佳那晃子は日本の女優。東京都八王子市出身で、本名は関田祐子、旧芸名は大関優子。
1974年に映画『襤褸の旗』でデビューし、妖艶な魅力で人気を集めました。映画『魔界転生』やドラマ『金曜日の妻たちへ』など数多くの作品に出演しました。
2013年にくも膜下出血で倒れ、脳死宣告を受けましたが、夫の献身的な支えで回復を続けています。現在は療養中です。
プロフィール
- 名前:佳那晃子
- 本名:関田祐子
- 別名義:大関優子
- 生年月日:1956年3月8日(69歳)
- 出生地:日本国東京都八王子市
- 身長:158 cm
- 血液型:O型
- 職業:女優
- ジャンル:映画・TV・演劇
- 活動期間:1974年 – 2013年
- 配偶者:源高志
生い立ち・教育
佳那晃子さんは、1956年3月8日に東京都八王子市で生まれました。幼少期は虚弱体質で、小児麻痺や小児リュウマチと診断され、頻繁に病院に通う日々を送りました。
小学校5年生頃から体調が回復し、成績も向上して優等生になりました。お父様は画家で中学校の美術教師をしていましたが、佳那晃子さんはその影響を嫌い、中学校では授業以外で絵を描かなくなりました。中学校卒業まで八王子市で過ごし、高校は東京都立日野高等学校に進学。高校時代は演劇部に入部し、クラスメートと演劇同好会を立ち上げ、脚本も執筆するほど熱中しました。しかし、演劇に没頭しすぎて成績は振るわなかったそうです。
高校卒業後、トキワ松学園女子短期大学絵画科に進学しました。在学中、お父様の友人の画家からテレビ新人女優募集の話を聞き、冗談で応募したところ、NTV主催のミス『水滸伝』コンテストで2位に入選しました。これをきっかけに芸能界入りしました。短大では絵画を学びましたが、芸能活動が本格化し、女優の道を歩むことになりました。
経歴
佳那晃子さんは、1974年、17歳の時に大関優子名義で映画『襤褸の旗』にタキ役でデビューしました。ミス水滸伝コンテストをきっかけに、中村敦夫さんの事務所に入所し、1975年の映画『異邦人の河』で方順紅役、1976年の『はだしのゲン』で大里先生役、『犬神家の一族』で青沼菊乃役、『男組 少年刑務所』で桜魔子役などに出演しました。事務所解散後、新しい事務所に移り、お嬢さん役を中心に活躍しましたが、23歳までに絵のパネルを映画館に掛ける夢を持ち、1980年の映画『ザ・ウーマン』でヌードシーンを含む竹本小伝役を演じ、芸名を佳那晃子に改めました。この芸名は企画者の小池一雄さんが命名しました。以降、妖艶な色気と大胆な演技で人気を博し、1981年の『魔界転生』で細川ガラシャ役(高瀬春奈さんの代役)、1982年の『鬼龍院花子の生涯』でつる役、『大日本帝国』で国吉靖子役、1983年の『陽暉楼』で丸子役、『唐獅子株式会社』で黒田ひろ子役、1986年の『極道の妻たち』で小磯泰子役、『十手舞』でおちか役、1990年の『斬殺せよ 切なきもの、それは愛』でお雪役、『ふうせん』で村井美佐役、『BEST GUY』で吉永由美子役、1993年の『虹の橋』で琴役、1994年の『集団左遷』で柳町良子役、1995年の『江戸むらさき特急』、1995年の『極道の妻たち 赫い絆』で兵頭美佐役、1997年の『なにわ忠臣蔵』で大石陸恵役、1998年の『二宮金次郎物語 愛と情熱のかぎり』でゆきの母役、2000年の『本日またまた休診なり』で和枝役、『NAGISA なぎさ』で杉田民恵役、『修羅がゆく9 北海道進攻作戦』で白城紀子役、2002年の『荒ぶる魂たち』で樋口たか子役など、数多くの映画に出演しました。
TV番組では、1974年の『おしどり右京捕物車』でおとき役から始まり、『必殺シリーズ』で様々な役を演じ、『Gメン’75』で複数役、『同心部屋御用帳 江戸の旋風』でおもと役など、時代劇を中心に活躍しました。1980年代以降も『金曜日の妻たちへ』、『太陽にほえろ!』で杉下啓子役など、サスペンスや現代劇にも出演しました。江戸川乱歩の美女シリーズにも出演(1985年3月、第24回:妖しい傷あとの美女)。
1994年にはヘアヌード写真集『幻想』を発売し、借金返済に充てました。2009年に朗読劇『名作語り 高野聖』で復帰しましたが、2013年にくも膜下出血で倒れ、活動を休止しました。吹き替えでは『コレクター』でサマンサ・エッター役、『ラストエンペラー』でジョアン・チェン役、『西太后』で劉暁慶役を担当しました。CMでは日野・レンジャー、日野・スーパードルフィン、エステー化学の消臭プラグに出演しました。2014年には闘病を記録したDVDをリリースしました。
服飾・美容
佳那晃子さんは、女優として妖艶な美しさを武器に活躍しました。1980年代の映画では大胆なヌードシーンを演じ、セクシーなイメージを確立しました。1994年に発売したヘアヌード写真集『幻想』では、芸術的なヌードを披露し、美容と芸術の融合を表現しました。この写真集は、借金返済の目的もありましたが、佳那晃子さんの美しさを象徴する作品となりました。
普段の私生活では、堅実な生活を心がけ、倹約を美徳としていました。病気療養中も、夫の支えで美容ケアを続け、回復を目指しています。服飾面では、時代劇での華やかな着物姿や、現代劇での洗練されたファッションが印象的です。例えば、『極道の妻たち』シリーズでは、極道の妻らしい力強い服装をまとい、役柄に合ったスタイルを披露しました。美容については、虚弱体質を克服した経験から、健康管理に気を配っていました。ネフローゼ症候群の闘病中も、美容を保つ努力を怠りませんでした。現在も、リハビリを通じて体調維持に努めています。
私生活
佳那晃子さんは、1990年に放送作家の源高志さんと結婚しました。源さんの前妻との離婚を待って入籍し、公表は1年半後でした。バブル崩壊後、夫の会社の借金トラブルで多額の債務を抱えましたが、堅実な金銭感覚で返済を進めました。子供さんはおらず、夫婦二人で生活を築きました。
2005年にネフローゼ症候群を発症し、4年半の闘病生活を送りました。2013年1月10日、自宅でくも膜下出血により意識不明となり、病院に搬送されました。医師から重度5の診断を受け、脳死宣告を受けましたが、蘇生措置で一命を取りとめました。最初は植物状態でしたが、夫の献身的な看病により、8月頃には手足の動きや瞬きで反応できるようになりました。夫の源高志さんは、看病に専念し、生活を簡素化して支え続けています。2020年の新型コロナ禍では面会が制限されましたが、オンラインで再会しました。現在、静岡県東伊豆町で療養中です。夫さんは「生きて戻ってきてくれた」と感謝し、前向きに回復をサポートしています。佳那晃子さんは、ゼリーなどの流動食を摂取できるまで回復しました。私生活では、男っぽくさっぱりした性格で知られ、夫婦の絆が深いです。
出演作品
映画
- 襤褸の旗 (1974年, タキ)
- 異邦人の河 (1975年, 方順紅)
- はだしのゲン (1976年, 大里先生)
- 犬神家の一族 (1976年, 青沼菊乃)
- 男組 少年刑務所 (1976年, 桜魔子)
- 人間の骨 (1978年, 藤田絹子)
- ガキ大将行進曲 (1979年)
- ザ・ウーマン (1980年, 竹本小伝)
- 四季・奈津子 (1980年, 波留子)
- 魔界転生 (1981年, 細川ガラシャ)
- 鬼龍院花子の生涯 (1982年, つる)
- 大日本帝国 (1982年, 国吉靖子)
- 陽暉楼 (1983年, 丸子)
- 唐獅子株式会社 (1983年, 黒田ひろ子)
- 極道の妻たち (1986年, 小磯泰子)
- 十手舞 (1986年, おちか)
- 斬殺せよ 切なきもの、それは愛 (1990年, お雪)
- ふうせん (1990年, 村井美佐)
- BEST GUY (1990年, 吉永由美子)
- 虹の橋 (1993年, 琴)
- 集団左遷 (1994年, 柳町良子)
- 江戸むらさき特急 (1995年)
- 極道の妻たち 赫い絆 (1995年, 兵頭美佐)
- なにわ忠臣蔵 (1997年, 大石陸恵)
- 二宮金次郎物語 愛と情熱のかぎり (1998年, ゆきの母)
- 本日またまた休診なり (2000年, 和枝)
- NAGISA なぎさ (2000年, 杉田民恵)
- 修羅がゆく9 北海道進攻作戦 (2000年, 白城紀子)
- 荒ぶる魂たち (2002年, 樋口たか子)
TV
- おしどり右京捕物車 (1974年, おとき)
- 必殺仕置屋稼業 (1975年, おりん)
- 必殺仕業人 (1976年, ぬい、お藤)
- 新・必殺仕置人 (1977年, おりく、お京)
- 江戸プロフェッショナル・必殺商売人 (1978年, お栄)
- 翔べ! 必殺うらごろし (1979年, お葉)
- Gメン’75 (1975-1981年, 左知子ほか)
- 同心部屋御用帳 江戸の旋風 (1975-1978年, みよ、おもと)
- 大都会 闘いの日々 (1976年, 杉山のぶ子)
- 大江戸捜査網 (1977-1984年, 高倉志乃ほか)
- 桃太郎侍 (1977-1981年, おわきほか)
- 横溝正史シリーズ 三つ首塔 (1977年, 佐竹由香利)
- 金曜日の妻たちへ (1983年)
- 太陽にほえろ! (1980-1986年, 杉下啓子ほか)
- 水戸黄門 (1980-2011年)
- あばれ医者 嵐山 (1995年)
- 珠玉の女 (1992年)
- 華の誓い (1991年)
- 清里高原神隠し (1984年)
- 探偵神津恭介の殺人推理3 魔笛に魅せられた女 (1984年)


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