ニエベス・ナバロ(Nieves Navarro)はスペイン出身の元女優、ファッションモデル。イタリア映画界で1960年代から1970年代にかけて活躍し、スパゲッティ・ウェスタンやジァッロ、ホラー作品で知られています。1969年以降はスーザン・スコットという芸名を使用。監督ルチアーノ・エルコリと結婚し、彼の作品に多数出演しました。1989年に引退。現在はバルセロナ在住。
プロフィール
- 名前:ニエベス・ナバロ(Nieves Navarro)
- 出生名:ニエベス・ナバロ・ガルシア(Nieves Navarro García)
- 別名義:スーザン・スコット(Suzanne Scott)
- 生年月日:1938年11月11日(86歳)
- 出生地:スペイン、アルメリア県アルメリア
- 職業:女優・ファッションモデル
- 活動期間:1964年 – 1989年
生い立ち・教育
ニエベス・ナバロ・ガルシアは、1938年11月11日、スペイン南部のアルメリアで生まれました。この地域はアンダルシア地方に位置し、当時はスペイン内戦後の厳しい時代背景がありました。彼女の父親はアンダルシア人、母親はカタルーニャ人で、多様な文化的影響を受けながら育ちました。幼少期はアルメリアで過ごしましたが、12歳の時に家族とともにバルセロナへ移住しました。バルセロナは母親の故郷であり、活気ある都市生活が彼女の形成に寄与したと考えられます。
バルセロナでの生活は、彼女のキャリアの基盤を築きました。スペインでは、1950年代後半にテレビが導入され、社会が急速に近代化していました。ニエベスはこうした環境の中で、広告やファッションの分野に興味を持ち始めました。正式な教育に関する詳細な記録は少なく、専門的な演劇学校や大学教育を受けたという情報はありませんが、彼女の美貌と魅力が早くから注目を集め、モデルとしての道が自然に開かれました。家族の支援のもと、彼女は地元の広告業界で活動を開始し、テレビコマーシャルへの出演を通じて知名度を高めていきました。この時期の経験は、後の映画界への移行をスムーズにしました。全体として、彼女の生い立ちはスペインの地方から都市部への移住という典型的なパターンを辿り、ポスト内戦期のスペイン社会の変遷を反映しています。こうした背景が、彼女の国際的なキャリアに耐久力と適応力を与えたのです。
経歴
ニエベス・ナバロ・ガルシアの経歴は、モデルから女優への華麗なる転身から始まります。1950年代中盤、スペインのテレビ放送開始に伴い、彼女は広告モデルとしてデビューしました。ファッション誌やコマーシャルでその美しさが際立ち、業界内で注目を集めました。1960年代に入り、イタリア映画界の活況を背景に、彼女は本格的な女優業に進出します。初の映画出演は1965年のスペイン・イタリア合作映画『トト・オブ・アラビア』で、トトー演じる主人公の相手役としてドリスという美しいスパイを演じました。この作品はロレンス・オブ・アラビアのパロディで、彼女の魅力がコメディ要素の中で光りました。
同年、彼女はスパゲッティ・ウェスタンジャンルの初期の女性スターとして『ピストル・フォー・リンゴ』に出演し、ドロレス役を務めました。このジャンルはイタリアで制作された低予算の西部劇で、アルメリアの砂漠が舞台として多用され、彼女の地元が活かされました。続編『リンゴの帰還』でもロシータ役を演じ、人気を確立します。以降、『大ガンダウン』(1966年)で未亡人役、『復讐の長い日々』(1967年)でドリー役など、西部劇に数多く出演。1970年の『導火線に火をつけろ…サルタナが来る』や1971年の『アディオス・サバタ』でも脇役を果たしました。これらの作品で、彼女は強い女性像を体現し、ジャンルの発展に貢献しました。
1969年以降、彼女はスーザン・スコット(またはスザンヌ・スコット)という英語風の芸名を使用し始め、国際的なアピールを強めました。この頃からアクションやホラー映画へのシフトが見られ、特にジァッロ(イタリアのサスペンス・ホラー)で活躍します。『ストリッパー殺人事件』(1971年)でニコール・ロチャード役を演じ、ミステリアスな美女として注目されました。監督ルチアーノ・エルコリとの出会いが転機となり、1972年に結婚。エルコリの作品に多数出演し、『Death Walks at Midnight』(1972年)でヴァレンティナ役を果たしました。この夫婦のコラボレーションは、彼女のキャリアをエロティックなジァッロやセックス・コメディへ導きました。
1970年代半ばには、エマヌエル・シリーズに参加。1977年の『エマヌエルと最後の食人族』でマギー・マッケンジー役、1978年の『エマヌエルとロリータ』でエマヌエル役を演じ、ソフトコア・エロティシズムの象徴となりました。他にも『すべての闇の色』(1972年)でバーバラ・ハリソン役など、ホラー要素の強い作品で主演を張りました。イタリア映画界での活躍は、トトーやリノ・バンフィといった大物俳優との共演も含め、幅広いジャンルに及びました。
1980年代に入り、彼女はスペイン映画への回帰を試みます。1983年の『ハニー』でフェルナンド・レイと共演しましたが、期待ほどの成功を収めませんでした。1989年に『ズッキーニの花』と『快楽の家』で最後の出演を果たし、引退を宣言。引退後も、テレビ番組『シネ・デ・バリオ』で自身のキャリアを語るなど、時折メディアに登場しました。彼女の経歴は、モデルから国際女優への上昇と、エロティック映画のスターとしての定着、そして静かな引退という流れを辿り、ヨーロッパ映画史に独特の足跡を残しました。
私生活
ニエベス・ナバロ・ガルシアの私生活は、キャリアと密接に結びついています。1972年、映画『死は真夜中に歩く』の撮影を機に、監督兼プロデューサーのルチアーノ・エルコリと出会い、同年に結婚しました。この結婚は彼女の人生に大きな影響を与え、エルコリとのパートナーシップは仕事面でも私生活面でも安定をもたらしました。夫婦はイタリアで長く暮らし、彼女の作品の多くがエルコリの制作によるものでした。子供に関する情報は公にされていませんが、夫婦の絆は深く、2015年にエルコリが亡くなるまで続きました。
引退後は、スペインのバルセロナに戻り、静かな生活を送っています。バルセロナは母親の故郷であり、幼少期の移住先として懐かしい場所です。近年、彼女は地元のイベントやテレビ番組でゲスト出演し、過去のキャリアを振り返っています。例えば、ジァッロ映画のオマージュイベントに参加したり、自身のモデル時代を語ったりしています。私生活では、ファッションや映画への情熱を保ちつつ、家族や友人との時間を大切にしているようです。公の場での露出は控えめですが、彼女の存在はヨーロッパのB級映画ファンから今なお愛されています。全体として、ニエベスの私生活は、情熱的な結婚と故郷への回帰という穏やかな結末を迎えています。
出演作品
- トト・オブ・アラビア(1965年):ドリス役
- ピストル・フォー・リンゴ(1965年):ドロレス役
- リンゴの帰還(1965年):ロシータ役
- 大ガンダウン(1966年):未亡人役
- 復讐の長い日々(1967年):ドリー役
- アモール・ア・トド・ガス(1969年):主演
- 導火線に火をつけろ…サルタナが来る(1970年):ベル・マナサス役
- 禁じられた淑女の写真(1970年):ミニー役
- アディオス・サバタ(1971年):キングスビル・サルーン・ダンサー役
- ストリッパー殺人事件(1971年):ニコール・ロチャード役
- すべての闇の色(1972年):バーバラ・ハリソン役
- Death Walks at Midnight(1972年):ヴァレンティナ役
- エマヌエルと最後の食人族(1977年):マギー・マッケンジー役
- エマヌエルとロリータ(1978年):エマヌエル役
- ハニー(1983年):主演
- ズッキーニの花(1989年):主演
- 快楽の家(1989年):主演
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