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アイリーン・ウォーノスの事件と裁判

映画『モンスター』(2003年)やドキュメンタリー『アイリーン:シリアルキラーの数奇な人生』などの作品で主人公となったアイリーン・ウォーノス(Aileen Wuornos、1956年2月29日生まれ)は、米国史上稀有な女性連続殺人犯として知られています。ウォーノスは1989年から1990年にかけてフロリダ州で7人の男性を殺害したとして有罪判決を受けました。

彼女の人生は、幼少期の虐待や貧困、売春生活が背景にあり、事件は自衛を主張する一方で、強盗目的の犯行と見なされました。

以下では、事件の発生から逮捕、裁判、控訴、処刑までの経緯を時系列を中心に詳述します。情報は信頼できる資料に基づきまとめています。

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幼少期と犯罪に至る背景

アイリーン・キャロル・ピットマン(出生名)は、アメリカ合衆国ミシガン州ロチェスターで生まれました。母親のダイアン・ウォーノスは結婚時14歳で、父親のレオ・ピットマンは児童強姦罪で終身刑を言い渡された精神異常者でした。父親とは一度も会うことなく、1969年に彼は獄中で自殺。母親はアイリーンを4歳で祖父母に預け、放棄しました。祖父母のラウリとブリッタ・ウォーノスはアルコール依存で、アイリーンは祖父から性的・身体的虐待を受けたと主張しています。11歳頃から学校で性行為を金銭や物と交換し、兄のキースとも関係を持ったとされます。14歳で祖父の知人から強姦され妊娠、出産した男児は養子に出されました。15歳で家を追い出され、森で生活しながら売春を始めました。

1974年、18歳でコロラド州で飲酒運転と銃器使用で逮捕。以降、1976年にフロリダに移住し、69歳の男性と結婚するも9週間で離婚。兄の死亡保険金10,000ドルを浪費し、偽造小切手や武装強盗などで複数逮捕されました。1986年、24歳のタイリア・ムーアと出会い、同性愛関係を築き、ムーアを養うために売春を続けました。この時期の犯罪歴は、事件の捜査で重要視されました。

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事件の発生:1989年から1990年の殺人

ウォーノスの犯行は、売春婦としてヒッチハイクしながら男性を誘い、孤立した場所で射殺し、強盗するというパターンでした。使用したのは.22口径のリボルバーで、被害者はすべて中高年の男性運転手。彼女は当初、自衛のための殺人(強姦や暴行の脅威に対する)と主張しましたが、後年は強盗目的を認めました。被害者は7人で、時系列は以下の通りです。

  • 1989年11月30日:リチャード・チャールズ・マロリー(51歳、電気店オーナー)…フロリダ州クリアウォーター出身。ウォーノスを車に乗せ、孤立した場所で性行為後、暴行されたと主張して射殺。遺体は12月13日、ボルーシア郡の森で発見され、左肺に2発の弾丸が命中。マロリーの車を盗み、所有物を質屋で売却。マロリーには過去の強姦未遂前科がありましたが、裁判では証拠として認められませんでした。
  • 1990年5月頃:デイビッド・アンドリュー・スピアーズ(47歳、建設作業員)…5月19日に行方不明。6月1日、シトラス郡のUS19号線沿いで全裸の遺体を発見、6発の銃弾。ウォーノスは彼のトラックを遺棄。
  • 1990年5月31日:チャールズ・エドマンド・カースカドン(40歳、パートタイムロデオワーカー)…6月6日、パスコ郡で電気毛布に包まれた腐乱遺体を発見、9発の銃弾。ウォーノスは彼の銃を質入れ。
  • 1990年6月頃:ピーター・アブラハム・シームス(65歳、退役海軍商人)…ジュピターからアーカンソーへ向かう途中に行方不明。7月4日、オレンジスプリングスで彼の車が事故を起こし、ウォーノスとムーアの目撃証言あり。ウォーノスの手掌紋が車内から検出。遺体は未発見のため、起訴されず。
  • 1990年7月頃:トロイ・ユージーン・バーレス(50歳、ソーセージセールスマン)…7月31日に行方不明。8月4日、マリオン郡の州道19号線沿いの森で遺体発見、2発の銃弾。
  • 1990年9月11日:チャールズ・リチャード・“ディック”・ハンフリーズ(56歳、元空軍少佐、元警察署長)…9月12日、マリオン郡で全裸遺体発見、頭部と胴体に7発。
  • 1990年11月19日:ウォルター・ジノ・アントニオ(61歳、トラック運転手、警備員)…ディキシー郡の伐採道近くでほぼ全裸の遺体発見、4発の銃弾。車は5日後にブレバード郡で発見。

これらの事件は、遺体の類似性(全裸、.22口径銃弾、ハイウェイ沿い)で関連づけられ、ウォーノスは被害者の所有物を質入れし、指紋や領収書が証拠となりました。

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逮捕の経緯:1991年1月

1990年夏、シームスの車事故で目撃された2人の女性の似顔絵が公開され、メディアキャンペーンが展開。質屋の領収書からウォーノスの指紋が一致(過去の犯罪歴からデータベースに登録)。

1991年1月9日、ボルーシア郡のバイカーバー「ラスト・リゾート」で、別件の令状(ロリ・グロディ名義の未払い罰金)を口実に逮捕。翌10日、ムーアをペンシルベニアで発見。ムーアは免責と引き換えに協力し、フロリダのモーテルからウォーノスに電話。録音された会話で、ウォーノスはムーアを守るため自白。1月16日、正式に6件の殺人を自供(シームスを除く)、自衛を主張しました。

逮捕後、1991年11月にアーリーン・プラルが養女として採用、メディアで支援を呼びかけましたが、ウォーノスは後に利用されたと感じました。

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裁判の経緯:1992年から1993年

ウォーノスの裁判は、フロリダ州の死刑制度下で進行。検察は強盗殺人として死刑を求刑、弁護側は境界性人格障害や反社会性人格障害を主張し、幼少期のトラウマを強調しました。

  • 1992年1月14日:マロリー殺人裁判開始(ボルーシア郡)…フロリダの「ウィリアムズ・ルール」により、他の殺人証拠を導入。ムーアの証言と自白テープが鍵。ウォーノスは証言台で自衛を主張するも、第五修正権を連発し印象悪化。1月27日、有罪評決(審議2時間未満)。1月31日、死刑判決(電気椅子)。弁護側はマロリーの過去前科を提出しようとしたが拒否され、再審請求も却下。
  • 1992年3月31日:スピアーズ、バーレス、ハンフリーズの3件で無抗弁申し立て…「神と正しくなるため」と述べ、マロリーのみ強姦だったが他は試みただけと主張。5月15日、3件の死刑判決。
  • 1992年6月:カースカドン殺人で有罪答弁…11月に5度目の死刑判決。
  • 1993年2月:アントニオ殺人で有罪答弁…6度目の死刑判決。シームス件は遺体未発見のため不起訴。

裁判中、ウォーノスは一貫性を欠き、後に自白を撤回し強盗を認めるも、再び自衛に戻すなど混乱。弁護人スティーブ・グレイザーは迅速解決を望みました。

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控訴と処刑:1996年から2002年

1996年、米最高裁が上告を棄却。ウォーノスは死刑を望み、2001年4月のフロリダ最高裁請願で弁護士を解任。「男たちを冷徹に殺し、強盗した。またやる。人間を憎む」と述べ、精神鑑定で有能と認定。獄中では看守の虐待(食事汚染、音波攻撃など)を主張し、妄想症状を示しました。2002年、電気椅子から薬物注射に変更。

2002年10月9日、フロリダ州立刑務所で薬物注射により処刑(46歳)。最後の食事はコーヒー1杯。最後の言葉:「ロックと航海し、インデペンデンス・デイのようにイエスと戻る。6月6日、母船と共に。」9時47分死亡。遺灰はミシガンに埋葬。彼女は1976年の死刑復活後、米国で10人目の女性処刑者となりました。

この事件は、売春婦の自衛権、ジェンダー偏見、死刑制度の議論を呼びました。ウォーノスの人生は虐待の連鎖を示し、映画『モンスター』(2003年)で描かれ、シャーリーズ・セロンアカデミー賞を受賞。事件は司法の公正性と精神衛生の重要性を問いかけています。

原作・実話
この記事を書いた人
なむ

洋画好き(字幕派)。だいたいU-NEXTかNetflixで、妻と2匹の猫と一緒にサスペンスやスリラーを観ています。詳細は名前をクリックしてください。猫ブログ「碧眼のルル」も運営。

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