米国の大学におけるセクシャル・ハラスメントは、日本に比べてオッサン臭さはないものの、深刻な問題として捉えられてきました。
大学キャンパスでのセクハラや暴力、そして、とくに大学アスリートに及ぼす影響や奨学金の獲得はセクハラ問題に関係する重要な事項です。
- アスリートがセクハラを報告しにくい理由
- 大学の行なう対処のあり方
この2点が最近の米国で集中的に取り上げられる項目となっています。
セクハラと奨学金
たとえば、『バッド・ティーチャーアブナイ教授に狙われた女子生徒』に取り上げられたように、大学アスリートのなかには、仲間はずれにされたり、奨学金が危うくなったりすることを恐れて、報告することに消極的な人がいます。もちろん、『セクシャル・ソロリティ 女子学生社交クラブ』や『デッドリー・エクスチェンジ 狂気の女子留学生』に触れられているように、学生生活を左右する奨学金に関するセクハラはアスリートに限りません。ただ、アスリートの場合は「身体が資本」という綱渡りな状況なので、一般学生に比べて学生生活を継続できるかどうかという点において、窮地に追い込まれやすい特徴があります。
大学生アスリートが受けるセクハラ問題に対処するため、一部の大学では、セクハラを認識し報告するようアスリートを教育し、被害者とされる選手にはカウンセリングや履修できなかった科目を補う方法などのサポートを提供しています。また、米国教育省がどの程度、大学がタイトル・ナインや関連規則を遵守しているかを監視しているかも問題点に挙げられます。
セクハラの実態
大学やカレッジのキャンパスでは、報告されず見過ごされるセクハラ事件が後を絶ちません。ジェニファー・フレイドの報告によると、性的暴力に関する公式キャンパス統計は誤解を招きやすく、2010年代になっても女性の5人に1人が大学生活で何らかの性的暴力を経験します。このように、報告率と実際のハラスメントの割合が一致しない問題があります。被害者はトラウマを報告する際にすでに強いためらいを抱いているからです。
組織的裏切り
さらにその報告が組織的な反対にあうと、さらに厳しい現実に直面します。ジェニファー・フレイドが指摘するように、大学組織が報告に消極的な姿勢を示す場合があるのです。
報告を思いとどまらせる組織的な行動は、性的暴行の被害者にさらなる害をもたらすようです。博士課程に在籍していたカーリー・スミスと私は、大学が性的暴行を防止しなかったり、性的暴行が発生したときに支援的な対応をしなかったりすること(これを私たちは「組織的裏切り」と呼んでいます)が、心的外傷後の苦痛を悪化させる可能性があることを発見しました(中略)。私たちは、性的暴行を受け、また組織的裏切りを経験した学生は、平均して性的虐待トラウマ、不安、性的機能障害、解離の割合が高いことを発見したのです。
大学におけるレイプ文化の最も一般的な説明は、女性を客観視し、性的なものとするアルコール漬けのパーティー文化と密接に結びついているというものです。このようなキャンパス文化の要素は、確かにレイプが起こりやすいキャンパスを作り維持するための基本的な要素ではあります。しかし、私たちの調査は、暴力を組織的に隠蔽することにも責任があることを示唆しています。管理者たちが大学キャンパスにおける性的暴行を暗黙的あるいは明示的に隠蔽している場合、彼らは単に問題の解決に失敗しているのではなく、それを助長する責任があり、その結果、それを助長する罪を犯しているのです。組織的な隠蔽は、レイプ容認文化の根底にあります。
大学が性的暴行の報告を最小限に抑えようとする危険な誘因に対抗するために、私たちは真実の暴露を奨励しなければなりません。Jennifer J. Freyd, “Official campus statistics for sexual violence mislead“, 2014.07
また、大学やカレッジは、報告された暴力の割合が競合他社よりも高い場合、大学が風評上の打撃を受けるため、性的被害を受けた学生が暴行を報告することを抑制する逆インセンティブをもっています。
タイトルナインの遵守
そもそも米国の大学キャンパスでは、セクシュアル・ハラスメントは性差別の一形態とみなされ、1972年教育改正の「タイトルナイン」(連邦資金を受ける教育プログラムにおける性による差別を禁止する連邦法)によって禁止されてきました。
ほとんどすべての大学が、学生ローン・プログラムや研究助成金を通じて資金を受け取っているため、事実上、全国のすべての大学がこの法律に従うことを義務付けられています。
つまり、大学は、事実であればセクシュアル・ハラスメントの法的定義に当てはまるような行為や行動すべての告発に対し、効果的に対応する道徳的・法的義務を負っています。他の多くの犯罪や犯罪と同様、人々が口語的に「セクハラ」と呼ぶものすべてが実際に法的定義に当てはまるわけではなく、その多くは実際には憲法で保護された表現行為や言論の自由です。そのため、大学がセクハラに対応する際には、学生や教職員の表現権を踏みにじることなく対応しなければなりません。
ありがたいことに、米国の最高裁判所は、生徒対生徒のハラスメントについて、ハラスメントを禁止すると同時に言論を保護する明確な基準を示しています。デイビス対モンロー郡教育委員会事件(1999年/526 U.S. 629, 633)において、裁判所は、教育的文脈におけるセクシャル・ハラスメントは、標的を絞った差別的行為であると判断しました。
定義によれば、これには極端で通常反復的な行為、つまり合理的な生徒が教育を受けられなくなるほど深刻な行為のみが含まれます。たとえば、デイヴィス事件では、裁判所は、被害者の胸や性器に何度も触ろうとしたり、被害者に向けて、また被害者について何度も性的な発言をしたりするなど、数カ月に及ぶ行動パターンが、訴えられるべきハラスメントであると判断しました。簡単にいえば、ハラスメントとして法的に処罰するためには、学生や教職員は単に無礼であったり、攻撃的であったりするだけではなく、ストーキング行為を伴うような長期的行動が参考にされます。
米国教育省公民権局(OCR)は、タイトルナインおよびその他の連邦差別禁止法を執行しています。OCRは、すべての「受益機関」、つまり大学やカレッジを含む、連邦政府から資金援助を受けている教育プログラムが、これらの法律を遵守するよう求めています。もちろん、その規制や施行する連邦法の遵守が、憲法修正第1条で保護される言論の自由を禁止する必要はないことをOCRは明らかにしています。
結論
米国でも他の多くの国でも、ハラスメント行為と言論の自由とは相関関係になっています。また、アスリートをはじめとする大学生たちが組織的裏切りに会う場合もあります。
この2つの状況はタイトルナインの遵守を妨げる条件となり、大学組織や犯罪学生グループ対被害学生個人という対立になりがちで、米国の場合、2010年代にセクハラが減少していったとはいえ、いまだ深刻な問題点として残っています。
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