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中島葵

中島葵は日本の女優。父は俳優の森雅之、母は元宝塚歌劇団の梅香ふみ子で、私生児として育ちました。文学座で舞台女優としてデビューし、アングラ演劇や日活ロマンポルノ、芸術映画に多数出演しました。代表作に『愛のコリーダ』があります。子宮頸癌との闘病の末に亡くなりました。

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プロフィール

  • 名前:中島葵(なかじまあおい)
  • 生年月日:1945年9月20日
  • 没年月日:1991年5月16日(享年45歳)
  • 出生地:連合国熊本県熊本市
  • 職業:女優
  • ジャンル:テレビ・映画・舞台演劇
  • 活動期間:1969年-1991年
  • 著名な家族:有島武郎(祖父)、森雅之(父)、梅香ふみ子(母)

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生い立ち・教育

中島葵は、1945年9月20日、熊本県熊本市二本木町で生まれました。母の実家である東雲楼中島家で出生しました。母の梅香ふみ子は元宝塚歌劇団の娘役で、1941年に宝塚を退団後、文学座に所属していました。父は俳優の森雅之で、有島行光の芸名でも知られています。両親は不倫関係にあり、中島は私生児として生まれました。母は妊娠を知り、森と別れて熊本の実家に戻り、中島を出産しました。母方の曾祖父は中島茂七で、熊本出身の米相場師として大阪で活躍し、1896年に熊本市二本木遊郭に西日本最大級の妓楼である東雲楼を開業した人物です。また、祖父は小説家の有島武郎、大伯父に画家・有島生馬と小説家・里見弴がおり、芸術家の血筋を受け継いでいます。

幼少期は母一人子一人の環境で育ちました。母の生活が苦しかったため、梅香は小林一三の支援で劇団を結成し、関西で活動しながら中島を熊本の親族に預けていました。1955年、10歳の時に母のもとに移り、兵庫県西宮市立高木小学校に転校しました。1956年にはABC朝日放送児童劇団に入団し、教育番組『子供の教室』(大阪テレビ放送)にレギュラーとして出演しました。これが芸能界への最初の足がかりとなりました。1958年に芦屋女子学園中等部に入学し、芦屋女子中学校・高等学校を卒業しました。高校1年生の1961年に、初めて父・森雅之と対面し、認知を受けました。しかし、認知の条件として以後一切面会を許されず、父への想いを胸に秘めていました。1964年、日本大学藝術学部演劇科に特待生として入学し、同時に文学座附属演劇研究所(第5期生)に入所しました。しかし、1965年に大学を中退し、演劇の道に専念しました。この生い立ちは、中島の繊細で複雑な内面を形成し、後の演技に深みを与えました。

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経歴

中島葵の経歴は、舞台から映画、テレビドラマへと広がりました。1966年に文学座の研究生となり、1969年に座員に昇格しました。初舞台は1968年の『黄金の頭』で、主役に抜擢されました。以降、『かくも長き不在』や『聖グレゴリーの殉教』(1972年)、『ロミオとジュリエット』(1972年)などに出演し、文学座の若手女優として活躍しました。1973年に文学座を退座後、アングラ演劇の世界へ移行しました。同年、演劇センター68/71(黒テント)に参加し、『シュールレアリズム宣言』や『さよならマックス』に出演しました。黒テントでの活動は、中島の演劇観を広げ、実験的な表現を追求する基盤となりました。

1978年には、芥正彦と共に劇団ホモフィクタスを結成し、『悲劇天皇祐仁』(1978年)や『浄められた夜』(1984年)などの公演を上演しました。1988年には自らプロデュースした『川島芳子伝 終の栖、仮の宿』で主演を務め、批評家から高い評価を受けました。

映画界では、1969年の『若者はゆく -続若者たち-』でデビューしました。1973年から日活ロマンポルノに進出し、『ためいき』(1973年)や『OL日記 濡れた札束』(1974年、主演)など、多数の作品で主演・助演を務めました。これらの作品は、滋賀銀行巨額横領事件を題材とした社会派要素も含み、中島の演技力が光りました。1976年の大島渚監督作『愛のコリーダ』では、吉蔵の妻役を演じ、国際的に注目されました。この作品は本番行為を含むハードコア描写で話題となり、中島は撮影後の精神的負担を語っています。1978年の『団鬼六 縄化粧』では恍惚とした牝犬役を演じ、衝撃を与えました。他に『道』(1986年)、『吉原炎上』(1987年)、『郷愁』(1988年)、『四万十川』(1991年)など、一般映画にも出演。

テレビドラマでは、『部長刑事』(1960-1981年)、『あしたこそ』(1968-1969年)、『必殺シリーズ』(1976-1982年)、『Gメン’75』(1975-1977年)、『西部警察』(1980-1982年)、『火曜サスペンス劇場』(1982-1988年)、NHK連続テレビ小説など、数多くの作品で活躍しました。共演者のひし美ゆり子は、中島を「すごい女優だった」と回想しています。

1980年代後半からは病魔と闘いながら活動を続けましたが、1991年に子宮頸癌で逝去しました。追悼として『女優 中島葵 もう一人の「或る女」がここに生まれる』(1992年)や『中島葵全作品集II もう片方の運動靴は咲き乱れる花の中に落ちている』(1993年)が出版されました。中島の経歴は、伝統演劇から前衛、商業映画までを横断し、戦後日本映画史に独自の足跡を残しました。

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服飾・美容

中島葵の服飾・美容に関する詳細な記録は少ないですが、女優としてのキャリアを通じて、役柄に応じたスタイルを追求しました。日活ロマンポルノ作品では、官能的な衣装を着用し、洗練されたメイクで魅力を発揮しました。例えば、『愛のコリーダ』では、伝統的な和服を纏い、自然な美しさを表現しました。

私生活では、シンプルで上品なファッションを好み、美容面では健康的な生活を心がけていたようです。病気の影響で後年は控えめな装いが増えましたが、常に内面的な美を重視しました。服飾では、着物やドレスを役で多用し、美容法としてスキンケアを日常的に行っていたと推測されます。

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私生活

中島葵の私生活は、生い立ちの影響を強く受けたものでした。私生児として母子家庭で育ち、父・森雅之との関係は複雑でした。認知後も面会が許されず、父への想いが彼女の内面に影を落としました。1970年に映画監督の布川徹郎と結婚しましたが、1972年に離婚しました。以降は、劇団パートナーの芥正彦と公私にわたる関係を築き、ホモフィクタスでの活動を支え合いました。芥は中島の死後、追悼本を編纂しています。私生活では、母・梅香ふみ子との絆が深く、母を残して逝去したことが惜しまれます。1980年代後半から子宮頸癌を発症し、闘病生活を送りました。病床では創作活動を続け、1991年5月16日に45歳の若さで亡くなりました。友人や関係者150人からの証言集が出版され、大島渚、中島貞夫、神代辰巳、崔洋一、恩地日出夫、久世光彦、安藤昇、三國連太郎、三上寛、赤塚不二夫、由紀さおり、桃井かおり、中嶋夏、アラン・キュニ、太地喜和子、高橋康也、小田島雄志、近藤等則、大森政秀らから、中島の人間性と才能が語られています。私生活は孤独と芸術への献身が交錯し、憂鬱と純情の表情を生み出しました。

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出演作品

映画

  • 四万十川(1991年、ヘラルド・エース、日本ヘラルド映画) – タケ
  • 激動の1750日(1990年、東映) – 昌平の母
  • 嵐の中のイチゴたち(1989年)
  • 花園の迷宮(1988年)
  • 悪徳の栄え(1988年)
  • 郷愁(1988年)
  • 吉原炎上(1987年、東映) – 峯半の女将
  • 道(1986年)
  • 二代目はクリスチャン(1985年)
  • 夢千代日記(1985年、東映) – 朝子
  • 火まつり(1985年、シネセゾン) – 基視子の姉
  • 春の鐘(1985年)
  • 刑事物語3 潮騒の詩(1984年)
  • 丑三つの村(1983年、松竹富士)
  • のぞき(1983年)
  • オキナワの少年(1983年)
  • さらば愛しき大地(1982年)
  • 魔界転生(1981年、東映) – 百姓
  • 青春の門(1981年、東映) – 平井君代
  • 快楽学園 禁じられた遊び(1980年)
  • 五番町夕霧楼(1980年、松竹) – 久子
  • 濡れた週末(1979年)
  • 十九歳の地図(1979年)
  • (秘)肉体調教師(1978年)
  • 団鬼六 縄化粧(1978年)
  • 宇能鴻一郎の看護婦寮(1978年)
  • 新・人間失格(1978年)
  • 襲う!!(1978年)
  • 壇の浦夜枕合戦記(1977年)
  • 大奥浮世風呂(1977年)
  • 発禁本「美人乱舞」より 責める!(1977年)
  • 実録不良少女 姦(1977年)
  • OL官能日記 あァ! 私の中で(1977年)
  • 夜這い海女(1977年)
  • 肉体の悪魔(1977年)
  • 四畳半芸者の枕紙(1977年)
  • 愛のコリーダ(1976年、東宝東和) – 吉田屋のおかみ・トク
  • 修道女ルナの告白(1976年)
  • 沖縄やくざ戦争(1976年)
  • 淫絶夫人 快楽の奥(1976年)
  • 東京(秘)ナイト・レポート 熱い樹液(1976年)
  • 玉割り人ゆき 西の廓夕月楼(1976年)
  • 江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者(1976年)
  • あの感じ(1976年)
  • 安藤昇の わが逃亡とSEXの記録(1976年)
  • わななき(1975年)
  • 残酷・女高生(性)私刑(1975年)
  • 神戸国際ギャング(1975年)
  • 秘本 むき玉子(1975年)
  • 新・団地妻 夫婦交換(1975年)
  • 極道社長(1975年)
  • 喜劇 特出しヒモ天国(1975年)
  • 実録桐かおる -にっぽん一のレスビアン-(1974年)
  • カルーセル麻紀 夜は私を濡らす(1974年)
  • 赤線玉の井 ぬけられます(1974年)
  • バージンブルース(1974年)
  • 花嫁は濡れていた(1974年)
  • 秘本袖と袖(1974年)
  • 御用牙 鬼の半蔵やわ肌小判(1974年)
  • 赤線最後の日 -昭和33年3月31日-(1974年)
  • 卓のチョンチョン(1974年)
  • 炎の肖像(1974年)
  • 赤ちょうちん(1974年)
  • 青春の蹉跌(1974年)
  • 大奥秘話 晴姿姫ごと絵巻(1974年)
  • 続ためいき(1974年、日活) – ヤス子
  • OL日記 濡れた札束(1974年、日活) – 北村潤子
  • 女教師 甘い生活(1973年)
  • 欲情の季節 蜜をぬる18才(1973年)
  • ためいき(1973年、日活) – ヤス子
  • 新宿アウトロー ぶっ飛ばせ(1970年、ダイニチ映配) – かほる
  • 華麗なる闘い(1969年、東宝) – 錦小路貞子
  • 若者はゆく -続若者たち-(1969年、松竹) – 清子

TV番組

  • 部長刑事(1960-1981年)
  • あしたこそ(1968-1969年)
  • 必殺シリーズ(1976-1982年)
  • Gメン’75(1975-1977年)
  • 西部警察(1980-1982年)
  • 火曜サスペンス劇場(1982-1988年)
  • 連続テレビ小説(1968-1987年)

演劇

  • ドレッサー(1989年)
  • リボン・惑星・涙の木(1989年)
  • マクベス(1989年)
  • 川島芳子伝 終の栖、仮の宿(1988年)
  • ロマノフの海(1987年)
  • イエルマ(1986年)
  • ハムレット・ライブ(1986年)
  • 展覧会の絵(1984年)
  • 浄められた夜(1984年、ホモフィクタス)
  • 地獄の天使(1984年)
  • オイディプス昇天(1983年)
  • ジョン王(1983年)
  • 星からの悪い知らせ(1983年、ホモフィクタス)
  • イカルガの祭(1983年)
  • 黒念仏殺人事件(1982年)
  • 牡丹燈籠(1982年、尾上菊五郎新秋特別公演)
  • バーレスク1931(1981年)
  • かもめ(1980年)
  • 入江(1980年)
  • 昔の日々(1979年)
  • X―DAY(1979年、ホモフィクタス)
  • 美しの日々(1978年、ホモフィクタス)
  • 悲劇天皇祐仁(1978年、ホモフィクタス)
  • 鳴神(1977年)
  • オスカル新宿大木戸物語(1977年)
  • バカ田大ギャグ祭(1977年)
  • 四人の女の子(1977年)
  • 春のめざめ(1977年)
  • 夢の渡り鳥(1976年)
  • かくも長き不在(1976年)
  • キネマと探偵(1975年、黒テント)
  • 喜劇 阿部定(1973年、黒テント)
  • さよならマックス(1973年、黒テント)
  • シュールレアリズム宣言(1973年、黒テント)
  • にっぽん水滸伝(1972年、不連続線)
  • ロミオとジュリエット(1972年、文学座)
  • 聖グレゴリーの殉教(1972年、文学座)
  • 結婚(1971年、文学座)
  • 白い悪魔(1971年、文学座)
  • 怒濤(1971年、文学座)
  • チェインジリング(1971年、文学座)

吹き替え

  • あの胸にもういちど(不明年、レベッカ役)
  • 刑事コロンボ・黄金のバックル(不明年、ジェニー役)
  • マラソンマン(1976年、エルザ・オペル役)

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