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エマ・トンプソン

エマ・トンプソン(Emma Thompson)はイギリス人女優、脚本家、活動家。アカデミー賞2回、英国アカデミー賞3回、ゴールデングローブ賞2回、プライムタイム・エミー賞を受賞し、映画、舞台、文学にわたる業績で知られる。2018年にドラマへの貢献でデイム勲章を授与された。

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プロフィール

  • 名前:エマ・トンプソン(Emma Thompson)
  • 本名:デイム・エマ・トンプソン(Dame Emma Thompson)
  • 生年月日:1959年4月15日(66歳)
  • 出生地:イングランド、シティ・オブ・ウェストミンスター、パディントン
  • 国籍:イギリス
  • 職業:女優、脚本家
  • ジャンル:映画、舞台
  • 活動期間:1987年~
  • 配偶者:ケネス・ブラナー(1989年~1995年)、グレッグ・ワイズ(2003年~)
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生い立ち・教育

デイム・エマ・トンプソン(Dame Emma Thompson)は1959年4月15日にロンドンで生まれました。父親はイギリスの俳優エリック・トンプソンで、『魔法のラウンドアバウト』で知られる声優でした。母親はスコットランド出身の女優フィリダ・ローです。創造的な家庭環境で育ち、幼少期から演劇や文学に親しみました。ロンドンのウェスト・ハムステッドで育ち、夏休みにはスコットランドの祖父母の住むアーデンティニー村を訪れ、自然豊かな環境で過ごすことが多かったです。この経験が彼女のスコットランドへの強い愛着を育みました。

教育面では、まずカムデン・スクール・フォー・ガールズに通い、言語や文学への興味を深めました。父親の影響で言葉の美しさに魅了され、将来のキャリアの基盤を築きました。1977年にケンブリッジ大学のニューナム・カレッジに入学し、英語文学を専攻しました。在学中、著名なコメディ・グループ「フットライツ」に参加し、1980年には副会長を務めました。また、全女性キャストのレビューを共同監督するなど、積極的に活動しました。この時期、ヒュー・ローリーとの恋愛関係もあり、1981年のエディンバラ・フェスティバル・フリンジで「The Cellar Tapes」に出演し、ペリエ賞を受賞する快挙を成し遂げました。大学卒業時にはアッパー・セカンド・クラス・オナーズの成績を収め、その後、ピエール・ゴーリエのもとでクラウニングを学びました。1982年に52歳で亡くなった父親の死は家族に大きな衝撃を与え、エマ自身も深い悲しみを抱えましたが、これが彼女の演劇への情熱をさらに駆り立てるきっかけとなりました。こうした生い立ちと教育が、彼女の多才な才能を形成したのです。

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経歴

エマ・トンプソンのキャリアは、1980年代初頭にラジオやテレビから始まりました。1980年にBBCラジオ4の『Injury Time』でデビューし、すぐに舞台やテレビの仕事に進出しました。1982年の『Not the Nine O’Clock News』での舞台出演が注目を集め、翌年のITV番組『There’s Nothing to Worry About!』でコメディセンスを発揮しました。1983年から1984年にかけてのBBCシリーズ『Alfresco』では、ヒュー・ローリーやスティーブン・フライと共演し、批評家から高い評価を受けました。

1985年のウエストエンドでのミュージカル『Me and My Girl』のリバイバル公演でブレイクし、絶賛を浴びました。1987年にはBBCの『Tutti Frutti』と『Fortunes of War』に出演し、両方で英国アカデミー賞テレビ部門最優秀女優賞を受賞する快挙を果たしました。この頃、ケネス・ブラナーと出会い、1989年の映画『ヘンリー五世』や1991年の『死ぬまで生きたかった』で共演するなど、密接なコラボレーションを展開しました。

映画界での本格的な成功は1992年の『ハワーズ・エンド』からで、マルガレット・シュレゲル役を演じ、アカデミー賞主演女優賞を受賞しました。同年の『日の名残り』でもノミネートされ、1993年の『父と息のために』で再びノミネートされるなど、同年に2度のオスカー候補に上る稀有な記録を打ち立てました。1995年にはジェーン・オースティンの『いつか晴れた日に』を脚本化・主演し、脚色賞でアカデミー賞を受賞。演技と脚本の両方でオスカーを獲得した唯一の人物となりました。この作品は彼女の多才さを象徴するものでした。

アンソニー・ホプキンスが『いつか晴れた日に』を称えエマ・トンプソンに第68回アカデミー賞脚本賞を授与(1996年)。

1990年代後半には『プライマリー・カラーズ』(1998年)で政治風刺を体現し、2000年代に入って『ラブ・アクチュアリー』(2003年)で心温まる役柄を披露しました。ハリー・ポッターシリーズ(2004-2011年)ではシビル・トレローニー教授を演じ、幅広いファンを獲得。2005年の『おばあちゃんのファンタジー・ホテル』では脚本・主演を務め、家族向けのヒット作を生み出し、2010年の続編も成功を収めました。

近年では2013年の『メリー・ポピンズ リターンズ』でP.L. トラヴァース役を熱演し、批評家から絶賛されました。2019年の『レイト・ナイト』ではコメディ要素を交えたキャリアウーマンを、2022年の『グッド・ラック・トゥ・ユー、レオ・グランデ』では大胆な役柄で新境地を開きました。舞台では2014年の『スウィーニー・トッド』に出演し、ピーター・ラビット・シリーズの絵本3冊も執筆。2018年には英国ドラマへの貢献で大英帝国勲章デイム・コマンダーを授与され、女優、脚本家、作家としての輝かしい経歴を築き上げました。彼女の仕事は常に社会的な深みを帯び、観客に感動を与え続けています。

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私生活

エマ・トンプソンの私生活は、情熱的な人間関係と家族の絆、そして社会活動で彩られています。スコットランドへの強い結びつきを持ち、ロッホ・エク近くに自宅を構え、ドゥヌーンを頻繁に訪れます。このルーツが彼女のアイデンティティを形成しています。1989年にケネス・ブラナーと結婚しましたが、1987年の『Fortunes of War』での出会いから始まったこの関係は、1995年にブラナーのヘレナ・ボナム=カーターとの不倫が原因で破綻しました。この時期のうつ状態を乗り越えるために仕事に没頭し、徐々に回復しました。

1995年の『いつか晴れた日に』撮影中にグレッグ・ワイズと出会い、恋に落ちました。二人は2003年にドゥヌーンで結婚。1999年に体外受精で生まれた娘ガイアをもうけ、2003年にはルワンダの孤児ティンディェバ・アガバを非公式に養子に迎え入れました。ティンディェバは2009年に英国市民権を取得し、家族の一員として成長しました。現在、家族はロンドンのウェスト・ハムステッドに住み、スコットランドとヴェネツィアにも別荘を持っています。

無神論者であり、政治的にはリベラルで、生涯を通じた労働党支持者です。2015年と2016年にジェレミー・コービンを支持しました。人間の権利擁護に積極的で、ヘレン・バンバー財団の議長を務め、難民評議会の後援者としても活動しています。AIDS啓発や環境保護にも尽力し、グリーンピースの気候変動キャンペーンやヒースロー空港拡張反対デモに参加。絶滅の危機に瀕した反乱(Extinction Rebellion)の抗議活動にも加わり、ジェンダー平等や賃金格差是正を訴えています。また、エルトン・ジョンAIDS財団やガラパゴス保護信託の支援者として、社会的公正を追求する姿勢を貫いています。こうした私生活は、彼女の公の活動に深く結びつき、影響力を高めています。

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出演作品

  • ハワーズ・エンド(1992年):マルガレット・シュレゲル役
  • 日の名残り(1993年):ミス・ケントン役
  • 父と息のために(1993年):ギャレス・ピアース役
  • いつか晴れた日に(1995年):エリノア・ダッシュウッド役、脚本
  • プライマリー・カラーズ(1998年):スーザン・スタントン役
  • ラブ・アクチュアリー(2003年):カレン役
  • おばあちゃんのファンタジー・ホテル(2005年):ナニー・マクフィー役、脚本
  • ストレンジ・センス・オブ・ライフ(2006年):ジュルス・ヒルベルト博士役
  • ブライズヘッド・リヴィジテッド(2008年):マーチメイン夫人役
  • お嬢さん(2009年):校長役
  • おばあちゃんのファンタジー・ホテル2(2010年):ナニー・マクフィー役、脚本
  • メリー・ポピンズ リターンズ(2013年):P.L. トラヴァース役
  • 美女と野獣(2017年):ポッツ夫人役
  • レイト・ナイト(2019年):キャサリン・ニューベリー役
  • クルエラ(2021年):ヘレナ・フォン・ヘルマン男爵夫人役
  • ロアルド・ダールのマチルダ・ザ・ミュージカル(2022年):ミス・トランチブル役

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