キャットスーツとフェティッシュ・ブーツ

1990年代にミシェル・ファイファーが「バットマン リターンズ」で着用したキャットウーマンの衣装は、ビザールファッションの代表的なものとして、世界中で認知されました。

その映画では、キャットウーマンの中の人、セリーナ・カイルがキャットスーツを電動ミシンで自作する場面も出てきて、観客や視聴者が親しみやすくなりました。

なむ
なむ

彼女の衣装はキャットスーツといわれ、冷たいエナメルの光沢と醸し出す熱い雰囲気のギャップが艶かしく、うっとりさせられました(^^)

グエン
グエン

コスプイヤーやSMプレイヤーたちが愛用していましたね。クラシックなコスプレ衣装として定着し、今でもハロウィンで着る人をたまに見ます。

ここでは、キャットスーツが認知されていく経緯や理由をざっくり分かりやすく説明しています。

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キャットスーツの認知

1990年代にキャットスーツが認知されたとき、キャットスーツはラバー(グミ)製のエナメルが定番でした。

このスーツには関連用品があり、フェティッシュ・ブーツ(サイハイブーツやニーハイブーツ)、ハイヒールやピンヒールなどの靴、コルセット、フェイスマスクなども愛用されました。

きらめく黒い衣装は、フェティッシュファッションを国際的に有名にしていき、今では普遍的な認知を獲得しています。

当時のコスチューム店では、映画「バットマン リターンズ」にインスパイアされたキャットウーマンのコスチュームの注文が殺到しました。

人気の理由

フェティシズムはファッションや日常文化に大きな影響を与えています。

フェティッシュ・ファッションの特徴に、色の象徴性が挙げられます。

黒色と赤色の自然性

キャットスーツの基本は黒色。

黒は圧倒的に人気のある色で、ファッション・カラーとして赤に匹敵します。

グエン
グエン

服装に黒が好まれる消極的な理由は、何にでも合わせやすいこと。

黒は、抽象的で、純粋で、神秘的な力強い色。

人類学的にみると、黒と赤は稀有な自然のシンボルです。

この2色とは対照的に、他色の象徴的内容はおもに慣習にもとづいています。たとえば、緑を嫉妬の色、白を無垢の色としたり…。

しかし、黒という色には文化的な歴史があって、いろんな点で私たちは強く反応してきました。

黒色の意味

中世以来、黒は邪悪なもの、悪魔的なものと結びつけられてきました。

しかし、カトリック聖職者の禁欲的な服装や、ピューリタンの冷静な順応性を連想すると、黒には反セクシュアルな意味もあります。

「シェヘラザードの衣装は簡単に着こなせるけど、リトル・ブラック・ドレスは難しい」と話したのはココ・シャネル。

リトル・ブラック・ドレスはブルジョアジーたちのファッションの決まり文句となりました。

しかし、他方で、反抗的な黒のレザージャケットやボヘミアンな黒色タートルネックも強い人気を誇るようになります。

黒色の現代史

人種間対立に分断されたアメリカ社会では、1960年代にブラックパワー運動が勃興。

作家のノーマン・メイラーは「黒はクールで、大胆で、セクシーだ。私は黒人になりたい」と話しました。

1970年代、ゲイとパンクは、白人社会との関係で同化主義的傾向を脇に置いて、ブラック・パワー運動を活性化させます。そして、サドマゾ(SM)やヘルズ・エンジェルスと結びついたブラック・レザーの神話を復活させたのです。

1980年代、黒はアヴァンギャルド・ファッションに最も大きな影響を与えた色となりました。モード業界で黒に統一されたファッションは、川久保玲など、おもに日本のデザイナーたちが紹介しました。

フェティッシュ・ブーツとキャットスーツ

1960年代と1970年代のセックス解放運動は性的逸脱の再評価につながりました。この運動で人々は慎重さを捨てようとしました。

慎重さは不幸な歴史的産物であり、キリスト教とユダヤ教の宗教的伝統と、資本主義ブルジョアジーの台頭の両方が生み出したものだと考えたのです。

そして、人間のセクシュアリティを再確認し、性的罪悪感を否定するなかで身体のタブーが破られました。

グエン
グエン

とはいえ、私的財産の否定を女性共有として考えた浅はかな人たちも、たくさんいました。

その時代、反抗と欲望は特権化され、それに応じて社会的制約が批判されるようになると「断片的な性」(フェティッシュ・セックス)が魅惑的なものとして認知されるようになります。

フェティッシュ・ブーツ

一般的に認知された最初のフェティッシュ・ファッションはハイレザー・ブーツ。

それまで、ハイレザー・ブーツはおもに娼婦、とくに厳格なドミネトリックスが着用していました。

ヒールの高いレザー・ブーツは膝丈か太もも丈で、後部にボタンや紐がついていることがほとんど。

ファッションかフェティッシュか。ブーツという断片だけでファッションといえるかどうか。この問題は、ブーツ・フェチの誕生とともに、顕在化しました。

フェティッシュ・ファッションの普及

エマ・ピール(演ダイアナ・リグ)のレザー製キャットスーツ

フェティッシュ・ファッションの普及に貢献したメディアが、TVシリーズ「おしゃれ㊙探偵」。

ダイアナ・リグが演じたエマ・ピールが着用したレザー製キャットスーツは、アトマージュのジョン・サトクリフがデザインしたオーダーメイドのフェティッシュ衣装から直接影響を受けていました。

エマ・ピールの衣装の初版はアトマージュのプロトタイプに似ていましたが、番組プロデューサーがフェティッシュすぎると考えたために、フェイスマスクとフードは省かれました。

1990年代になると60年代ファッション(シクスティーズ)が回帰されるなか、改めてエマ・ピールのスタイルにも関心が集まりました。

この頃、エマ・ピールはフェミニストのヒロインとしてファッション誌で賞賛され、同じく大胆でフェミニンなキャットウーマンと比較されました。

強さとセクシーさを併せもつ女性像は、明らかに多くの女性や男性を魅了しました。

それがどういう意味であれ、彼女たちのスタイルは男性ファッション・デザイナーが女性に押しつけたものではありませんでした。

変りものの衣装にも関わらず、フェティッシュ・ファッションは長期間にわたって一般的でした。1960年代は、エキゾチックでエロティックな衣服に興味があった人たちにとって素晴らしい時代だったのです。

音楽家とフェティッシュ・ファッション:マドンナ以前

1970年代には、モンゴメリーワードのような安物デパートでも、フェティッシュ・ファッション(ドミナトリックスのような高いブーツ、レザー、コルセットの紐がついた服など)が売られるようになりました。

ロックンロールが新しいタイプの男性のロールモデルを提示したため、この時期、男性服もより女性のフェティッシュ・ファッションがエロティックになりました。

マドンナがSMイメージを大衆風に宣伝するずっと以前から、フェティッシュ衣装を使用するパフォーマーはたくさんいたわけです。

セックス・ピストルズのようなバンドと結びついた若者のサブカルチャーであるパンクは、フェティシズムを流行させるのに特別に貢献しました。

反旗を翻したスタイルは、犬の首輪や鎖のような攻撃的で脅迫的なものをファッションに取り入れ、意図的に嫌悪感を煽るスタイルを採りました。

その意図したところは普通の観察者を怯えさせることにありました。

パンク女性たちは性的な決まり文句を使い、網タイツ、ピンヒール、アウター化コルセット、ゴムのマッキントッシュを身につけました。

また、歌手のスージー・スーは、濡れたようなビニールの黒いパンツをはき、片方にはチェーンブラとヒップハイブーツ、もう片方にはアンクルストラップのついたヒールの高い靴を履いていました。

ヴィヴィアン・ウエストウッド

ヴィヴィアン・ウエストウッドは、パンクスと最も密接に結びついたファッションデザイナー。

1974年、彼女は店をSM、ボンデージ、フェティッシュ・アイテムを扱う露骨なセックス・ブティックに改装し、ラバーウェア、ボンデージ・アクセサリー、レザー、エキセントリックな靴などを販売しました。

店内にはムチ、鎖、マスク、乳首クランプ、さらにはラバーシーツを敷いた病院のベッドまでを飾っていました。

客の半分はフェティシストで、高価なラバースーツをカスタマイズしてもらっていました。もう半分の客はタブーを破って、自分がいかにエッチかを主張できる衣装を求める若者たちでした。

ヴィヴィアン・ウエストウッド自身も、1970年代初期に完全なSMファッションに身を包んでいました。彼女はゴムストッキング、ネグリジェ、ピンヒール・シューズを履いて、その後、皆がベルスカートとプラットフォーム・シューズを履いていた頃、完全なボンデージ・ギアで登場しました。

このようなファッションは、正統的なドレスコードに対する一種の挑戦だったそうです。

この辺の事情を公式サイトは次のように明記しています。

1974年には「オフィス用ラバーウェア」というスローガンを掲げ、「その時、英国で流行っている何ものでもない」店として店名を「Sex」に改名しました。https://www.viviennewestwood-tokyo.com/history/?file=1971-1980/

SMファッションのグローバル化

正当的なドレスコードに反発するブランドとしてヴィヴィアン・ウエストウッドは今でも一定のファンをもっています。

他方、ウエストウッドがこだわったSMファッションは、フェティッシュ・ファッションの代表的なコスチュームとして、キャットウーマンのキャットスーツに転移しました。

1990年代にキャットスーツが認知されたとき、キャットスーツはラバー(グミ)製のエナメルが定番で、スーツには関連用品がありました。

フェティッシュ・ブーツ(サイハイブーツやニーハイブーツ)、コルセット、フェイスマスクなどです。

当時のコスチューム店では、映画「バットマン リターンズ」にインスパイアされたキャットウーマンのコスチュームの注文が殺到しました。

キャットスーツをとおしてフェティッシュ・ファッションは国際的に有名になり、今では普遍的な認知を獲得しました。

21世紀になると、マドンナがフェティッシュ・ファッションの広がりに貢献していきました。このとき、マドンナはボディスーツをせずに、ムチ、コルセット、網タイツや黒ストッキング、フェティッシュ・ブーツでフェティシズムを表現しました。

ここでは、キャットスーツが認知されていく経緯や理由を説明しました。

あわせて次の記事もご覧くださいませ。

ミシェル猫とハル猫の比較からキャットウーマンの衣装を分析。

セリーナ・カイルがキャットスーツを電動ミシンで自作する工程。

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