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キム・ベイシンガー

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キム・ベイシンガー(Kim Basinger)は1953年ジョージア州アテネ生まれのアメリカ人女優。モデルから転身し、『ネバーセイ・ネバーアゲイン』でブレイク。『ナインハーフ』『バットマン』や『L.A.コンフィデンシャル』で名を馳せ、アカデミー賞受賞。セックスシンボルとして知られる。

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プロフィール

  • キム・ベイシンガー(Kim Basinger)
  • 本名:Kimila Ann Basinger
  • 生年月日:1953年12月8日(71歳)
  • 出生地:アメリカ合衆国ジョージア州アテネ
  • 職業:女優
  • ジャンル:映画、TV
  • 配偶者:Ron Snyder(1980年 – 1988年)、アレック・ボールドウィン(1993年 – 2002年)
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生い立ち・教育

キム・ベイシンガー(Kim Basinger)は、1953年12月8日、ジョージア州アテネで生まれた。本名はキミラ・アン・ベイシンガー。彼女は5人きょうだいの3番目として育ち、兄のスキップとミック、妹のバーバラとアシュリーがいる。父親のドナルド・ウェイド・ベイシンガーはビッグバンドのジャズミュージシャンであり、融資管理者としても働いていた。また、ノルマンディー上陸作戦に参加した退役軍人でもあった。母親のアンヌ・リーはモデル、女優、水泳選手で、エスター・ウィリアムズの水中映画に出演した経歴を持つ。家族はエンターテイメント業界にルーツを持ち、キム自身も幼少期から芸術的な環境に囲まれて育った。

キムの幼少期は保守的な家庭で過ごされ、彼女自身を「極めて内気」と形容している。学校で発言を求められると気絶してしまうほどだったという。しかし、3歳から中学生までバレエを学び、これにより自信を獲得した。学校のチアリーディングチームにも参加し、活発な少女時代を送った。17歳の時、アメリカのジュニアミス奨学金コンテストでアテネ・ジュニアミスに選ばれ、母親とともにブレック・シャンプーの広告に登場した。この経験が彼女のキャリアの第一歩となった。

教育面では、フォード・モデリング・エージェンシーから契約のオファーを受け、ジョージア大学に短期間在籍したものの、すぐにニューヨークへ移り、モデル業に専念した。1日あたり1,000ドルの高額報酬を得るほど成功したが、自身の不安定さからモデル業を嫌悪し、1973年にロサンゼルスへ移住した。そこで女優を目指し、ニコロデオン・プレイハウスで演技レッスンを受講。グリニッジ・ビレッジのクラブで歌手としても活動した。後にウィリアム・エスパー・スタジオの卒業生となり、演技の基盤を固めた。この時期、彼女はモデル、歌手、女優の三足のわらじを履き、多忙を極めた。こうした生い立ちは、彼女の内気な性格を克服し、スクリーン上で輝く女性像を生み出す原動力となった。

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経歴

キム・ベイシンガーのキャリアは、1970年代のモデル時代から始まる。16歳で地元の美人コンテストに参加し、1971年にミス・ジョージアに輝いた。ニューヨークでフォード・モデルズと契約し、シャンプー広告などで活躍。成功を収めたものの、1976年にモデルを引退し、女優転身を決意した。ロサンゼルスでテレビ業界に足を踏み入れ、『マクミラン夫人』や『チャーリーズ・エンジェルズ』にゲスト出演。後者ではレギュラー役のオファーを断ったが、これが彼女の独立心を示すエピソードである。

1978年のテレビ映画『ケイティ:センター・フォールドの肖像』で初主演を果たし、注目を集めた。1979年には『ここから永遠へ』のリメイク・ミニシリーズに出演し、娼婦役を演じて好評を博した。1980年のスピンオフでも同役を続投した。映画デビューは1981年の『ハード・カントリー』で、テキサスを舞台とした田舎ドラマに挑んだ。1982年の『マザー・ローデ』に続き、1983年のジェームズ・ボンド映画『ネバーセイ・ネバーアゲイン』でボンド・ガール、ドミノ・ペタチ役を演じ、ブレイクを果たした。この作品は世界興行収入1億6,000万ドルを記録し、同年にプレイボーイ誌のヌードグラビアが彼女のセックスシンボル像を確立した。

1984年の『ナチュラル』で誘惑者のメモ・パリス役を演じ、ゴールデングローブ賞助演女優賞にノミネートされた。1985年の『フール・フォー・ラブ』ではサム・シェパードの戯曲を基にした作品で称賛を浴びた。1986年のエロティック・ドラマ『ナインハーフ』でミッキー・ロークと共演し、官能的なエリザベス役でセンセーションを巻き起こした。ロジャー・イーバート批評家は、これを『パリ、テキサス』に匹敵するエロティックな緊張感を評価した。

1987年には『ブラインド・デート』と『ナイディーン』に出演。1989年のティム・バートン監督『バットマン』でフォトジャーナリストのヴィッキ・ヴェイル役を演じ、キャリア最高の興行収入4億ドル超を達成した。この成功後、1990年のアカデミー賞授賞式でスパイク・リーの『Do the Right Thing』を擁護するスピーチで話題となった。しかし、1990年代初頭は『ボクシング・ヘレナ』(1993年)への不出演で8.9百万ドルの訴訟を起こされ、破産宣告に追い込まれた。この危機を乗り越え、1997年の『L.A.コンフィデンシャル』でファム・ファタルのリン・ブラッケン役を演じ、アカデミー賞助演女優賞を受賞。ゴールデングローブ賞と全米映画俳優組合賞も獲得し、カムバックを果たした。

2000年の『アフリカで夢見た私』ではタイトルロールを演じ、5百万ドルのギャラを稼いだ。2002年の『8マイル』でエミネムの母親役を再びカーティス・ハンソン監督と組んで演じ、2004年の『ドア・イン・ザ・フロア』と『セルラー』で活躍。2016年の『ナイス・ガイズ!』ではライアン・ゴズリングと共演した。2017年の『フィフティ・シェイズ・ダーカー』でエレナ・リンカーン役を演じ、ゴールデンラズベリー賞を受賞したが、ネガティブな役柄が好評だった。2018年の続編『フィフティ・シェイズ・フリード』でも同役を続投した。2022年にはNFT短編『LIT Project 2: Flux』に参加し、2023年のビデオゲーム『Crime Boss: Rockay City』に声優として出演。彼女のキャリアは、モデルからアカデミー賞女優への変遷を体現し、多様なジャンルで柔軟性を発揮した。

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私生活

キム・ベイシンガーの私生活は、華やかなキャリアとは対照的に、複雑で内省的な側面が多い。1980年頃、突然の広場恐怖症を発症し、6ヶ月間引きこもり状態となった。この経験は彼女の人生に深い影を落とし、治療を通じて運転免許の再取得を余儀なくされた。彼女は「公の場に立つのは決して容易ではないが、少しずつ改善している」と語っている。また、1981年のプレイボーイ誌ヌード出演は、化粧品会社レブロンの契約違反となり、解雇された。

恋愛面では、モデル時代のティム・ソンダース、フォトグラファーのデール・ロビネット、フットボール選手ジョー・ナマスと交際。1980年10月12日、映画『ハード・カントリー』で出会ったメイクアップ・アーティストのロン・ブリティトン(旧姓スナイダー)と結婚したが、1989年に離婚。離婚後、8年間にわたり月9,000ドルの養育費を支払った。離婚直後、プロデューサーのジョン・ピーターズやミュージシャンのプリンスと関係を持ち、プリンスとは未発表アルバム『ハリウッド・アフェア』を共同制作した。

1990年、映画『ザ・マリーイング・マン』の撮影でアレック・ボールドウィンと出会い、1993年8月19日に結婚。1995年10月23日、娘アイルランド・ボールドウィンを出産した。しかし、2000年に別居し、2002年に離婚。激しい親権争いが続き、アレックの本『ある日の一頭のロバ』で詳細が明かされた。この争いはメディアを賑わせ、キムの精神的な負担となった。離婚後、娘の養育に専念し、キャリアを一時休止した。

2014年以降は、長年のヘアスタイリストであるミッチ・ストーンと同居。互いにゴールドのリングを着用し、穏やかな関係を築いている。家族関係では、1990年代中盤から多くの親族と疎遠となったが、2015年までに母親と和解した。ベジタリアンであり、動物愛護活動に積極的。PETAのポスターに登場し、ファーム動物保護法の推進に貢献した。1989年、故郷ジョージア州ブレセルトンに1,691エーカーの土地を2,000万ドルで購入し、町全体を所有する計画を立てたが、Boxing Helena訴訟の影響で1995年から部分的に売却。こうした私生活の波乱は、彼女の強い精神力を象徴している。

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出演作品

  • ハード・カントリー(1981年):田舎のドラマで映画デビュー。ジャン=マイケル・ヴィンセントと共演。
  • ネバーセイ・ネバーアゲイン(1983年):ボンド・ガール、ドミノ・ペタチ役。ショーン・コネリーと共演し、ブレイク作。
  • ナチュラル(1984年):メモ・パリス役。ゴールデングローブ賞ノミネート。ロバート・レッドフォード主演の野球映画。
  • ナインハーフ(1986年):エリザベス役。ミッキー・ロークとのエロティック・ドラマでセンセーション。
  • フール・フォー・ラブ(1985年):マヤ役。サム・シェパード原作の劇場作品。
  • ナイディーン(1987年):タイトルロール。ジェフ・ブリッジズと共演のコメディ。
  • ブラインド・デート(1987年):スー役。ブレイク・エドワーズ監督。
  • バットマン(1989年):ヴィッキ・ヴェイル役。マイケル・キートンとティム・バートン監督のブロックバスター。
  • プリテ・ア・ポルテ(1994年):キット役。ロバート・アルトマン監督のファッション業界風刺。
  • L.A.コンフィデンシャル(1997年):リン・ブラッケン役。アカデミー賞受賞。カーティス・ハンソン監督のノワール。
  • アフリカで夢見た私(2000年):クキ・ガルマン役。ケニア移住物語。
  • 8マイル(2002年):ステファニー役。エミネムの母親。ラップ映画。
  • ドア・イン・ザ・フロア(2004年):テディ役。ジョン・アーヴィング原作。
  • セルラー(2004年):チアン役。サスペンス・アクション。
  • フィフティ・シェイズ・ダーカー(2017年):エレナ・リンカーン役。続編フリード(2018年) でも同役。
  • ナイス・ガイズ!(2016年):タミー役。ライアン・ゴズリングとラッセル・クロウ共演のネオノワール。

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