バーバラ・ウォルターズ(Barbara Walters)はアメリカ合衆国の放送ジャーナリストおよびテレビパーソナリティ。
1929年9月25日にボストンで生まれ、2022年12月30日に93歳で亡くなりました。インタビュー能力の高さと視聴者人気で知られ、トゥデイ、ABCイヴニング・ニュース、20/20、ザ・ビューなどの番組をホストしました。1951年から2014年までジャーナリストとして活躍し、2015年に最後の出演を果たしました。
すべてのアメリカ大統領とファーストレディへのインタビューを達成し、フィデル・カストロ、アンワル・サダト、メナヘム・ベギン、キャサリン・ヘプバーン、モニカ・ルインスキーなどの著名人をインタビューしました。女性放送界のパイオニアとして、ジェーン・ポーリー、ケイティ・クーリック、ダイアン・ソーヤーらの道を開きました。2008年の自伝Auditionでキャリアを振り返り、2014年にザ・ビューから引退しました。彼女の人生は、野心と挑戦に満ちたものでした。
プロフィール
- 名前:バーバラ・ウォルターズ(Barbara Walters)
- 出生名:Barbara Jill Walters
- 生年月日:1929年9月25日
- 出生地:アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン
- 没年月日:2022年12月30日(93歳没)
- 死没地:アメリカ合衆国ニューヨーク市
- 教育:サラ・ローレンス大学 (学士)
- 職業:ジャーナリスト
- 活動期間:1951年 – 2016年
- 配偶者:①ロバート・ヘンリー・カッツ(結婚 1955年、ann. 1957年)、②リー・ガバー(結婚 1963年、離婚 1976年)、③マーヴ・アデルソン(結婚 1981年、離婚 1984年)・(結婚 1986年、離婚 1992年)
- 子供:1人
生い立ちと教育
バーバラ・ウォルターズ(Barbara Walters)は、1929年9月25日にマサチューセッツ州ボストンで生まれました。両親はロシア系ユダヤ人の移民の子孫で、父ルー・ウォルターズはナイトクラブ経営者であり、ブロードウェイのプロデューサーとしても活躍しました。彼の本名はルイス・エイブラハム・ウォームウォーターで、ニューヨークのLatin Quarterナイトクラブを運営し、ラスベガスのTropicana Resortでエンターテイメントディレクターを務めました。また、パリのFollies Bergèreをアメリカに導入した人物です。母はディナ・セレスキーです。家族は父の事業の成功と失敗を繰り返し、中央公園西側のペントハウスからマイアミビーチの家へ移住するなど、経済的に不安定な生活を送りました。
幼少期に兄バートンは肺炎で14ヶ月で亡くなり、姉ジャクリーンは精神障害を抱え、1985年に卵巣がんで亡くなりました。バーバラは父のショーのリハーサルに参加し、セレブリティに囲まれて育ちました。しかし、父の精神的崩壊で家族が貧困に陥った経験もあります。マイアミビーチでは、マフィアのビル・ドワイヤーと短期間同居したこともあります。
教育面では、マサチューセッツ州ブルックラインのLawrence Schoolに通いましたが、5年生途中で退学し、マイアミビーチの公立校に移りました。その後、ニューヨークに戻り、Ethical Culture Fieldston Schoolで8年生、Birch Wathen Schoolで10年生後半を過ごしました。1947年に高等学校を卒業し、1951年にサラ・ローレンス・カレッジで英語の学士号を取得しました。この大学時代に、後のキャリアに影響を与える経験を積みました。
活動歴
バーバラ・ウォルターズのキャリアは、1951年から2015年まで続きました。最初は小さな広告会社に勤務した後、1953年にNBCのWNBT-TV(現WNBC)で子供向け番組Ask the Cameraのライター・プロデューサーとしてスタートしました。この番組はSandy Beckerがホストを務めました。1954年にはWPIXでEloise McElhone Showをプロデュースしましたが、1954年に打ち切りとなりました。1955年にはCBSのThe Morning Showで脚本家として働きました。
1961年にNBCのトゥデイ・ショーに加入し、ライター・リサーチャーから女性向けコーナーの「Today Girl」へ移行しました。モデル不在時に水着で出演し、テレビデビューを果たしました。インタビュー能力で人気を博し、1971年にNot for Women Onlyのホストとなりました。1974年にはトゥデイ・ショーの初の女性コホストとなり、フランク・マギーの死後、ジム・ハーツと共同で務めました。これはテレビ史上初の女性司会者として画期的でした。
1976年にABCに移籍し、500万ドルの契約で最高額のニュースアンカーとなりました。ABCイヴニング・ニュースでハリー・リーズナーとコアンカーとして働き、初の女性ネットワークニュースアンカーとなりました(1976年から1978年)。1979年から2004年まで20/20のコレスポンダント・コホストを務め、ヒュー・ダウンズと共演しました。1976年にはジミー・カーター対ジェラルド・フォードの大統領討論会をモデレーターとして司会し、1984年の別の討論会も担当しました。
1976年からBarbara Walters Specialsでプライムタイムインタビューを開始し、1993年からBarbara Walters’ 10 Most Fascinating Peopleの年次特番をホストしました。1997年にザ・ビューを創設し、コホスト・コエグゼクティブプロデューサーとして2014年まで活躍しました。2004年以降はABCニュースの特番とInvestigation Discoveryのドキュメンタリーに出演し、2015年にAmerican Scandalsをホストしました。最後のインタビューはドナルド・トランプでした。
彼女の達成として、すべての大統領とファーストレディへのインタビュー、女性放送のパイオニアとしての役割が挙げられます。インタビュー相手にはフィデル・カストロ(1977年)、アンワル・サダトとメナヘム・ベギン(1977年ジョイント)、モニカ・ルインスキー(1999年、視聴者7400万人)、マイケル・ジャクソン、キャサリン・ヘプバーンなどがいます。受賞歴として、1975年のDaytime Emmy for Outstanding Talk Show Host(トゥデイ・ショー)、1989年のTelevision Hall of Fame入り、2000年のNATAS Lifetime Achievement Award、2007年のHollywood Walk of Fameの星、2009年のDaytime Emmy for Outstanding Talk Show Host(ザ・ビュー)などがあります。彼女のキャリアは、性差別や競争を乗り越え、放送ジャーナリズムを変革しました。
私生活
バーバラ・ウォルターズは4回の結婚を経験しました。初婚は1955年にロバート・ヘンリー・カッツとで、1957年に無効となりました。2度目の結婚は1963年にリー・グーバーとで、1976年に離婚しました。この結婚で3回の流産を経験した後、1968年に娘ジャクリーン・デナ・グーバーを養子に迎えました。姉の名前にちなんでいます。3度目と4度目はマーヴ・アデルソンとで、1981年に結婚し1984年に離婚、1986年に再婚し1992年に離婚しました。
大学時代にロイ・コーンと交際し、結婚前夜のプロポーズを否定しましたが、養子縁組と父の法的支援に感謝していました。1970年代にアラン・グリーンスパンと交際、1990年代にジョン・ワーナー上院議員と、1970年代にエドワード・ブルック上院議員と不倫関係がありました。この不倫はキャリア保護のため終了しました。2007年にはロバート・ニール・バトラーと交際しました。友人としてトム・ブロカー、ウッディ・アレン、ジョーン・リバース、ロジャー・エイルズらがいました。
2013年に子供をもっと欲しかったと後悔を語りました。健康問題として、2010年に大動脈弁狭窄症で大動脈弁置換手術を受け、9月にザ・ビューに復帰しました。2022年12月30日にマンハッタンの自宅で93歳で亡くなり、認知症の後期段階でした。最後の言葉は「後悔はない-素晴らしい人生だった」です。フロリダのレイクサイド記念公園に姉と両親の隣に埋葬されました。
メディア一覧
書籍
- How to Talk with Practically Anybody About Practically Anything(1970年、June Callwood共著)Amazon
- Audition:A Memoir(2008年、自伝)
出演テレビ番組
- Ask the Camera(1953年、ライター・プロデューサー)
- The Morning Show(1955年、ライター)
- トゥデイ(1962年から1976年、ライター・セグメントプロデューサー、1974年から1976年コホスト)
- Not for Women Only(1971年から、ホスト)
- ABCイヴニング・ニュース(1976年から1978年、コアンカー)
- 20/20(1979年から2004年、コレスポンダント・コホスト)
- Barbara Walters Specials(1976年から、ホスト)
- Barbara Walters’ 10 Most Fascinating People(1993年から2015年、ホスト)
- ザ・ビュー(1997年から2014年、コホスト・コエグゼクティブプロデューサー)
- Here’s Barbara(2010年から、ラジオショーとしてホスト)
- American Scandals(2015年、ホスト)
出演映画・ドラマ
- Barbara Walters:Tell Me Everything(2025年、本人)
著名インタビュー
バーバラ・ウォルターズは、数多くの著名人へのインタビューで知られています。彼女のインタビューは、鋭い質問と被験者の本音を引き出すスタイルが特徴です。以下に、主な著名インタビューを挙げ、詳細を説明します。これらは彼女のキャリアを象徴するものです。
フィデル・カストロ(1977年)
バーバラ・ウォルターズは、キューバの指導者フィデル・カストロにアメリカ人ジャーナリストとして初めてインタビューしました。このインタビューでは、ピッグス湾でボートに乗り、10日間にわたりキューバを旅行し、カストロの隣で車に乗り、彼の銃を持った様子も記録されました。カストロはキューバにデモがないと主張し、彼女の厳しい質問に答えました。このインタビューは、独裁者の人間性を描き出し、国際的に注目を集めました。
アンワル・サダトとメナヘム・ベギン(1977年)
エジプト大統領アンワル・サダトとイスラエル首相メナヘム・ベギンへの共同インタビューは、歴史的なものです。ベギンがサダトを説得し、「私たちの友人バーバラのために」と実現しました。このインタビューは、中東和平プロセスを象徴し、両者の対話を引き出しました。ウォルターズの仲介力が高く評価されました。
キャサリン・ヘプバーン(1981年)
女優キャサリン・ヘプバーンへのインタビューは、「どんな木になりたいですか?」という質問で有名になりました。ヘプバーンが自身を強い木のように感じると述べた後、ウォルターズが尋ねたものです。この質問は後年、彼女の最大のミスとしてジョークの題材になりましたが、ヘプバーンの内面を垣間見せました。ウォルターズはヘプバーンを生涯で最もインタビューしたい人物と語っています。
モニカ・ルインスキー(1999年)
ビル・クリントン大統領とのスキャンダルで知られるモニカ・ルインスキーへのインタビューは、視聴者7400万人を記録し、テレビ史上最高視聴率の一つです。ルインスキーは事件の詳細を語り、ウォルターズの質問で感情を露わにしました。このインタビューは、ウォルターズのセンセーショナルなトピックへのアプローチを示しています。
マイケル・ジャクソン
ポップスターのマイケル・ジャクソンへのインタビューでは、性的虐待疑惑の中で、プリンセス・ダイアナとの関係やパパラッチとの生活を語らせました。ジャクソンの私生活を深く掘り下げ、ファンに新しい視点を提供しました。
ショーン・コネリー
俳優ショーン・コネリーへのインタビューでは、20年前のプレイボーイ誌での女性を叩く発言を正当化させるやり取りがありました。コネリーは意見を変えていないと述べ、ウォルターズの鋭い追及が光りました。
ウゴ・チャベス(2007年)
ベネズエラ大統領ウゴ・チャベスへのインタビューでは、国連でのブッシュ大統領を「悪魔」と呼んだ発言について質問しました。チャベスはブッシュを無知だと批判し、ウォルターズの国際政治への洞察を示しました。
エリザベス・テイラー
女優エリザベス・テイラーへのインタビューは、手術直前に行われ、彼女の人生を振り返りました。ウォルターズの親密なスタイルが、テイラーの本音を引き出しました。
プリシラ・プレスリー
エルヴィス・プレスリーの元妻プリシラ・プレスリーへのインタビューでは、14歳での出会いとロックの王との恋愛を語らせました。個人的なエピソードが豊富です。
リチャード・ニクソン
元大統領リチャード・ニクソンへのインタビューは、ウォーターゲート事件後の反省を掘り下げました。ウォルターズの政治インタビュー力の象徴です。
ウラジミール・プーチン
ロシア大統領ウラジミール・プーチンへのインタビューでは、国家指導者の内面を探りました。国際的なトピックを扱いました。
テイラー・スウィフト
歌手テイラー・スウィフトへのインタビューは、キャリアと個人的な成長をテーマにしました。現代のセレブリティインタビューとして注目されました。
ジミー・カーターとロザリン・カーター(1976年)
大統領当選者ジミー・カーターとロザリンへのインタビューは、彼女のスペシャル番組の初回でした。政治家夫婦の日常を描きました。
その他の著名インタビュー
ウォルターズは、すべてのアメリカ大統領とファーストレディにインタビューを達成しました。また、クリストファー・リーヴ、ルーシー・ボール、デシ・アーナズ、ヤーセル・アラファト、ムアンマル・カダフィなども含みます。これらのインタビューは、彼女の多様な被験者選択を示しています。





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