佐久間良子は1939年2月24日、東京・練馬区(現・練馬区)生まれの女優。東映でデビューし、映画・テレビドラマ・舞台で活躍します。東映初の主役女優で、大河ドラマ初の単独主演です。元夫は平幹二朗、息子は平岳大です。2012年に旭日小綬章受章します。身長158cm、O型です。活動期間は1958年から現在まで。
生い立ち・教育
佐久間良子は1939年、東京府東京市板橋区(現・東京都練馬区桜台)の裕福な大地主の家に生まれました。
父は軍医で戦後製薬会社役員、母は人体模型製作所の長女でした。箱入り娘として育ち、3歳下の妹と6歳下の弟がいます。1-2歳時に父が満州従軍し、1945年3月に疎開(群馬県磯部→福島県桑折)しました。
終戦後実家に戻り、開進第三小学校に編入します。私立川村中学・高等学校在学中(1956年)、先輩の東映女優・小宮光江に誘われ東映東京撮影所運動会に出向き、女優挑戦を決意します。
高校在学中にスカウトを受け、東映ニューフェイス第4期に補欠合格しました。水着審査を拒否したエピソードで知られています。教育面では、厳格な家庭環境の中で育ち、学校では真面目な生徒だったようです。
高校卒業後、本格的に女優の道へ進みます。この時期の経験が、後の清純派イメージを形成する基盤となりました。疎開先での生活は、彼女の幼少期に大きな影響を与え、父の迎えに来た背中を今でも鮮明に覚えているそうです。戦後の混乱期を乗り越え、家族の絆を深めた生い立ちです。
教育については、私立の女子校で伝統的な教養を身につけ、芸術や文学に親しんだと推測されます。女優になる決意は、偶然の出会いから生まれましたが、彼女の内面的な強さがそれを支えました。この生い立ちは、後の演技に深みを与える要素となっています。
疎開生活では、田舎の自然に触れ、都会育ちの彼女に新しい視野を開きました。家族の裕福さが、教育の質を高め、女優としての素養を養いました。高校時代は、部活動や友人との交流を通じて、人間性を磨いた時期です。女優デビューへの道は、こうした生い立ちと教育の賜物です。
経歴
佐久間良子は1957年に東映ニューフェイス第4期で補欠合格し、1958年に俳優座養成所で研修中、東映動画『白蛇伝』のモデルを務め、同年映画『美しき姉妹の物語・悶える早春』でデビューします。デビュー2年目で『平凡』人気投票10位を獲得します。
1960年代に社会派映画で活躍し、1963年『人生劇場 飛車角』で汚れ役が話題になります。東映のヤクザ・ポルノ路線転換で映画出演が減少し、1967年頃からテレビドラマ・舞台へシフトします。1981年NHK大河ドラマ『おんな太閤記』でねね役を演じ、大河初の単独主演を果たします。舞台では菊田一夫演劇大賞(1983年)、芸術祭賞(1995年)を受賞します。
2004年『鹿鳴館』で元夫平幹二朗・長男平岳大と共演します。2012年旭日小綬章受章します。
高校卒業後、東映に入社し、瞬く間に売れっ子女優となります。清純派のイメージを破るため、『人生劇場 飛車角』や『五番町夕霧楼』に挑戦します。これらの作品で演技派としての地位を確立します。
テレビドラマでは、1970年代から多くの作品に出演し、視聴者を魅了します。大河ドラマでの主演は、彼女のキャリアのハイライトです。以降も舞台を中心に活躍し、創作オペラ『ストゥーパ~新卒塔婆小町』や米映画『アースクエイクバード』に出演します。85歳となった現在も、自由なひとり暮らしを楽しむ傍ら、女優業を続けています。経歴を通じて、さまざまな役柄に挑み、女優としての幅を広げました。
東映時代は、140本以上の映画に出演し、時代を代表する女優となります。テレビシフト後は、NHKを中心に質の高いドラマで存在感を発揮します。舞台では、古典から現代劇まで多岐にわたり、賞賛を集めます。家族との共演は、プライベートと仕事の融合を示します。受章は、長年の功績を認められた証です。
彼女の経歴は、昭和から令和にかけての日本芸能史を象徴します。常に挑戦を続ける姿勢が、ファンを惹きつけます。近年は、著書『ふりかえれば日々良日』で人生を振り返り、波瀾万丈の歩みを語っています。この経歴は、女優としての不屈の精神を物語っています。
服飾・美容
佐久間良子は、コーセー化粧品のCMに出演(1960年 – )し、美容の象徴として知られています。1993年に第4回日本ジュエリーベストドレッサー賞50代部門を受賞します。CMでサランラップ(旭化成、1985年頃 – 1991年頃)に出演し、マリアン・桜井幸子と共演バージョンもあります。
ファッション面では、エレガントな着物姿やドレスが印象的で、Pinterestなどで昭和の美人女優としてファッションアイコンに挙げられます。2019年、神戸ファッション美術館で鳥丸軍雪展のトークイベントに出演し、ファッションについて語りました。85歳の今も、ひとり暮らしでファッションを楽しむ姿がインタビューで紹介されます。
美容については、化粧品CMの長年の出演が、彼女の美しさを保つ秘訣を示唆します。ジュエリー賞受賞は、服飾センスの高さを証明します。イベントでは、鳥丸軍雪のデザインについて熱く語り、ファッションへの情熱を表します。昭和のファッションでは、セイラー服風の衣装や和装が人気です。彼女のスタイルは、品格と華やかさを兼ね備えています。美容法として、自然なメイクと健康的な生活を心がけているようです。インタビューで、日々の楽しみとしてファッションを挙げるほどです。
服飾関連では、映画やドラマの衣装も注目され、時代を反映します。全体として、服飾・美容は彼女の女優イメージを支える要素です。着物美人として、伝統的な美を体現します。現代でも、ファッション誌で取り上げられることがあります。この分野での活動は、女優業の延長線上です。美容CMの継続は、永遠の美しさを象徴します。ジュエリーのセンスは、洗練された味わいを表します。トークイベントは、ファッション業界とのつながりを示します。彼女の服飾・美容への取り組みは、人生の豊かさを加えます。
私生活
佐久間良子は1970年4月16日、俳優平幹二朗と結婚し、1974年7月に長男岳大・長女(双子)を出産します。
1984年離婚(ストレスによる子供のチック症・異常行動が原因)します。1984年8月、テレビディレクター小田切成明との密会が週刊誌に掲載され、釈明会見を開きます。1998年12月、宗教団体「二譲会」代表との関係で提訴されますが、2000年10月責任なし判決となります。
書道で日展・毎日書道展入選し、個展開催します。2012年2月から『私の履歴書』連載(2015年BSジャパン化)します。離婚後は、子供たちを一人で育て、女優業を続けます。息子平岳大は俳優として活躍し、家族共演もあります。
私生活では、波瀾万丈の出来事が多く、疎開先の思い出や離婚の決意を著書で明かします。85歳の今、自由なひとり暮らしを楽しんでいます。宗教関連のトラブルは、裁判で解決し、無実が証明されます。
書道は、趣味として長年続け、内面的な充実を図ります。個展は、芸術家としての側面を示します。『私の履歴書』では、私生活の詳細を語り、ファンに感動を与えます。結婚生活は、俳優同士の絆でしたが、子供の健康を優先し離婚を選択します。密会報道は、一時的なスキャンダルですが、堂々と対応します。私生活の紆余曲折が、演技に深みを加えます。
家族との関係は、現在も良好です。ひとり暮らしでは、日々の楽しみを大切にします。この私生活は、強靭な精神を物語っています。著書『ふりかえれば日々良日』で、すべてを振り返ります。私生活の公開は、彼女の率直さを表します。
出演作品
映画
- 美しき姉妹の物語・悶える早春(1958年)
- 台風息子 修学旅行の巻(1958年)
- 台風息子 最高殊勲の巻(1958年)
- 三代目 魚河岸の石松(1958年)
- 故郷は緑なりき(1961年)
- 五番町夕霧楼(1963年)
- 人生劇場 飛車角(1963年)
- 越後つついし親不知(1964年)
- 図々しい奴(1964年)
- 湖の琴(1966年)
- 大奥(秘)物語(1967年)
- 病院坂の首縊りの家(1979年)
- 細雪(1983年)
- 遺産相続(1990年)
- 源氏物語 千年の謎(2011年)
- 内田康夫サスペンス 浅見光彦シリーズ35 風のなかの櫻香(2016年)
- おふくろ先生の診療日記7(2015年)
- アースクエイクバード(2019年)
テレビドラマ
- 葦の浮舟(1971年)
- さやえんどう(1975年)
- 心の旅路(1975年 – 1976年)
- さすらいの旅路(1977年)
- 帰らざる旅路(1979年)
- おんな太閤記(1981年)
- あっけらかん(1982年)
- 旦那さま大事(1986年)
- ドナウの旅人(1989年)
- 功名が辻(2006年)
舞台
- 春の雪(1969年)
- 鹿鳴館(1982年)
- 唐人お吉(1983年)
- 細雪(2000年)
- 鹿鳴館(2004年)




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