映画『窓からローマが見える』は1982年に池田満寿夫が脚本・監督したラブロマンス。クラウディオ・カッシネッリ、デリア・ボッカルド、中山貴美子、佐藤陽子らが出演。イタリアとフランスを舞台に現実と幻想が入り混じった日常生活を描写。
窓からローマが見える
- 原題:窓からローマが見える
- イタリア語題:Roma Dalla Finestra
- 製作国:イタリア、日本国
- 公開年:1982年
- 上映時間:104分
- 製作会社:松竹富士株式会社、フィルムイジオン
- 販売代理店/ISA:フレアコミュニケーションズ
- 配給会社:松竹富士株式会社
あらすじ
映画『窓からローマが見える』は一人の男と二人の女の物語。カルロ(クラウディオ・カッシネッリ)はローマ出身のフォトジャーナリスト。彼の妻オルガ(デリア・ボッカルド)はパリでモデルをしています。映画の最初のシークエンスで、彼女が噴水の中でインド人にレイプされるのが映し出される。「カルロは彼女がおしっこをするのを見て、後をつけ、あっという間に信仰を海に投げ捨て(文字通り)、彼女とベッドを共にすることになります。
ファム・ファタル
- めっちゃ可愛い中山貴美子が、純粋なのに不貞腐れている複雑な少女Oを演じています。放尿シーンが出てきてビックリ。
- デリア・ボッカルドは性に翻弄される熟女オルガをねっとりと演じていました。
感想
池田満寿夫監督の『窓からローマが見える』は、1982年に富士映画によって製作されたエロティックサスペンス、あるいは、ラブロマンス。夫人の佐藤陽子を起用したことでも有名な本作品は、錯綜した愛憎関係が露骨に展開されていることが印象的。
舞台となる場所はイタリアのローマとフランスのパリの二つですが、これが目まぐるしく変わります。ストーリーは複雑な愛憎関係によって成立しており、主要な登場人物5名の織りなす恋愛の場面もまた、目まぐるしい展開をみせます。錯綜した恋愛関係は、次のような人々によってつくり出されています。ローマの音楽学校に通う日本人女性「O」、報道カメラマン「カルロ」とその妻でありモデルの「オルガ」、カルロの助手「アントン」と「B」。
作品のはじまりは「カルロ」と「B」が10代と思われる日本人女性「O」の放尿を目撃し、彼女を追いかけ回すシーン、そして、フランス人モデル女性「オルガ」が夫の助手「アントン」によってレイプされるシーン、この二つ。パリで強姦されたオルガは、アントンの意のまま数回にわたってセックスを許すことになります。その後、彼女は夫のいるローマに向かいますが、日本人女性「O」にのめり込んでいる夫には、妻のオルガが幻覚として映り、街で見かけて追いかけますが、決してつかまえることができません。
他方で、助手「B」は上司のカルロとの関係を断ち切らせようと「O」を説得し、自分のものにしようとアタックを重ねますが、同年代の男性に物足りなさを感じる彼女は、この助手と数日だけつきあった後にカルロのもとへ行きます。
来る日も来る日もカルロは「O」とデートを重ねますが、いつでもどこでもデート先に現れる妻オルガ(の幻影)に彼は悩まされます。「O」とのデート中にも妻を追いかけては見失なうという醜態を演じるのですが、妻は一向に実体を現わしてきません。そういう日が何日か続いた後に、カルロの妻オルガをレイプし、同じくローマへと向かっていた「アントン」が、デート中のカルロの隙をみて、今度は「O」をレイプします。
数分後に異変に気づいたカルロの前には、彼女がアントンにピストルを突きつけられながら強姦されている光景が展開しています。その時、ただ見つめることしかできないカメラマン・カルロの前に現れたのは、レイプ犯のアントンを射殺しにきた、カルロの妻オルガ。アントンが射殺された後、カルロは我に返り妻の後を追うものの、タクシーに乗られ逃げられてしまいます。現場に戻ってきたとき、「O」もまた姿を消していてカルロは一人その場で茫然と立ちすくみます。
このような愛憎関係の展開のなかで、四人が顔を合わせたのは日本人女性「O」のレイプ現場。オルガは犯人のアントンを射殺しますが、カルロや「O」の前から姿を消したことを考えれば、彼、もしくは彼女を助けに来たわけではありません。むしろ、自分自身のために射殺したのだとみる方が自然な気がします。
では、オルガは何のためにアントンを射殺したのだろう?
もちろん、先述したように、射殺後の彼女の行動をみると、自分をレイプした犯人だから殺したのだという理由だけではありません。
レイプは言語道断に否定されるべきものですが、レイプされた「事後」を考えてみた場合、それには、身体的な恐怖、男性に対する恐怖にとどまるものではなく、女性のなかで愛が分裂し、精神と肉体との葛藤として展開されてしまう点が、本作品で露呈されているように思えます。これがオルガの経験してしまった、新たな恐怖なのでしょう。だからこそ、なおさら許されてはならない行動なのだという結論も出てくるだけでなく、精神と肉体との葛藤はレイプという形で行なわれてはならないという判断もでてきます。
しかし、そのようにレイプが否定されようとも、「殴りながら犯してくれないと感じないの」とオルガの口から嘆願の声が漏れる事態が罷免されるわけではありません。
本作品には、映画を観る前から分かっているような、倫理的にレイプが悪いという問題よりも、それが精神と肉体との葛藤を誘発し、肉体に精神がひきずられ肉体の欲望が勝るという問題にアクセントがあります。恋人どおしがセックスに明け暮れるような意味での「精神に対する肉体の優位」ではなく、レイプという行為を通過した後にでもこの「優位」が成立する点こそ、この映画が映し出す「恐怖」なのではないでしょうか。恋人とのセックスやナンパのセックスにおいて肉欲や暴力(的行為)に溺れるのではないというのが「恐怖」なのです。
レイプされ、それ以後レイプの暴力性から抜けられずにマゾに転落し、加害者アントンの思い通りに飼われつつあるオルガ。
錯綜した愛憎関係のなかで、もっとも認めがたい恋愛関係がもっとも強い関係を取っているという転倒において、この映画は強烈な恐怖を性の根源的な問題として映し出すことに成功しています。
キャスト
登場人物 | 出演者 |
---|---|
カルロ | クラウディオ・カッシネッリ |
オルガ | デリア・ボッカルド |
O | 中山貴美子 |
アントニオ・セラーノ | |
ルネ・ジローデ | |
ガブリエラ・ジョルジェッリ | |
レナート・チェチェット | |
アルマンタ・ススカ | |
佐藤陽子 | |
ジャン=ジャック・グラン=ジュアン | |
ピエランジェロ・ポッツァート | |
ガブリエラ・ボッカルド | |
トム・フェレギー | |
ブルーノ・ローザ | |
オスバルド・ナスターリ | |
カーマイン・ファラコ | |
オリビア・アペリオ・ベッラ |
スタッフ
担当 | 担当者 |
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監督 | 池田満寿夫 |
脚本 | 池田満寿夫 |
音楽 | ポール・モーリア |
衣装デザイン | 君島一郎 |
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