。
- トーニャ・ハーディング:ボクシング転向・引退後、低迷期を経て映画で再注目。息子と静かな日常。
二人は事件以来、公の場で直接対面することはありませんでしたが、互いの人生が交錯する形で、物語は続いています。ケリガンは「許し」を、ハーディングは「贖罪」をテーマに、それぞれの道を歩んでいます。
映画化・ドラマ化
ナンシー・ケリガン襲撃事件は、そのドラマチックな展開から、早い段階でエンターテイメント作品の題材となりました。事件直後の1994年に、複数のテレビ映画が制作され、センセーショナルな側面を強調したストーリーが視聴者を引きつけました。以降、ドキュメンタリーやフィクションが相次ぎ、スポーツの闇と人間ドラマを多角的に描いています。特に、2017年の劇映画『アイ, トーニャ 史上最大のスキャンダル』は、ハーディングの視点から事件を再解釈し、批評家・観客から高い評価を受けました。
1994年5月16日、NBCで放送されたテレビ映画『Tonya & Nancy: The Inside Story』は、事件の即時反映として注目されました。ヘザー・ファースがハーディングを、ジーナ・ゲルションがケリガンを演じ、襲撃の経緯と裁判を追いました。この作品は、事件の生々しさを残しつつ、メディアの役割を風刺的に描き、視聴率を稼ぎました。同年、Showtimeでパロディ作品『Attack of the 5 Ft. 2 In. Women』が放映され、ハーディングとケリガンをモデルにしたコメディとして、事件の風刺を試みました。キャシー・ネイディジとジュリー・ブラウンが主役を務め、軽妙なタッチでスキャンダルを笑いのネタに変えました。
21世紀に入り、事件の30周年を機に再燃した関心から、2017年12月8日公開の『アイ, トーニャ 史上最大のスキャンダル』が登場しました。クレイグ・ギレスピー監督のもと、マーゴット・ロビーがハーディングを、アリソン・ジャネイが苛烈な母親ラヴォナを、カオイミー・マクニーミンがケリガンを熱演。実在のインタビューを基にした「モキュメンタリー」スタイルで、ハーディングの貧困な生い立ちから事件、追放後の苦難までをユーモアと悲劇を交えて描きました。この映画はアカデミー賞で脚色賞と助演女優賞(ジャネイ)を受賞し、興行収入も1,500万ドルを超えました。ハーディング本人は作品を「80%正確」と評価し、自身の人生の再評価を促しました。
ドラマ化の面では、2018年にESPNの30 for 30シリーズでドキュメンタリー『The Price of Gold』が放送され、事件の社会的影響を深掘りしました。2022年のNetflixドキュメンタリー『Bad Sport: Tangled Ambitions』も、事件をエピソードの一つに取り入れ、スポーツのダークサイドを探求。フィクションでは、2020年代に舞台劇やポッドキャストが登場し、多様な解釈が生まれています。これらの作品は、単なるスキャンダル再現を超え、ジェンダー、階級、メディアの倫理をテーマに、現代の観客に問いかけています。
- 1994年:Tonya & Nancy: The Inside Story(TV映画、NBC)。
- 1994年:Attack of the 5 Ft. 2 In. Women(TVパロディ、Showtime)。
- 2017年:アイ, トーニャ 史上最大のスキャンダル(劇映画、Neon配給)。
- 2018年:The Price of Gold(ドキュメンタリー、ESPN)。
- 2022年:Bad Sport: Tangled Ambitions(ドキュメンタリー、Netflix)。
これらの映画化・ドラマ化は、事件を永遠の物語として定着させ、二人の女性の運命を多面的に照らし出しました。未来のクリエイターたちにとっても、魅力的な題材であり続けるでしょう。
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