『ハンガリー連続殺人鬼』(原題:A martfüi rém)は、2016年に公開されたハンガリーの映画で、1957年から1967年にかけてハンガリーの田舎町マルトフで起きた実在の連続殺人事件を基にした作品です。
この事件の中心人物であるペーテル・コヴァーチ(映画ではパール・ボグナールという名で登場)は、ハンガリー人民共和国時代に女性を標的とした猟奇的な連続殺人犯として知られています。ここでは、ペーテル・コヴァーチの人物像、事件の概要・経緯・結果について、くわしく解説します。
ペーテル・コヴァーチの概要
ペーテル・コヴァーチ(1934年1月11日~1968年12月1日)は、ハンガリーの歴史に名を刻む連続殺人犯ですが、その個人的な背景については情報が限られています。出身地は公には記録されておらず、謎に包まれた人物です。
彼の犯罪行為は、1957年から1967年にかけての約10年間に及び、特に女性に対する暴行と殺人、そして屍姦という極めて異常な性的嗜好に基づくものでした。コヴァーチは、社会主義体制下のハンガリーという閉鎖的で抑圧的な環境の中で活動し、当時の警察や司法制度の不備もあって、長期間にわたり逮捕を免れていました。このことは、彼の犯罪が社会に与えた衝撃をさらに大きくしました。
コヴァーチの心理的特徴としては、性的不能症に悩まされていたとされ、生身の女性に対しては性的興奮を得られず、死体に対してのみ性的欲求を満たすという異常性が特徴的でした。
このようなパラフィリア(性的倒錯)は、彼の犯罪の動機の核心にあり、被害者への残虐な行為に繋がりました。また、彼の犯行は計画的ではなく、衝動的な側面が強く、特定の状況や刺激によって引き起こされたとされています。たとえば、最初の殺人は、アルゼンチン映画の女性暴行シーンを観た後に性的興奮を覚え、帰路で女性を襲ったことがきっかけだったと記録されています。
事件の概要
ペーテル・コヴァーチによる連続殺人事件は、1957年から1967年にかけて、ハンガリーのマルトフという小さな田舎町を中心に発生しました。この事件は、女性を標的にした一連の暴行と殺人事件で、被害者は若い女性が中心でした。犯行の特徴は、被害者を殺害した後に屍姦を行うという猟奇的な行為にあり、遺体には切り刻まれた痕跡やその他の残虐な痕跡が残されていました。事件の期間中、少なくとも8人の女性が襲われ、うち4人が殺害されました。映画『ハンガリー連続殺人鬼』では、被害者の数は4人の殺害と2人の重傷者として描かれていますが、実際の事件では被害者の数はやや異なる可能性があります。
事件の背景には、当時のハンガリーがソビエト連邦の影響下にあった社会主義体制が大きく影響していました。社会主義国家では、連続殺人や猟奇犯罪は「資本主義社会の腐敗の産物」とされ、公式には存在しないものとされていました。このイデオロギーにより、警察や当局は深刻な犯罪の存在を認めず、捜査はしばしば雑で非効率的でした。さらに、冤罪を生み出すような強引な取り調べや自白の強要が常態化しており、これが本事件の悲劇をさらに深める要因となりました。
事件の経緯
1957年:最初の殺人事件
事件の始まりは、1957年7月22日でした。ペーテル・コヴァーチは、アルゼンチン映画を鑑賞中に女性暴行のシーンに強い性的興奮を覚え、帰宅途中に女性を襲撃しました。被害者は靴工場で働く若い女性で、頭部を凶器で殴られ殺害された後、屍姦されました。この事件では、被害者の交際相手であったヤーノシュ・キリャークが容疑者として逮捕されました。警察の強引な取り調べにより、キリャークは自白を強要され、終身刑を言い渡されました。彼は無実であったにもかかわらず、11年間にわたり投獄されることとなりました。
1964年:連続殺人の再開
キリャークが服役中の1964年、マルトフで再び同様の手口による女性殺害事件が発生しました。被害者の遺体には、以前の事件と酷似した屍姦の痕跡が見られました。この時点で、警察は当初の事件の犯人が服役中であるため、新たな犯人の存在を疑い始めましたが、捜査は進展しませんでした。当時の社会主義体制下では、連続殺人犯の存在を認めることが政治的に都合が悪く、事件の関連性を軽視する傾向がありました。
1964年~1967年:被害者の増加
1964年から1967年にかけて、コヴァーチはさらに複数の女性を襲撃しました。記録によれば、この期間に8人の女性が被害に遭い、うち4人が殺害されました。犯行は夜間や人通りの少ない場所で行われ、被害者は若い女性が中心でした。遺体はしばしば切り刻まれ、屍姦の痕跡が残されていました。警察の捜査は遅々として進まず、被害者が増える一方でした。一部の捜査官は、過去の事件との類似性からキリャークの冤罪を疑い始めましたが、上層部の圧力により、真犯人の追跡は困難を極めました。
1967年:コヴァーチの逮捕
1967年8月11日、ようやくペーテル・コヴァーチは逮捕されました。逮捕の詳細については、具体的な証拠や状況が公開されていない部分もありますが、複数の被害者の証言や物的証拠が積み重なり、彼の犯行が明らかになったとされています。コヴァーチは、取り調べで自らの犯行を認め、異常な性的嗜好に基づく動機を語ったとされています。彼の逮捕により、11年間投獄されていたヤーノシュ・キリャークの冤罪が明らかになり、彼は釈放されました。
事件の結果
ペーテル・コヴァーチの処罰
1967年の逮捕後、コヴァーチは裁判にかけられ、死刑判決を受けました。1968年12月1日、彼は絞首刑により処刑されました。この処罰は、当時のハンガリーの司法制度において、重大な犯罪に対する厳しい対応を示すものでした。コヴァーチの処刑により、一連の連続殺人事件は終結しましたが、事件が社会に残した傷は深く、被害者やその家族に対する影響は計り知れません。
ヤーノシュ・キリャークの釈放と冤罪の影響
コヴァーチの逮捕により、ヤーノシュ・キリャークは11年間の不当な投獄から解放されました。しかし、長い服役生活は彼の人生に深刻な影響を及ぼしました。刑務所内での過酷な扱いや社会からの孤立は、彼の精神と社会復帰に大きな障害となりました。映画『ハンガリー連続殺人鬼』では、キリャーク(映画ではレティという名で登場)の悲劇的な人生が強調されており、冤罪の被害者としての苦しみが描かれています。
社会と司法への影響
この事件は、社会主義体制下のハンガリーにおける警察と司法の腐敗や非効率性を浮き彫りにしました。当局が連続殺人の存在を認めず、強引な捜査で冤罪を生み出したことは、国民の信頼を大きく損なう結果となりました。事件の映画化(2016年公開)により、これらの問題が改めて注目され、ハンガリー映画賞で9部門を受賞するなど、高い評価を受けました。映画は、社会主義時代の抑圧的な雰囲気や、犯罪捜査の杜撰さを効果的に描き出し、現代の観客に当時のハンガリー社会の闇を伝えました。
文化的影響
『ハンガリー連続殺人鬼』は、単なる犯罪映画にとどまらず、社会主義体制下での人権軽視や司法の不備を批判する社会派ドラマとしての側面を持ちます。映画は、ハンガリー国内で歴史的なヒットを記録し、国際的にも高い評価を受けました。批評家からは、事件当時の暗い雰囲気や絶望感を見事に再現した演出、ノワール的な映像美、そして複雑な人間模様が賞賛されています。この事件は、ハンガリーの犯罪史において忘れられない一ページとなり、現代の犯罪捜査や人権保護の重要性を再認識させるきっかけとなりました。
総括
ペーテル・コヴァーチによる連続殺人事件は、1957年から1967年にかけてハンガリーのマルトフを恐怖に陥れた猟奇的な犯罪でした。彼の異常な性的嗜好に基づく犯行は、被害者やその家族だけでなく、社会全体に深いトラウマを残しました。事件は、当時の社会主義体制下の司法制度の欠陥や、警察の非効率な捜査を露呈し、冤罪というさらなる悲劇を生み出しました。コヴァーチの逮捕と処刑により事件は終結しましたが、被害者や冤罪の犠牲者への影響は長期にわたり続きました。
映画『ハンガリー連続殺人鬼』は、この事件を基に、当時の社会の闇と人間の複雑な感情を描き出し、現代の観客に多くのことを考えさせる作品となっています。事件の詳細は、限られた資料と映画の脚色により一部不明瞭な部分もありますが、その衝撃と教訓は今なお色褪せることなく語り継がれています。
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