エリノア・パーカー(Eleanor Parker)は、1922年にオハイオ州で生まれ、2013年に没したアメリカの女優です。『檻の中の女たち』『刑事物語』『愛の旋律』でアカデミー賞主演女優賞に3度ノミネートされ、多彩な演技で知られています。
プロフィール
- 名前:エリノア・パーカー(Eleanor Parker)
- 本名:エリノア・ジーン・パーカー(Eleanor Jean Parker)
- 生年月日:1922年6月26日
- 没年月日:2013年12月9日(享年91歳)
- 出生地:アメリカ合衆国オハイオ州セダービル
- 国籍:アメリカ合衆国
- 職業:女優
- 活動期間:1941年 – 1991年
- 配偶者:Fred Losee(1943-1944年)、Bert E. Friedlob(1946-1953年)、Paul Clemens(1954-1965年)、Raymond Hirsch(1966年-)
生い立ち・教育
エリノア・ジーン・パーカーは、1922年6月26日、アメリカ合衆国オハイオ州シダービルで生まれました。彼女は3人きょうだいの末っ子として、この小さな町で育ちました。父親のレスター・デイ・パーカーは数学教師で、母親のローラ・イセット・パーカーは家庭を支える主婦でした。家族はエリノアが生まれて間もなく、オハイオ州東クリーブランドに移住し、そこで安定した生活を営みました。
幼少期からエリノアは演劇に強い興味を示しました。学校の劇で活躍する姿は、周囲を驚かせるほどでした。東クリーブランドの公立学校に通い、ショー高校を卒業した彼女は、早くから女優になることを夢見ており、その情熱は家族にも伝わっていました。高校時代には、校内の演劇部でさまざまな役をこなし、演技の基礎を身につけました。この時期の経験が、彼女の将来を大きく形作ったのです。
卒業後、エリノアは演劇の道を本格的に追求するため、15歳の頃からマサチューセッツ州マーサズ・ビンヤードにあるライス・サマー・シアターに参加しました。そこで夏の劇団に所属し、ウェイトレスとして働きながら舞台経験を積みました。この環境は、彼女にプロフェッショナルな演技の厳しさを教えてくれました。やがてカリフォルニア州に移り、パサデナ・プレイハウスで本格的な演劇教育を受けました。この名門劇場学校では、厳しいトレーニングを通じて、表現力や身体表現を磨きました。
パサデナ・プレイハウス在籍中、20世紀フォックスからスクリーンテストのオファーが来ましたが、彼女はそれを断り、まずは舞台で経験を積むことを選びました。この決断は、彼女のプロ意識の高さを示すものでした。こうした生い立ちと教育の過程が、エリノアをハリウッドの舞台へと導き、多才な女優として花開く基盤を築きました。彼女の幼少期の情熱は、生涯にわたるキャリアの原動力となったのです。
経歴
エリノア・パーカーのキャリアは、1941年にワーナー・ブラザースと契約を結んだことから始まりました。18歳の誕生日にサインしたこの契約は、彼女の人生を劇的に変えました。最初は端役からスタートし、1941年の『They Died with Their Boots On』に出演しましたが、シーンはカットされてしまいました。しかし、1942年の短編映画『Soldiers in White』で本格的なデビューを果たしました。以降、『Busses Roar』や『The Mysterious Doctor』などの作品で脇役を務め、着実に経験を積み重ねました。
1940年代半ばになると、彼女の才能が開花します。1945年の『Pride of the Marines』でジョン・ガーフィールドと共演し、批評家から注目を集めました。この作品は、彼女のキャリアの大きな転機となりました。また、1946年の『Of Human Bondage』では、ミルドレッド・ロジャース役を演じ、複雑なキャラクターを深く表現したことで好評を博しました。この頃、彼女は「千の顔を持つ女優」と称されるほどの多才さを発揮し始めました。
しかし、ワーナー・ブラザース時代は、役柄の選択を巡るトラブルも多かったです。望まぬ役を拒否してサスペンションを食らうこともあり、1948年から1949年にかけては家族の時間を優先して休養しました。1950年、彼女はワーナーを離れ、『Caged』で主演を務めました。この刑務所ドラマでの演技は圧巻で、ヴェネツィア国際映画祭でヴォルピ・カップ主演女優賞を受賞し、アカデミー賞にもノミネートされました。以降、『Three Secrets』などの作品で活躍を続けました。
1951年、パラマウント・ピクチャーズに移籍し、『Detective Story』でカーク・ダグラスと共演。短い出演時間ながらも、忘れがたい妻役で再びアカデミー賞ノミネートを獲得しました。この成功により、彼女の人気は頂点に達しました。1952年、MGMと契約し、『Scaramouche』でスチュアート・グレンジャーと共演。剣戟映画での優雅な演技が魅力でした。
1950年代中盤は、彼女の黄金期です。1955年の『Interrupted Melody』では、ポリオに苦しむオペラ歌手マージョリー・ローレンス役を熱演し、3度目のアカデミー賞ノミネートを果たしました。同年、『The Man with the Golden Arm』でフランク・シナトラの妻役を演じ、依存症の妻の苦悩をリアルに描きました。これらの作品で、彼女は感情の深みを存分に示しました。
1960年代に入ると、映画からテレビへシフトします。1960年にテレビデビューし、『The Eleventh Hour』でエミー賞にノミネートされました。1965年の『The Sound of Music』では、男爵夫人エルサ・フォン・シュライダー役で、ジュリー・アンドリュースの対極として冷徹な魅力を発揮しました。この作品は彼女の代表作の一つです。また、1969年から1970年のTVシリーズ『Bracken’s World』でゴールデングローブ賞にノミネートされました。
1970年代以降は、ゲスト出演を中心に活動。『Hawaii Five-O』『The Love Boat』『Murder, She Wrote』などで見せ場を作りました。1979年の『Sunburn』が最後の主要映画出演となり、1991年のTV映画『Dead on the Money』で引退しました。舞台でも『Applause』や『The Night of the Iguana』に出演し、多方面で活躍しました。ハリウッド・ウォーク・オブ・フェイムに星を刻むなど、彼女の功績は永遠です。エリノアの経歴は、時代を超えた適応力と情熱の証です。
私生活
エリノア・パーカーの私生活は、華やかなキャリアとは対照的に、家族中心の穏やかなものでした。彼女は生涯で4度の結婚を経験し、それぞれの関係から多くの学びを得ました。最初の結婚は、1943年に劇場マネージャーのフレッド・ルーシーと。わずか1年で離婚しましたが、この経験は若き日の彼女に現実を教えてくれました。
1946年、彼女は実業家バート・E・フリードロブと再婚しました。この結婚は7年続き、3人の子供を授かりました。長女スーザン・エレノア(1948年生)、次女シャロン・アン(1950年生)、長男リチャード・パーカー(1952年生)です。子供たちの誕生は、彼女のキャリアに一時的な休止をもたらしましたが、母としての喜びを深めました。しかし、1953年に離婚し、子供たちの親権を巡る闘いもありました。
1954年、ビジネスマンのポール・クレメンスと3度目の結婚を果たしました。この結婚は11年続き、1958年に長男ポール・デイ・クレメンスが生まれました。彼は後に俳優として活動します。家族生活は安定していましたが、仕事の多忙さが負担となり、1965年に離婚しました。エリノアは子供たちを第一に考え、常に支え続けました。
1966年、彼女はレイモンド・N・ハーシュと4度目の結婚をし、2001年に彼の死まで35年にわたる幸せな生活を送りました。この結婚は、彼女の人生で最も安定したものでした。ハーシュは放射線科医で、静かな家庭を築きました。エリノアは4人の子供の母として、孫のチェイセン・パーカー(俳優)も迎え、大家族の中心となりました。
私生活では、宗教的な側面も重要でした。プロテスタントとして育った彼女は、後年メシアニック・ユダヤ教に改宗し、哲学者ロイ・マスターズを支持しました。1978年の彼の著書に序文を寄せるなど、精神的な探求を続けました。また、生涯民主党員として、1952年にアドライ・スティーブンソンを支持するなど、政治的信念も持っていました。
晩年はパームスプリングスで静かに暮らし、2013年12月9日、肺炎の合併症により91歳で亡くなりました。彼女の私生活は、キャリアの成功を支える強固な基盤であり、家族への愛情がその核心でした。エリノアは、女優としてだけでなく、母や妻としても尊敬される存在でした。
出演作品
- 1942年: Busses Roar – ノーマ役
- 1943年: Mission to Moscow – 娘役
- 1943年: The Mysterious Doctor – 端役
- 1945年: Pride of the Marines – ルース・ハートリー役
- 1946年: Of Human Bondage – ミルドレッド・ロジャース役
- 1946年: Between Two Worlds – 妻役
- 1947年: Escape Me Never – 娘役
- 1950年: Caged – マリー・アレン役(アカデミー賞ノミネート)
- 1950年: Three Secrets – 若い母親役
- 1951年: Detective Story – メアリー・マクラウド役(アカデミー賞ノミネート)
- 1952年: Scaramouche – レノア役
- 1952年: Above and Beyond – 妻役
- 1954年: The Naked Jungle – 妻役
- 1955年: Interrupted Melody – マージョリー・ローレンス役(アカデミー賞ノミネート)
- 1955年: The Man with the Golden Arm – ゾッシュ・マシーン役
- 1956年: The King and Four Queens – 女王役
- 1960年: Home from the Hill – 母親役
- 1962年: Madison Avenue – 妻役
- 1965年: The Sound of Music – 男爵夫人エルサ・フォン・シュライダー役
- 1969年: Eye of the Cat – 叔母ダニー役
- 1976年: Logan’s Run – 管理人役
- 1979年: Sunburn – ミセス・ソーレン役
- TV: The Eleventh Hour (1963) – エミー賞ノミネート
- TV: Bracken’s World (1969-1970) – ゴールデングローブ賞ノミネート
- TV: Murder, She Wrote (1980年代) – ゲスト出演
- TV: Dead on the Money (1991) – マトリarch役
レビュー 作品の感想や女優への思い