ソフィア・ローレン(またはソフィア・ロレーン、Sophia Loren)はイタリアを代表する伝説的な女優。本名はソフィア・ヴィラーニ・シコローネ。貧困な幼少期を過ごし、ミスコンテストをきっかけに映画界へ。1950年代にデビューし、1960年の『ふたりの女』でアカデミー賞主演女優賞を受賞。ヨーロッパとハリウッドで活躍し、豊満な美貌と演技力で世界的なスターとなりました。家族を大切にし、90歳を超えても現役を続けるレジェンド。
プロフィール
- 名前:ソフィア・ローレン(Sophia Loren)
- 本名:Sofia Villani Scicolone
- 生年月日:1934年9月20日(91歳)
- 出生地:イタリア王国・ローマ
- 国籍:イタリア共和国
- フランスの旗 フランス
- 職業:女優
- ジャンル:映画
- 活動期間:1950年~
- 配偶者:カルロ・ポンティ(1972年~2007年)
生い立ち・教育
ソフィア・ローレンは、1934年9月20日にイタリアのローマで生まれました。しかし、父親の不在により、母と姉妹とともにナポリ近郊のポッツオーリで貧しい環境の中で育ちました。父親は家族を経済的に支援せず、母はローマでダンサーを目指していましたが、夢を断念せざるを得ませんでした。幼少期は祖母の家で過ごし、第二次世界大戦の影響で疎開生活を強いられ、孤独で厳しい日々を送りました。この頃から、彼女は美しい容姿で周囲を魅了していましたが、栄養失調による健康問題も抱えていました。
教育については、正式な学校教育は限定的でした。貧困のため十分な学業を積む機会が少なく、14歳頃にナポリの「海の女王コンテスト」に参加したことが転機となりました。このコンテストで最終審査に残り、映画プロデューサーであるカルロ・ポンティの目に留まりました。以後、ポンティの指導のもとで演技やダンスを学び、映画界への道が開かれました。彼女自身、幼少期の苦難が自身の強さと表現力を育んだと語っています。このような生い立ちが、後の作品で描かれる強い女性像に反映されているのです。
経歴
ソフィア・ローレンの映画人生は、1950年代初頭に端役でデビューしたことから始まります。1950年、15歳の時に「クオ・ヴァディス」でエキストラとして出演しましたが、クレジットには載りませんでした。カルロ・ポンティのプロデュースのもと、1953年の『アイーダ』で本格的に主演を果たし、注目を集めました。1954年の『ナポリの饗宴』ではナポリの風俗を活かした役柄で地元色をアピールし、徐々に人気を博しました。
1957年の『島の女』でハリウッドに進出を果たし、国際的なスターとなりました。この作品でアラン・ラッドと共演し、豊満なボディと情熱的な演技が評価されました。1958年の『黒い蘭』ではヴェネチア国際映画祭女優賞を受賞し、演技力の高さを証明。1960年の『ふたりの女』でアカデミー賞主演女優賞を獲得し、イタリア人女優として初の快挙を成し遂げました。この頃、ヴィットリオ・デ・シーカ監督とのコンビで『昨日・今日・明日』(1963年)や『ああ結婚』(1964年)などの傑作を生み出し、ゴールデングローブ賞も複数受賞しました。
1970年代に入り、『ひまわり』(1970年)でマルチェロ・マストロヤンニと共演し、戦争の悲劇を描いた感動的な演技を披露。『ラ・マンチャの男』(1972年)ではミュージカルに挑戦し、多才さを示しました。1977年の『特別な一日』では、ファシズム下のイタリアを舞台に、マストロヤンニとの繊細な人間ドラマを演じ、カンヌ国際映画祭で再び女優賞を受賞。1980年代は子育てのため活動を控えましたが、1991年にアカデミー名誉賞を受賞し、生涯成就を称えられました。
1990年代の復帰作『プレタポルテ』(1994年)ではロバート・アルトマン監督のもとで現代的な役をこなし、好評を博しました。2002年の『微笑みに出逢う街角』は息子エドアルド・ポンティの監督作で、家族の絆を描きました。2020年のNetflix映画『これからの人生』では86歳で主演を務め、ホロコーストの記憶をテーマに深い感動を与え、イタリア映画アカデミー賞女優賞を受賞。90歳を超えた現在も、慈善活動や映画祭への参加を通じて、映画界に貢献し続けています。彼女の経歴は、貧困から頂点へ、そして持続的な活躍という感動的な物語です。
私生活
ソフィア・ローレンの私生活は、映画人生と密接に結びついています。1951年に出会ったカルロ・ポンティとは、プロデューサーと女優という関係から恋に落ち、1957年に婚姻届を提出しました。しかし、ポンティの前妻との離婚が未成立だったため、一時的に無効となり、二重結婚の疑いでスキャンダルに巻き込まれました。1962年にフランス国籍を取得し、1966年に正式に再婚。ポンティとは50年以上連れ添い、2007年に彼が逝去するまで、互いを支え合う理想的な夫婦像を体現しました。
二人の間には、1968年に長男カルロ・ポンティ・ジュニア、1973年に次男エドアルド・ポンティが生まれました。長男は指揮者としてクラシック音楽界で活躍し、次男は映画監督として母の作品を手がけています。ローレンは子育てのため、1970年代から1980年代にかけて映画出演を控え、家族を最優先にしました。この時期、ジュネーブに移住し、静かな家庭生活を送りました。ポンティの脱税事件で一時的に投獄された際も、家族の絆が彼女の支えとなりました。
私生活では、SSCナポリの熱心なサポーターとして知られ、地元イタリアの文化を愛しています。また、慈善活動にも積極的で、ユニセフ親善大使を務め、子供たちの教育支援に尽力。整形を勧められた過去を振り返り、「ありのままの自分」を貫く姿勢を美の秘訣として語っています。夫の死後も、息子たちや孫たちに囲まれ、穏やかな晩年を過ごしています。彼女の人生は、情熱的な恋愛、家族愛、そして不屈の精神が織りなす美しい物語です。
出演作品
ソフィア・ローレンは100本以上の映画に出演し、数々の名作を生み出しました。以下に主要な作品を邦題優先で挙げ、各作品の簡単な概要を記します。これらの作品は、彼女の多様な魅力—コメディからドラマまで—を象徴しています。
- クオ・ヴァディス(1951年)…端役でデビュー。ローマ帝国の物語。
- アンナ(1951年)…ナイトクラブのアシスタント役。
- アイーダ(1953年)…オペラのタイトルロールを演じる。
- ナポリの饗宴(1954年)…ナポリの風俗を描いたミュージカル。
- 侵略者(1954年)…オノリア姫役で歴史ドラマ。
- 島の女(1957年)…ギリシャを舞台にした冒険ロマンスで国際デビュー。
- 殿方ごろし(1957年)…コメディで魅力的な未亡人役。
- 誇りと情熱(1957年)…スペイン内戦の冒険譚。
- 楡の木蔭の欲望(1958年)…禁断の愛を描くドラマ。
- 鍵(1958年)…戦時中の人間模様。
- 黒い蘭(1958年)…マフィアの娘役でヴェネツィア賞受賞。
- 月夜の出来事(1958年)…キャリー・グラントとのロマンティック・コメディ。
- 私はそんな女(1959年)…ニューヨークの風刺コメディ。
- 西部に賭ける女(1960年)…西部劇のパロディ。
- ナポリ湾(1960年)…クラーク・ゲーブルとのイタリアン・ロマンス。
- 求むハズ(1960年)…ピーター・セラーズとの風刺喜劇。
- バラ色の森(1960年)…ウィンナワルツのロマンス。
- ふたりの女(1960年)…母娘の戦争体験でアカデミー賞受賞。
- エル・シド(1961年)…スペインの英雄譚でシャルル・ボワイエと共演。
- 戦場を駈ける女(1961年)…ナポレオン時代のコメディ。
- ボッカチオ’70(1962年)…オムニバス映画の1編「くじ引き」。
- 真夜中へ5哩(1962年)…サスペンス・スリラー。
- 昨日・今日・明日(1963年)…3つのエピソードからなるコメディでアカデミー外国語映画賞。
- アルトナ(1963年)…ナチス後の家族ドラマ。
- ローマ帝国の滅亡(1964年)…大規模歴史スペクタクル。
- ああ結婚(1964年)…マルチェロ・マストロヤンニとのイタリアン・コメディでアカデミー賞ノミネート。
- おとぎ話(1967年)…オマー・シャリフとのファンタジー・ロマンス。
- ひまわり(1970年)…戦争で離散した夫婦の物語。
- 結婚宣言(1970年)…コメディ。
- ラ・マンチャの男(1972年)…ミュージカル版ドン・キホーテ。
- 特別な一日(1977年)…ファシズム下の同性愛者との交流でカンヌ賞。
- 旅路(1979年)…ロードムービー。
- プレタポルテ(1994年)…ファッション界の風刺コメディ。
- ラブリー・オールドメン 釣り大将LOVE LOVE日記(1994年)…同上。
- NINE(2009年)…ミュージカル映画でダニエル・デイ=ルイスと共演。
- これからの人生(2020年)…ホロコーストの記憶を語る感動作で主演。
これらの作品を通じて、ソフィア・ローレンは時代を超えた魅力を発揮し、映画史に永遠の足跡を残しました。彼女の演技は、常に情熱と深みを湛えています。
レビュー 作品の感想や女優への思い