映画『レンディション』(2007年)は、アメリカ合衆国による超法規的囚人移送(エクストラオーディナリー・レンディション)という歴史的現実を背景に描かれた作品です。
レンディション(extraordinary rendition)とは、テロ容疑者などを法的プロセスを経ずに外国で拉致・拘束し、第三国へ移送して尋問・拘束する政策を指します。この措置は、拷問の可能性が高い国への移送を伴うことが多く、国際法や人権法に違反すると広く批判されてきました。
アメリカ中央情報局(CIA)が主導したこのプログラムは、テロ対策の名の下に実施されましたが、無実の被害者や誤認逮捕を生み、国際的な非難を浴びました。
以下に、レンディションの歴史を時代ごとに詳しく解説します。
起源:クリントン政権時代(1990年代中盤)
レンディションの原型は、ビル・クリントン大統領時代に遡ります。1990年代初頭、アルカイダをはじめとするイスラム過激派組織の脅威が高まる中、CIAは国外でのテロ容疑者の拉致・移送を検討し始めました。
1993年頃、CIA内部で「snatch(拉致)」作戦の提案がなされ、当時の国家安全保障会議(NSC)メンバーであるリチャード・クラークらが議論しました。この提案は国際法違反の可能性を認めつつ、テロリスト対策として正当化されました。
1995年、クリントン大統領はPresidential Decision Directive 39(PDD-39)に署名し、起訴されたテロリストをアメリカ本土へ移送する権限をCIAに与えました。これにより、エジプトなど中東諸国との協力が始まり、容疑者を現地当局へ引き渡すケースが増えました。CIAの元幹部マイケル・シェイアーは、エジプトとの協力が1995年頃から始まり、拷問防止の「外交的保証」を求めつつも、実効性が疑問視されていたと証言しています。
当初の目的は、裁判に向けた「rendition to justice(正義への移送)」でしたが、徐々に第三国での尋問を目的とした形に変化していきました。この時期はまだ限定的で、数十件程度とされています。
ブッシュ政権下での爆発的拡大(2001年以降)
2001年9月11日の同時多発テロが、レンディションを劇的に変えました。ジョージ・W・ブッシュ大統領はテロ発生からわずか6日後の9月17日、秘密の覚書(Memorandum of Notification)を発令し、CIAに対しテロ容疑者の拘束・尋問・殺害を含む前例のない権限を与えました。これにより、従来の「正義への移送」から「extraordinary rendition」へと本格的に移行しました。
このプログラムの特徴は以下の通りです。
- 法的令状や裁判なしの拉致
- 第三国(エジプト、シリア、ヨルダン、モロッコ、ウズベキスタンなど)への移送
- CIAが運営する「ブラックサイト」(秘密拘束施設)での長期拘束
- 「強化尋問技法」(enhanced interrogation techniques)と呼ばれる拷問に近い手法の使用
2001年から2005年にかけて、CIAは少なくとも150人(一部推定では136人以上)を拉致・移送したとされます。少なくとも54カ国が協力・関与したと報告されており、ヨーロッパ諸国(ポーランド、ルーマニア、イタリア、ドイツなど)での秘密飛行や施設利用が明らかになりました。欧州議会は2007年に1,245便以上のCIA秘密飛行を記録したと公表しています。
代表的な被害者ケースをいくつか挙げます。
- ハリド・エル=マスリ(Khaled El-Masri):2003年、マケドニアで誤認逮捕され、アフガニスタンのCIAブラックサイト「Salt Pit」に移送。数ヶ月間拷問を受けた後、無実が判明し解放。欧州人権裁判所がマケドニアを有罪判決(2012年)。
- アブ・オマル(Abu Omar、本名:ハッサン・ムスタファ・オサマ・ナスル):2003年、イタリア・ミラノでCIAとイタリア情報機関により拉致され、エジプトへ移送され拷問。イタリア裁判でCIA関係者23人が欠席有罪判決(2009年)。
- マヘル・アラル(Maher Arar):カナダ・シリア二重国籍者。2002年、ニューヨークで拘束され、シリアへ移送され拷問。カナダ政府が無実を認め、補償金約1,000万ドルを支払い(2007年)。
これらのケースは、無実の被害者や誤認逮捕の深刻さを象徴しています。
オバマ政権以降の変化と継続(2009年〜現在)
バラク・オバマ大統領は就任2日目の2009年1月22日、大統領令を発令し、拷問を禁じる「強化尋問技法」の廃止、CIAブラックサイトの閉鎖を宣言しました。同時に、拷問を目的としたレンディションを禁止するタスクフォースを設置しました。
しかし、レンディションそのものは完全に廃止されず、継続されました。オバマ政権下では、容疑者をアメリカ司法管轄下で裁判にかけることを前提に、外交的保証を得て移送する形に制限されました。拷問防止の保証を強化したものの、過去の保証が機能しなかった事例(アラルやアギザ・アル=ゼリ事件など)を考慮すると、効果に疑問が残ります。
ドナルド・トランプ政権およびジョー・バイデン政権下では、目立った大規模プログラムの復活は報告されていませんが、テロ対策としての秘密移送の可能性は残されています。2014年の米上院報告書(CIA拷問プログラム報告)や、欧州人権裁判所の判決(ポーランド有罪など)により、国際的な監視は続いています。
まとめと国際的影響
レンディションは、クリントン政権の限定的な「正義への移送」から、ブッシュ政権下で拷問を伴うグローバルな秘密プログラムへと変貌しました。オバマ政権で大幅に制限されたものの、完全に廃止されたわけではありません。
この政策は、国連拷問禁止条約、ジュネーブ条約、欧州人権条約などに違反するとされ、国際社会から強い批判を受けました。少なくとも136人以上の被害者が確認され、無実の一般市民も巻き込まれました。アメリカの同盟国(特に欧州諸国)の協力・黙認も問題視され、人権侵害の象徴として今なお語り継がれています。
映画『レンディション』(2007年)は、まさにこの歴史的現実を背景に描かれた作品です。


コメント 雑学・感想など