ミニドレスは、女性用の短いドレスで、裾は膝より上、一般的には太ももの真ん中の高さのものを指します。貫頭衣やチュニックの歴史からミニドレスを振り返るのはとても長い旅になるので、ここでは1960年代に流行したミニドレスを中心に、画像からこのファッションを味わいたいと思います。
画像
1960年代はミニスカートが流行しましたが、ミニドレスもしかり。よくミニスカートを普及させたデザイナーに、英国のマリー・クワントや仏国のアンドレ・クレージュが挙げられますね。このうち、クワントはミニスカートもミニドレスも多くデザインしましたが、クレージュにはほとんどミニドレスしか眼中にありませんでした。
ピンタレスト
まずはピンタレスト。60年代ファッションかどうかの決め手に欠けますが、画像が豊富なのでひとまずリンクを上げておきます。
ヴィクトリア&アルバート美術館
英国ロンドンにあるビクトリアアルバート美術館には1960年代のスウィンギング・ロンドンの代表的な衣装も展示しています。同美術館の特集ページがこれです。
膝上スカートに関連し、英国デザイナーのマリー・クワントをはじめ、仏国デザイナーのアンドレ・クレージュ、クリストバル・バレンシアガ、イヴ・サンローランなどのエピソードや作品を取り上げています。
このページで紹介されている作品は多くがすでにネットや書籍から知られているものですが、私としては マリー・クワントのジャージー生地によるミニドレスが斬新でした。黒ベースと赤ベースの2点です。また、ピーターパン・カラーのミニドレスも素敵。
それでは、英国のマリー・クワントをはじめ、仏国のアンドレ・クレージュやピエール・カネルダンなどのミニドレスも作品別に見ていきましょう。
マリー・クワント
1955年、ロンドンのキングス・ロードにマリー・クワントは初のブティック「バザー」をオープン。彼女の若々しく着やすい服は人気を博し、1963年には低価格の既製服シリーズ「ジンジャー・グループ」を立ち上げました。また、メーカーとライセンス契約を結び、彼女の名を冠したメリヤス、下着、化粧品、アクセサリーを生産。収入に関係なく、ほとんど誰でも「マリー・クワント」のストッキングや口紅を買うお金を惜しまないことができました。これによって、彼女の服を買う余裕のない少女たちもファッションに触れることができるようになり、マリー・クワントは一躍有名になり、商業的にも成功。彼女のイギリス生活への貢献は、1973年にロンドン博物館で開催された回顧展で明らかになりました。この展覧会では、クワントの最も革命的な衣服の数々が展示され、オリジナルのものが見つからない場合は、複製品として作り直されたものもありました。
これは「ザ・ガード」と名付けられたドレスで1963年製。1962年頃、マリー・クワントがデザインしたピナフォア・スタイルのドレス。内側のラベルには、このデザインを「ザ・ガード」と呼び、素材は表地がウール100%、裏地がアセテート100%と記載。明示されてる 縫製者はリン・ギルバート(旧姓リーチ)。彼女はパターン・カッターで、クアントのジンジャー・グループ・ラインを製造していたスタインバーグス社で働いていました。
これは「スノッブ」と名付けられたウール素材のアンサンブル。1963年にデザインされ、1973年に製造されたものです。ジンジャー・ウールのノースリーブ・ピナフォア・ドレス。ストライプのボディス、カッタウェイ・アームホールと低いVネック、前身頃はレース編み。このアンサンブルは5つのパーツで構成されています。ドレス、ハット、ジャンパー、ブーツ2足。
これは「O.B.E. ドレス」というドレスで、1966年にデザインされました。クリーム色のウール・ジャージー製ドレス。ローウエストで、わずかにギャザーの入ったショートスカート。高めの襟とベル型の袖はブルーのトップステッチで切り替えられ、ネックと袖口には真鍮のジッパーが付いています。
1967年2デザインされたウール・ジャージーのドレス。ダークピンクのウールジャージー製「スケーター」ドレス。フロントにジッパー、スカートにプリーツ入り。流れるようなカッティング、しなやかなジャージー素材、機能的なフロントジッパーの「スケーター」ドレスは、アイスリンクのスピードと優雅さを連想させます。マリー・クワントは、解放された女性のために、カジュアルで機能的な服をデザインしました。「女性の体型を引き立てる、自由でフェミニンなライン……普通の生活の動作に適したリラックスした服……」と彼女は述べています。
こちらは、だまし絵風のピナフォア・デザインのドレス「ペニー・ワイズ」。ピーターパン襟とパッチポケット付き。1966年頃、マリー・クワントがジンジャー・グループのためにウェールズでデザインしたドレス、青と白と赤のポケットディテール付き。半袖と短いスカートのドレスでピナフォアのデザイン。「ピナフォア」は白、「Tシャツ」は青で、襟は赤のピーターパンカラー。ピナフォアの中央には赤いポケットが付いています。学生服のピナフォアとブラウスのパロディであるこのデザインは、大人のファッションに若々しさと楽しさを求めるクアントの願望を示しています。クアントがこのドレスを着ている画像は複数存在。
アンドレ・クレージュ
これはアンドレ・クレージュが1965年にデザインしたコートドレスです。素材はウールとシルク。クレージュの感性は、バレンシアガでの修行から発展しました。このコート・ドレスでは、1960年代の生地の幾何学的な平面に外科的なカットと厳格な仕立てを応用しています。背中の丸まった襟はバレンシアガに由来するもので、着心地への反応も同様。マリー・クワントやピエール・カルダンに触発され、若い世代のファッションに敏感だったクレージュは、年齢を感じさせないディテールへのバレンシアガのお世辞抜きのこだわりを受け継ぎました。
こちらはクレージが1965年にデザインしたドレスで素材はコットン。
これは68年にデザインされたドレスで素材は合繊。ピンク色の襟部分と ポケットが可愛らしいです。後ろにジッパーがついています。
こちらは65年デザインのアンサンブル。素材はウール。ノースリーブのワンピースドレスにチェック柄の半袖ジャケットの組み合わせです。
メトロポリタン美術館に所蔵されている アンドレ・クレージュのミニドレスを中心に紹介しました。この美術館のサイトにはクレージュの60年代アイテムが他にも多く掲載されています。よく言及されるゴーゴー・ブーツやメリージェーン・シューズ、それに白のサングラスなども展示されているので是非サイトを覗いてみてください。
ピエール・カルダン
技術によって決定される急進的な服装改革を構想し、その時々の還元的なスタイルを計画したカルダンは、クレージュやウンガロとともに、1960年代の未来への思索の預言者。Aラインのジオメトリーは、バンドとターゲットの装飾によって屈折しました。カルダンのエンブレムは、ジャスパー・ジョーンズの解剖学的な「標的」(1955年)と同様に参照されました。
これはカルダンが1965年にデザインしたアンサンブル。素材はウール、コットン、プラスチック。つなぎ合わせたバンドと円を視覚的なウエストラインにしています。
これはカルダンが1968年にデザインしたアンサンブル。素材はウール、プラスチック(ポリ塩化ビニール、酢酸セルロース)。内側に黒色のボディスーツをあわせるようデザインされています。
3点のうち、一番手前の紅色がカルダンのデザインしたダンス・ドレス。素材はシルク、製作年は1966年から67年あたり。
こちらは67年デザインのアンサンブル。素材はウールとメタル。
おわりに
お好きなドレスはありましたか?
ここでは1960年代に流行したミニドレスを中心に、各美術館所蔵の作品画像からマリー・クワント、アンドレ・クレージュ、ピエール・カルダンのミニドレスを味わいました。お気に入りの作品をコメント欄で教えてください♪
レビュー 作品の感想や女優への思い