ヴァレリア・ゴリノ(Valeria Golino)はイタリア・ナポリ出身の女優、映画監督。イタリア語、英語、フランス語、ギリシャ語を話し、国際的に活躍。カンヌやヴェネツィア映画祭で受賞歴多数。モデル出身で、1983年に女優デビュー。監督としても評価が高い。
プロフィール
- 名前:Valeria Golino(ヴァレリア・ゴリノ)
- 生年月日:1966年10月22日(58歳)
- 出生地:イタリア・ナポリ
- 国籍:イタリア
- 職業:女優、監督
- ジャンル:映画、TV
- 活動期間:1983年~
生い立ち・教育
ヴァレリア・ゴリノは、1966年10月22日にイタリアのナポリで生まれました。彼女の父親はイタリア人のジャーナリストであり、ドイツ文学の研究者でもあった人物です。一方、母親はギリシャ人の画家で、芸術的な家庭環境の中で育ちました。彼女の祖母の一人はエジプト系フランス人であり、多文化的な背景を持つことが彼女の人生やキャリアに影響を与えています。両親が離婚した後、ゴリノはアテネとナポリを行き来しながら育ちました。この二つの都市での生活は、彼女の多言語能力や国際的な視野を育む要因となりました。イタリア語、英語、フランス語、ギリシャ語を流暢に話すことができる彼女は、幼少期から多様な文化に触れ、芸術に囲まれた環境で育ちました。母親が頻繁に彼女を映画館に連れて行ったことが、映画への興味を深めるきっかけとなりました。
ゴリノは正式な演技の教育を受けたことはありませんが、14歳の頃からモデルとして活動を始めました。この時期に、彼女の美貌と才能が映画監督リーナ・ヴェルトミュラーの目に留まり、女優としてのキャリアがスタートしました。彼女は高校を中退し、女優業に専念することを決意。この決断は、彼女の人生における大きな転機となりました。モデルとしての経験は、カメラの前での自然な振る舞いや表現力を磨く一助となり、後の女優としての成功の基盤を築きました。
経歴
ヴァレリア・ゴリノの女優としてのキャリアは、1983年にリーナ・ヴェルトミュラー監督の映画「Scherzo del destino in agguato dietro l’angolo come un brigante da strada」への出演で始まりました。この作品で女優デビューを果たし、以降、彼女はイタリア映画stick.css
System: ヴァレリア・ゴリノの経歴は非常に多岐にわたり、イタリア映画だけでなくハリウッドやフランス映画など国際的な舞台で活躍してきました。以下に彼女の主な経歴をまとめます。
初期のキャリア
- 1983年:リーナ・ヴェルトミュラー監督の「Scherzo del destino in agguato dietro l’angolo come un brigante da strada」で女優デビュー。
- 1985年:「Piccoli fuochi」で初主演。
- 1986年:イタリア映画「Storia d’amore」でヴェネツィア国際映画祭最優秀女優賞を受賞。この受賞により一躍注目を集めました。
ハリウッド進出
1988年にアメリカに進出し、ハリウッド映画への出演を開始。彼女の国際的な知名度を高めた作品には以下が含まれます。
- 1988年:「レインマン」(Rain Man) – ダスティン・ホフマン、トム・クルーズと共演し、アカデミー賞4部門を受賞した名作。ゴリノはサブキャラクターとして印象的な演技を見せました。
- 1988年:「ピーウィー・ハーマンの空飛ぶサーカス」(Big Top Pee-wee) – ハリウッドデビュー作。
- 1991年:「ホット・ショット」(Hot Shots!) – コメディ映画でチャーリー・シーンの相手役を務め、コミカルな演技で人気を博しました。
国際的な活躍
ゴリノはイタリアに帰国後もヨーロッパやアメリカの映画に出演し続け、多彩な役柄を演じました。主な作品は以下の通りです。
- 1994年:「不滅の恋 ベートーヴェン」(Immortal Beloved) – ベートーヴェンの恋人役を演じ、情感豊かな演技が評価されました。
- 1995年:「リービング・ラスベガス」(Leaving Las Vegas) – ニコラス・ケイジの相手役として出演。
- 1996年:「エスケープ・フロム・L.A.」(Escape from L.A.) – アクション映画での活躍。
- 1999年:「彼女を見ればわかること」(Things You Can Tell Just by Looking at Her) – アンサンブルキャストの一人として出演。
- 2002年:「フリーダ」(Frida) – フリーダ・カーロの人生を描いた伝記映画に出演。
- 2004年:フランス映画「36, Quai des Orfèvres」 – 脇役ながら存在感を示しました。
ヨーロッパ映画への回帰とさらなる活躍
2000年代に入ると、ゴリノはイタリアやフランスなどヨーロッパ映画界に活動の場を移し、多彩な役柄で活躍を続けました。2004年にはフランス映画「36, Quai des Orfèvres」で脇役として出演し、2008年の「Cash」では主要な役を演じました。また、2004年の「Sacred Heart」では、監督フェルザン・オズペテクが彼女のために書き下ろした役を演じる予定でしたが、個人的な理由により降板。代役はバルボラ・ボブローヴァが務めました。2006年には、テオドロス・アンゲロプロス監督の「The Dust of Time」にキャスティングされましたが、スケジュールの都合で降板し、イレーヌ・ジャコブが代役を務めました。
2013年には、映画「人間の値打ち」(Il capitale umano)でイタリア映画界での存在感を改めて示し、批評家から高い評価を受けました。2015年には「あなたたちのために」(Per amor vostro)で2度目のヴェネツィア国際映画祭最優秀女優賞を受賞し、彼女の演技力の高さを再確認させました。2017年には「エマの瞳」(Il colore nascosto delle cose)で主演を務め、繊細な演技で観客を魅了しました。
監督としてのキャリア
ヴァレリア・ゴリノは女優としての成功に加え、監督としても注目を集めています。2010年に短編映画「Armandino e il Madre」を監督し、脚本も手がけました。この作品はパスタ・ガロファロ社によるプロジェクトで、彼女の監督としての才能を示す第一歩となりました。2013年には初の長編監督作品「Honey」(Miele)を発表。この映画はカンヌ国際映画祭の「ある視点」部門で上映され、エキュメニカル審査員賞の特別表彰を受けるなど高い評価を得ました。2018年には2作目の監督作品「Euforia」を発表し、再びカンヌ国際映画祭の「ある視点」部門で上映。主演のリッカルド・スカマルチョの演技が特に称賛され、ゴリノの監督としての力量が広く認められました。2024年にはテレビシリーズ「L’Arte della Gioia」を監督し、第77回カンヌ国際映画祭で上映されるなど、監督としてのキャリアも着実に築いています。
私生活
ヴァレリア・ゴリノの私生活も注目を集めています。2005年から2016年まで、イタリア人俳優のリッカルド・スカマルチョと交際していましたが、結婚には至りませんでした。一部の情報源では2015年に結婚したと記載されていますが、これは正確ではない可能性があります。2018年以降は、24歳年下の弁護士ファビオ・パロンビと交際しており、彼女の国際的な背景と同様に、プライベートでも多様な人間関係を築いています。彼女の私生活は、メディアの注目を集めつつも、彼女自身はキャリアに集中し、プロフェッショナルな姿勢を貫いています。
出演作品(主なもの)
- 1983年: Scherzo del destino in agguato dietro l’angolo come un brigante da strada(女優デビュー作)
- 1985年: Piccoli fuochi(初主演)
- 1986年: Storia d’amore(ヴェネツィア国際映画祭最優秀女優賞受賞)
- 1988年: ピーウィー・ハーマンの空飛ぶサーカス
- 1988年: レインマン
- 1991年: ホット・ショット
- 1994年: 不滅の恋 ベートーヴェン
- 1995年: リービング・ラスベガス
- 1996年: エスケープ・フロム・L.A.
- 1999年: 彼女を見ればわかること
- 2002年: フリーダ
- 2004年: 36, Quai des Orfèvres
- 2008年: Cash
- 2013年: 人間の値打ち
- 2015年: あなたたちのために(ヴェネツィア国際映画祭最優秀女優賞受賞)
- 2017年: エマの瞳
- 2019年: ヒットマン:レジェンド 憎しみの銃弾
- 2020年: 燃ゆる女の肖像
- 2020年: カサノバ〜最期の恋〜
- 2010年: Armandino e il Madre(短編映画、監督・脚本)
- 2013年: Honey(Miele、長編監督デビュー作、カンヌ国際映画祭ある視点部門上映)
- 2018年: Euforia(カンヌ国際映画祭ある視点部門上映)
- 2024年: L’Arte della Gioia(TV番組、第77回カンヌ国際映画祭上映)
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