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ヘルムート・ニュートン

ヘルムート・ニュートン(本名ヘルムート・ノイシュテッター)はドイツ系オーストラリア人の写真家。ニューヨーク・タイムズ紙は彼を「多作で、広く模倣されたファッション写真家であり、その挑発的でエロティックなモノクロ写真は『ヴォーグ』やその他の出版物の主力だった」と評しました。

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ヘルムート・ニュートン

  • 英語名:Helmut Newton
  • 本名:ヘルムート・ノイシュテッター
  • 生年月日:1920年10月31日
  • 出生地:独国ベルリン
  • 死去:2004年1月23日(83歳)
  • 死没地:米国カリフォルニア州ロサンゼルス
  • 国籍:オーストラリア
  • 職業:写真家
  • 活動期間:1936〜2003年
  • 配偶者:ジューン・ブラウン(1948年〜2004年)
  • 公式サイト:ヘルムート・ニュートン財団
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生い立ちと教育

ヘルムート・ニュートンは、1920年10月31日に独国ベルリンに生まれました。母親はクララ・クレア(旧姓マルキ)、父親はボタン工場経営者のマックス・ノイシュテッター。家族はユダヤ系。ニュートンはハインリッヒ・フォン・トライヒ・リアルギムナジウムとベルリンのアメリカン・スクールに通学。初めてカメラを購入した12歳の頃から写真に興味をもち、1936年からドイツの写真家イヴァ(エルシー・ノイレンダー・シモン)の下で働きました。

ニュルンベルク法の下でユダヤ人に対する抑圧が強まり、父はボタンやバックルを製造していた工場の経営権を失います。1938年11月9日の水晶の夜には強制収容所へ収容され、一家はドイツを去らざるを得なくなりました。ニュートンの両親はアルゼンチンへ逃亡。ニュートンは18歳になった直後にパスポートを発行され、1938年12月5日にドイツを離れました。トリエステで、ナチスから逃れる約200人の仲間とともにコンテ・ロッソ号に乗り込み、中国へ向かうつもりでしたが、シンガポールへ到着したニュートンは当地へ留まり、最初は『ザ・ストレーツ・タイムズ』紙のカメラマンとして、その後は肖像写真家として活躍。

経歴

1940年から:オーストラリアでの生活

ヘルムート・ニュートンはシンガポール滞在中に英国当局に抑留され、クイーン・メリー号でオーストラリアへ送られました。1940年9月27日にシドニーへ到着。抑留者は武装した警備の下、列車でタトゥーラの収容所へ送られました。ニュートンは1942年に抑留を解かれ、短期間だけビクトリア州北部で果物狩りの仕事をしました。1942年8月、オーストラリア陸軍に入隊し、トラック運転手として働きました。1945年の終戦後、彼は英国連邦市民となり、1946年にニュートンと改名。

1948年、ニュートンはジューン・ブルーネルという芸名で活動していた女優ジューン・ブラウンと結婚。後に彼女は、オーストラリア中部の町アリス・スプリングスにちなんで、アリス・スプリングスというペンネームで写真家として成功しました。

1946年、ニュートンはメルボルンのファッショナブルなフリンダース・レーンにスタジオを構え、戦後の豊かな時代にファッション、演劇、工業写真に取り組みました。1953年5月、彼は自身と同じドイツ難民で、同じ会社に勤務していたヴォルフガング・シーヴァースと初めての個展を開催。この展覧会は、コリンズ・ストリートのフェデラル・ホテルで開かれ、おそらくオーストラリアで最初のニュー・オブジェクティブ写真展となりました。ニュートンは、同じくタトゥーラに収容されていた同じドイツ系ユダヤ人のヘンリー・タルボットとパートナーシップを結び、ニュートンがオーストラリアからロンドンへ向かった1957年以降も、スタジオとの付き合いは続きました。スタジオはヘルムート・ニュートン&ヘンリー・タルボットと改名されました。

1950年代後半:ロンドン、ヨーロッパ、オーストラリアへ

ファッション写真家としての名声を高めていたヘルムート・ニュートンは、1956年1月に発行された『ヴォーグ』誌のオーストラリア特別付録でファッションのイラストを担当することになりました。 イギリス版『ヴォーグ』誌との12カ月契約を勝ち取った彼は、1957年2月、タルボットに経営を任せてロンドンへ向かいました。ニュートンは契約終了前に同誌を去り、パリに出てフランスとドイツの雑誌で働きました。1959年3月にメルボルンに戻へり、オーストラリア版ヴォーグ誌と契約。

1961年:パリへ

ヘルムート・ニュートンと妻は1961年にパリへ定住し、ファッション写真家としての仕事を続けました。彼の写真は、『ヴォーグ』フランス版や『ハーパース・バザー』などの雑誌に掲載されました。

ニュートンは、エロティックで様式化されたイメージを特徴とする独特のスタイルを確立し、しばしばサド・マゾヒスティックやフェティシズム的な背景をもっていました。1970年に心臓発作を起こし、その種の作品は減少しましたが、妻の励ましにより、とくに1980年にスタジオで撮影された「Big Nudes」シリーズによって、その知名度は拡大し続けました。その後、「Naked and Dressed」ポートフォリオが続き、1992年の「Domestic Nudes」は、彼のエロティックで都会的なスタイルの頂点となりました。これらのシリーズは、彼の卓越した技術力に裏打ちされたものでした。ニュートンはまた、肖像画や幻想的な習作も手がけています。

ニュートンは、ナスターシャ・キンスキーやクリスティーン・デベルなど、『プレイボーイ』誌のために多くの写真を撮影しました。1976年8月に撮影されたデベルの写真集『200 Motels, or How I Spent My Summer Vacation』のオリジナルプリントは、2002年のボナムズによるプレイボーイのアーカイブのオークションで21,075ドル、2003年12月のクリスティーズで26,290ドルで落札されました。

「ヘルムート・ニュートン回顧展」は、メインスポンサーであるウォルフォード、リードベネファクターであるFonds 21、プロジェクトパートナーであるSpacesとVSBfondsの支援により開催。

「パサディナから来た3人の少年」

2009年、ジューン・ブラウンは、1980年にロサンゼルスでヘルムート・ニュートンと親交のあった3人の写真家によるニュートンへのトリビュート展を企画。

  1. マーク・アーベイト
  2. ジャスト・ルーミス
  3. ジョージ・ホルツ

3人とも、カリフォルニア州パサディナのアートセンター・カレッジ・オブ・デザインで写真を学んでいました。3人ともニュートン夫妻の友人となり、程度の差こそあれ、ヘルムート・ニュートンを援助しました。それぞれ独立したキャリアを歩みました。この展覧会はベルリンのヘルムート・ニュートン財団で初開催され、3人の作品と、ニュートンと過ごした時代の個人的なスナップ写真、コンタクトシート、手紙を組み合わせました。

ポラロイド

1970年代からヘルムート・ニュートンは、とくにファッション写真の撮影において、構図やライティングを即座に視覚化するためにポラロイドのインスタントカメラとフィルムを定期的に使用していた。彼自身が認めているように、1981年にイタリアとフランスの『ヴォーグ』誌のために始まった「Naked and Dressed」シリーズの撮影では、ポラロイドフィルムを「木箱単位で」大量に使用。ポラロイドはスケッチブックの役割も果たし、モデル、クライアント、撮影場所、撮影日などを書き留めました。1992年、ニュートンはポラロイドだけで構成された本『Pola Woman』を出版した。2011年にベルリンのMuseum für Fotografie(ベルリン写真美術館)で開催された展覧会「Helmut Newton Polaroids」では、オリジナルのポラロイドをもとにした300点以上の作品を展示しました。

死去

晩年、ヘルムート・ニュートンはモンテカルロとカリフォルニア州ロサンゼルスの両方に住み、1957年以来、毎年シャトー・マーモントで冬を過ごしていました。2004年1月23日、シャトー・マーモントからサンセット大通りへ向かうマーモント・レーンを運転中、深刻な心臓発作に見舞われ、シーダーズ・サイナイ・メディカル・センターに搬送されたが、医師は彼を救うことができず、死亡が確認されました。彼の遺灰は独国ベルリンのシュテーティッシャー・フリードホーフIIIに埋葬されています。

刊行作品

存命中

  • Helmut Newton, White Women, New York: Congreve, 1976.
  • Helmut Newton, Sleepless Nights, New York: Congreve, 1978.
  • Helmut Newton, Big Nudes, Paris: Editions du Regard, 1981.
  • Helmut Newton, “Sie kommen” (“They’re Coming”), Paris: French Vogue, 1981.
  • Helmut Newton, World Without Men, New York: Xavier Moreau, 1984.
  • Klaus Honnef and Helmut Newton, Helmut Newton: Portraits, Schirmer Art Books, 1986.
  • Marshall Blonsky & Helmut Newton, Private Property, Schirmer Art Books, 1989.
  • Helmut Newton, Sumo book, Taschen, 1999.
  • Helmut Newton and June Newton, Helmut Newton Work, edited by Manfred Heiting, Taschen, 2000.
  • Helmut Newton, Autobiography, Nan A. Talese, 2003.

死後

  • Helmut Newton, A Gun for Hire, edited by June Newton, Taschen, 2005.
  • Helmut Newton, Playboy: Helmut Newton, Chronicle Books, 2005.
  • Guy Featherstone, “Helmut Newton’s Australian Years”, in The La Trobe Journal, The State Library of Victoria Foundation, No 76, Spring, 2005.
  • Klaus Neumann, In the Interest of National Security: Civilian Internment in Australia during World War II, Canberra: National Archives of Australia, 2006.
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洋画好き(字幕派)。だいたいU-NEXTかNetflixで、妻と2匹の猫と一緒にサスペンスやスリラーを観ています。詳細は名前をクリックしてください。猫ブログ「碧眼のルル」も運営。

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