戦後の映画女優:岩下志麻、藤純子、梶芽衣子を中心に

コラム なむ語る
この記事はPRを含みます。作品紹介のうち「あらすじ」と「見どころ」に若干の誇張表現があり、他の項目は正確または率直な表現にしています。
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近年、さまざまな動画配信サービスが広がって、テレビだけでなく衛星放送やインターネットをとおしてレトロ映画を見られる機会が増えました。

ここでは、岩下志麻藤純子梶芽衣子を中心に戦後の映画女優たちをとりあげ、戦後日本映画史をまとめています。

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戦後の映画女優:岩下志麻、藤純子、梶芽衣子を中心に

かつて、悲恋メロドラマは日本映画の一大ジャンルでした。

1960年代になると、悲恋メロドラマを中心にした女性映画があれこれと不人気になりました。

それまで、身分違いを理由に、男女の仲を引き裂いくドラマが作られてきましたが、高度成長が進むにつれ、身分は結婚の障害ではなりだしたのです。

つまり、ヒーローとヒロインが結婚するときの障害が、映画の設定にそぐわなくなってきました。

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岩下志麻

それでも松竹は女性メロドラマ路線に今一度の期待をかけました。

新人の岩下志麻のデビューです。

松竹は岩下志麻を悲恋のヒロインとして積極的に売り出したのです。

しかし、女性映画の黄金時代は帰ってきませんでした。

辛うじて当時の名作に挙げられる松竹の女性映画は次の作品たち。

  • 木下恵介監督・高峰秀子主演「永遠の人」…夫に対する女性の強烈な憎悪を描く
  • 吉田喜重監督・岡田茉莉子主演「秋津温泉」…第2期フェミニズムを謳いあげる
  • 中村登監督・司葉子、岩下志麻主演「紀ノ川」…地方旧家の女性の年代記を描く

1960年代、山田洋次監督作品「家族」「故郷」でヒロイン役を演じた倍賞千恵子は、松竹の経営安定に一助しました。

いずれの作品でも倍賞千恵子は、しっかり者で苦労人の庶民女性として主演。

山田監督と倍賞千恵子主演のコンビ重要な映画は、松本清張原作「霧の旗」です。

この作品は、無実の罪で死んだ兄の弁護を頼んだのに引き受けてくれなかった弁護士に対して、筋違いの復讐をする貧しく若い女性の物語。

一見平凡な女の心の底に潜んでいる意地の恐しさに、なにか厳粛な気分にさえもなる映画であり、これが彼女の代表作となりました。

チャンバラの東映

女性映画の衰退期に興行的に好調だったのは、前記のアクション路線の日活よりも以上にチャンバラの東映でした。

チャンバラにも女優は必要ですが、チャンバラ映画に女優は彩りにすぎません。これらの男優たちに一時期主演と張り合えた女優は美空ひばり一人くらい。

もっとも、東映でも東京撮影所ではあまりパッとはしませんが、現代劇をつくっていました。

ここでは、今井正や家城巳代治などの社会派リアリズム監督のもとで、中原ひとみ・中村雅子・丘さとみなどが、1950年代後半に労働者や農民の健康な少女としてさわやかな演技を残しました。

また、田坂具隆監督の力作「五番町夕霧楼」で純情薄幸の娼婦を可憐に演じた佐久間良子が育ちました。

しかし、1963年頃からはじまった任侠映画の流行に、京都撮影所も東京撮影所もともに呑み込まれてしまうと、これらの女優たちも宝の持ち腐れになりました。女剣戟ものを除いて、任侠映画ではやはり女優は彩りでしかないからでした。

藤純子

ただ、その女剣戟という特殊なジャンルのなかから、1960年代半ばにおける最大の人気女優である藤純子が現れ、女だてらに剣をふりまわすことによって、日本女性の美しさの一頂点を見せたことは特筆に値します。

彼女が1972年に引退すると同時に、東映任俠路線も十年にわたる流行の幕を閉じました。そしてブームとなったのはポルノ路線でした。

東宝

東映がチャンバラから任俠映画へ行き、松竹が女性メロドラマの時代を終えて喜劇路線に移行していた頃、東宝はひたすら、青春物やサラリーマン喜劇に執着していました。黒沢明が時代劇の大作を作りましたが、そこで堂々と三船敏郎や志村喬と渡り合えた女優は山田五十鈴だけでした。

成瀬巳喜男・高峰秀子のコンビは健在で、いちおう水準作はありましたが、あまりパッとはしません。1960年代後半の高峰秀子の代表作は、夫の松山善三の脚本演出で主演した「名もなく貧しく美しく」です。

司葉子も同じように、ただニッコリしているスターとして出てきましたが、東宝では決定的な作品に乏しく、松竹の小津安二郎作品「秋日和」あたりで、はじめてほんとうにふくよかに開花しました。

小津安二郎

小津安二郎は、美しい女優をほとんど演技らしい演技もさせずに、まるでお人形のように画面のしかるべき位置に綺麗に飾り、それでいてその女性を、生き生きとした血の通った、ふくよかな情感のある女性に仕上げてみせる名人でした。

しかも、そういうお人形のような女優たちの多くは、小津作品に出たあと、たいしてお芝居らしいお芝居の訓練を受けたわけでもないのに、なんとなくふっくらと落ち着いた色気のある女優になったのが不思議です。

小津安二郎の演技指導は女優を鍛えるのではなくて、女優に自分本来の美しさを自覚させるのでしょう。

ポルノと無頼派

おそらく、20世紀第4四半世紀の日本映画会社では、スター女優の仕事は少なく、女優がスターでいられた媒体はテレビでした。

したがって、映画会社でも女優たちのほとんどはテレビ部の所属。1970年代以降、日本映画は映像文化のなかの無頼派的な部分によってだけ辛うじて存在を保ち、ポルノ以外では無頼派的になれない女優たちの需要は極端に乏しくなりました。

藤純子と梶芽衣子

真に女優らしかった女優の最後の大物が任俠映画の藤純子でした。一時期、彼女になりかけていた女優は「女囚さそり」シリーズ、暴力劇画調作品の梶芽衣子でした。

多くの観客は、藤純子の艶やかな剣さばきや凛々しい啖呵にうっとりし、弱きを助け強きを挫くおきまりのストーリーにバカバカさを百も承知のうえで感動していました。

その彼女が、歌舞伎界の名門の御曹子との結婚のために映画界を引退し、権威づけられた幸福な上流社会の主婦の座に心から満足している姿をテレビや広告写真で見ることになりました。

このことは当然なのであってケチをつける理由は一つもないと、これまた百も承知のうえで、日本映画の無頼派性もまた、ほんらい無頼派ではあり得ない層の女性から当然のこととして見捨てられていく実感を味わうこととなったのです。

梶芽衣子にしてもそうでした。

日活ニューアクションの最後の時期にやっとズベ公風の女優として視野に入り、「女囚さそり」でスターダムにのし上がったとき、ポルノ女優以外に女無頼派が存在するという幻想をファンの一部にかきたてるものがあったようです。

「パピヨン」の往年の仏領ギアナの地獄のような監獄よりもまだ酷い女性刑務所のなかでの日々を、怨み一つで生きぬく女性という設定は、バカバカしいという点で藤純子の任侠もの並みでした。

そして、いまや無頼派としてしか生きる道のない日本映画ファンとしては、そのバカバカしさを千も承知のうえで、なにか価値あるものを彼女に認めようとしました。

絵空事の映画

しかし、彼女だって、じつはバカバカしさを承知のうえでそれを演じていたのでしょう。第一作のヒットのあと、撮影がきついから第二作には出演しないとかいってモメた事件などは、ささやかなことながら、やっぱり無頼派とは形のうえだけのこと、べつにそれに心中だてする気はないらしい、という一抹のわびしさも感じられました。

凋落も久しい情勢のなかで日本映画に肩入れしようとする者は、ひがみっぽくなっていました。無頼を装うのはあくまでも上辺だけのこと、という様子をちょっとでも示されると、全く当然と承知のうえでどうせ映画は絵空事ですからね、という気分になったものです。

無頼派としてしか生きのびられなかった日本映画のなかに、ブルジョア層に属するスターたちが存在すること自体が矛盾であり、とくにそれは女性の場合にいちじるしかったのです。

テレビ育ちの女優

とにかく、1970年代以降、女性映画は壊滅に近い状態になりましたが、女優たちはテレビのおかげで映画界の全盛時代にもまして忙しく、じつにさまざまなタイプの女優たちが先と競い合いました。そして、もはや映画から移っていった女優よりも生粋のテレビ育ちの女優のほうが多くなったのです。

池内淳子、大空真弓、三ツ矢歌子、山本陽子、松原智恵子などは、かつて映画で娘役から成長してテレビの人気者になった女優たちでした。また、京塚昌子や光本幸子は、新派出身で映画にもテレビにも活躍しました。

ほかに、女優から歌手に転身し、歌手としての人気をテコにして映画にも迎えられた小川知子、モダン・ダンス出身の由美かおる、テレビの人気が先行して映画に主演するようになった真木洋子や松坂慶子など、女優が一人前に育ってゆくコースもきわめて多様化しました。

映画女優がテレビドラマに出るようになった時期、だいたい30代の中年になっていた岩下志麻は、テレビ出演にも積極的な意義を見出していました。

映画はワンシーンごとに演技をしていくので芝居が断ち切れます。これに対してテレビは複数のカメラが同時に一つの芝居を撮影しているので、芝居を続けやすいわけです。

また、複数のカメラがある以上、どこかの場面や角度に普段の自分をさらけ出してしまうこともあり、志麻ちゃん自身、驚くことも多かったと回顧しています(岩下志麻「鏡の向こう側に」主婦と生活社、1990年、205頁)。

栗原小巻

この頃に輝いていた映画女優は、「忍ぶ川」をヒットさせ、「望郷・サン「ダカン八番娼館」で田中絹代の名演と渡り合った栗原小巻

また、純情派として成長していった関根恵子や秋吉久美子、現代的な演技派に成長しつつある高橋洋子、大谷直子、中川梨絵、桃井かおりなども実力がありました。

まとめ

近年、テレビだけでなく衛星放送やインターネットをとおしてレトロ映画を見られる機会が増えました。

ここでは、岩下志麻、藤純子、梶芽衣子を中心に戦後の映画女優たちをとりあげ、戦後日本映画史をまとめました。

かつて、悲恋メロドラマは日本映画の一大ジャンルでした。1960年代になると、悲恋メロドラマを中心にした女性映画があれこれと不人気になりました。辛うじて人気を誇ったのは岩下志麻。

そんななか、チャンバラの東映から藤純子が登場し、東宝は小津安二郎で対抗します。

しかし、日本映画全体のながれはポルノと無頼派に集約され、藤純子についで梶芽衣子がその流れに抵抗できそうでしたが潮流といえるほどには展開せず。

絵空事の映画や映画女優よりもテレビドラマとそこから育った女優たちが台頭していきました。

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