マリナ・ヴラディは1950年代フランス青春映画を代表する女優。
退廃的な雰囲気から強烈な色気を発散。ファム・ファタルをデフォルトで内蔵しています。
映画の輸入が自由化した1950年代、ちょっと斜めに構えた日本の若者を夢中にさせたようです。
不良っぽくて、ふてくされたポーズがとても新鮮。
少女なのにどこか崩れた雰囲気があり、人工的なハリウッドのアイドル・スター とちがって生身の女子。
肉づきの良いボディがセクシー。17歳で出演した「悪者は地獄へ行け」の水着姿は魅惑的(^^)
少女時代から、姉と一緒にオペラ座の踊り子として舞台に出演していました。姉は女優のオディール・ ベルソワ。
- 1949年映画デビュー姉と仏伊合作映画に出演して映画デビュー。
- 1954年スターの座へアンドレ・カイヤット監督の「洪水の前」で娘役を好演し、スターの座へ。
- 1960年娼婦役で有名に「飾り窓の女」で妖艶な娼婦を演じて有名に。
なお、俳優・監督のロベール・オッセンをはじめ、4回の結婚歴あり。
マリナ・ヴラディ
- 芸名:マリナ・ヴラディ(Marina Vlady)
- 本名:マリーナ・カトリーヌ・ド・ポリャコフ=ベイダロフ(Marina Catherine de Poliakoff-Baydaroff)
- 生年月日:1938年5月10日(86歳)
- 出生地:仏国イル・ド・フランス地域圏オー=ド=セーヌ県クリシー
- 職業:女優
- 活動期間:1949年から現在
- 身長:170cm
- 体重:53kg
- ヘア:ブロンド
- アイ:ブルー
- 親族:女優のオディール・ヴェルソワ(8歳年上の姉)
- 配偶者:①ロバート・ホセイン(1955年結婚、1959年離婚)、②ジャン=クロード・ブルイエ(1963年に結婚、1966年に離婚)、③ウラジーミル・ヴィソツキー(1970年結婚、1980年死去)
- パートナー:レオン・シュワルツェンバーグ(1981年生まれ、2003年没)
- 子供たち:3人
マリナ・ヴラディはスラヴ系フランス人で女優4姉妹の末っ子。フランス語、イタリア語、ロシア語、英語が話せます。
ブロンドかつ巨乳を根拠にブリジット・バルドー型とみる人もいれば、セックス・シンボル以外に演技力をもっていると捉える人もいます。
ゴールデン・グローブ賞に候補されただけでなく、1963年のカンヌ映画祭では「女王蜂」での驚異的な演技力が評価され、最優秀女優賞を受賞。
魅力
マリナ・ヴラディの女優キャリア形成に大きな影響を与えたジャンルが2つあります。
まず、ロシア・ドラマからの影響。姉妹間で愛されてきたチェーホフをマリナも好きでした。
次いで、フランス映画とイタリア映画の両方に出演してきた実績。
ジャン・リュック・ゴダールやクリスチャン・ジャックというヨーロッパ最有力監督たちの作品に出演し、冷淡なキャラクターや辛辣なキャラクターを怯まずに演技しました。
また、不作法なコメディやエッジの鋭いドラマにも対応して、演技力の高さを証明してきました。
したがって、ブリジット・バルドーの継承とだけ考えていては、マリナ・ヴラディの演技力を見落とすことになります。
マリナはヌーヴェル・ ヴァーグの降盛にの埒外にいました。
「洪水の前」(1953年)で野性的な青春スターとして売り出した彼女は、アンニュイなムードと、はちきれそうな肉体美をもって、若い世代にアピールしました。
当時のヴラディは反逆する少女像の典型だったのですが、「 悪者は地獄へ行け」(1955年)あたりを最後に、小器用な演技派へ転向しました。
生い立ち
マリナ・ヴラディは1938年にフランスのクリシーで女優4姉妹の末っ子に生まれました。
ロシア生まれの父親はフランスの老舗画家。マリナ自身も彫刻と絵画を得意とします。
マリナは幼少期からバレエ・ダンスの訓練を受け、プリマ・バレリーナになることを期待されていました。
しかし、姉妹と同じようにマリナも演技に親しみを覚えます。そして、1940年代に映画にデビューを果たしていた姉妹たちと同じ道を歩みはじめました。
経歴
デビュー
少女時代に姉のオディール・ヴェルソワと一緒にオペラ座の踊り子として舞台に立ちました。
1949年(11歳)にオディールとともにフランス・イタリア合作映画「Orage d’été」(夏の嵐)に出演し、映画デビュー。
1950年代
1952年の第二次世界大戦映画「Penne nere」にて、マリナは主演のマルチェロ・マストロヤンニと共演し、愛想感漂う演技を見せました。
翌1953年、コメディ・ドラマ「L’età dell’amore」に出演して、イタリアでトップのキャラクター俳優アルド・ファブリツィと共演。
洪水の前
1954年アンドレ・カイヤット監督の青春映画「洪水の前」で、マリナは斬新な娘役リリアヌを演じました。
この出演をきっかけに、憂鬱な表情と見事なブロンドヘアが爆発的人気に拍車をかけて、一躍スターの座に昇りました。
この映画でマリナは1954年度シュザンヌ・ビアンケッティ賞を受賞。姉のオディールも1949年「最後の休暇」で同賞を受賞しています。
「洪水の前」パンフレットからマリナの評価を抜粋してみましょう。
少女リリアヌに扮するマリナ・ヴラディは、この映画に出演した時まだ15歳の少女であったがその見事に成長した美しい姿体、エキゾチックな美貌は洋々たる前途を約束している。Avant le Deluge, 外国映画社、1956年5月、5頁
悪者は地獄へ行け
1955年、17歳のときにマリナは監督・脚本・俳優のロバート・ホセインと出会い結婚しました。
彼女を有名にした映画が「悪者は地獄へ行け」(1955)。
この映画でホセイン監督がマリナに演じさせた役柄は、目立って色っぽく、復讐心に燃えるファム・ファタール役。
おまけに水着姿を披露して世界を魅了させました(でもまだ17歳)。
その後の出演作は
- 1956年:Pardonnez nos offenses
- 1958年:Toi… le venin
- 1959年:La nuit des espions(姉のオディール・ヴェルソワと共演)
1960年代
1960年代にマリナ・ヴラディは、自分の知性や感性の強い感覚を意識して出演映画を選んでいきました。
1960年、「飾り窓の女」で妖艶なムードの娼婦を演じる一方で「クレーヴの奥方」で聖職者らしい魅力を演じました。
女王蜂
1963年、マルコ・フェラーリ監督「女王蜂」に出演。
性的に貪欲な妻の役を演じてファンを動揺させながら、驚異的な演技力が評価されてカンヌ映画祭にて最優秀女優賞を受賞。
1965年にマリナは映画「Falstaff: Chimes at Midnight」に出演。この作品英語を原語にしたスペイン・スイスのドラマで、オーソン・ウェルズが監督しました。珍しくマリナも英語を話しました。
彼女について私が知っている二、三の事柄
この頃の出演映画で特筆すべきはジャン・リュック・ゴダール監督「彼女について私が知っている二、三の事柄」(1967年)。
この作品はエッセイ風の映画で、マリナ・ヴラディはジュリエットという枯れた団地妻の主婦を淡々と演じました。
しゃがれかけた声が絶妙にマッチして、彼女の演技は、ジュリエットと同じように枯れたパリの人々やパリという都市を見事に演出しました。
退廃感といい色気といい、真剣に見れば見るほどジュリエットの存在が強烈です。
1970年代以降
1970年代にマリナ・ヴラディの人気は低下し、人気コメディをはじめとするTVドラマに出演していきました。
1980年代からは社会的・政治的に疑問を投げかける作品に出演。自分の名声を使って、マリナはフェミニストやソーシャリストとして自分の意見を守るようになりました。
また、女性の中絶権利を応援し、アルジェリア戦争に反対し、1968年5月の学生運動を擁護するなど、保守的な識者たちを驚かせました。
出演作品
日本語以外の題名表記は原題または英題です。
映画
公開年 | 題名 | 役割 |
1949 | 夏の嵐 | マリー=テンペット |
1950 | ドゥエ・ソレル・アマーノ | |
1951 | フランス語でごめんなさい | ジャクリーヌ |
1952 | 人生はすべてうまくいく | 小柄なジャクリーヌ |
1952 | 黒い羽根 | ジェンマ・ヴィアネッロ |
1952 | ディアボロの娘 | グラツィエラ |
1953 | 不実な人々 | マリサ |
1953 | フィニッシング・スクール | エルジェイ |
1953 | トゥー・ヤング・フォー・ラブ | アネット |
1953 | カヴァルケード・オブ・ソング | 最愛の乙女 |
1953 | ムソドゥーロ | ルチア・ジャルダーノ |
1954 | 大洪水の前に | リリアーヌ・ノブレ |
1954 | 彼女 | セリーヌ |
1954 | 愛の日々 | アンジェラ・カファッラ |
1955 | ジャコモ・カサノヴァの冒険 | フルヴィア |
1955 | クラヌール | ジュリエット |
1955 | ソフィーと犯罪 | ソフィー・ブリュラール |
1955 | サロ・ヴォン・アンアンファー(フランス語] | エヴァ |
1956 | 愛のシンフォニー | カロリーヌ・エステルハージ |
1956 | ラ・ソルシエール | イナ |
1956 | 私たちの罪をお許しください | デデ |
1956 | 罪と罰 | リリ・マルセラン |
1958 | 監視された自由 | エヴァ |
1959 | 罪と罰 | エヴァ・ルカン |
1959 | 評決 | カトリーヌ・デロッシュ |
1959 | エスピオンの夜 | エル |
1960 | レ・カナイユ | エレーヌ・シャルマーズ |
1961 | 窓辺の少女 | エルゼ |
1961 | クレーヴの王女 | クレーヴ王女 |
1962 | 愛らしい嘘つき | ジュリエット |
1962 | 七つの大罪 | カトリーヌ・ラルティーグ |
1962 | ラ・ステッパ | ドラニツキー伯爵夫人 |
1962 | クライマット | オディール |
1963 | 夫婦のベッド | 王妃 |
1963 | 十分なロープ | エリー |
1963 | 檻 | イザベル |
1963 | 甘酸っぱい | タクシーガール |
1963 | 悪魔を誘惑してはいけない | カトリーヌ・デュプレ |
1965 | ラン・フォー・ユア・ワイフ | ニコール |
1965 | 真夜中のチャイム | ケイト・パーシー |
1966 | OSS117のための東京の熱気 | エヴァ・ウィルソン |
1966 | モナ、名前のないエトワール[フランス語] | モナ |
1966 | モナリザが盗まれた | ニコール |
1967 | 彼女について私が知っている二、三の事柄 | ジュリエット・ジャンソン |
1969 | 生きる時間 | マリー |
1969 | シロッコ・ディ・ヒヴァー [ru] | リカ |
1969 | シロッコ・ディ・ヒヴァー | マリア |
1970 | 一般論 | イマ |
1970 | 戯言のために[fr] | ヴェロニク |
1973 | バミューダトライアングル | クリスティーヌ |
1978 | バミューダトライアングル | キム |
1986 | 若きドン・ファンの冒険 | マダム・ミュラー |
1989 | フォロー・ミー | リューバ |
1989 | 輝き | シャンタル・デュヴィヴィエ |
1992 | ロシアの夢 | カトリーヌ・ザ・グレート |
2010 | 数日間の休息 | ヨランド |
ゴシップ
結婚
1956年にロベールオッセンと結婚したのをはじめ、マリナ・ヴラディの結婚歴は4回。
ホセインとの間に2人の息子がいましたが、結婚生活はわずか数年続しけ続きませんでした。
また、ロシアの詩人・歌手・俳優のヴラジミール・セミョーノヴィチ・ヴィソツキーの未亡人でもあります。
噂によると、ヴィソツキーはアルコールと薬物乱用を数年間も続け、1980年に42歳で心不全で死去。
さらに、彼女の第4の夫は2003年に亡くなりました。
来日
1966年にミシェル・ポワロン監督の「OSS117/東京の切札はハートだ」のロケのため、来日しました。
1992年、佐藤純彌監督の「おろしや国酔夢譚」にて、女王エカチェリーナ2世役でゲスト出演しました。
ファム・ファタル
マリナ・ヴラディは、退廃的な表情をみせる能力に長け、顔面偏差値的にみて暗めの目線や細い唇に退廃的な雰囲気をみせる要素があります。
体格の良さもふくめて、デフォルト段階でファム・ファタルであると感じるのです。
彼女の出演映画がほとんど日本で公開されなかったのが残念。
私自身も視聴した彼女の作品が「彼女について私が知っている二、三の事柄」だけと、乏しいものです。
ただ、この作品は彼女の退廃的な表情が強烈にファム・ファタルを表わしていて、とっても気になりました。
もともとマリナは、姉の影響があってロシア文学やロシア演劇に関心が強く、インテリな雰囲気をもっています。
他方で、冷淡なキャラクターや辛辣なキャラクターを引き受けてきた経歴から、不貞腐れて退廃的な表情や怒っている表情をすることが多く、いろんな事柄に諦念を抱いた女性像を演じられます。
つまり、文化や芸術を堪能したけど人生は詰まらなくて諦めてしまった、こんなツイートが彼女から漏れてくる気がするのです。
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