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華城連続殺人事件

華城連続殺人事件は、1986年9月15日から1991年4月3日にかけて、韓国・京畿道華城市(当時は華城郡)で発生した連続強姦殺人事件。女性10人が被害に遭い、犯人は長期間特定されず、韓国現代史において最も悪名高い未解決事件の一つとされました。この事件は、ポン・ジュノ監督の2003年公開映画『殺人の追憶』の題材となり、国内外で広く知られるようになりました。2019年にDNA鑑定の進歩により、犯人としてイ・チュンジェ(李春在)が特定され、事件は33年ぶりに解決に至りましたが、時効成立により追加の訴追は不可能でした。

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事件の背景

1980年代の韓国は、軍事政権下での急速な工業化と経済成長の時期にあり、都市部と農村部の格差が顕著でした。華城市はソウル近郊の農村地域で、人口約22万6千人が田園地帯や丘陵地に点在する集落に暮らしていました。事件当時、華城は比較的平穏な地域で、窃盗や軽微な犯罪はあっても凶悪犯罪はまれでした。しかし、1986年のアジア競技大会開催に伴う警備体制の強化により、地方警察のリソースが不足し、捜査体制が脆弱だったことが後の捜査の難航に影響を与えました。

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事件の経緯

華城連続殺人事件は、1986年9月15日に72歳の女性が殺害されたことから始まりました。被害者は全員女性で、年齢は13歳から71歳までと幅広く、主婦、学生、会社員など多様な背景を持っていました。犯人の手口は一貫しており、夜間に田んぼや雑木林に潜み、帰宅中の女性を襲って強姦し、被害者のストッキングやブラジャー、靴下などの衣類で縛り、絞殺するものでした。一部の被害者の遺体には、傘やフォーク、レザーブレードで傷つけられた痕跡があり、残虐性が際立っていました。

事件は5年間で10件発生し、特に最初の5件は華城市内の半径6キロメートル以内で起きました。犯行は雨の日や夜間に集中し、赤い服を着た女性を標的にするという噂が広まり、住民の間に恐怖が蔓延しました。この噂を受け、女性警察官が赤い服を着て囮捜査を行う試みも行われましたが、成果を上げませんでした。

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捜査の推移

華城連続殺人事件は、韓国史上最大規模の捜査が行われた事件として知られています。警察は延べ205万人の捜査員を投入し、2万1280人以上の容疑者を調査、4万116人の指紋を採取、570のDNAサンプルと180の毛髪サンプルを分析しました。しかし、当時の韓国ではDNA鑑定技術が未発達で、血液型検査も限定的でした。捜査初期には血液型Bの男性が疑われましたが、後に犯人の血液型がO型であることが判明し、誤った方向に進んだ捜査が問題となりました。

目撃証言に基づく犯人の似顔絵も作成されました。1988年9月7日の7件目の事件後、バス運転手と車掌が犯人とみられる男を目撃し、身長165~170cm、痩せ型、20代中盤、短髪で鋭い目つきの男性という特徴が報告されました。しかし、この似顔絵はイ・チュンジェの実際の顔と大きく異なり、捜査の進展を妨げました。

警察は地域住民の協力のもと、夜間パトロールや監視活動を強化しましたが、犯行は続き、住民の不安は増大しました。捜査の混乱を象徴するエピソードとして、警察が占い師に相談したり、呪術的な儀式を行ったりしたことも記録されています。

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8件目の冤罪事件

1988年9月16日の8件目の事件では、14歳の少女パク・サンヒが自宅で殺害されました。この事件は他の事件と異なり、室内での犯行だったため、当初は模倣犯の可能性が疑われました。警察は22歳の溶接工ユン・ソンヨを逮捕し、3日間の尋問の末、強要された自白に基づき彼を終身刑に処しました。しかし、ユンは無実を主張し続け、20年間服役した後、2009年に仮釈放されました。2019年にイ・チュンジェがこの事件も含む全ての犯行を自白し、ユンの冤罪が明らかになりました。2020年12月、ユンは再審で無罪判決を受け、国家から謝罪と補償を受けました。

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犯人の特定と結末

華城連続殺人事件は、2006年4月2日に最後の事件の時効が成立し、永遠の未解決事件となるかに見えました。しかし、警察は証拠を保管し続け、DNA技術の進歩を待っていました。2019年7月、京畿南部地方警察庁の未解決事件捜査チームが、9件目の被害者の下着から採取したDNAを再分析し、イ・チュンジェのDNAと一致することを確認しました。続いて5件目と7件目の証拠からも彼のDNAが検出され、4件目の事件にも関連が確認されました。

イ・チュンジェは当時、1994年に義妹を強姦・殺害した罪で釜山刑務所に終身刑で服役中でした。1963年1月31日生まれの彼は、華城市出身で、事件当時は20代前半でした。軍服務を終えた直後の1986年に最初の犯行に及び、1991年まで殺人を繰り返しました。彼は当初関与を否定しましたが、2019年10月2日、10件の華城事件を含む14件の殺人と30件以上の強姦・強姦未遂を自白しました。さらに、華城で3件、忠清北道清州市で2件の追加殺人も自供しましたが、これらの詳細は公開されていません。

イ・チュンジェは、被害者の衣類を使った絞殺や計画的な犯行から、知能と狡猾さを示しました。彼の動機は性的欲求と支配欲とされ、個人的なトラウマ(姉の溺死や性的虐待の主張)が影響した可能性が指摘されていますが、虐待の証拠は確認されていません。

社会的影響と教訓

華城連続殺人事件は、韓国社会に深い傷跡を残しました。事件は地域住民の間に恐怖を植え付け、女性の夜間外出を制限するなど、生活様式に影響を与えました。また、警察の非効率な捜査や強圧的な取り調べによる冤罪が明るみに出たことで、捜査手法の改革が求められました。事件解決後、DNAデータベースの構築や科学捜査の導入が加速し、2015年には殺人罪の時効が撤廃されました(ただし遡及適用は不可)。

映画『殺人の追憶』は、事件の未解決時代に公開され、警察の無力さや軍事政権下の社会混乱を描き、韓国映画の金字塔となりました。ポン・ジュノ監督は、ラストシーンでソン・ガンホがカメラ目線で犯人へ語りかける演出を通じて、真犯人へのメッセージを込めました。イ・チュンジェは後にこの映画を刑務所で鑑賞したと証言し、話題を呼びました。

また、2016年に放送されたTVドラマ『シグナル』は第2話から第4話まで『京畿南部連続殺人事件』として本事件をモチーフにしたエピソードにしています。

結論

華城連続殺人事件は、韓国の刑事司法史において転換点となった事件です。33年間の未解決期間を経て、科学技術の進歩により犯人が特定された一方、時効による訴追の限界や冤罪の悲劇が浮き彫りになりました。この事件は、犯罪捜査の重要性と正義の追求の難しさを現代に問いかけ、ポン・ジュノの『殺人の追憶』を通じて、芸術作品としても後世に語り継がれています。

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