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カイリー・ミノーグ

カイリー・ミノーグ(Kylie Minogue)は、オーストラリア出身のシンガーソングライター、女優。1968年5月28日生まれ。「ポップのプリンセス」として知られ、世界的ヒット曲「ラッキー・ラヴ」「熱く胸を焦がして」を発表。グラミー賞受賞、総売上8000万枚以上。

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プロフィール

  • カイリー・アン・ミノーグ(Kylie Ann Minogue)
  • 出生名:カイリー・アン・ミノーグ(Kylie Ann Minogue)
  • 生年月日:1968年5月28日(57歳)
  • 出身地:オーストラリア・ビクトリア州メルボルン
  • ジャンル:ポップ、、ダンス・ポップ、エレクトロ・ポップ、ユーロポップ
  • 職業:シンガーソングライター
  • 担当:ボーカル
  • 活動期間:1987年〜現在(歌手)、1979年〜現在(女優)
  • 著名な家族:ダニー・ミノーグ(妹)
  • 公式サイト:Kylie.com

生い立ち・教育

カイリー・アン・ミノーグは、1968年5月28日、オーストラリア・ビクトリア州メルボルン郊外のコールフィールド・サウスにあるベツレヘム病院で生まれました。父親のロナルド・チャールズ・ミノーグは会計士でアイルランド系、母親のキャロル・アン・ジョーンズは元バレエダンサーでウェールズ系です。彼女の姓「ミノーグ」はアイルランド語に由来し、名前の「カイリー」はオーストラリア先住ニュンガー語で「ブーメラン」を意味します。カイリーは3人兄弟の長女で、妹のダニエル・ジェーン・ミノーグ(ダニー・ミノーグ)もポップ歌手、弟のブレンダン・ミノーグはニュースカメラマンとして活動しています。5人家族で育ち、甥のチャーリー・ミノーグやエドワード・ミノーグがいます。母親は1958年、支援移民計画によりウェールズからオーストラリアに移住し、ビージーズで知られるギブ一家と同じ船で渡豪しました。

カイリーの幼少期はメルボルンで過ごし、比較的普通の家庭環境で育ちました。教育に関しては、具体的な学歴の詳細はあまり公開されていませんが、地元の学校に通い、10代の頃から芸能活動を始めたため、学業よりもキャリアに重点を置いた生活を送りました。彼女の才能は早くから現れ、子役としてテレビ出演を重ねる中で、芸能界への道を切り開いていきました。

経歴

カイリー・ミノーグのキャリアは、1979年に11歳でテレビドラマ「ザ・サリヴァンス」への出演で始まりました。1980年には「スカイウェイズ」に出演し、子役としての経験を積みます。1986年、18歳の時にオーストラリアの人気ドラマ「ネイヴァーズ」にシャーリーン・ロビンソン役で出演し、一躍人気女優となりました。この役で1987年にオーストラリアの「ロギー・アワード」銀賞を受賞し、国民的な知名度を獲得しました。

音楽キャリアは1987年に始まり、リトル・エヴァのカバー曲「ロコモーション」でデビュー。この曲はオーストラリアで7週連続1位、米ビルボードチャートで3位を記録し、彼女の最大のヒット曲の一つとなりました。1988年にリリースしたデビューアルバム「ラッキー・ラヴ」(原題:Kylie)は、全英チャートで8週間1位を記録し、世界で約1000万枚を売り上げる大成功を収めました。プロデューサーチーム、ストック・エイトキン・ウォーターマン(SAW)とのコラボレーションにより、「ラッキー・ラヴ」(I Should Be So Lucky)、「Got To Be Certain」、「Especially For You」などのヒット曲を連発し、ユーロビートブームを牽引しました。日本では「ラッキー・ラヴ」がオリコン洋楽シングルチャートで12週連続1位を獲得するなど、国際的な人気を確立しました。

1990年代初頭には、アルバム「リズム・オブ・ラヴ」(1990年)や「あなたも、M?」(1991年)でソングライティングに挑戦し、アイドルイメージから脱却を図りました。しかし、1992年にSAWのレーベルPWLを離れ、デコンストラクションに移籍後、アルバム「カイリー・ミノーグ」(1994年)は新たな音楽性を追求したものの、商業的には低迷。この時期には映画「ストリートファイター」(1994年)にキャミー役で出演し、アクション演技も披露しました。

2000年代に入り、アルバム「フィーヴァー」(2001年)が全米で成功。「熱く胸を焦がして」(Can’t Get You Out of My Head)は全米7位、世界的ヒットとなり、2004年には「カム・イントゥ・マイ・ワールド」でグラミー賞最優秀ダンス・レコーディング賞を受賞。2005年に乳がんを公表し、一時活動を休止しましたが、2006年に「ショーガール・ホームカミング・ツアー」で復帰。2008年には大英帝国勲章(OBE)を受勲し、2011年にはオーストラリアレコード産業協会(ARIA)殿堂入りを果たしました。

2023年には「パダム・パダム」がTikTokでバイラルヒットし、Z世代から再評価され、2024年にグラミー賞最優秀ポップ・レコーディング賞を受賞。2025年には「Tension Tour 2025」で14年ぶりの来日公演を開催するなど、56歳の現在もポップ界の第一線で活躍しています。彼女の音楽はポップ、ダンスポップ、エレクトロポップ、ディスコなど多岐にわたり、総売上は8000万枚以上、2度のグラミー賞、4度のブリット・アワード、18のARIAミュージック・アワードを受賞するなど、「ポップのプリンセス」として世界的な影響力を持ち続けています。

私生活

カイリー・ミノーグの私生活は、メディアの注目を集める一方で、比較的プライバシーを保ちながら過ごしてきました。1990年代初頭には、INXSのボーカリスト、マイケル・ハッチェンスとの交際が話題となり、彼女の「グッドガール」イメージに変化をもたらしました。この関係は、メディアでセンセーショナルに報じられ、特にオーストラリア首相に目撃された飛行機内での逸話が知られています。

2005年に乳がんを公表し、治療のため一時活動を休止。彼女の闘病は多くのファンやメディアに影響を与え、復帰後は慈善活動にも積極的に参加しています。恋愛では複数の著名人との関係が報じられてきましたが、結婚歴はなく、子供もいません。2021年には英国からオーストラリアに住居を戻し、メルボルンを拠点に活動を続けています。

カイリーはファッションアイコンとしても知られ、自身の香水ブランドやワインブランドを展開するなど、起業家としても成功。彼女の親しみやすい性格と可憐な声は、Z世代やクィアコミュニティからも支持を集め、56歳の現在も若々しさとエネルギーを保ち続けています。

出演作品

  • 1979年:テレビドラマ「ザ・サリヴァンス」 – 子役としてデビュー
  • 1980年:テレビ番組「スカイウェイズ」 – 子役出演
  • 1986年-1988年:テレビドラマ「ネイヴァーズ」 – シャーリーン・ロビンソン役
  • 1989年:映画「ザ・デリンクエンツ」 – 主演、主題歌「ティアーズ・オン・マイ・ピロー」もヒット
  • 1994年:映画「ストリートファイター」 – キャミー
  • 2001年:映画「ムーラン・ルージュ」 – 緑の妖精役
  • 2007年:ドキュメンタリー「ホワイト ダイヤモンド: カイリー ミノーグのパーソナル ポートレート」 – 本人役
  • 2007年:テレビドラマ「ドクター・フー」クリスマススペシャル「Voyage of the Damned」 – アストリッド・ペス役
  • 2009年:映画「ブルー」 – カメオ出演
  • 2012年:映画「ホーリー・モーターズ」 – ジーン/エバー役
  • 2012年:映画「ジャック・アンド・ダイアン」 – タラ役
  • 2013年:映画「バックコーラスの歌姫たち」 – 出演
  • 2014年:映画「20,000 Days on Earth」 – カメオ出演
  • 2015年:映画「カリフォルニア・ダウン」 – ベス・リディック役
  • 2015年:映画「ノエル クリスマスに生まれた奇跡」 – 特別出演
  • 2018年:映画「Swinging Safari」 – 主演、Kaye Hall役
  • 2014年:テレビ番組「The Voice UK」「The Voice Australia」 – 審査員

まとめ

カイリー・ミノーグは、音楽と演技の両方で多才な才能を発揮し、40年近くにわたり世界中のファンを魅了し続けています。彼女のキャリアは、ポップカルチャーにおける不動の地位を証明するものであり、今後もその輝きは続くことでしょう。

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