武田久美子は日本の女優、元アイドル。静岡県出身で、幼少期からモデルとして活躍し、1980年代にアイドルブームの中心人物として人気を博しました。歌手デビューやグラビア活動で知られ、特に「貝殻ビキニ」の写真集が社会現象を起こしました。
女優として映画やドラマに多数出演し、1999年にアメリカ人男性と結婚して渡米。2016年に離婚後、現在はカリフォルニア州サンディエゴ在住で、娘と暮らしながら日本とアメリカを往復する生活を送っています。美貌と健康法を活かした著書や商品プロデュースも行い、幅広い世代から支持を集めています。
プロフィール
- 名前:武田久美子
- 生年月日:1968年8月12日(57歳)
- 出身地:日本国静岡県
- 血液型:A型
- 眼色:濃褐色
- 髪色:黒色→茶色(染色)
- 身長:158cm
- スリーサイズ:85 – 58 – 82 cm
- SNSサイト:Instagram

諸発言がバカ全開ですが、同世代としてビジュアルは完璧(^^)
生い立ち・教育
武田久美子は、1968年8月12日に静岡県で生まれました。両親も静岡県出身で、母親の実家が同県にあり、幼少期をそこで過ごしました。2歳半の頃に家族とともに東京都中野区へ引っ越し、その後、北区田端にマイホームを構えて移住しました。この移住は、家族の生活基盤を安定させるためのものでした。幼い頃から活発で目立ちたがり屋の性格が現れ、6歳頃からモデルとして活動を始めました。小学校4年生の時に弟とともにウナコーワのテレビCMに出演し、芸能界との出会いを果たしました。この経験が、彼女のタレント志向を強く育てました。
教育面では、北区立滝野川第四小学校に通いました。学校生活では、明るく人気者でしたが、芸能活動の影響で多忙を極めました。中学校は堀越中学校(現在は廃校)へ進学し、高校は堀越高等学校を卒業しました。堀越高校は芸能人の多い学校として知られ、彼女のキャリアに適した環境でした。中学時代、1981年に東京大学アイドルプロデュース研究会主催の「第2回東大生が選ぶアイドルコンテスト’81」に1263人の応募者の中からグランプリを獲得。「東大生が選んだアイドル」として一躍注目を集め、デビューのきっかけとなりました。このコンテストでの優勝は、彼女の清純で魅力的なイメージを確立し、芸能界への扉を開きました。学生時代は学業と芸能の両立に努めましたが、アイドル活動の忙しさから、深い学問よりも実践的な経験を積むことが多かったようです。こうした生い立ちは、彼女の自立心とプロフェッショナリズムを養い、後年のキャリアに大きく寄与しています。
経歴
武田久美子の芸能界入りは、幼少期のモデル活動から始まりましたが、本格的なデビューは1981年のアイドルコンテスト優勝後です。1982年、近藤真彦主演の映画『ハイティーン・ブギ』でヒロイン役を務め、女優として鮮烈な印象を残しました。この作品でのキスシーンが話題となり、近藤のファンから嫌がらせを受けるなど、苦労もありましたが、彼女の演技力が評価されました。同年、石井聰亙監督の短編映画『シャッフル』にも出演し、映画初体験を積みました。
1983年にはシングル「噂になってもいい」で歌手デビュー。深みのある歌声が特徴で、6枚のシングルと2枚のアルバムをリリースしました。この時期、ラジオ番組『武田久美子・水島裕の愛して!ウィウィ』や『武田久美子 パイオニア・サウンド・ハイスクール』でパーソナリティを務め、親しみやすいキャラクターをアピール。CMでは資生堂のシャワーコロンや森永製菓のチョコスナックなどに出演し、多方面で活躍しました。1980年代中盤はアイドルとして絶頂期を迎え、写真集のリリースも相次ぎました。特に1984年の『マイディア ステファニー』で披露した「貝殻ビキニ」は大反響を呼び、30万部以上のヒット。グラビアの女王として名を馳せ、1987年の『Just a girl』では大胆な路線変更を試み、話題となりました。
1990年代に入ると、Vシネマやドラマにシフト。『JINGI 仁義 2』(1994年)や『Zero Woman 3 警視庁0課の女』(1996年、主演)でアクション女優としての側面を見せました。2000年代は女優業を続けつつ、美と健康をテーマにした活動を拡大。著書『武田久美子という生き方 きれいでいるには理由がある』(2004年)やDVD『武田久美子の Body Squeeze Exercise』をリリースし、美容アドバイザーとして人気を博しました。2014年には故郷の縁で北海道紋別市のホタテキャンペーンガールに就任。2016年から2021年まで、株式会社愛しとーのコラーゲンゼリーの広告塔を務め、売上好調に貢献しました。
所属事務所はデビュー時の原プランニングからホリプロ、フィットワン、株式会社スクロールを経て、現在は株式会社グローバルプロモーションです。1999年の結婚後、アメリカ移住により活動は一時減少しましたが、2010年代以降は日本での仕事も再開。ブログ「Kumiko’s San Diego Life」で日常を発信し、ファンとのつながりを保っています。2020年代に入り、娘の成長とともに自身のライフスタイルを活かしたプロデュース活動を続け、女優業と並行して多角的なキャリアを築いています。彼女の経歴は、アイドルから成熟した女優、美の専門家への変遷を象徴しており、57歳となった現在も輝きを失っていません。
私生活
武田久美子の私生活は、芸能活動と密接に結びつきながらも、独自の軌跡を辿っています。幼少期から芸能界に身を置き、目立つ存在として育ちましたが、家族との絆を大切にしていました。両親のサポートのもと、東京での生活を安定させ、弟とはCM共演を通じて仲を深めました。中学時代には、ビッグ・マンモスのメンバー山崎圭一と交際。この恋は青春の思い出として語られますが、彼の水難事故による死去後、「後悔する恋はしない」との誓いを立て、以後、慎重な恋愛観を持つようになりました。このエピソードは、著書『くみこの掟 武田久美子 美しくなる魔法の言葉集』で詳細に綴られています。
1999年、31歳の時にアメリカ人男性ジェームス・コーン・ジュニア氏と結婚。夫は製薬会社ファイザーの社員で、35歳の時に出会いました。結婚は突然の決断で、周囲から「日本を捨てて出ていくんだから、二度と帰ってくるなよ!」との厳しい言葉も受けましたが、彼女は国際結婚を選びました。カリフォルニア州サンディエゴに移住し、2002年に長女ソフィアを出産。家族三人でニューヨークにも住んだ時期があり、夫の転勤に柔軟に対応しました。私生活では、へそピアスを開けたり、ブログで日常を共有したりと、自由奔放な一面を見せました。好物はミル貝の握り、納豆ごはん、ホタテで、胃が小さいため1日5〜6回の少量食事を心がけています。辛いものも好きですが、健康管理を徹底し、美貌を維持しています。
しかし、2016年1月11日に離婚が成立。理由は文化・人種の違いによるストレスで、夫の冷たさや国際結婚の難しさをインタビューで明かしました。「外国人はしばらくいいかな」と語るほどで、離婚後、シングルマザーとして娘を育てました。現在、ソフィアはメディカルスクール生となり、才色兼備の娘として武田の誇りです。2024年頃、元夫の逝去を娘のインスタグラムで報告し、「どうか安らかに」と追悼。離婚後も日本とアメリカを往復し、娘のフィギュアスケート練習の送迎など、母親としての役割を全うしています。私生活の変遷は、彼女の強さと適応力を示しており、ブログや著書を通じてファンに温かく語りかけています。美と健康へのこだわりは、私生活の基盤となっており、43歳の著書『43才でもなぜ武田久美子でいられるのか』でその秘訣を公開。ヨガやエクササイズを日常に取り入れ、ポジティブな生き方を体現しています。
出演作品
武田久美子の出演作品は、映画、Vシネマ、テレビドラマ、CM、ラジオ、音楽と多岐にわたり、アイドル時代から女優期までを反映しています。以下に主なものを挙げます。
- 映画:『シャッフル』(1981年、短編、ヒロイン役、公開1983年秋)。デビュー前の初映画で、石井聰亙監督作品。
- 映画:『ハイティーン・ブギ』(1982年、ヒロイン役)。近藤真彦と共演し、キスシーンが話題。
- 映画:『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花』(1985年、さくら役)。マドンナ役で人気シリーズに参加。
- 映画:『スケバン刑事II 続・劇場版』(1987年、竹内比佐役)。アクションを披露。
- 映画:『三銃士』(1987年、コンスタンス役)。ディズニー実写版に出演。
- 映画:『龍狼伝 前編』(1990年、おりん役)。時代劇に挑戦。
- 映画:『ミンボーの女』(1992年、葉月役)。伊丹十三監督作品でコメディ演技。
- 映画:『お嬢さん乾杯!』(1993年、峰村葉子役)。ラブコメディ。
- 映画:『人間の約束』(1994年、森本直子役)。是枝裕和監督の人間ドラマ。
- 映画:『翔んで埼玉』(2019年、壇ノ浦恵子役)。二宮和也主演のコメディで復帰作の一つ。
- Vシネマ:『JINGI 仁義 2』(1994年、愛子/由紀子役)。ヤクザ映画シリーズ。
- Vシネマ:『Zero Woman 3 警視庁0課の女』(1996年、主演・レイ役)。アクション主演。
- Vシネマ:『霊界学校 麻子先生の首』(1997年、主演・麻子先生役)。ホラー。
- Vシネマ:『内閣特務捜査官 ORDER』(1997年、ナツミ役)。サスペンス。
- Vシネマ:『ダブルキャスト』(1998年、主演・秋鹿典子役)。ミステリー。
- テレビドラマ:『金曜日の妻たちへ』(1983年、青井フミ役)。TBS系列でデビュー作。
- テレビドラマ:『スクール☆ウォーズ』(1984年、黒田由紀子役)。TBS、熱血教師ドラマ。
- テレビドラマ:『男女7人夏物語』(1986年、夏木カオル子役)。TBS、青春群像劇。
- テレビドラマ:『ベイサイドウェディング』(1988年、宮前由紀役)。日本テレビ、恋愛ドラマ。
- テレビドラマ:『結婚の理想と現実』(1990年、宮前由紀役)。フジテレビ、結婚をテーマ。
- テレビドラマ:『お見合い結婚』(1993年、早見真由美役)。日本テレビ。
- テレビドラマ:『愛という名のもとに』(1992年、浅井冴子役)。日本テレビ、NHK紅白歌合戦のモデル。
- テレビドラマ:『ビーチボーイズ』(1997年、皆越夏子役)。フジテレビ、武田鉄矢と共演。
- テレビドラマ:『ハッピーマニア』(1998年、宮前由紀役)。フジテレビ、連載漫画原作。
- テレビドラマ:『天気予報の恋人』(1999年、宮前由紀役)。フジテレビ。
- CM:ウナコーワ(1970年代、小学生時、弟と共演)。
- CM:資生堂 シャワーコロン(1983年)。
- CM:森永製菓 ニューサント、チョコスナックもしもし(1983年-)。
- CM:ロート製薬 キャンパスリップ。
- CM:三洋電機 サンヨーワードプロセッサ(1985年-)。
- CM:サッポロビール 生ビールキャンペーンガール(ポスター、1980年代)。
- CM:北海道紋別市 ホタテキャンペーンガール(2014年)。
- CM:株式会社愛しとー コラーゲンゼリー(2016年-2021年、TV・ネット通販)。
- ラジオ:『武田久美子・水島裕の愛して!ウィウィ』(1982年10月-1983年3月、ニッポン放送)。
- ラジオ:『武田久美子 パイオニア・サウンド・ハイスクール』(1983年5月-1984年3月、ニッポン放送)。
- 音楽:シングル「噂になってもいい」(1983年、デビュー曲)。
- 音楽:シングル「Myボーイ」(1984年、アメリカンポップス調)。
- 音楽:アルバム『KUMIKO』(1983年)、『KUMIKO II』(1984年)。
- 写真集:『My Dear STEPHANIE』(1984年、貝殻ビキニで30万部ヒット)。
- 写真集:『Just a girl』(1987年、大胆路線変更)。
- 著書/DVD:『武田久美子のシンプルな35の習慣』(トランスメディア)、『KUMIKO BIBLE』(KADOKAWA)、『武田久美子プロデュース -5才Bodyメイク』(小学館)、『43才でもなぜ武田久美子でいられるのか』(小学館)、『武田久美子のつくり方 DVD付き』(小学館)、『くみこの掟』(講談社)、『プレシャスKUMIKOボディ』(アスコム)、『武田久美子という生き方』(小学館)、DVD『武田久美子の Body Squeeze Exercise』(スクロール)、『武田久美子裏ワザ3分メイク術』(スクロール)。
これらの作品を通じて、武田久美子は清純アイドルからグラビアクイーン、成熟した女優へと進化。出演数は多岐にわたり、彼女の多才さを物語っています。特にグラビアと美容関連の作品は、ファンに永く愛されています。
レビュー 作品の感想や女優への思い