『裁きは終りぬ』(Justice est faite)は、1950年に公開されたフランス映画。アンドレ・カイヤット監督が、安楽死をテーマに裁判を描いています。末期がんの恋人を殺害した女性の裁判を通じて、陪審員たちの個人的な偏見が判決に影響を与える様子を克明に表現します。人間の倫理と司法の限界を探求した作品で、ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞しました。
基本情報
- 邦題:裁きは終りぬ
- 原題:JUSTICE EST FAITE
- 公開年:1950年
- 製作国・地域:フランス
- 上映時間:106分
- ジャンル:ドラマ
女優の活躍
『裁きは終りぬ』では、複数の女優が重要な役割を果たしています。まず、被告人エルザ・ルンデンシュタインを演じたクロード・ノリエは、物語の中心人物として圧倒的な存在感を発揮します。彼女は末期がんの恋人を安楽死させた女性を体現し、裁判での証言シーンで深い感情を表現します。ノリエの演技は、絶望と慈悲の狭間で揺れる内面を繊細に描き出し、観客に強い印象を残します。特に、恋人の苦しみを回想する場面では、涙を浮かべながらのモノローグが心を揺さぶります。この役を通じて、ノリエはフランス映画界での地位を確立し、以降の作品でも複雑な女性像を演じる機会が増えました。
次に、陪審員の一人であるマルセリン・ミクーランを演じたヴァランティーヌ・テシエは、中産階級の主婦として登場します。彼女の活躍は、陪審員たちの議論シーンで際立ちます。家庭的な視点から安楽死の是非を考える姿が、物語に現実味を加えます。テシエは、自身の経験を反映したような自然な演技で、他の陪審員との対立を強調します。この役は、彼女のキャリアにおいても重要なもので、戦後フランス映画の社会派作品で活躍する基盤となりました。
また、ディタ・パルロが演じるエリザベートは、被害者の妹として証言します。彼女のシーンは、裁判の緊張を高める役割を担います。パルロの演技は、復讐心と家族愛の複雑さを表現し、物語のドラマチックさを増幅します。さらに、ジュリエット・ファベールがテオドールの娘ダニエル・アンドリューを、アニェス・ドラエがニコル・ヴォードレモンを、セシル・ディディエがポペリエ嬢を、アヌーク・フェルジャックがドゥニーズをそれぞれ演じています。これらの女優たちは、脇役ながらも裁判の背景を豊かにし、全体のアンサンブル演技を支えています。彼女たちの活躍は、男性中心の陪審員制度の中で女性の視点を強調する点で、作品のテーマを深めます。
全体として、女優たちの活躍は、安楽死という重いテーマを人間味豊かに描くために不可欠です。ノリエの主演級の演技を中心に、テシエやパルロのサポートが、裁判の心理戦をリアルに再現します。この映画は、女優たちの感情表現が観客の共感を呼び起こす点で、フランス映画の伝統を体現しています。
女優の衣装・化粧・髪型
『裁きは終りぬ』の女優たちの衣装は、1950年代初頭のフランス映画らしい現実的で控えめなスタイルを採用しています。クロード・ノリエ演じるエルザは、裁判シーンでシンプルなダークカラーのドレスを着用します。これは、彼女の真剣さと悲しみを強調するもので、襟元が控えめなデザインです。化粧はナチュラルで、目元に軽いシャドウを施し、唇は淡い色合いです。これにより、彼女の内面的な苦悩が際立ちます。髪型は、ショートボブに軽くウェーブを加えたもので、戦後女性の典型的なエレガントさを表します。
ヴァランティーヌ・テシエ演じるマルセリンは、主婦らしい実用的な衣装が特徴です。スカートとブラウスを組み合わせ、陪審員室でのシーンでは中間色のワンピースを着ています。化粧は最小限で、ファンデーションと軽い眉メイクが中心です。髪型はミディアムレングスのアップスタイルで、家庭的な温かみを演出します。このスタイルは、彼女のキャラクターの日常性を反映しています。
ディタ・パルロ演じるエリザベートは、証言シーンでフォーマルなスーツを着用します。ダークグレーやネイビーのジャケットとスカートで、厳格さを強調します。化粧は目元を強調したアイラインと赤みがかったリップで、復讐心を表します。髪型はストレートのロングヘアを後ろでまとめたもので、クラシックな美しさを保ちます。
他の女優たち、例えばジュリエット・ファベールやアニェス・ドラエは、時代を反映したシンプルなドレスやブラウスを着用します。化粧は全体的にソフトで、髪型はウェーブのかかったミディアムが主流です。これらの要素は、映画のリアリズムを支え、女優たちの演技を引き立てます。衣装デザインは、ジャック・コロンビエの美術監督によるもので、戦後フランスの社会像を視覚的に表現しています。
あらすじ
物語は、フランスの司法制度と陪審員制度の説明から始まります。ヴェルサイユ裁判所で、末期がんの恋人を安楽死させた女性、エルザ・ルンデンシュタインの裁判が開かれます。彼女は薬剤師で、恋人のローランが喉頭がんの苦痛に耐えかねて頼んだため、モルヒネを注射して殺害したのです。検察側は、不倫や遺産目当ての動機を主張しますが、弁護側は慈悲深い行為だったと反論します。
裁判の焦点は、7人の陪審員にあります。彼らは多様な背景を持ち、召集された直後からフラッシュバックでそれぞれの人生が描かれます。例えば、農民のエヴァリスト・マラングレは保守的、ホテル経営者のテオドール・アンドリューは家族の問題を抱えています。陪審員たちは、裁判を通じて自身の経験を投影し、議論を交わします。一人は宗教的な理由で安楽死を否定し、もう一人は過去の喪失から同情します。
エルザの証言では、恋人の苦しみが詳細に語られ、観客は彼女の葛藤を感じ取ります。陪審員たちの議論は激しく、個人的な偏見が判決を左右します。最終的に、無罪の評決が下されますが、ナレーションで正義の主観性が指摘されます。このあらすじは、人間の判断の脆さを描いたものです。
解説
テーマと社会背景
『裁きは終りぬ』は、安楽死という倫理的ジレンマを軸に、司法制度の限界を描いています。1950年のフランスでは、安楽死はタブー視されており、監督のアンドレ・カイヤットは弁護士の経験を活かして、このテーマに挑みました。陪審員制度の現実を暴露し、普通の市民が偏見で判決を下す可能性を指摘します。これは、戦後フランスの民主主義再建期に、司法の公平性を問うものです。
映画は、陪審員たちのフラッシュバックを通じて、社会階層の多様性を示します。農民、商人、知識人などが混在し、それぞれの人生が裁判に影響を与えます。この手法は、観客に自身の偏見を振り返らせる効果があります。安楽死の是非は、宗教、家族、個人的経験によって分かれ、絶対的な正義が存在しないことを強調します。
監督のスタイルと影響
カイヤット監督は、社会派映画の先駆者として知られます。本作は、彼の「司法シリーズ」の第一作で、以降の作品に繋がります。ドキュメンタリー風のナレーションとリアルな裁判描写が特徴です。批評家アンドレ・バザンは、テーマの論理性を評価しつつ、過度なメッセージ性を批判しました。一方、フランソワ・トリュフォーは「質の伝統」として揶揄しましたが、今日では司法映画の古典と位置づけられます。
受賞歴も注目されます。1950年のヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞、1951年のベルリン国際映画祭で金熊賞(スリラー部門)を受賞し、国際的に評価されました。ニューヨーク・タイムズのボズレー・クラウザーは、人間心理の描写を絶賛しました。この成功は、フランス映画の輸出を促進し、安楽死議論を世界的に広めました。
演技と制作の特徴
キャストのアンサンブル演技が優れています。特に、陪審員役の俳優たちは、個々のキャラクターを深く掘り下げます。撮影はパリのサン・モーリス・スタジオとヴェルサイユ周辺で行われ、リアルな法廷シーンを実現しました。音楽のレイモン・ルグランは、緊張感を高めるスコアを提供します。
本作は、『十二人の怒れる男』に似た構造ですが、より悲観的です。判決後のナレーションが、司法の不確実性を残します。この点で、現代の安楽死議論に通じる先見性があります。全体として、映画は人間の弱さと慈悲を問い、観客に深い思索を促します。
キャスト
- エルザ・ルンデンシュタイン:クロード・ノリエ
- マルセリン・ミクーラン(第4陪審員):ヴァランティーヌ・テシエ
- テオドール・アンドリュー(第6陪審員):ノエル・ロクヴェール
- フェリックス・ノブレ(第5陪審員):レイモン・ブシエール
- ジルベール・ド・モンテソン(第1陪審員):ジャック・カステロ
- ジャン=リュック・フラヴィエ(第3陪審員):ジャン=ピエール・グルニエ
- セルジュ・クレメール:ミシェル・オークレール
- 裁判長:アントワーヌ・バルペトレ
- ミシェル・コードロン(第7陪審員):ジャン・ドゥブクール
- エヴァリスト・マラングレ(第2陪審員):マルセル・ペレス
- エリザベート:ディタ・パルロ
- ダニエル・アンドリュー:ジュリエット・ファベール
- ニコル・ヴォードレモン:アニェス・ドラエ
- ポペリエ嬢:セシル・ディディエ
- ドゥニーズ:アヌーク・フェルジャック
- 修道院長:ジャン・ディッド
スタッフ
- 監督:アンドレ・カイヤット
- 脚本:アンドレ・カイヤット、シャルル・スパーク
- 対話:シャルル・スパーク
- 製作:ロベール・ドルフマン
- 撮影:ジャン・ブルゴワン
- 編集:クリスチャン・ゴーダン
- 音楽:レイモン・ルグラン
- 美術:ジャック・コロンビエ
- 配給:コロニス(フランス)、ジョセフ・バースティン社(米国)



コメント 雑学・感想など