キーラ・コルピ(Kiira KORPI)は1988年生まれのフィンランド出身の元フィギュアスケート選手。タンペレ市で生まれ、幼少期からスケートに親しみ、国際的に活躍しました。2006年トリノオリンピックと2010年バンクーバーオリンピックにフィンランド代表として出場し、欧州選手権では銀メダル1回、銅メダル2回を獲得。フィンランド選手権では5度の優勝を果たしました。優雅な演技と美しい容姿から「フィンランドのアイスプリンセス」と称され、2015年8月27日に現役引退を発表しました。引退後は心理学を学び、自身のスポーツ衣料ブランドを展開するなど、多彩な活動を続けています。
プロフィール
- 名前:キーラ・コルピ(Kiira KORPI)
- 生年月日:1988年9月26日(37歳)
- 出生地:ピルカンマー県タンペレ
- 身長:169 cm
- SNSサイト:Instagram・Facebook・LinkedIn・X
選手情報
- 競技種目:フィギュアスケート
- 代表国: フィンランド
- 所属クラブ:タッパラFSC
- 引退:2015年8月27日
生い立ち・教育
キーラ・コルピ(Kiira KORPI)は1988年9月26日にフィンランドのピルカンマー県タンペレ市で生まれました。この街はフィンランド第2の都市として知られ、自然豊かな環境が彼女の幼少期を彩りました。家族構成は両親と姉のペトラで、父のラウノ・コルピは著名なアイスホッケーコーチとして知られ、1998年長野冬季オリンピックでフィンランド女子チームを銅メダルに導いた人物です。こうしたスポーツ一家の環境が、キーラの将来を自然とスポーツの世界へ導きました。
スケートとの出会いは、4歳か5歳の頃に遡ります。当時、家族はトゥルクに住んでいましたが、2歳年上の姉ペトラがスケートを始めている姿に憧れ、キーラも早速リンクに足を踏み入れました。父の仕事の関係で、幼少期に1年間オーストリアで過ごした経験もあり、多文化的な感性を養いました。オーストリアからタンペレに戻った後、本格的なスケート練習を始め、地元のハカメサ・アイスアリーナで日々を費やしました。11歳から12歳にかけて、3回転ジャンプをマスターするなど、天賦の才能を発揮し、周囲を驚かせました。
競技者としての第一歩は、2001年のトリグラフトロフィーノービスクラス出場でした。この大会で注目を集め、翌2002-2003シーズンからジュニアクラスへ移行。ISUジュニアグランプリシリーズで2度の表彰台を獲得し、早くも国際舞台でその名を馳せました。こうした早期の成功は、家族の支えと厳しい練習の賜物でした。姉のペトラもスケーターとして活躍しており、互いに励まし合う関係が、キーラの精神的な強さを育てました。
教育面では、競技生活との両立が課題となりました。高校卒業試験が世界選手権の時期と重なり、通常3年で終わる課程を4年に延ばしてようやく修了しました。スケートのトレーニングが多忙を極める中、自己管理の重要性を痛感した時期でもありました。その後、タンペレ大学に入学し、企業経営を専攻。スケートの経験を活かし、ビジネススキルも磨きました。大学時代は、練習と学業のバランスを工夫し、効率的な時間管理を身につけました。
引退後の2018年には、ニューヨークのニュースクール大学で心理学の学位を取得しました。この選択は、競技中のメンタルヘルスの重要性を自ら実感したからこそです。心理学の学びを通じて、自身のキャリアを振り返り、若いアスリートへのアドバイスも積極的に発信しています。また、語学面ではフィンランド語とスウェーデン語のほか、英語とドイツ語を流暢に操り、国際的なコミュニケーションを可能にしています。得意科目は生物学で、自然科学への興味も深いです。さらに、自身のスポーツ衣料ブランド「Kiira Korpi Collection」をデザインし、起業家精神を発揮しています。このブランドは、機能性と美しさを兼ね備えたウェアをコンセプトに、女性アスリート向けに展開されています。
生い立ちを通じて、キーラは家族の影響と自身の努力が融合した人物像を形成しました。タンペレの穏やかな街並みで育ちながら、国際的な視野を広げた彼女の教育は、単なる学問を超え、人生全体を豊かにする基盤となりました。
経歴

キーラ・コルピの競技経歴は、ジュニア時代から輝かしいものでした。2002-2003シーズンにジュニアグランプリで銀メダルを2度獲得し、欧州ジュニア選手権で5位、世界ジュニア選手権で9位を記録。フィンランドの次世代エースとして期待を集めました。2004-2005シーズンからシニアデビューを果たし、欧州選手権で10位、世界選手権で16位と健闘。2005-2006シーズンには、フィンランディア杯で3位、ネーベルホルン杯で優勝し、飛躍の兆しを見せました。
2006年は転機の年となりました。欧州選手権で7位となり、トリノ冬季オリンピックに初出場。ショートプログラム(SP)で8位、フリースケーティング(FS)で12位、総合11位と健闘しました。続く世界選手権ではSP16位、FS13位で総合16位。優雅な演技と美しいルックスから、「フィンランドのアイスプリンセス」の愛称でメディアに取り上げられ、国際的な人気を博しました。この頃のコーチは地元のマリア・クールキで、タンペレのハカメサで主に練習を積みました。
2006-2007シーズンから本格的なシニア生活へ。グランプリシリーズのスケートカナダで5位、トロフィー・エリック・ボンパールで4位。欧州選手権で銅メダルを獲得し、フィンランド選手権も優勝。体調不良で一部大会を欠場しましたが、着実に成長を遂げました。2007-2008シーズンは、フィンランディア杯5位、グランプリファイナル6位、欧州選手権5位、世界選手権9位。フィンランド選手権2連覇を果たし、安定したパフォーマンスを披露しました。
2008-2009シーズンは、脚の怪我に悩まされ、多くの大会を棄権。リハビリに専念し、欧州選手権5位、世界選手権12位で復帰。フィンランド選手権では3連覇を達成しました。2009-2010シーズン、中国杯でシニア初の銀メダル。欧州選手権でSPパーソナルベストを更新し2位浮上しましたが、FSでミスが続き4位。バンクーバーオリンピックではSP12位、FS10位で総合11位、世界選手権19位。フィンランド選手権4連覇を飾りました。
2010-2011シーズンは飛躍の年。トロフィー・エリック・ボンパールでグランプリシリーズ初優勝。NHK杯3位でグランプリファイナル5位。欧州選手権で4年ぶりの銅メダル、世界選手権6位、フィンランド選手権5連覇。コーチをアレクサンドラ・ナザロワに変更し、技術向上を図りました。2011-2012シーズン、欧州選手権で銀メダルを獲得し、フィンランドの誇る快挙を成し遂げました。しかし、世界選手権直前に怪我で欠場。フィンランド選手権優勝を維持しました。
2012-2013シーズン、フィンランディア杯2位、中国杯3位、ロステレコム杯優勝でグランプリファイナル初出場5位。しかし、アキレス腱の炎症で欧州選手権と世界選手権を辞退。2013-2014シーズンはアキレス腱部分断裂で全試合欠場、手術を受けアメリカでリハビを進めました。2014-2015シーズン、練習拠点をドイツのオーバーホーフェンに移し、ゴールデンスピン・トロフィーで2年ぶり復帰優勝。欧州選手権ではSP16位、FS棄権(腹痛)。世界選手権SP31位でFS進出逃すも、フィンランド選手権優勝。こうして、2015年8月27日に引退を発表しました。
主な戦績として、欧州選手権銀メダル1回(2012年)、銅メダル2回(2007年、2011年)、フィンランド選手権5回優勝(2007-2012年)。グランプリシリーズ優勝2回(2010年ボンパール、2012年ロステレコム)。オリンピック2回出場、世界選手権8回出場と、フィンランドフィギュア界に多大な貢献をしました。練習は夏に海外合宿を組み、エストニアやスペイン、アメリカで指導を受け、常に進化を求めました。引退の理由は、怪我の蓄積と新たな人生への挑戦欲でした。(約1450文字)
私生活
キーラ・コルピの私生活は、競技者としての厳しさとは対照的に、穏やかで多趣味なものとなっています。家族はスポーツ一家で、父ラウノの影響が色濃く、幼少期からアイスホッケーとフィギュアスケートの両方を身近に感じて育ちました。姉ペトラとの姉妹関係は今も深く、互いのキャリアを尊重し合う絆があります。母については公に語られる機会が少ないですが、家族全体がキーラの支えとなっています。
趣味は多岐にわたり、スノーボードやヨーガ、バレエ、ダンスを楽しんでいます。特にスノーボードは、フィンランドの冬の風物詩として欠かせず、競技後のリフレッシュに役立てました。読書も大好きで、J.K.ローリングの『ハリー・ポッター』シリーズを愛読。ファンタジー世界に浸ることで、心の平穏を保っていました。好きな食べ物はアイスクリームで、甘いものがストレス解消の秘訣です。語学の才能も私生活を豊かにし、旅行や国際交流をスムーズにしています。
恋愛面では、2017年5月に元モデルのアーサー・ボルヘス・セップラと婚約を発表。翌2018年5月2日、イタリア北部コモ湖畔の美しいチャペルで結婚式を挙げました。この結婚は、キーラの人生に新たな章をもたらしました。アーサーはフィンランド系ノルウェー人で、芸術的な感性を持ち、キーラのクリエイティブな活動をサポートしています。夫妻はプライベートを重視し、メディア露出を控えめにしていますが、互いのキャリアを尊重するパートナーシップを築いています。
引退後、私生活はさらに充実。心理学の学位取得後、メンタルヘルスに関する講演やワークショップを開催し、アスリートの心のケアに注力しています。自身の経験から、プレッシャー下でのメンタル管理をテーマに、若い世代を励ましています。また、タンペレを拠点に、地元コミュニティへの貢献も積極的。慈善活動として、フィンランドのスポーツ基金に寄付し、子供たちのスケート普及を支援しています。日常では、ヨガのインストラクター資格も取得し、マインドフルネスを実践。パンデミック時には、オンラインで瞑想セッションを主催し、多くのファンに癒しを提供しました。
私生活全体を通じて、キーラはバランスの取れたライフスタイルを追求しています。競技時代の激しいトレーニングから解放され、自然や芸術に触れる時間を大切に。夫婦で旅行を楽しみ、ヨーロッパの街を散策する姿が、SNSで時折垣間見えます。こうした穏やかな日々が、彼女の内面的な成長を象徴しています。(約750文字)
出演作品
キーラ・コルピは、フィギュアスケート選手としてだけでなく、メディアやエンターテイメント分野でも活躍の場を広げました。引退前後にかけて、女優やテレビパーソナリティとして数々の作品に出演。彼女の美貌とカリスマが、視覚的な魅力を必要とするプロジェクトにぴったり合いました。
映画分野では、2009年のロシア映画『ツァーリ』(Tsar)に出演。歴史ドラマの脇役として、優雅な存在感を放ちました。この作品は、16世紀ロシアのイヴァン雷帝を題材とした重厚なストーリーで、キーラの国際的な演技デビューとなりました。続いて2011年のロシア映画『ベレメンヌイ』(Beremennyy、Pregnant)では、ゲスト出演。コメディ要素の強いこの作品で、軽やかな演技を披露し、観客を魅了しました。
2015年には、フィンランドのミュージックビデオ『Robin & Elastinen: Kipinän Hetki』に登場。人気ラッパーElastinenと歌手Robinのコラボレーション曲で、キーラはスケートを交えたダンスシーンを担当。引退直後のプロジェクトとして、彼女の身体能力を活かしたパフォーマンスが話題となりました。このビデオは、フィンランドのチャートで上位を記録し、キーラのポップカルチャーへの貢献を象徴します。
テレビ出演も豊富です。フィンランドの人気トークショー『The Voice of Finland』や『Dancing with the Stars』にゲスト審査員として参加。スケートの専門知識を活かし、ダンスやパフォーマンスの批評を展開しました。また、ドキュメンタリー番組『Ice Princess: The Kiira Korpi Story』(2012年頃)では、自らのキャリアを振り返る内容で主演。トレーニングの裏側やメンタル面の苦闘を赤裸々に語り、視聴者に感動を与えました。
引退後は、ファッションやライフスタイル番組への出演が増えました。2016年の『Kiira Korpi: Life After Ice』というスペシャル番組では、ブランド立ち上げの過程をドキュメント化。心理学の学びをテーマにしたトークシリーズ『Mind on Ice』(2019年)では、ホストを務め、アスリートの心理を深掘りしました。さらに、国際的なキャンペーンとして、Nikeの女性アスリート向け広告に登場(2017年)。スケートウェアのプロモーションで、自身のブランドをPRしました。
これらの出演作品は、キーラの多才さを示すものです。スケート選手としてのイメージを超え、女優、ホスト、インフルエンサーとして活躍。ファンからは、常にポジティブなエネルギーを発信する存在として支持されています。将来的には、さらなる映画出演や書籍執筆も期待されています。
レビュー 作品の感想や女優への思い