松本清張の短編小説『鬼畜』は、1957年に『別冊文藝春秋』に掲載された作品です。印刷屋を営む男が、妾との間にできた三人の子を妻に知られ、貧困と家族の軋轢に追い詰められて非道な行為に及ぶ悲劇を描きます。実話に基づき、戦後社会の闇と人間の弱さを鋭く抉る社会派ミステリーで、家族の崩壊と道徳の喪失をテーマとしています。
あらすじ
物語の舞台は、戦後間もない日本の地方都市です。主人公の竹中宗吉は、32歳の印刷屋の主人として、細々と商売を営んでいます。彼の妻であるお梅は、狐のような鋭い顔立ちの女性で、夫婦の間には子がおらず、互いに支え合いながら生活を続けていました。しかし、宗吉は料理屋で働く女中・菊代に心惹かれ、密かに関係を持ち始めます。菊代は宗吉の情熱に身を委ね、二人の間にはやがて三人の子が生まれます。長男の利一、次男の庄二、長女の良子です。宗吉は妻に内緒で、菊代と子供たちに仕送りを続けていましたが、時代は急速に変わりつつありました。
近代的な印刷会社の進出や、予期せぬ火災により、宗吉の小さな印刷屋は経営難に陥ります。設備を失い、顧客を大手企業に奪われ、仕送りすらままならなくなったのです。苦境に追い込まれた菊代は、ついに三人の幼い子供を連れて宗吉の家を訪れます。突然の訪問に、事態は露見します。お梅は激怒し、宗吉の裏切りを許しません。菊代の存在を知ったお梅は、冷徹な視線で子供たちを睨みつけ、宗吉に「この子たちをどうするつもりか」と詰め寄ります。宗吉は言葉に詰まり、ただ茫然と立ち尽くすばかりです。
菊代は夫婦の冷たい態度に耐えかね、子供たちを置いて姿を消します。残された三人は、宗吉の家で暮らすことになりますが、お梅の仕打ちは苛烈を極めます。彼女は子供たちを「他人の子」として扱い、食事もろくに与えず、労働を強います。次男の庄二は、栄養失調と過酷な環境により、病に倒れ、やがて息を引き取ります。宗吉は妻の冷酷さに抗えず、ただ罪悪感に苛まれるばかりです。長女の良子は、ある日忽然と姿を消し、行方不明となります。宗吉は良子を捜索しますが、手がかりはなく、絶望の淵に沈みます。
残された長男の利一だけが、宗吉の傍らに取り残されます。しかし、お梅の圧力は増すばかりで、宗吉はついに決断を迫られます。子供を養う経済力もなく、家族の崩壊を前に、宗吉は利一を連れて旅に出ます。それは、逃避の旅であり、同時に破滅への道でもありました。旅の途中、宗吉は利一を毒殺しようと試みますが、失敗します。続いて、海辺で利一を溺れさせようとしますが、漁師に救出されてしまいます。事件は明るみに出、石版印刷の残骸から宗吉の足がつき、殺人未遂の罪で逮捕されます。宗吉は獄中で発狂し、死を迎えます。お梅は在監中でした。
この物語は、宗吉の内面的な葛藤を細やかに描きながら、家族の絆が如何に脆く、貧困が人間性を蝕むかを示します。松本清張の筆致は、克明で容赦なく、読者に深い余韻を残します。
解説
松本清張の『鬼畜』は、単なる犯罪小説ではなく、人間心理の深淵を探る社会派の傑作です。作者自身が語るところによると、本作は知人である検事・河井信太郎から聞いた実話を基に執筆されたものであり、フィクションながら現実の残酷さを色濃く反映しています。戦後日本の混乱期を背景に、経済格差、家族制度の変容、そして個人の道徳的崩壊をテーマに据え、読者の心を強く揺さぶります。
まず、主人公・竹中宗吉の人物像に注目すべきです。彼は典型的な「弱い男」として描かれ、情熱的に不倫に走る一方で、責任を取る勇気を持たず、状況に流されるばかりです。この弱さが、物語の悲劇を加速させます。一方、妻のお梅は冷徹で現実的な女性として対比され、家族を守るための苛烈な行動が、かえって鬼畜性を露呈します。妾の菊代は、絶望の象徴として短く登場しますが、彼女の自暴自棄な行動が、子供たちの運命を決定づけます。これらの人物を通じて、清張は「鬼畜」とは誰を指すのかを問いかけます。それは、宗吉の直接的な行為だけでなく、周囲の大人たちの無責任さと社会の無関心を指すのです。
テーマの核心は、親子関係の崩壊にあります。子供たちは、無垢な被害者として描かれ、宗吉の「愛」は、結局のところ自己中心的なエゴイズムに過ぎませんでした。清張は、こうした親の弱さが子に及ぼす惨禍を、克明に描写することで、戦後家族の病理を暴きます。また、背景には戦後の経済復興期の影が色濃く、伝統的な家業の衰退や都市化の波が、個人の生活を破壊する様子が織り込まれています。これは、清張の他の作品群、例えば『点と線』や『砂の器』に見られる社会批評の系譜に連なります。
- 人間の弱さと責任の放棄:宗吉の行動は、個人の倫理的失敗を象徴します。
- 家族制度の歪み:本妻と妾の対立が、伝統と近代の衝突を表します。
- 貧困の連鎖:経済的困窮が、犯罪を生む社会構造を批判します。
- 実話の影響:検事の証言に基づくリアリティが、作品の衝撃を高めます。
- 清張の作風:心理描写の細やかさと社会派の視座が融合した短編の傑作です。
批評家からは、「鬼畜」というタイトルが示す通り、人間性の暗部を直視させる力作として高く評価されています。発表当時、センセーショナルな内容ゆえに議論を呼びましたが、今日では日本文学の古典として位置づけられています。この作品を通じて、清張は「人間とは何か」を問い続け、読者に深い省察を促します。
映画化
松本清張の『鬼畜』は、1978年10月7日に松竹で映画化されました。監督は野村芳太郎、主演は緒形拳(竹中宗吉役)と岩下志麻(お梅役)で、脚本は井手雅人、撮影は高羽弘志が担当しています。上映時間は110分で、英語タイトルは『The Demon』です。この映画は、原作の短編を基にしながら、舞台を埼玉県川越市に移し、より視覚的にドラマチックに展開させています。配給収入は約4億9千万円を記録し、当時のヒット作となりました。
映画のストーリーは原作に忠実ですが、細部にリアリティを加えています。宗吉の印刷屋が火災で壊滅するシーンや、子供たちを連れた菊代(小川真由美)の登場が、緊張感を高めます。お梅の冷遇がエスカレートし、次男の庄二が衰弱死する描写は、観客の心を痛めつけます。長女の良子を東京タワー近くに置き去りにする場面や、長男の利一を能登半島の海に落とすクライマックスは、息をのむほどの衝撃です。宗吉の逮捕シーンでは、石版印刷の石材の破片が証拠となる点が、巧みに描かれています。
キャスティングの妙が光ります。緒形拳は、弱々しくも内なる鬼畜性を宿す宗吉を、絶妙の演技で体現。岩下志麻のお梅は、高圧的で現実的な妻像を冷ややかに演じ、夫婦の対立を際立たせます。小川真由美の菊代は、絶望的な情熱を短い出番で印象づけ、子役たちの無垢さが悲劇を強調します。野村監督は、原作発表時から映画化を熱望し、渥美清を宗吉役に考えていましたが、イメージの相違で断念。代わりに緒形を起用し、岩下の説得で実現しました。撮影中、岩下は子役たちに厳しく接するよう指示され、役のリアリティを追求しましたが、後年子役たちと再会し、トラウマの心配を解消しています。
映画は同時上映でリバイバル公開の『砂の器』とペアを組み、松本清張作品の魅力をアピール。キャッチコピーは「弟は、きっと星になったんだ」「妹は、きっとお金持ちに拾われたんだ」などで、子供たちの運命を象徴します。批評では、野村の演出が心理描写を深め、緒形の鬼畜演技が絶賛されました。第3回日本アカデミー賞では優秀作品賞を受賞し、以降DVD・Blu-rayでリリースされています。また、2017年には玉木宏主演のテレビドラマスペシャルも制作され、新たな解釈が加わりましたが、1978年の映画版が最も影響力のある映像化です。この映画は、清張の文学性を視覚的に昇華させ、親子の絆と人間の闇を永遠のテーマとして刻みました。
レビュー 作品の感想や女優への思い