ケイシー・ジョンソン(Casey Johnson)は米国のソーシャライトで、ジョンソン・エンド・ジョンソンの相続人として知られています。30歳で糖尿病関連の自然死により逝去しました。パリス・ヒルトンとの友情やスキャンダルで注目を集めました。ビザレな恋愛や家族争いがタブロイドを賑わせました。
プロフィール
- ケイシー・ジョンソン(Casey Johnson)
- 生年月日:1979年9月24日
- 出生地:アメリカ合衆国ニューヨーク市マンハッタン
- 没年月日:2010年1月4日(30歳没)
- 死没地:アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス
- 職業:ソーシャライト
- 子供:女子(養子)
- SNSサイト:YouTube
生い立ち・教育
ケイシー・ジョンソン(Casey Johnson)は、1980年にニューヨーク・ジェッツのオーナーである億万長者ウッディ・ジョンソンとソーシャライトのセール・ジョンソンの長女として生まれました。ジョンソン家の裕福な一族の一員として、幼少期から極めて贅沢な生活を送っていました。例えば、10歳で最初のシャネルバッグを贈られ、11歳でヘビ革のパンプスを履き、16歳で運転免許がないまま車を与えられるなど、欲しいものは何でも手に入る環境でした。家族は彼女を過度に甘やかしたと言われ、お金で全てが解決すると信じて育ちました。
1982年に家族でマンハッタンに移住し、チャピン・スクールに通いました。そこでパリス・ヒルトンと友人になりました。8歳の時に糖尿病と診断されましたが、彼女の行動の乱れはこれとは無関係でした。9歳頃から感情的に不安定になり、家庭や学校で問題を起こすようになりました。複数の精神科医にかかりましたが、父親のウッディは彼女との関わりを苦手とし、精神科医の一人が父親代わりになるほどでした。母親のセールは、「ウッディは温かく抱きしめるタイプではなく、ケイシーの扱いに困っていた」と語っています。ケイシーは父親の承認を強く求めていましたが、得られず心を痛めていました。
14歳の時に父親と共著で本を出版しました。これは彼女の初期の創造的な活動の一つです。両親は2001年に離婚し、それ以降ケイシーはハリウッドに移住しました。教育面では、ブラウン大学に短期間在籍しましたが、最初の学期で中退しました。その後、パブリシストのリジー・グラブマンのもとでインターンシップをし、ビューティー・ジャーナリストとして短期間働きました。しかし、本格的な学業やキャリアを築くことはありませんでした。彼女の生い立ちは、富と特権に囲まれながらも、家族の感情的な距離と健康問題に苦しむものでした。これらの経験が、後の人生に大きな影響を与えました。
経歴
ケイシー・ジョンソンの経歴は、主にソーシャライトとして知られていますが、テレビのライターやプロデューサーとしても活動していました。12歳から歌唱レッスンを受け、ショービジネスへの憧れが強く、2001年にハリウッドに移住したのも、エンターテイメント業界でのキャリアを夢見てのことでした。しかし、本格的な女優や歌手としての成功は得られず、ドキュメンタリー番組への出演が主なメディア露出となりました。
彼女は家族の名声から「ジョンソン・アンド・ジョンソンの女の子」と呼ばれ、それを嫌っていました。あるハリウッドのパーティーでそのように言われた時、心が沈んだと語っています。富豪の相続人として、他人に利用されることを恐れていましたが、実際には多くの人が彼女の富に寄ってくる経験をしました。2002年にドキュメンタリー『It Girls』に出演し、2003年には『Born Rich』に登場しました。これらは富裕層の生活を描いたもので、彼女自身としてインタビューを受けています。また、VH1の『The Fabulous Life of…』やE!の『E! True Hollywood Story』にもセルフとして出演し、セレブリティとしての生活を公開しました。
キャリアの試みはこれらに留まり、安定した職業には就きませんでした。代わりに、タブロイド誌でスキャンダルが報じられることが多く、家族の富を背景とした派手な生活が注目を集めました。2005年頃には、家族による介入がありましたが、彼女は助けを拒否し続けました。父親のウッディは彼女を「タブロイドのテロリスト」と呼び、厳しい愛情で信託基金を停止しました。これにより、彼女の生活はさらに乱れましたが、経歴として目立つものはソーシャライトとしての存在感でした。彼女の人生は、富の影で苦しむ典型例として語られることが多いです。
私生活
ケイシー・ジョンソンの私生活は、境界性人格障害と糖尿病の影響で非常に乱れていました。10代からアルコールや娯楽薬物に手を出し、感情の不安定さが関係を壊す原因となりました。母親のセールは、境界性人格障害がケイシーの人生を奪ったと公表し、「それは自殺率が高く、治癒がなく、家族や友人を傷つける病気」と説明しています。彼女は糖尿病の管理を怠り、ジャンクフードを食べ、インスリンを打たず、ナイキルを睡眠薬代わりに飲む生活を送っていました。友人は「彼女は無敵だと思っていた」と語っています。
関係性では、2003年にメガデスのマネージャー、ジョン・ディーと交際しました。2009年末にはバイセクシャルのリアリティTVスター、ティラ・テキーラと公にキスをし、婚約を発表しました。ティラは「ワイフィー」と呼び、ダイヤの指輪を披露しましたが、家族はこれを恥ずかしく思いました。また、テリー・セメルの娘コートニー・セメルとも交際したと言われています。2006年には叔母のリベット・ジョンソンにボーイフレンドを奪われたと公に非難し、家族を動揺させました。
2007年、両親の反対を押し切り、カザフスタンの女の子アヴァ・モンローを養子に迎えました。アヴァは彼女のアイドル、マリリン・モンローにちなんで名付けられました。母親は「自分の人生も整っていないのに、他人の人生を管理できるか」と反対しましたが、ケイシーは生物学的子供を持つ気はなく、養子を望みました。2008年、アヴァを連れて父親のハンプトンズの邸宅を訪れましたが、継母のスザンヌ・イルチャとの対立で警察沙汰になり、父親から追い出されました。これ以降、父親との関係は絶え、彼女は「父親と再び話せるのが一番の願い」と親族に漏らしていました。
2009年、母親が治療施設に入れようとした際、警察を呼び侵入者扱いしました。これにより母親とも疎遠になりました。最後の数週間はビバリーヒルズの家から追い出され、母親の友人のウェストハリウッドのゲストハウスに住んでいました。逮捕歴もあり、元恋人のアパートから物を盗んだ疑いで起訴されました。2009年12月の最後のツイートは「新しい車を買う、娘がいるから2シーター以外で」と明るいものでしたが、孤独な正月を過ごしました。2010年1月4日、無反応の状態で発見され、死去。死因は糖尿病の合併症で、生活習慣が悪化させたものです。死後、母親がアヴァを育て、フロリダの邸宅で幸せに暮らしています。ケイシーの人生は、富の裏側で精神的な苦痛と闘ったものでした。
出演作品
- It Girls(2002年)
- Born Rich(2003年)
- The Fabulous Life of…(2003年)
- E! True Hollywood Story(1996年)



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