フィレンツェの怪物事件(Mostro di Firenze)は、1968年から1985年にかけてイタリア共和国のトスカーナ地方、フィレンツェ近郊で発生した連続二重殺人事件。
この事件は、イタリア史上最も長期間にわたり捜査が続いた未解決事件の一つとして知られています。主に恋人同士のカップルを狙い、合計16人の犠牲者を出しました。犯人は.22口径のベレッタ銃を使用し、射殺後に女性の遺体を残虐に切断するという猟奇的な手口を繰り返しました。この事件は、社会的なタブーや司法の腐敗を露呈し、現代でも多くの議論を呼んでいます。
事件の発生背景
1960年代後半のイタリアは、経済成長期を迎えていましたが、地方部では保守的なカトリック文化が根強く、恋愛や性的自由が厳しく抑圧されていました。フィレンツェ郊外の田園地帯は、若いカップルが車内で親密な時間を過ごす人気の場所でしたが、これが犯人の標的となりました。事件の始まりは1968年ですが、捜査当局は当初、これらを孤立した事件と見なしていました。しかし、弾道検査により同一犯の可能性が浮上し、1980年代に「フィレンツェの怪物」としてメディアで注目を集めました。
犯人の動機は不明ですが、性的倒錯や嫉妬、名誉殺人の要素が指摘されています。サルデーニャ出身の移民家族の関与が疑われ、貧困や家族内の虐待が事件の遠因となった可能性があります。この背景は、移民の疎外感とイタリア南部の文化格差を反映しています。
事件のタイムライン
事件は主に夜間の車内のカップルを狙った二重殺人で、以下のタイムラインで進行しました。各事件はフィレンツェ市街から数キロ離れた森や畑で発生しています。
- 1968年8月21日:シーニャ近郊でバーバラ・ロッチ(22歳)とアントニオ・ロ・クアシオ(25歳)が射殺。女性の遺体が切断され、子供が車内に残される。
- 1974年9月14日:ボルゴ・サン・ロレンツォ近郊でパオラ・ジャコッビ(19歳)とクラウディオ・チェッリ(24歳)が射殺。女性の遺体が96カ所刺傷を受け、性器が切断。
- 1981年6月6日:スカンディッチ近郊でマルセル・ルクレール(31歳)とソニア・サウカ(32歳)が射殺。女性の遺体が切断。
- 1981年10月22日:ヴィッラ・リッタ近郊でピエロ・ジャコッビ(32歳)とダニエラ・モッタ(26歳)が射殺。女性の遺体が切断。
- 1982年6月19日:カルボーニア近郊でパオラ・ガルガッリ(20歳)とステファノ・バルディ(24歳)が射殺。女性の遺体が切断。
- 1983年9月9日:リヴォルノ近郊でニコレッタ・ローリ(23歳)とミルコ・カッシ(29歳)が射殺。女性の遺体が切断。
- 1984年7月10日:スカンディッチ近郊でカロリーナ・ボッティ(20歳)とレナト・デ・カティ(24歳)が射殺。女性の遺体が切断。
- 1985年9月8日:ヴィッラ・リッタ近郊でマウリツィオ・デ・ザン(27歳)とホラツィオ・ピッツィ(28歳)が射殺。女性の遺体が切断。
これらの事件は、犯人がカップルの車を待ち伏せし、銃撃後、女性の生殖器を切り取り現場に放置するという特徴を持っていました。男性被害者は主に頭部に、女性は胸部や腹部に銃弾を受けていました。
犯人の手口と特徴
犯人は常に.22口径のベレッタM1934拳銃を使用し、弾丸の溝刻みから同一銃器の可能性が高いとされました。射殺後、女性の遺体をハサミやナイフで切断し、性器を切り取る行為は、性的サディズムを示唆します。一部の事件では、犯人が被害者の車に乗り込み、現場を離れた後、遺体を放置しました。目撃情報は少なく、犯人は地元住民のようにフィレンツェの地形に精通していると推測されます。
また、1982年と1984年の事件では、犯人が被害者の財布や時計を盗むなど、金銭目的の側面も見られました。しかし、全体として動機は性的倒錯が主とされています。この手口の残虐性は、当時のイタリア社会に衝撃を与え、メディアで「怪物」と呼ばれました。
捜査の経緯
捜査はフィレンツェ検察庁が主導し、1980年代に女性検事シルヴィア・デッラ・モニカが中心となりました。彼女は1968年の事件と後の連続殺人を結びつけ、再捜査を推進しました。弾道検査と被害者の共通点から、同一犯説が確立され、FBIのプロファイリングも導入されました。しかし、警察内部の腐敗や証拠隠滅が疑われ、捜査は難航しました。
1980年代後半、容疑者はサルデーニャ移民のメーレ家とヴィンチ家に集中しました。ステファノ・メーレは1968年の事件で有罪判決を受けましたが、後の事件との関連が疑われました。家族間の性的虐待や共犯関係が浮上し、1990年代に複数の裁判が行われました。しかし、証拠不十分で有罪が確定せず、事件は未解決のままです。
容疑者と裁判の詳細
主な容疑者として、以下の人物が挙げられます。
- ステファノ・メーレ:1968年の事件犯として服役。後の事件の銃器提供が疑われる。
- ピエトロ・ムゼルッピ:地元猟師。銃器所持が疑われ、1980年代に逮捕。
- フランチェスコ・ヴィンチとサルヴァトーレ・ヴィンチ:兄弟で、性的倒錯が指摘され、共犯として裁判。
- アルベルト・デル・チーニョ:地元医師。精神科医として事件を分析したが、自身が疑われる。
1994年から2004年にかけ、フィレンツェ裁判所で複数回の審理が行われましたが、証拠の連鎖が不十分で、ほとんどの容疑者は無罪となりました。この過程で、司法の政治的介入が批判されました。
未解決の理由と社会的影響
事件が未解決となった主な理由は、証拠の散逸、目撃者の不在、警察のミスです。また、犯人が複数人によるグループ犯罪の可能性も指摘され、単独犯説を崩しています。2010年代以降、DNA分析の進歩で再捜査の声が高まっていますが、進展はありません。
社会的には、この事件はイタリアの真実の犯罪ブームを象徴し、Netflixシリーズ『イル・モストロ:フィレンツェの怪物』で再注目されました。女性の性的自由や移民差別の問題を浮き彫りにし、司法改革の議論を促しました。被害者家族のトラウマは今も続き、事件はイタリアの闇を象徴する存在です。


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