マリナ・マルファッティ(Marina Malfatti)はイタリア共和国の女優。17歳でパリに移り、ルネ・シモンの演劇学校で学び、帰国後映画と舞台で活躍しました。1970年代のイタリアン・ホラー映画のアイコンとして知られ、悪魔的な役柄で人気を博しました。1980年代は舞台に注力し、1986年にアルベルト・モラヴィアが彼女のために書いた戯曲『ラ・チンタゥラ』で評価されました。夫は外交官のウンベルト・ラ・ロッカ氏で、子供はいませんでした。
プロフィール
- 名前:マリナ・マルファッティ(Marina Malfatti)
- 生年月日:1933年4月25日
- 出生地:イタリア共和国フィレンツェ
- 没年月日:2016年6月8日(享年83歳)
- 死没地:イタリア共和国ローマ
生い立ち・教育
マリナ・マルファッティは、1933年4月25日、イタリア共和国トスカーナ地方に位置する美しいルネサンスの街、フィレンツェで生まれました。本名はマリサ・マルファッティでしたが、後にマリナと綴りを変えました。フィレンツェは芸術と文化の中心地として知られ、そんな環境で育った彼女は、幼少期から芸術的な感性に触れる機会に恵まれていました。家族の詳細については公に語られることは少なく、彼女の生い立ちは主に自身のキャリアを通じて語られることが多いです。
17歳の若さで、彼女は故郷を離れ、フランスのパリへと移りました。この決断は、演劇への強い情熱から来るものでした。パリでは、著名な俳優ルネ・シモンが設立した名門の演劇学校、Cours d’Art Dramatique(ルネ・シモン演劇学校)に入学しました。この学校は、フランス演劇の伝統を重んじ、厳格なトレーニングで知られる場所です。マルファッティはそこで2年間、演技の基礎を徹底的に学びました。パリの活気ある芸術シーンの中で、彼女は多様な演劇スタイルに触れ、表現力と身体性を磨きました。この時期は、彼女の人生における転機であり、国際的な視野を広げる貴重な経験となりました。
1952年頃、19歳でイタリアに帰国したマルファッティは、さらなる教育の機会を得ました。帰国後、彼女はイタリアの国立映画学校であるCentro Sperimentale di Cinematografia(実験映画センター)から奨学金を得て入学しました。この学校は、1935年に設立されたイタリアで最も権威ある映画・演劇教育機関で、ルキノ・ヴィスコンティやヴィットリオ・デ・シーカなどの巨匠を輩出した場所です。マルファッティはここで、映画製作の技術や演技理論を体系的に学びました。奨学金を得たことは、彼女の才能が早くから認められていた証です。学校での日々は、理論と実践のバランスが取れたカリキュラムで、彼女の演技スキルを洗練させました。
教育を通じて、マルファッティは多角的な視点を養いました。パリでの自由で創造的なアプローチと、イタリアでの構造化されたトレーニングが融合し、彼女の独自のスタイルを形成しました。この基盤が、後の多様な役柄をこなす力となりました。生い立ちと教育は、彼女を単なる美人女優ではなく、深い表現力を持つアーティストとして育て上げました。
経歴
マリナ・マルファッティのキャリアは、1950年代後半から始まり、映画、テレビ、舞台の各分野で輝かしい足跡を残しました。帰国後、Centro Sperimentale di Cinematografiaを卒業した彼女は、まず小役から映画界にデビューしました。初期の作品では、脇役として登場し、経験を積みました。1950年代末、彼女は舞台にも進出します。1960年、著名な俳優で演出家のアルノルド・フォアに抜擢され、ウィリアム・ギブソンの戯曲『Two for the Seesaw(シーソー)』で共演しました。この作品は、彼女の舞台デビューを飾る重要な一作で、フォアの指導のもと、コミカルで繊細な演技を披露しました。以降、彼女の舞台キャリアは、喜劇とドラマの両方を交互にこなす多様なものとなりました。
1960年代に入ると、テレビ分野での活躍が目立ち始めます。1966年、RAIの人気シリーズ『Le inchieste del commissario Maigret(マイグレ警視の捜査)』にゲスト出演し、ジーノ・チェルヴィと共演しました。このエピソード『The Chinese Shadow』で、彼女のミステリアスな魅力が注目を集めました。続いて、1968年のテレビミニシリーズ『Sherlock Holmes(シャーロック・ホームズ)』では、ナンド・ガッツォロ演じるホームズの物語に深みを与える役を演じました。また、1969年のテレビ映画『Dal tuo al mio(君から僕へ)』では、ジョヴァンニ・ヴェルガの小説を原作とした作品で主演を務め、ヴェルガ賞を受賞するほどの評価を得ました。これらのテレビ出演は、彼女をイタリアの家庭に届ける人気女優として位置づけました。
1970年代は、彼女のキャリアのピークであり、特にイタリアン・ホラー映画のアイコンとして名を馳せました。このジャンルは、当時のイタリア映画界でブームを巻き起こしており、マルファッティは悪魔的で妖艶な役柄を得意としました。1971年の『The Night Evelyn Came Out of the Grave(エヴリンの墓から夜が来る)』では、ゴシックホラーのヒロインを演じ、国際的な注目を浴びました。同年の『Seven Blood-Stained Orchids(七つの血まみれの蘭)』や『The Fourth Victim(第四の犠牲者)』でも、ミステリーとホラーの融合した役で、観客を魅了しました。1972年の『All the Colors of the Dark(闇のすべての色)』では、心理的な恐怖を描く作品で、彼女の演技力が光りました。また、『They’re Coming to Get You!(奴らが来る)』や1973年の『The Bloodstained Lawn(血塗られた芝生)』、『Il prato macchiato di rosso』でも、ホラー要素の強い役を次々とこなしました。これらの作品は、ダリオ・アルジェントやマリオ・バーヴァなどの巨匠たちと並ぶイタリアン・ホラーの黄金時代を象徴します。
映画以外では、1974年のテレビミニシリーズ『Malombra(マルオンブラ)』で、アントニオ・フォガッツァーロの小説を原作とした主人公のマルケジーナ・マリナ役を演じました。この4部作のドラマは、彼女の代表作の一つで、孤独と狂気に苛まれる女性の心理を深く描き、視聴率の高さと批評の称賛を呼びました。ディエゴ・ファッブリの演出のもと、ウゴ・パリアイと共演したこの作品は、彼女の演技の幅広さを証明しました。
1980年代以降、彼女の焦点は舞台に移りました。テレビや映画の露出が減る中、劇場での活動を活発化させました。1986年、著名作家アルベルト・モラヴィアが彼女のために特別に書いた戯曲『La cintura(ラ・チンタゥラ)』で主演を務めました。この作品は、女優ヴィットリアの一日を描いたもので、家族の複雑な関係を風刺的に扱い、彼女の成熟した演技が評価されました。以降、ルイジ・スクアルツィーナなどの名監督と組んで、ドラマチックな役を多く演じました。1990年代には、『Le sorelle Materassi(マテラッシ姉妹)』でシモーナ・マルキーニと共演し、アルド・パラッツェスキの喜劇を上演しました。また、1996年のテレビ映画『A rischio d’amore(愛のリスク)』でヴィットリオ・ネヴァーノ監督作品に出演し、キャリアの締めくくりとしました。
マルファッティの経歴は、ジャンルの多様性と持続的な活躍が特徴です。ホラーからドラマ、喜劇までをカバーし、常に観客を魅了しました。彼女のキャリアは、イタリア娯楽の変遷を映す鏡でもあります。2016年の逝去まで、彼女は演劇界に貢献し続けました。
私生活
マリナ・マルファッティの私生活は、キャリアの華やかさに比べて比較的控えめで、公にされる情報も限られています。彼女はプライバシーを重視する性格で、メディア露出を避け、家族や親しい人々との静かな時間を大切にしていました。生い立ちからわかるように、フィレンツェの芸術的な環境で育ち、パリでの学生生活を通じて国際的な視野を広げましたが、帰国後はイタリアの文化に根ざした生活を送りました。
私生活の中心にあったのは、夫である外交官のウンベルト・ラ・ロッカ氏との結婚生活です。二人は1960年代に結婚し、夫の外交官としてのキャリアに伴い、安定した家庭を築きました。ラ・ロッカ氏はイタリアの外交界で活躍する人物で、夫妻はローマを中心に暮らしました。子供は授からず、二人は互いのキャリアを尊重し合うパートナーシップを維持しました。マルファッティは、夫の仕事の都合で海外を訪れる機会もあったでしょうが、主にイタリア国内で活動を続けました。
夫の死後、彼女はさらに公の場から遠ざかりました。ラ・ロッカ氏が先に亡くなった後、マルファッティはローマの自宅で静かに余生を過ごしました。晩年は健康面で苦しみ、2016年6月8日、ローマのサンタ・アンドレア病院で83歳の生涯を閉じました。死因は公表されていませんが、長年のキャリアの疲労が影響したとされています。葬儀は親族中心の簡素なもので、彼女の控えめな性格を反映していました。
私生活では、演劇や読書、芸術鑑賞に没頭する時間が多かったようです。モラヴィアのような作家との交流から、文学への深い関心がうかがえます。また、慈善活動や後進の指導にも関与したという逸話がありますが、詳細は不明です。マルファッティの人生は、プロフェッショナルな成功と個人的な平穏のバランスが取れたものでした。彼女の美しさと知性は、私生活でも周囲を魅了したでしょう。
出演作品
映画
1950年代後半、小役でデビュー。具体的なタイトルは不明だが、実験映画センターの作品群。
- 1968年:Una bella grinta…ジュリアーノ・モンタルド監督、ドラマ。
- 1971年:The Night Evelyn Came Out of the Grave…エミリオ・ヴィレージャ監督、ゴシックホラー。
- 1971年:Seven Blood-Stained Orchids…ウンベルト・レンツィ監督、ジァッロ・ホラー。
- 1971年:The Fourth Victim…ミケーレ・ボッティアッチャ監督、ミステリーホラー。
- 1972年:All the Colors of the Dark…セルジオ・マルティーノ監督、心理ホラー。
- 1972年:They’re Coming to Get You!…ホラー映画。
- 1973年:The Bloodstained Lawn / Il prato macchiato di rosso…プルシノ・ヴァレリ監督、ミステリー。
その他、『C’era una volta』、『Io, io, io…』など、1970年代のホラー・ドラマ群。
TV
- 1966年:Le inchieste del commissario Maigret…エピソード『The Chinese Shadow』、ジーノ・チェルヴィ共演。
- 1968年:シャーロック・ホームズ…ミニ番組、ナンド・ガッツォロ共演。
- 1969年:Dal tuo al mio…テレビ映画、マリオ・ランディ監督、ヴェルガ原作。
- 1974年:Malombra…4部作ミニシリーズ、ディエゴ・ファッブリ監督、アントニオ・フォガッツァーロ原作、ウゴ・パリアイ共演。
- 1996年:A rischio d’amore…TV映画、ヴィットリオ・ネヴァーノ監督、カタリーナ・ベーム、ジョヴァンニ・グイデッリ共演。
舞台
- 1960年:Two for the Seesaw…ウィリアム・ギブソン作、アルノルド・フォア共演・演出。
- 1970-1980年代:様々な喜劇とドラマ、ルイジ・スクアルツィーナ監督作品多数。
- 1986年:La cintura…アルベルト・モラヴィア作、彼女のために書かれた主演作。
- 1990年代:Le sorelle Materassi…アルド・パラッツェスキ作、シモーナ・マルキーニ共演。
その他、『Un fiocco nero per Deborah』『Sette orchidee macchiate di rosso』関連舞台版など。
これらの作品は、マルファッティの多才さを示すもので、ホラーから古典文学の適応まで幅広いです。彼女の出演作は、イタリア娯楽史に永遠の輝きを放っています。
レビュー 作品の感想や女優への思い