ミシェル・ファイファー

女優・モデル

ミシェル・マリー・ファイファーは米国の女優。1980年代から1990年代にかけてハリウッドで最も人気を博したスターの一人であり、ゴールデングローブ賞、英国アカデミー映画賞をはじめ、アカデミー賞3部門、プライムタイム・エミー賞1部門にノミネートされるなど、数々の賞を受賞しています。

出演作でもっとも有名な作品とキャラクターは「バットマン リターンズ」のキャットウーマン役とセリーナ・カイル役。この映画でミシェル・ファイファーのキャットウーマンに惚れ込みました。

ミシェルはテレTVビと映画への出演から女優としてのキャリアをスタートさせ、『グリース2』(1982年)で初主演を果たしました。

『スカーフェイス』(1983年)のエルヴィラ・ハンコック役でブレイクし、『イーストウィックの魔女たち』(1987年)と『テキーラ・サンライズ』(1988年)でメインストリームでの成功を収めます。

『愛されちゃって、マフィア』(1988年)でゴールデングローブ賞6部門連続ノミネートの第1作を受賞。『危険な関係』(1988年)と『恋のゆくえ/ファビュラス・ベイカー・ボーイズ』(1989年)ではアカデミー助演女優賞と主演女優賞に2年連続でノミネートされ、後者ではゴールデングローブ賞を受賞しました。

1990年代に最も稼いだ女優のひとりとなったミシェルは、『ロシア・ハウス』(1990年)と『恋のためらい/フランキーとジョニー』(1991年)に主演。1992年には『バットマン・リターンズ』でキャットウーマンを演じ、『ラブ・フィールド』で3度目のアカデミー賞にノミネートされました。また、『デンジャラス・マインド/卒業の日まで』(1995年)など、自身の会社Via Rosa Productionsを通じて、いくつかの長編映画をプロデュースしています。

家庭を優先するため仕事量を減らしたミシェルは、2000年代を通じて散発的に出演し、『ホワット・ライズ・ビニース』(2000年)、『ホワイト・オランダー』(2002年)、『ヘアスプレー』、『スターダスト』(ともに2007年)に出演しました。

再び活動を休止した後、2017年にドラマ『Where Is Kyra?』や映画『マザー!』、『オリエント急行殺人事件』に出演して再び注目を集め、『嘘の天才 史上最大の金融詐欺』のルース・マドフ役でプライムタイム・エミー賞に初ノミネートされました。

2020年、『フレンチ・イグジット さよならは言わずに』で8度目のゴールデングローブ賞ノミネート。ファイファーは『アントマン&ワスプ』を皮切りに、2018年からマーベル・シネマティック・ユニバースでジャネット・ヴァン・ダインを演じています。

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ミシェル・ファイファー

  • 本名:ミシェル・マリー・ファイファー
  • 生年月日:1958年4月29日(66歳)
  • 出生地:米国カリフォルニア州サンタアナ
  • 職業:女優
  • ヘア:ダークブロンド
  • アイ:ブルー
  • ニックネーム:猫のような青い目
  • 活動期間:1978年から現在
  • 配偶者:ピーター・ホートン(1981年結婚、1988年離婚)、デヴィッド・E・ケリー(1993年結婚〜)
  • 子供:2人
  • 親戚:デディー・ファイファー(姉)
  • Instagram:Michelle Pfeiffer
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ファム・ファタル値

配役数:2.0

顔面偏差値:5.0

メイク映え:5.0

ミシェル・ファイファーのキャットウーマンに惚れ込みました。長らく彼女は私の理想のファム・ファタルです。

ただ、他の作品ではファム・ファタル役が少なく追いかけてきませんでした。「アイ・アム・サム」は良かったです。

生い立ち

ミシェル・マリー・ファイファーは1958年4月29日、米国カリフォルニア州サンタアナに生まれました。母は専業主婦のドナ・ジーン(旧姓タヴェルナ)、父は空調工事業者のリチャード・ファイファーで、ミシェルは4人兄弟の2番目。

父方の祖父はドイツ系、父方の祖母はイギリス、ウェールズ、フランス、アイルランド、オランダ系、母方の祖父はスイス・ドイツ・イタリア系、母方の祖母はスウェーデン系です。

ミシェルはファウンテン・バレー高校に通い、1976年に卒業。スーパーマーケットVonsでレジ係として働き、ゴールデン・ウエスト・カレッジに通い、アルファ・デルタ・パイ女子学生社交クラブに所属しました。1978年にミス・オレンジ郡美人コンテストで優勝し、同年のミス・カリフォルニア・コンテストで6位になりました。

これらのコンテストに出場した後、彼女はエージェントを雇ってTVや映画のオーディションを受けはじめました。

デビュー

20歳のとき、南カリフォルニアの大手食料品チェーン「ボンズ」でチェッカーとして働いていたところ自分の天職を発見し、女優になろうと決心。

カレッジをやめて、写真を何枚か撮って履歴書を作ってはいろんなコンテストに応募しました。

ミス・オレンジ・カウンティのコンテストで優勝したのをきっかけに、コマーシャルに出演。

そのあと、テレビドラマの脇役で出演するようになりました。

1993年、ウィメン・イン・フィルムからクリスタル賞を受賞。

恋愛と結婚

1981年、22歳のときに俳優兼監督のピーター・ホートンと結婚。

「グリース2」で映画初出演を果たしたことを新婚旅行中に知りました。ピーターとは1988年に別居し、2年後に離婚。

俳優のフィッシャー・スティーヴンスと3年間交際しましたが、これも破局。

ミシェルは自分の家族をもつまで、これ以上待ちたくないと思い、1993年3月に女児クローディア・ローズを養子に迎えました。

同93年11月13日、弁護士から脚本家・プロデューサーへ転身したデヴィッド・E・ケリーと結婚。

翌94年8月5日に息子ジョン・ヘンリーが誕生し、一家はロサンゼルスから北カリフォルニアへ移住しました。

この記事を書いた人
なむ

洋画が好きです(字幕派)。だいたいU-NEXTで観ています(^^) 詳細は名前をクリックしてください。

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