キャメロン・ディアス

キャメロン・ミシェル・ディアスは米国の女優。彼女はセックス・シンボルとして、またハリウッドで最も稼ぐスターの一人として地位を確立し、2013年には40歳以上の女優のなかで最も稼いだ女優に選ばれました。

キャメロン・ディアスの出演作品はたくさんあるので、別途にページを設けています。彼女の出演映画の一覧はキャメロン・ディアスの出演作品をご覧ください。

キャメロン・ディアスは米国カリフォルニア州サンディエゴに生まれ、ロングビーチで育ちました。高校在学中にエリート・モデル・マネージメントとモデル契約を締結。21歳のときにコメディ映画『マスク』(1994年)でジム・キャリーの相手役として映画デビュー。ロマンティック・コメディ『ベスト・フレンズ・ウェディング』(1997年)の脇役に続き、ファレリー兄弟のコメディ『メリーに首ったけ』(1998年)に主人公役で出演。スポーツ・ドラマ『エニイ・ギブン・サンデー』とスパイク・ジョーンズ監督のファンタジー映画『マルコヴィッチの穴』(ともに1999年)で、キャメロンはドラマティックな女優としての評価を得ました。

キャメロンはキャメロン・クロウ監督の『バニラ・スカイ』(2001年)やマーティン・スコセッシ監督の『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2002年)の脇役で高い評価を受け、アクション・コメディ『チャーリーズ・エンジェル』(2000年)と続編『チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』(2003年)、『シュレック』シリーズ(2001年~)のフィオナ姫の声優で商業的成功を収めました。

その後のおもな出演作は次のとおりです。

  • イン・ハー・シューズ(2005年)
  • ホリデイ(2006年)
  • ベガスの恋に勝つルール(2008年)
  • ナイト&デイ(2010年)
  • グリーン・ホーネット(2011年)
  • バッド・ティーチャー(2011年)

2014年に『ANNIE アニー』『SEXテープ』『ダメ男に復讐する方法』の3本のコメディに出演し成功を収めた後、キャメロンは家庭に専念するため女優業を引退し、2022年に復帰しました。

キャメロンは健康本も2冊書いています。ニューヨーク・タイムズ紙のベストセラーとなった『The Body Book』(2013年)と『The Longevity Book』(2016年)。

彼女の私生活はキャリアの過程をとおしてメディアの注目を集めてきましたが、そのほとんどは人間関係とファッションの選択に関するものでした。2015年にグッド・シャーロットのギタリスト、ベンジー・マッデンと結婚し、2019年に代理出産で娘を、2024年に第2子をもうけました。

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キャメロン・ディアス

  • 名前:キャメロン・ディアス
  • 本名:キャメロン・ミシェル・ディアス(Cameron Michelle Diaz)
  • 生年月日:1972年8月30日(52歳)
  • 出身地:米国カリフォルニア州サンディエゴ
  • 身長:174cm
  • 職業:女優
  • 活動期間:1990年〜2014年、2022年〜現在
  • 作品リスト:キャメロン・ディアスの出演作品
  • 配偶者:ベンジー・マッデン(2015年結婚)
  • 子供:2人
  • 親族:ジョエル・マッデン(義弟)、ニコール・リッチー(義妹)
  • SNSサイト:InstagramFacebookXTikTok

生い立ちと教育

キャメロン・ミシェル・ディアスは1972年8月30日に米国カリフォルニア州サンディエゴに生まれました。母は輸出入代理店のビリー(旧姓アーリー)、父はカリフォルニアの石油会社ユノカルの現場監督エミリオ・ディアス。父親の家系はキューバ人で、キャメロンの先祖はもともとスペインからキューバに移り住んでいました。その後、フロリダ州タンパのイボー・シティに定住し、その後、父親が生まれたロサンゼルス地域へ移住しました。

キャメロンはロングビーチで育ち、ロス・セリトス小学校、ロングビーチ・ポリテクニック高校に通いました。

高校に通いながら、キャメロンは16歳でエリート・モデル・マネージメントとモデル契約を結び、カルバン・クラインとリーバイスの広告に登場しました。翌年、17歳のときに彼女は雑誌『セブンティーン』の1990年7月号の表紙を飾りました。

経歴

1994〜1998年:初期の出演作と名声の獲得

21歳のとき、キャメロン・ディアスは『マスク』のオーディションを受け、ティナ・カーライルというジャズ・シンガーを演じました。演技経験のなかった彼女は、出演が決まってから演技のレッスンを開始。『マスク』は1994年の興行収入トップ10に入り、キャメロンをセックス・シンボルとして売り出しました。この時期、彼女はビデオ・プロデューサーのカルロス・デ・ラ・トーレと交際していました。

キャメロンはその後、自主製作のブラックコメディ『最後の晩餐/平和主義者の連続殺人』(1995年)に主演し、リベラル派の大学院生数人のうちのひとりを演じました。役柄で彼らを殺害しようと過激派保守派のグループを夕食会に招待します。ロジャー・エバートはこの映画を高く評価してこう述べました。

この映画は少し長すぎ、少し繰り返しすぎではありますが、それでも臆病な時代における勇敢な努力であり、私たち全員の顔を平手打ちにし、私たち自身の自由がまさに隣人や敵対者たちの自由にかかっていることを認めさせようとするスウィフト的試みなのです。他人の言論の自由を制限する者は、自由が制限されうる国家を作り上げます。アメリカ人はそのことを理解しているはずです。https://www.rogerebert.com/reviews/the-last-supper-1996

その後、キャメロンはドラマティック・コメディ『フィーリング・ミネソタ』(1996年)で元ストリッパーの主役を演じ、キアヌ・リーブス、ヴィンセント・ドノフリオ、コートニー・ラブと共演しました。この映画は不評でしたが、キャメロンの演技は次のように高く受けとられました。

(この映画の)真の謎は、バイゲルマン監督が、信頼できる錚々たる俳優陣から、なぜこれほど精彩を欠いた演技を引き出せたのかということ。悲しいかな、魅力的なディアスを除いては、この映画に刺激的な演技はない。https://variety.com/1996/film/reviews/feeling-minnesota-1200446860/

同年、エドワード・バーンズ監督のコメディ『彼女は最高』(1996年)でジェニファー・アニストンの相手役に抜擢され、続く『真夏の出来事』(1996年)では、元恋人の殺人事件に巻き込まれた不貞の妻を演じました。

つづいて映画『モータルコンバット』に出演する予定てしたが、役作りのトレーニング中に手を骨折して出演を辞退。ほとんど上映されなかった『普通じゃない』での主演のほか、キャメロンは1997年にロマンティック・コメディ『ベスト・フレンズ・ウェディング』でメインストリームに復帰。この作品で彼女はジュリア・ロバーツと共演し、ジュリアが演じる主人公の長年の友人であるスポーツライターの裕福な婚約者を演じました。この映画は世界的な興行収入を記録し、史上最高のロマンティック・コメディ映画のひとつとされています。

1998年、キャメロンは『メリーに首ったけ』に主演し、マイアミに住む女性の愛情を何人もの男性たちが奪い合うという役どころを演じました。オースティン・クロニクル』紙はこう書きました。「すべての中心にいるメリーを演じたキャメロンは、タイトルにあるような抗いがたい「何か」を確かに醸し出しています」。『ベスト・フレンズ・ウェディング』や『普通じゃない』といった映画で、ディアスは何でもありのコミカルな演技を見せてきました。『メリー』の終盤で、6人の求婚者が彼女のリビングルームに集まり、彼女の足元に身を投げ出すのも無理はありませんし、映画の有名な「ヘアジェル」場面は象徴的なものとなり、何千ものハロウィンのコスチュームにインスピレーションを与えてきました。このスリーパー・ヒットは、北米で1998年最高の興行収入を記録したコメディ映画であり、その年の第4位の興行収入を記録した映画でもありました。彼女はゴールデングローブ賞の主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)にノミネートされました。キャメロンは、酷評されたコメディ『ベリー・バッド・ウェディング』(1998年)にも出演しています。

1999〜2004年:ドラマ出演と批評家としての成功

スパイク・ジョーンズの監督デビュー作『マルコヴィッチの穴』(1999年)に主演し、失業中の人形遣いの妻がペットに夢中になっている役どころを演じました。この映画は広く称賛を浴び、アルスハウス的成功を収めました。この役でキャメロンはゴールデングローブ賞、BAFTA賞、SAG賞で助演女優賞にノミネートされましたが、アカデミー賞にはノミネートされませんでした。

オリバー・ストーン監督のスポーツ・ドラマ『Any Given Sunday』(1999年)では、ベテラン・コーチのトニー・ダマート(アル・パチーノ)がキャメロンの演じるチーム所有者の若い女性クリスティーナ・パニアッチと不仲になります。批評家の反応は賛否両論でしたが、この映画は全世界で1億米ドルの興行収入を記録しました。

さて、映画化された『チャーリーズ・エンジェル』(2000年)では、キャメロン、ドリュー・バリモア、ルーシー・リューがロサンゼルスの捜査官トリオを演じました。この映画は、その年最も興行収入を上げた映画のひとつであり、2億6410万米ドルの興行収入を記録。2001年、キャメロンはサンダンス映画祭でプレミア上映された自主ドラマ『姉のいた夏、いない夏。』に主演し、1970年代のヨーロッパで自殺した若い女性を演じ、翌年には『バニラ・スカイ』に出演し、自分勝手で虚栄心の強い出版界の大物(トム・クルーズ)の元恋人を演じました。ロサンゼルス・タイムズ紙は彼女を「狂気の官能の体現者として説得力がある」と評し、ニューヨーク・タイムズ紙は「猛烈に感情的」な演技を見せたと評しました。サンフランシスコ・クロニクル紙も同様に、この映画について「最も印象的なのはキャメロン・ディアスで、運命的な魅力を放つストーカーは悲痛で恐ろしい」と述べています。彼女はこの映画の演技で、ゴールデングローブ賞、SAG賞、批評家チョイス賞、アメリカン・フィルム・インスティテュート賞の助演女優賞にノミネートされました。

2001年にはアニメ映画『シュレック』でフィオナ姫の声を担当。この映画で彼女が演じたのは、日暮れごとに鬼に変身する呪いに悩まされるキャラクター。ドラゴンに守られた城に数年間閉じ込められ、主人公に助けられます。この映画は商業的に大成功を収め、全世界で4億8440万米ドルの興行収入をあげ、アカデミー賞長編アニメ賞を受賞した最初の作品となりました。2002年、ディアスはロマンティック・コメディ『クリスティーナの好きなコト』の主役を務め、理想の男性に出会ったとき、異性を口説く方法を学ぶ独身女性を演じました。同作は世界興収6,860万米ドルと、商業的にはそこそこの成功を収めました。

『シュレック』を完成させた後、キャメロンは、19世紀半ばのニューヨークのファイブ・ポインツ地区を舞台にしたマーティン・スコセッシ監督の大作時代劇『ギャング・オブ・ニューヨーク』に主演し、レオナルド・ディカプリオ演じる主人公の恋敵でスリの運び屋役を演じました。この映画は批評家から好評を博し、興行的にも成功を収め、全世界で1億9300万米ドルの興行収入を記録。ニューヨーク・タイムズ紙のA.O.スコットは、共演のダニエル・デイ=ルイスの存在がキャメロンとディカプリオの影に隠れていることについて、他のトップクラスの批評家と同意見で、

『カジノ』のシャロン・ストーンのように、ディアス女史にはその溌剌としたエネルギーの捌け口がありません。彼女の役柄は人物構成の面で必要とはいえ、映画はもっと深刻な過失を指し示しています。それは、昔のニューヨークで女性の生活がどのようなものであったかという好奇心の欠如です。https://web.archive.org/web/20170915083409/http://www.nytimes.com/movie/review?res=9e06e4d8103df933a15751c1a9649c8b63

次にキャメロンは、商業的に成功した続編『チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』(2003年)と『シュレック2』(2004年)に出演しました。

2005〜2011年:女優として確立

2005年5月、ナショナル・エンクワイアラーが「キャメロンの浮気が発覚」という見出しの記事と写真をウェブサイトに掲載し、キャメロンはアメリカン・メディア・インコーポレイテッドを訴え、多額の名誉毀損賠償金を受け取りました。その写真は、キャメロンが当時交際していたジャスティン・ティンバーレイクがいるにも関わらず、彼女の番組『Trippin’』の既婚MTVプロデューサー、シェーン・ニッカーソンと浮気している様子を写したもの。ディアスが苦情を申し立てた後、記事と写真はウェブから削除され、ハードコピーにはその内容は一切掲載されませんでした。同誌はキャメロン、ティンバーレイク、ニッカーソンと彼の妻に苦痛を与えたことを謝罪し、記事は事実無根であり、写真は友人同士の別れのハグ以上のものではなかったと述べました。

次の出演作『イン・ハー・シューズ』(2005年)では、トニ・コレット、シャーリー・マクレーンと共演。この映画は、ジェニファー・ワイナーによる同名小説を原作とし、2人の姉妹と祖母の関係に焦点を当てたコメディ・ドラマ。この映画は批評家から概ね好意的な評価を受け、キャメロンは、平凡で分別のある姉(コレット)と愛憎の葛藤を繰り広げる偏屈な野生児を演じて絶賛され、USAトゥデイ紙は当時「彼女の最高傑作」と評しました。

ついで、ケイト・ウィンスレット、ジュード・ロウ、ジャック・ブラックらが出演したナンシー・マイヤーズ監督のロマンティック・コメディ『ホリデイ』(2006年)に出演。この映画で彼女は、イギリス人女性(ウィンスレット)とのホーム・エクスチェンジを手配するアメリカ人映画予告編プロデューサー、アマンダを演じました。この映画は、その年最大の商業的成功作のひとつとなり、全世界で2億500万米ドル以上の興行収入を記録。

キャメロンの2007年唯一の出演作は、ティンバーレイクも脇役で出演した『シュレック』シリーズの第3弾『シュレック3』。批評家からの評価は散々でしたが、全世界で7億9800万米ドルの興行収入を記録。同2007年、キャメロンはゲイリー・トラスデールが監督した30分のクリスマス・スペシャルで、フィオナ姫の声も担当。彼女は、『シュレック』続編と、アシュトン・カッチャーと共演した次回作『ベガスの恋に勝つルール』への出演で、2008年6月までの1年間に推定5,000万米ドルを稼ぎました。トム・ヴォーン監督によるロマンティック・コメディで、キャメロンとカッチャーは、見知らぬふたりを演じました。ふたりは、相手のクオーターを賭けて大当たりを引き当てた後、一緒に目覚め、結婚したことを知ります。批評家の評価は芳しくなありませんでしたが、それでも3,500万米ドルの予算で2億1,900万米ドルの興行収入を記録しました。

2009年には『私の中のあなた』と『運命のボタン』に主演。ジョディ・ピコルトの同名小説を原作とする『私の中のあなた』は2009年6月に公開され、評価は分かれました。このドラマでキャメロンは、元弁護士で3人の母親を演じています。商業的には中程度の成功を収め、全世界で9,500万米ドルの興行収入を得ましたが、そのほとんどが国内での興行でした。1976年を舞台にしたリチャード・ケリー脚本・監督の『運命のボタン』では、キャメロンとジェームズ・マースデンが、謎の男から箱を受け取ったカップルを演じました。謎の男は、箱の上にあるドームに封印されたボタンを押せば100万ドルをくれるといいます。このサイコ・ホラー映画に対する批評家の反応は賛否両論で、予算は回収したものの、経済的には期待外れと見なされました。

2010年、フォーブスはキャメロンを最も裕福な女性セレブとしてランク付けし、最も裕福な100人中60位にランクインさせました。また同2010年、キャメロンは『シュレック』シリーズ第4弾『シュレック フォーエヴァー』でフィオナ姫の声を再び演じました。同年、キャメロンは30分のハロウィン・スペシャルでもフィオナ姫の声を担当。

さらに2010年、キャメロンはアクション・コメディ映画『ナイト&デイ』に出演し、『バニラ・スカイ』の共演者トム・クルーズと再会。この映画で彼女は、シークレットサービスから逃亡中のクルーズ演じる風変わりな秘密諜報員ロイ・ミラーに、知らず知らずのうちに巻き込まれていくクラシックカーの修復士を演じています。この映画は賛否両論の批評を受け、公開直後の興行成績は振るわなかったものの、全世界で2億6200万米ドルの興行収入を記録し、スリーパー・ヒットとなりました。

2011年、キャメロンは1940年代の映画『グリーン・ホーネット』のリメイク版でジャーナリストのレノア・ケース役に抜擢されました。ミシェル・ゴンドリー監督によるこのスーパーヒーロー・アクション・コメディ映画で、キャメロンはセス・ローゲン、ジェイ・チョウ、クリストフ・ヴァルツと共演。批評家から「大げさで、間延びした、笑えないアップデート」と酷評されながら、2011年4月21日に劇場公開を終了。

同2011年、ジェイク・カスダン監督の成人向けコメディ『バッド・ティーチャー』でティンバーレイク、ジェイソン・シーゲルらと共演。この映画でキャメロンは、生徒を罵倒し、大酒を飲み、マリファナを吸う、架空のジョン・アダムス中学校の教師を演じています。不道徳で金食い虫の教師をキャメロンは魅力的で図太い演技と有望なコンセプトで臨みましたが、映画の面白さは欠けると低評価。しかし商業的にはヒットし、このR指定コメディは全世界で2億1600万米ドルの興行収入を記録しました。

2011年、キャメロンはCEOWorld誌の「トップ女性エンターテイナー」に選ばれました。

2012〜2014年:コメディーに注力

2012年、キャメロン・ディアスは『恋愛だけじゃダメかしら?』(カーク・ジョーンズ監督、同名の妊娠ガイドが原作)に出演。彼女は、2週間でシーンを撮影し、セレブリティ・ダンス番組の出場者であり、ダイエット・フィットネス番組の司会者でもあるジュールズ・バクスターを演じました。公開時、この群像コメディはほとんど否定的な批評を受けましたが、全世界で8,440万米ドルの興行収入を上げ、商業的にはそこそこの成功を収めました。この年のキャメロンのもうひとつの作品は、マイケル・ホフマン監督、ジョエル&イーサン・コーエン脚本による1966年の同名映画のリメイク『モネ・ゲーム』。キャメロンはまた、モンティ・パイソンの卒業生グラハム・チャップマンの人生を(意図的に)まったく不正確に描いた英国のコメディ・アニメ映画『モンティ・パイソン ある嘘つきの物語 グレアム・チャップマン自伝』(2012年)でジークムント・フロイトの声を演じました。

キャメロンの2013年唯一の映画プロジェクトは、マイケル・ファスベンダー、ハビエル・バルデム、ペネロペ・クルス、ブラッド・ピットと共演したリドリー・スコット監督の『悪の法則』。貪欲、死、人間の原始的本能とその結末を描いたこのスリラーで、ディアスは病的な嘘つきで社会病質者、エキゾチック・ダンサーとしてのみだらな過去から逃れ、今は上流階級の生活を送っている移民を演じています。この映画の評判は芳しくなかったのですが、彼女の演技は近年で最高のものだと賞賛されました。

キャメロンの2014年最初の映画は、ニコライ・コスター=ワルドー、レスリー・マン、ケイト・アプトンと共演したロマンティック・リベンジ・コメディ『ダメ男に復讐する方法』。この映画は、安っぽい笑いに落ち着いたと感じた批評家たちからほとんど否定的な批評を受けましたが、3日間で2,470万米ドルの収益を上げ、アメリカの週末興行収入のトップに立ちました。同作は最終的に、全世界で1億2600万米ドルの興行収入を上げ、商業的にはそこそこの成功。この役でキャメロンは複数のヌード場面を演じる必要があり、ヌード出演の決定について、こう語りました。「みんな私のお尻を見た。お尻の上も下も見せた。ストーリーの一部であるかぎり、ヌードになることに反対はしない。それが正しいことなら、どんなことでもやる!」と。

その年のキャメロンの最後の出演作は、クヴェンジャネ・ウォーリス、ジェイミー・フォックス、ローズ・バーンと共演した映画化作品『ANNIE/アニー』。12月に公開された本作は、全世界で1億3,300万ドルの興行収入を記録しましたが、ディアスの演技は賛否両論の評価を受けました。『ローリング・ストーン』のピーター・トラヴァースは、彼女が「ヒステリーを起こすほど過剰な役作り」をしていると述べています。キャメロンは『ANNIE/アニー』の公開後に女優業を休止することを決め、2017年7月に「撮影のための移動に疲れた」ことを理由に、翌2018年3月に引退を表明しました。

2014年~現在:女優業休止と復帰

2013年末、キャメロン・ディアスは健康本『The Body Book: Feed, Move, Understand and Love Your Amazing Body』を出版しました。 これはサンドラ・バークとの共著で、同書はニューヨーク・タイムズ紙のベストセラーで2位となりました。その後、『The Longevity Book: The Science of Aging, the Biology of Strength, and the Privilege of Time』を2016年6月に刊行。その後、シード・ヘルスや現代鍼灸など、健康とバイオテクノロジーの新興企業に投資しています。2019年5月、The Infatuationが毎年開催する食の祭典「EEEEEATSCON」で基調講演を行ないました。

2020年、キャメロンはビジネスパートナーのキャサリン・パワーとオーガニックワインのブランド「Avaline」を立ち上げました。

2022年、彼女は『RuPaul’s Drag Race All Stars』の第7季開幕エピソードにゲスト審査員として出演し、この番組の大ファンであることを明かしました。出場者のトリニティ・ザ・タックは、「登場する審査員のなかには存在感がない人もいるようですが、彼女はとても博識でした 」と述べています。

2022年6月、キャメロンはNetflixのアクション・コメディ『バック・イン・アクション』でフォックスと共演し(『ANNIE/アニー』以来の再会)、女優業に復帰することを発表(公開は2025年 1月)。2024年3月、ディアスは『フィーリング・ミネソタ』で共演したキアヌ・リーブスとともにアップル・オリジナル映画『Outcome』に出演する交渉中だと発表。2026年7月1日公開予定の『シュレック5』では、フィオナ姫の声優を再び務めます。

私生活

交際相手と家族

1990年から1994年まで、キャメロン・ディアスはLAギアの広告撮影中に日本で出会ったビデオ・プロデューサーのカルロス・デ・ラ・トーレと同棲していました。ここから彼女の恋愛遍歴が続きます。

  • 1996年1月から1998年9月まで…『ゼアズ・ サムシング・アバウト・メアリー』の共演者マット・ディロンと交際
  • 1999年から2003年にかけて…俳優・歌手のジャレッド・レトと婚約
  • 2003年4月から2006年12月まで…
  • 歌手のジャスティン・ティンバーレイクと交際
  • 2010年5月から2011年9月まで…元ニューヨーク・ヤンキースのアレックス・ロドリゲスと交際

そしてキャメロンは2015年1月5日、カリフォルニア州ビバリーヒルズの自宅でミュージシャンのベンジー・マッデンとユダヤ教式で結婚。ふたりはその10カ月前に、マッデンの双子の兄ジョエルと結婚している彼女の親友ニコール・リッチーから紹介されていました。2019年12月、夫妻は代理母妊娠で第1子となる娘を授かりました。2024年3月、夫妻に第2子となる息子が誕生したことが発表されました。

露骨なメディアと訴訟

1992年5月、キャメロン・ディアスはプロの写真家ジョン・ラターによるSMレザー・ファッション・ランジェリーの編集のためにトップレスで写真とビデオを撮られました。その写真とビデオは公開されませんでした。『チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』公開を控えた2003年、ラターはキャメロンに接触し、写真とビデオを350万米ドル(2023年では580万米ドルに相当)で売りたいと申し出ました。彼女はこれを脅迫未遂とみなして彼を提訴。2004年7月、『She’s No Angel』と題された30分の撮影ビデオがロシアのウェブサイトに公開されました。ラターはその公開を否定。2005年9月16日、ラターは重窃盗未遂、偽造、偽証の罪で3年以上の実刑判決を受けました。

その他の仕事

環境保護活動

キャメロン・ディアスは環境保護活動家として知られ、トヨタのハイブリッド車プリウスをいち早く採用し、アル・ゴアの「ライブ・アース」キャンペーンを推進し、気候変動への関心を高めました。ディアスはジョージ・W・ブッシュ政権に批判的でした。『チャーリーズ・エンジェル』の宣伝で、「ブッシュの息子には投票しない!」と書かれたTシャツを着ていました。キャメロンは、イラク戦争とアフガニスタン戦争の退役軍人のための最初で最大の非営利団体であるイラク・アフガニスタン退役軍人アメリカ(IAVA)に関わり、軍人の家族の擁護者として発言しています。

出演作品

キャメロン・ディアスの出演作品はたくさんあるので、別途にページを設けています。彼女の出演映画の一覧はキャメロン・ディアスの出演作品をご覧ください。

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