岩下志麻

女優・モデル
この記事はPRを含みます。作品紹介のうち「あらすじ」と「見どころ」に若干の誇張表現があり、他の項目は正確または率直な表現にしています。
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岩下志麻

岩下志麻は日本の女優。

芸術エロチシズム映画の大スターで、演技をしない演技派です。

岩下志麻は1941年に日本の東京銀座に生まれました。

ホームドラマの娘役からメロドラマのヒロイン役を経て、「五瓣の椿」以降、芸術エロチシズム映画の大スターになりました。

一番有名な映画は「極道の妻」シリーズ。それ以前の志麻ちゃんは、どちらかというとキュートな女優。

好きな花は薔薇、好きな色は薄紫とのこと。

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略歴

両親はともに新劇俳優で父は野々村潔(本名・岩下潔)、母は山岸美代子(本名・岩下美代子)。

1960年に松竹へ入社。

同年公開の篠田正浩監督「乾いた湖」でデビュー。

それから、役柄が増えていき、女性の情念を華麗に演じる女優として日本映画界で高い水準に達しました。

小学生

岩下志麻は小学校入学から高校卒業まで東京の吉祥寺で過ごしました。

母が劇団「前進座」の河原崎長十郎の妻しづ江と姉妹の関係にあり、1棟形式で7棟ある前進座の集合住宅の近くに暮らしました。

そこを会場にした東京公演の時に志麻は毎日劇場に通い、アイスクリーム販売をしました。

小学生の頃から日本舞踊を学びます。

中学生・高校生

日本舞踊では、中学生では遠縁の岩井紫若に師事。

小学生の頃から男役が多かったそうです。

その傍らで精神科医をめざして受験勉強や日常勉強に没頭。

もう勉強がたたり、都立武蔵高校2年生の時に4ヶ月間の入院。

血沈が通常の150倍に増え、脊椎カリエスとも診断されました。最終的な病名は小児リューマチ熱。

この入院のため休学し、高校2年生を次年度も続けることになりました。

2回目の高校2年生の時(1958年)、父の友人に頼まれてNHKの連続テレビ・ドラマ「バス通り裏」に十朱幸代の友達役として出演。このドラマは生放送。

ここで準レギュラーとなり、1週間に2回ほど下校中にNHKの銀座スタジオに通うことになりました。

かなり忙しくなったので、自由な校風である私立明星学園に転校。

大学生

「バス通り裏」出演をきっかけに仕事が増えていきました。

でも、希望どおり大学受験し、1960年に成城大学文芸学部に進学。

大学生の頃の志麻ちゃんは精神科医になることは諦めていて、かといって女優になることにも躊躇っていた時期でした。

映画デビュー後

「週刊現代」1965年6月17日号、表紙。カバーモデルは岩下志麻、撮影は秋山庄太郎。

1967年3月3日、岩下志麻は篠田正浩監督と結婚。

独立プロダクション「表現社」を設立し、1976年に松竹を円満退社しました。

その後は夫婦共同で映画制作に取り組み、テレビ・ドラマに出演したり化粧品や電化製品のコマーシャルに登場したりするようになります。

ほかの女優には越えられなかった映画「極道の妻たち」シリーズの貫録とは裏腹に、キュートな一面を覗かせる象印魔法瓶の宣伝はとくに印象的です。

次の写真は岩下志麻が出ていた化粧品会社メナードの広告です。

メナードの広告誌「Shirayuri」Menard News、1992年9月号。モデルは岩下志麻。

「美へのいざない Guide to Beauty」メナードの広告誌「Shirayuri」Menard News、1992年9月号。モデルは岩下志麻。

志麻さんは和装も似合いますが、洋装もかなり映えますね。

映画女優初期のエピソード

笛吹川 : 1960年

1年生の時に松竹映画から新人契約の話をもってこられ、目標を失っていた時期ゆえに気楽に契約をします。

最初の撮影は「笛吹川」で1ヶ月半ほどロケが続きました。

これを機に志麻の女優願望が高まるわけではありませんでした。

この1本で女優を辞めようかと思っていると、松竹の新人契約は3年契約だということを知らされます。

乾いた湖 : 1960年

そこに、当時松竹が行なっていた新人監督起用方針により、助監督から監督へ抜擢された篠田正浩から強い出演要請を受けます。

篠田の2本目の監督作品「乾いた湖」でした。

監督はこの映画の女子大生役を探していました。

結局、「乾いた湖」が「笛吹川」より先に公開されたため、「乾いた湖」がデビュー作となりました。

秋日和 : 1960年

志麻の3作目となったのが、小津安二郎監督の「秋日和」。

ベテランの俳優・女優でも100回撮り直すことがある小津の撮影で、志麻の演技は1回でOKとなります。

小津の作品は生の人間を描くため、無心になって演技をしないとOKは出にくいのです。

志麻は自伝のなかで「人形に血を通わす」必要があると、小津映画の特徴を指摘しています(岩下志麻「鏡の向こう側に」主婦と生活社、1990年、77頁)。

この特徴は的確で「日本映画女優史」も次のように指摘されています。

小津安二郎は、美しい女優を、ほとんど演技らしい演技もさせずに、まるでお人形のように画面のしかるべき一にきれいに飾っておき、それでいてその女性を、生き生きとした血の通った、ふくよかな情感のある女性に仕上げてみせる名人であった。
(佐藤忠男・吉田智恵男編著「日本映画女優史」フィルム・アートシアター、1975年、218頁)

秋刀魚の味 : 1962年

「秋日和」から2年後に志麻は再び小津の作品に出演します。

この2年間で志麻には女優の癖が付き、血の通う人形ではなくなっていました。

秋刀魚の味」の撮影では1回でOKが出なくなったのです。

この映画での役柄は母を失い、父と二人暮らしをする娘役でした。

自分の好きな男性が他人と婚約した話を聞いて、ミシンを前にして一人で寂しくしている場面を撮影する時に、小津は巻尺を使うことを提案します。

呆然としながら手中で巻尺を3度回しながら引っ張り出し、1度ふわっと戻し、再び2度回してふわっと戻すという場面です。

この単純な演技でなかなかOKがもらえなかたっと、志麻は回想しています(岩下志麻「鏡の向こう側に」)。

私はこの映画の中で、父(演・笠智衆)と部下と一緒に、恋の終わりを話す志麻さんの姿がとても印象的です。

広い襟の白色ブラウス、黒色のカーディガン、赤色のロングのスカート、そして星座の後ろ姿から顔を覗かせる白色の靴下。

配色が登場人物の状況を端的に示しています。

志麻さんの姿も娘と女性の両方を上手く表現しています。

その後

当時の松竹はメロドラマ路線を復活させる意欲。

そのために「あの波の果てまで」で岩下志麻を起用して大ヒット。

この作品で松竹の看板女優となりました。

下の雑誌表紙は「好人好日」撮影直後、「あの波の果てまで」完結篇の撮影に入った頃。

小さい頃から泳ぎが好きだったのに、この映画のために会社から水泳を禁止されたそうです。

「芸能画報」1961年10月号、帽子提供・東京そごう。モデルは岩下志麻。

卑弥呼: 1974年

卑弥呼」は篠田正浩監督、岩下志麻主演の夫婦コンビで作られた映画。

志麻の演技力が遺憾なく発揮されて、卑弥呼を魔女風に強いキャラに仕上げています。

次の雑誌表紙は「婦人画報」から。

「卑弥呼」撮影前の時期に写されたものです。

「婦人画報」1973年2月号。カバーモデルは岩下志麻。

巻末の「表紙のひと」を書いた竹内篤によると、岩下志麻はイヴ・サンローランのトップモードが映えると称賛。

この撮影時期はTVドラマの撮影が終わった後。

また、デビュー当初からの写真を集めたシネアルバム「岩下志麻」が出版され、一時的な休暇期間でもありました。

休暇が終われば前年から準備の進む「邪馬台国」の撮影に入ります。

マイホームの幸せに浸るような温い女優ではなく、筆者は「どこまでも女優」と志麻ちゃんのスタンスを評価。

鬼畜 : 1978年

「別冊文藝春秋」1957年4月号に掲載され、のちに短編小説化された松本清張の「鬼畜」。

この小説は1978年10月7日に製作・配給松竹のもとで映画化されました。

野村芳太郎監督、岩下志麻・緒形拳主演、衣裳提供は松竹衣裳。

この映画でお梅役となった岩下志麻は、タイトルどおりなかなか鬼畜。

夫の愛人の子供たちと共同生活をするも虐待や育児放棄し、直接・間接的に殺してしまう女性を演じました。

もっとも、当然ながら夫も悪く、その点も強く描かれた複雑な作品です。

上映後、岩下志麻は篠山紀信との対談で、次のようなコメントを述べています。

表紙の人との簡単な対談をまとめた「紀信の表紙 おんな女おんな」という連載から。

紀信の眼 髪もきれいに結いあがり、着付けもバシッと終わった。岩下さん、枯葉の上に寝転んでもらいたいんだけど。「いいわ、わたし寝るの大好き。ちょっと帯がじゃまね」
帯をほどいて、せっかく結った髪もバラバラに、ポラロイドを見ながら、
「色っぽいわねえ。いいの、こんなのが表紙で。でも20代のころ、篠山さんにあの写真撮っておいてもらってよかったわ」
彼女が29歳の時、僕が撮ったヌード写真のことである。
志麻一言 子供を殺す役で、毎日ヒステリーの演技ばかり。だから鬼面みたいになったわ。

出典「週刊朝日」1978年11月17日号、通算3156号、23頁

「鬼畜」上映後の岩下志麻。「週刊朝日」表紙、1978年11月17日号、通算3156号。

篠田正浩との結婚 : 結婚の条件と女優業の継続

先述のとおり、映画での共同作業をとおして、1967年3月3日に岩下志麻は篠田正浩監督と結婚しました。

「家事はしない」が結婚の条件でした。篠田はこれに対して快諾します。

女優にとって家庭は休息の場であるべきで、軽くストレスの解消になれば家事も良いが、負担になるならやらないことと、篠田は理解しました(「鏡の向こう側に」127頁)。

また、女優は家庭の疲れをもたずに撮影現場へ行くべきだとも考えていました(「婦人公論」2003年1月22日号、13頁)。

出演映画の感想

「極道の妻たち」のシリーズ

20歳くらいの頃、「極道の妻たち」のシリーズで志麻さんの出演映画をまとめて見ました。

その後、「北の螢」「鬼龍院花子の生涯」「この子の七つのお祝いに」など1980年代の作品群を見ました。

小津監督の2作品を見たのは40歳くらいで、20代で見ていたら志麻さんのキュートな面をもっと早く知れたのにと少々残念。

「疑惑」

どの出演作品も志麻ちゃんは和装が中心ですが、日本のファッション・デザイナー森英恵が述べたように洋装も似合います。

映画「疑惑」は女性弁護士を貫録たっぷりに演じたものです。

裁判仕事で洋装、プライベートで和装を多く着ています。

どんな服を着てもエロティックな衝撃を与えられる女優は志麻さんが最高水準にいると痛感します。

「卑弥呼」

このような思いを抱くようになったのは、レアな映画「卑弥呼」(篠田正浩監督)。

20代半ばか30歳頃に深夜テレビで見たように思います。

詳しい見どころや感想はこちらをご覧ください。

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この記事を書いた人
なむ

50代前半の既婚男性。元大学教員、現寺院職員。趣味は自転車遍路と映画・ドラマ視聴。詳細は名前リンクをクリックしてください。

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