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香港

香港は中国南部の特別行政区で、経済、文化、観光の中心地。1842年の南京条約で英国に割譲され、1997年に中国に返還されました。人口約750万、面積1,104㎢。金融ハブとして知られ、ビクトリアハーバーや高層ビル群が特徴。広東語が主に話され、多様な食文化が魅力です。

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時代別映画史

初期(1890年代~1940年代):映画の導入と黎明期

香港の映画史は、1896年に初めて映画が上映されたことに始まります。当初は西洋映画の上映が中心でしたが、1900年代に入り、地元の映画製作が始まりました。1913年、香港初の短編劇映画『莊子試妻』が公開され、黎民偉が監督を務めました。この時期はサイレント映画が主流で、広東オペラや伝統演劇の影響を受けた作品が多く見られました。1930年代にはトーキー(音声付き映画)が登場し、広東語映画が発展。『小城之春』(1948年、費穆監督)は、戦後の混乱期を背景にした名作で、繊細な人間ドラマが評価されました。主な女優として、阮玲玉が挙げられます。彼女は『神女』(1934年)で貧困に生きる女性を演じ、その情感豊かな演技で「中国のグレタ・ガルボ」と称されました。しかし、1935年に25歳で自ら命を絶ち、悲劇のスターとして語り継がれています。この時期の映画は、社会問題や道徳をテーマにした作品が多く、技術的制約から舞台的な演出が特徴でした。

  • 『莊子試妻』(1913年):香港初の劇映画、黎民偉監督。
  • 『神女』(1934年):阮玲玉主演、貧困女性の悲劇を描く。
  • 『小城之春』(1948年):費穆監督、戦後香港の名作。

1950年代~1960年代:黄金期の幕開けと武侠映画の台頭

戦後の香港では、映画産業が急速に成長し、広東語とマンダリン(北京語)の映画が並行して製作されました。1950年代は、ショウ・ブラザーズ(邵氏兄弟)やキャセイ(国泰機構)といった大手スタジオが設立され、産業基盤が強化されました。武侠映画が人気を博し、胡金銓監督の『龍門客棧』(1967年)は、ダイナミックなアクションと歴史的背景が融合した傑作です。女優では、林黛が『倩女幽魂』(1960年)の妖艶な幽霊役で注目を集め、4度の金馬奨最優秀女優賞を受賞するなど、スターとしての地位を確立しました。また、楽蒂も『梁山伯與祝英台』(1963年)で愛される女優となり、悲恋物語が観客の心を掴みました。この時期、香港映画は東南アジア市場にも進出し、国際的な影響力を増しました。カンフー映画の原型も生まれ、後のブルース・リーの登場を予感させました。

  • 『倩女幽魂』(1960年):林黛主演、古典的な幽霊譚。
  • 『梁山伯與祝英台』(1963年):楽蒂主演、悲恋の名作。
  • 『龍門客棧』(1967年):胡金銓監督、武侠映画の金字塔。

1970年代:カンフー映画のブームとブルース・リーの時代

1970年代は、ブルース・リーの登場により香港映画が世界的に注目されました。『ドラゴン危機一髪』(1971年)や『精武門』(1972年)は、カンフーアクションの革新性でハリウッドにも影響を与えました。ブルース・リーの急逝(1973年)は衝撃を与えましたが、彼の遺産は香港映画の国際的地位を高めました。一方、コメディやロマンス映画も人気で、許冠文の『鬼馬双星』(1974年)は庶民的なユーモアで大ヒット。女優では、徐楓が『侠女』(1971年)で凛とした武侠のヒロインを演じ、国際的に評価されました。また、ブリジット・リン(林青霞)は『雲海玉弓縁』(1966年)でデビューし、70年代後半から武侠映画で活躍。この時期、ゴールデン・ハーベストがショウ・ブラザーズを凌駕し、香港映画の商業的成功が続きました。

  • 『ドラゴン危機一髪』(1971年):ブルース・リー主演、カンフー映画の先駆け。
  • 『侠女』(1971年):徐楓主演、胡金銓の武侠傑作。
  • 『鬼馬双星』(1974年):許冠文のコメディ、庶民の笑いを描く。

1980年代:現代アクションと新世代のスター

1980年代は、香港映画の全盛期で、ジャッキー・チェンやサモ・ハンらが活躍。ジャッキーの『プロジェクトA』(1983年)は、スタントとユーモアが融合したアクションコメディの傑作です。ツイ・ハーク監督の『上海ブルース』(1984年)は、ノスタルジックなロマンスと戦争を描き、シルビア・チャン(張艾嘉)が情感豊かな演技で観客を魅了しました。ブリジット・リンも『東方不敗』(1992年、製作は80年代後半)で男装の麗人役を演じ、カルト的人気を博しました。ジョン・ウー監督の『男たちの挽歌』(1986年)は、男の友情と銃撃戦をスタイリッシュに描き、チョウ・ユンファを国際的スターに押し上げました。この時期、香港映画はハリウッドにも影響を与え、アクション映画の新たなスタイルを確立しました。

  • 『プロジェクトA』(1983年):ジャッキー・チェン主演、アクションコメディ。
  • 『上海ブルース』(1984年):シルビア・チャン主演、ツイ・ハークの名作。
  • 『男たちの挽歌』(1986年):チョウ・ユンファ主演、ジョン・ウーの代表作。

1990年代:多様化と国際的評価

1990年代は、香港映画が芸術性と商業性の両方でピークを迎えた時代です。ウォン・カーウァイ監督の『恋する惑星』(1994年)は、独特の映像美とトニー・レオン、フェイ・ウォンの化学反応で世界的に称賛されました。フェイ・ウォンは歌手としても成功し、映画での自然な演技が愛されました。アニタ・ムイは『胭脂扣』(1988年、公開は80年代だが90年代にも影響)で悲劇的な歌姫を演じ、女優としての評価を高めました。マギー・チャン(張曼玉)は『花様年華』(2000年、製作は90年代後半)で国際的な賞を受賞し、香港を代表する女優に。アクション映画では、ジェット・リーの『黄飛鴻』シリーズ(1991年~)が人気を博しました。しかし、1997年の香港返還や海賊版問題で、映画産業は徐々に衰退の兆しを見せました。

  • 恋する惑星』(1994年):フェイ・ウォン、トニー・レオン主演、ウォン・カーウァイの代表作。
  • 『黄飛鴻』(1991年):ジェット・リー主演、武侠アクションの名作。
  • 花様年華』(2000年):マギー・チャン主演、芸術性の高い恋愛映画。

2000年代~現在:再編と新たな挑戦

2000年代以降、香港映画はハリウッドや中国本土との合作が増え、産業構造が変化しました。『インファナル・アフェア』(2002年)は、トニー・レオンとアンディ・ラウの緊張感溢れる演技が話題となり、ハリウッドで『ディパーテッド』としてリメイクされました。女優では、セシリア・チャン(張栢芝)が『星願』(1999年、公開は90年代だが2000年代に活躍)で清純なイメージを確立し、『インファナル・アフェア』でも印象的な役を演じました。近年は、香港の社会問題を反映した映画も登場。『十年』(2015年)は、香港の未来をテーマにしたオムニバス映画で、国際的に高評価を得ました。しかし、中国本土の検閲強化や市場競争により、香港映画の独自性は挑戦を受けています。それでも、新世代の監督や俳優がインディペンデント作品で香港映画の精神を継承しています。

  • 『インファナル・アフェア』(2002年):トニー・レオン、アンディ・ラウ主演、犯罪サスペンス。
  • 『星願』(1999年):セシリア・チャン主演、感動作。
  • 『十年』(2015年):香港の未来を描くオムニバス映画。

レビュー 作品の感想や女優への思い

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