パンアメリカン航空

パンアメリカン航空(通称パンナム)は、20世紀の大半の間、米国の主要かつ最大の国際航空会社であり、非公式の海外フラッグ・キャリアだった航空会社。

パンナムは世界各地を飛行した最初の航空会社であり、ジャンボジェット機やコンピュータ化された予約システムなど、近代航空業界の数々の革新の先駆者でした。

1991年12月4日に解散するまで、パンナムは大陸間旅行の豪華さと魅力の象徴でした。青い地球儀のロゴ(ブルー・ミートボール)、航空機名やコールサインに使用された「クリッパー」という言葉、パイロットの白い制服の帽子などは20世紀の文化的象徴であり続けています。

1927年、2人のアメリカ陸軍航空隊少佐が設立したパンナムは、フロリダのキーウェストとキューバのハバナを結ぶ定期航空便と旅客サービスとして開始。1930年代には、アメリカの企業家フアン・トリッペの指導のもと、飛行艇を購入し、路線網を中南米に集中させ、徐々に大西洋横断や太平洋横断の目的地を増やしていきました。

20世紀半ばまでに、パンナムは国際路線をほぼ独占し、ボーイング707やボーイング747などの新型ジェット旅客機を導入し、航空機産業をジェット時代へと導きました。パンナムの近代的な機材により、ライバル会社よりも多くの乗客を、より長い距離で、より少ない寄港回数で飛行させることが可能になりました。主要ハブ空港かつ主要ターミナルであったのは、ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港のワールドポート。

1950年代後半から1970年代前半にかけての最盛期、パンナムは最新鋭の機材、高度な訓練を受けたスタッフ、アメニティで知られていました。1970年には、南極大陸を除くすべての大陸に就航し、86カ国へ1,100万人の旅客を飛ばしました。政府が全額または過半数を所有するフラッグ・キャリアが主流だった時代に、なんとパンナムは米国の非公式なナショナル・キャリアとなれたのです。また、世界的な航空業界団体である国際航空運送協会(IATA)の創立メンバーにもなりました。

パンナムは、1970年代半ば、とくに1978年の航空業界の規制緩和による競争の激化とともに、内外の一連の課題に直面しはじめました。1980年代をとおして財務再建とブランド再構築を何度か試みた後、パンナムは徐々に資産を売却し、1991年に破産を宣言。

運航を停止するまでに、この航空会社のトレードマークは世界で2番目に認知されたものとなっていて、その喪失は航空旅行の黄金時代の終焉を意味するものとして、旅行者や多くのアメリカ人の間で感じられました。

パンナムのブランド、図像、航空業界への貢献は、21世紀になってもよく知られています。航空会社の名前とイメージは1998年に鉄道持株会社ギルフォード・トランスポーテーション・インダストリーズに買収され、同社はパンナム・システムズに社名を変更し、パンナムのロゴを採用しました。

2024年、パンナム・ブランドは、ツアー会社のバーテリングスによって、12日間の大西洋横断記念旅行のために一時的に復活することが発表されました。

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パンアメリカン航空

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  • 設立:1927年3月14日
  • 運航開始:1927年10月19日
  • 運航終了:1991年12月4日
  • マイレージ・プログラム:ワールドパス
  • 船隊規模:226
  • 就航都市:1968年のピーク時には6大陸86カ国
  • 親会社:パンナム・コーポレーション
  • 本社所在地:①パンナム・ビル(ニューヨーク州ニューヨーク市、②フロリダ州マイアミ
  • YouTube:Pan Am Museum Foundation(財団のチャンネル)

ハブ空港

  • ベルリン、テーゲル空港(1975年~1990年)
  • ベルリン、テンペルホーフ(1950年~1975年)
  • フランクフルト
  • ロンドン、ヒースロー
  • マイアミ
  • ニューヨーク、JFK
  • 東京、羽田(1947年〜1978年)
  • 東京、成田(1978年〜1986年)

重点都市

  • 香港、カイタック(1986年以前)
  • ヒューストン、インターコンチネンタル(1980年~1986年)
  • ロサンゼルス(1986年以前)
  • サンフランシスコ(1986年以前)
  • ワシントン、ダレス(1990年以前)

子会社

  • インターナショナル・ホテルズ・コーポレーション(1946年〜1981年)
  • サハサ(40%)(1945年〜1970年)
  • パンナム・エクスプレス(1987年〜1991年)
  • パンナム・シャトル(1986年〜1991年)
  • パナグラ(50%)(1928年〜1967年)

主要人物

  • ファン・トリッペ(CEO、1927年~1968年)
  • ハロルド・E・グレイ(CEO、1968~1969年)
  • ナジーブ・ハラビー(CEO、1969~1971年)
  • ウィリアム・シーウェル(CEO、1971-1981)
  • エド・アッカー(CEO、1981~1988年)
  • トーマス・G・プラスケット(CEO、1988~1991年)
  • ラッセル・L・レイ・ジュニア(CEO、1991年)

タイムライン

米国初からみたパンナムの歴史
  • 1927年
    常時国際航空便
    米国初の常時国際航空便を運航(フロリダ州キーウェスト-キューバ・ハバナ)。米国初の陸上機を定期運航。
  • 1928年
    空港および航空管制システム
    米国初の空港および航空管制システムを開発。米国の航空会社として初めて、緊急救命装置を搭載。シコルスキーS-38飛行艇で、米国初の自社仕様の航空機を発注・購入。
  • 1930年
    国際航空エクスプレス・サービス
    米国初の国際航空エクスプレス・サービスを提供。
  • 1931年
    飛行艇
    米国の航空会社として初めて、4発の飛行艇を開発・運航。パンナム初のクリッパーズ、シコルスキーS-40フリート。
  • 1932年
    海外航空ツアー・パッケージ
    全費用込みの海外航空ツアー・パッケージを販売。
  • 1935年
    長距離天気予報/太平洋横断定期旅客・郵便
    航空会社として初めて、長距離天気予報を開発・採用。初の太平洋横断定期旅客・郵便サービスを運航。
  • 1939年
    大西洋横断郵便・旅客定期便
    大西洋横断郵便・旅客定期便を運航。
  • 1942年
    世界一周飛行/貨物専用機の国際線
    初めて世界一周飛行を達成。貨物専用機で国際線を運航。
  • 1947年
    世界一周定期便
    世界一周定期便を運航した最初の航空会社。
  • 1948年
    海外でのエコノミークラス
    米国本土以外で初めてエコノミークラス・サービスを提供。
  • 1949年
    ボーイングのローンチカスタマー
    ボーイングの長距離機377ストラトクルーザーのローンチカスタマーとなる。
  • 1958年
    米国製ジェット機の大西洋横断定期便
    パンナムのボーイング707クリッパー・アメリカが、米国製ジェット機による初の大西洋横断定期便を運航。
  • 1962年
    グローバルなコンピューター予約システム
    航空会社として初めて、グローバルなコンピューター予約システムを開発。
  • 1964年
    機内メッセージの衛星中継
    航空会社として初めて、機内メッセージを衛星で中継。
  • 1967年
    完全自動進入着陸
    航空会社として初めて、定期便で完全自動進入着陸を実施。
  • 1970年
    ボーイング747ワイドボディ・ジェット
    航空会社として初めて、ボーイング747ワイドボディ・ジェットを定期便で運航。
  • 1978年
    クリッパークラス
    パンナムの「クリッパークラス」と呼ばれる、ビジネスクラスと正規エコノミークラスの乗客向けの新しいサービスを導入した最初の航空会社のひとつ。

名称の再利用

フライト・アカデミーを除けば、パンナム・ブランドは1991年以来4度復活していますが、それらは名前だけでオリジナルのパンナムに関連しています。

航空会社

パンアメリカン航空の後身パンアメリカン・ワールド航空の商標と一部の資産は、1993年12月2日~3日に行われた米国破産裁判所による競売で、エクリプス・ホールディングス社によって買い取られました。定期航空会社の権利は、1993年12月20日から29日にかけて、エクリプス・ホールディングスによってパンアメリカン航空に売却されました。

パンアメリカン航空はパンナムのチャーター権を保持し、子会社のパンナム・チャーターズ社(現在のエアウェイズ・コーポレーション)を通じて運航することになりました。

オリジナルのパンナムの最初の生まれ変わりは1996年から1998年まで運航され、IATA航空会社呼称のPNで、米国とカリブ海を結ぶ低コストの長距離便に重点を置いていました。その後、エクリプス・ホールディングス(パンナムII)は、1996年1月に資産購入契約を理由によって取り消し、取引停止処分を下し、その後のすべての川下取引に影響を与えました。

もうひとつの名称は、オリジナルの航空会社とは無関係で、ニューハンプシャー州ポーツマスを拠点とし、1998年から2004年まで運航していた小規模な地域航空会社。ピーズ国際空港(ポーツマス)、インディアナ州のゲーリー市営空港など、主要空港に近い小規模空港で運航していました。IATAコードはPA、ICAOコードはPAA。

2004年から2008年2月まで、2度目の生まれ変わりの姉妹会社であるボストン・メイン航空が「パンナム・クリッパー・コネクション」ブランドで運航。また、ドミニカ共和国の国内航空会社は、パンナム・ドミニカナとして2012年3月23日まで営業していました。

2010年11月、パンアメリカン航空はワールド・ワイド・コンソリデーテッド・ロジスティクス社によって5度目の復活を遂げました。生まれ変わった運航会社はテキサス州ブラウンズビルのブラウンズビル/サウスパドレアイランド国際空港を拠点とし、2010年11月12日にメキシコのモンテレイへ就航しました。この航空会社は、当初は貨物のみを輸送するとしていたのですが、2011年までに旅客便の運航を発表する予定でした。2012年、同社のCEOであるロバート・L・ヘドリックに対して、児童ポルノを含む重大な法的告発がなされ、最終的に有罪判決を受けたため、同社は、いかなる種類の旅客便や貨物便を追求するためのFAAとの入札をも失ないました。

2025年、パンナムはパンナム博物館の協力を得て、短期間のチャーター便を復活させます。これらの大西洋横断路線は6月27日に開始され、7月8日に終了する予定で、ビジネスクラス50席構成のチャーター機ボーイング757-200を使用します。

鉄道

1998年、ギルフォード・トランスポーテーション・インダストリーズはパン・アメリカン航空と関連するすべての命名権および知的財産を買収しました。

アパレル

韓国のファッション企業SJグループは、パンナム・ブランドのアパレルとアクセサリーを製造するライセンスを取得した後、2022年にソウルにパンナムの旗艦店をオープンしました。

その他

2020年、ファンコ・ゲームズは、プレイヤーがパンナムと競争する航空会社としてプレイするパンナム・ボードゲームをリリースしました。

2022年、タイメックスはパンナムブランドの高級時計を発売。人気があったため、2023年に再販されました。

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大衆文化

冷戦時代の大衆文化において、パンナムは高い地位を占めていました。

パンナム機が背景となった最も有名なイメージのひとつは、1964年2月7日、ビートルズがパンナムのボーイング707-321型機「クリッパー・ディファイアンス」に乗ってジョン・F・ケネディ空港に到着した場面です。

1964年から1968年まで、詐欺師のフランク・アバグネイル・ジュニアは、未成年でありながらパンナムのパイロットになりすまし、コックピットのジャンプシートで多くの目的地に向かったと主張しています。彼はまた、パンナム指定のホテルを利用し、偽造小切手で代金を支払い、後にパンナム名義の偽造給与小切手を現金化したと主張。アバグネイルと共著者のスタン・レディングは、2002年に映画化された回顧録『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』にこの時代を記録しています。アバグネイルはパンナムを「航空会社のリッツ・カールトン」と呼び、航空旅行における贅沢の時代は終わったと指摘しました。しかし2021年、ジャーナリストのアラン・C・ローガンは、フランク・アバグネイルの主張の大部分はでっち上げであると主張。ローガンは、アバグネイルが10代後半のほとんどを刑務所で過ごしており、パンナムの小切手の虚偽を書いたのはほんの一握りで、それがすぐに虚偽だと見破られ、再び刑務所に入ることになったと主張しています。

1964年8月、パンナムは、オーストリアのウィーン出身のジャーナリスト、ゲルハルト・ピスターの予約を、将来の月面飛行の最初の乗客として受け入れました。彼は500オーストリア・シリング(当時のレートでおよそ20米ドル)の予約金を支払いました。約93,000人が「ファースト・ムーン・フライト・クラブ」と呼ばれるパンナムのウェイティング・リストに並びました。パンナムは2000年頃の出発を見込んでいました。

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パンナムの架空の「スペース・クリッパー」、オリオンIIIと名づけられた民間スペースプレーンは、スタンリー・キューブリックの1968年の映画『2001年宇宙の旅』で重要な役割を果たし、映画のポスターの1つに大きく登場しました。

1968年の映画公開時には、オーロラ社とエアフィックス社から2001年パンナム宇宙船のプラモデルが販売されました。1968年の『マッド』誌による映画の風刺では、パンナムの女性キャビンアテンダントが「アクションウェア・バイ・モンサント」の衣装を着て、無重力空間で嘔吐する際に乗客が直面する問題についてジョークを飛ばしていました。この映画の続編である『2010年』では、「パンナムにとって、もはや空は限界ではない」というスローガンを掲げ、デヴィッド・ボウマンの未亡人の家の背景のTVCMにもパンナムが登場しました。

この航空会社は他の映画にも登場。とくにジェームズ・ボンドの映画に何度も登場しました。同社のボーイング707は『ドクター・ノオ』(1962年)と『ロシアより愛をこめて』(1963年)に、パンナム747とワールドポートは1973年の映画『Live and Let Die』に登場しました。

一般的な心理学で使われる言葉に「パンナム・スマイル」があります。航空会社のTVCMでキャビンアテンダントが乗客に見せる笑顔にちなんで名づけられました。本物の笑顔を特徴づける目の周りの表情筋を使わず、その場しのぎの口の動きだかで笑います( ̄∪ ̄)

1982年の映画『ブレードランナー』には、パンナムの広告の目立つショットがいくつかあります。2017年の続編『ブレードランナー 2049』にも、エスタブリッシング・ショットでパンナムの看板が映し出されます。

1983年の映画『WarGames』にも、マシュー・ブロデリック演じる主人公がパンナムの予約システムにハッキングし、シカゴからパリへの航空券を予約する場面。「8月18日午前8時15分にシカゴのオヘア空港を出発する、パンナムの114便が確定しました」。

2011年、ABCは1960年代のパンナム便乗務員の生活を基にした新しいTV番組を発表。『PAN AM/パンナム』と題されたこのドラマは2011年9月に放送が開始され、2012年5月に打ち切られました。

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