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ジョン・リスト事件

1971年11月9日、米国ニュージャージー州ウェストフィールド在住の会計士ジョン・エミール・リスト(46歳)は、経済的苦境と家族の信仰の危機を理由に、妻ヘレン(45歳)、母アルマ(84歳)、子供たちパトリシア(16歳)、ジョン・フレデリック(15歳)、フレデリック(13歳)を銃で射殺しました。遺体はボールルームに並べられ、教会の音楽を流して家を去り、18年間逃亡。1989年に逮捕され、1990年に終身刑判決を受け、2008年に獄死しました。

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経緯

ジョン・エミール・リストは、1925年9月17日、ミシガン州ベイシティで生まれました。ドイツ系移民の両親のもと、唯一の子として育ち、厳格なルーテル派の信仰を植え付けられました。第二次世界大戦と朝鮮戦争で軍務に就き、戦後、会計士としてキャリアを積みました。1951年、バージニア州で出会った未亡人ヘレン・テイラーと結婚し、1952年に娘パトリシア、1955年に長男ジョン・フレデリック、1958年に次男フレデリックが生まれました。妻ヘレンは結核の既往があり、精神的な不安定さも抱えていました。

1965年、リスト家はニュージャージー州ウェストフィールドの裕福な郊外に移住し、19室の大邸宅を購入しました。リストは銀行の副社長として働き、日曜学校の教師も務める模範的な家族の父として知られていました。しかし、裏では深刻な経済問題が進行していました。1969年頃からリストは仕事で失敗を重ね、1971年春には銀行から解雇されました。家族には就職活動中だと偽り、失業手当でやりくりしていましたが、家計は破綻寸前でした。妻の医療費、子供たちの教育費、邸宅の維持費が重くのしかかり、借金が膨らんでいました。

リストの精神状態も悪化しました。厳格な信仰心から、家族が貧困に陥り信仰を失うのを恐れ、「天国に導く」ことが慈悲だと信じるようになりました。母アルマは上階のアパートに住み、リストの決定に反対する可能性がありましたが、リストは彼女も含めて殺害を計画しました。計画は綿密で、数ヶ月前から準備を進めました。子供たちの学校に「親戚の病床訪問」の手紙を送り、新聞・牛乳・郵便の配達を停止。家族写真から自身を除去し、偽の生活を演出しました。

1971年11月9日朝、リストは子供たちを学校へ送り出しました。午前9時頃、妻ヘレンをキッチンで射殺。次に上階の母アルマをベッドで射殺し、遺体を冷蔵庫に隠しました。午後、娘パトリシアと次男フレデリックが帰宅すると、ボールルームで射殺。長男ジョン・フレデリックはサッカー試合後帰宅し、抵抗しましたが、胸と顔に複数発の銃弾を受け死亡しました。リストは遺体を寝袋に包み、ボールルームに並べました。現場に5通の遺書を残し、教会の聖歌をオルガンで流し続け、家を後にしました。手紙には経済的苦境と信仰の理由を詳細に記し、家族の魂を救うための行為だと説明していました。

リストは家族のステーション wagonでニューヨークのJ.F.ケネディ空港へ向かい、車を放置。ミシガンやコロラド、デンバー近郊を転々とし、偽名「ロバート・クラーク」を使い、会計士として働きました。1975年頃、コロラドで未亡人デロレス・ミラーと出会い、1985年に結婚。バージニア州ミッドロージアンに移住し、静かな生活を送りました。18年間、FBIの最重要指名手配犯として追われましたが、写真が古く、目立たぬ生活で逃れました。

事件は1971年12月7日、近所の住民が異臭と電灯の消灯に気づき、警察が家宅捜索して発覚しました。遺体は腐敗が進み、衝撃を与えました。全国的な捜査が始まりましたが、手がかりは少なく、D.B.クーパー事件の容疑者としても浮上しました。しかし、進展はありませんでした。1989年5月21日、TV番組『アメリカの最重要指名手配犯』で、フォレンジック・アーティストのフランク・ベンダーによる加齢合成バストが放送され、視聴者から通報が殺到。リストの隣人が「ロバート・クラーク」を特定し、6月1日にバージニアで逮捕されました。指紋照合で本人確認され、ニュージャージーへ移送されました。

1990年4月12日、5件の第一級殺人罪で有罪判決を受け、5回の終身刑が言い渡されました。リストは精神状態を主張しましたが、裁判所は「中年の危機」程度と退け、後悔のなさを指摘。獄中で信仰を続け、2008年3月21日、肺炎の合併症で82歳で死亡しました。この事件は、家族崩壊と宗教的妄信の悲劇として、米国犯罪史に残るものです。(約950文字)

映画化・ドラマ化

ジョン・リスト事件は、その異常な計画性と長期逃亡のドラマチックさから、数多くのドキュメンタリーやフィクション作品で取り上げられてきました。事件の核心である家族殺害の動機、逃亡生活、逮捕の過程が、犯罪心理や社会問題を反映し、メディアの関心を集めました。主な作品はテレビ映画やドキュメンタリーシリーズが多く、映画館向けの長編劇映画は少ないものの、事件の影響力は大きいです。

代表的な作品として、1993年のTV映画『Judgment Day: The John List Story』(邦題:審判の日 ジョン・リストの物語)が挙げられます。この作品は、CBSで放送された2時間のドラマで、監督はボビー・ロス、脚本はジョー・シャーキーです。ロバート・ブレイクがジョン・リストを演じ、ビバリー・ダンジェロが妻ヘレン、メリンダ・ディロンが母アルマを演じました。物語はリストの生い立ちから殺害の瞬間、逃亡生活、逮捕までを詳細に描き、リストの信仰心と経済的プレッシャーを心理描写で掘り下げています。ブレイクの演技は、リストの内面的な葛藤を冷徹に表現し、エミー賞にノミネートされました。事件の再現シーンは残酷ですが、リストの視点から「慈悲の殺人」を正当化する手紙の内容を忠実に再現。批評家からは「事件の本質を捉えた秀作」と評価され、視聴者に家族の崩壊と宗教の闇を問いかけました。ただし、一部の家族描写が実話と異なり、娯楽性を優先した点が指摘されています。この映画は、事件の最初の主要な劇化作品として、リスト事件を一般に広めました。

ドキュメンタリー分野では、1996年の『Forensic Files』シーズン1エピソード9「The List Murders」が有名です。フォレンジック科学に焦点を当て、事件の捜査過程を科学的に解説。ナレーターのピーター・トーマスが淡々と語り、犯罪現場の写真やフランク・ベンダーのバスト作成過程を詳細に示します。18年間の逃亡を支えたフォレンジックの限界と、TV番組の役割を強調し、教育的な価値が高いです。視聴率が高く、シリーズの人気エピソードの一つとなりました。

2003年のA&Eシリーズ『American Justice』では、リスト本人が獄中インタビューに応じ、事件を回想。リストの「家族を天国に送った」という主張を直接聞け、視聴者に衝撃を与えました。このエピソードは、事件の社会的影響を分析し、近隣住民の証言を交えています。

2015年のInvestigation Discoveryシリーズ『Your Worst Nightmare』シーズン2エピソード2「Murder House」は、被害者家族の視点から描き、リストの家が「殺人屋敷」として与えた恐怖を強調。アニメーションと再現ドラマを組み合わせ、心理的なホラーを演出しました。

最近の作品として、2020年の映画『殺人犯ジョン・リスト』は、リストの逮捕に焦点を当てたフィクション。監督アンドリュー・ジョーンズ、主演はジュリー・ベンツ、リストをモデルとした「ボブ・クラーク」が隣人として描かれ、女性ステファニー・ハンコックが疑念を抱くストーリー。事件の真実に基づきつつ、隣人監視のサスペンスを加え、Netflixなどで配信。批評は賛否両論で、「事件のエッセンスを捉えているが、ドラマチックすぎる」との声もあります。

また、2022年のポッドキャスト『Father Wants Us Dead』は、NJ.com制作のオーディオドキュメンタリーで、事件の詳細をインタビュー中心に探求。子供たちの知人証言が新鮮です。Netflixの『Monster』シリーズや他の真犯人ドキュメンタリーでも言及され、リスト事件は犯罪エンターテイメントの定番となっています。

これらの作品は、リスト事件を単なる犯罪としてではなく、米国民の価値観—家族、信仰、成功—の崩壊として描き、視聴者に倫理的問いを投げかけます。映画化・ドラマ化を通じて、事件は1971年の悲劇から現代の教訓として生き続けています。

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