ピエール・ブーラは、仏国の写真家、フォトジャーナリスト、記者。1924年6月3日にコンデ・サント・リビアールで生まれ、1998年1月11日にヌムールで死去。
プロフィール
- 生年月日:1924年6月3日
- 出生地:コンデ=サント=リビエール(フランス、セーヌ=エ=マルヌ県)
- 没年月日:1998年1月11日(享年73歳)
- 死没地:ヌムール(フランス、セーヌ=エ=マルヌ県)
- 出生名 :ピエール・ルネ・ブーラ
- 国籍:仏国
- 活動 :写真家、レポーター
- 活動期間:1944年〜1973年
- 子供:アレクサンドラ・ブーラ、アントワネット・ブーラ(死去)
経歴
ピエール・ブーラは、1924年6月3日、仏国セーヌ=エ=マルヌ県コンデ=サント=リビエールに生まれました。
1943年 国立写真映画学校を首席で卒業後、ドイツでの強制労働から逃れるため、自由選挙区へ入り、ヴィシーで国家元首の写真局S.C.P.に勤務。
解放後は、雑誌サムディ・ソワール、フランス・ディマンシュ、パリ・マッチ、パリ・プレス、ライフ、エルナショナル・ジオグラフィック、ピープルなどの国際誌に写真を提供しました。
1948年、カイロに居を構え、エジプトの写真集『Images d’Egypte』を出版。1950年、パリへ戻り、ファッション・スタジオを開き、フリーランスとしてパリとアメリカの新聞社に仕事を依頼。ルック・マガジンに寄稿した「L’enfance perdue」でブリタニカ百科事典賞を受賞。1955年から1973年まで、アメリカの権威ある雑誌『ライフ』の専属記者として、世界中のニュース、政治、ファッション、著名人、雑誌リポートなどを担当。1955年、ソ連で戦後初の西側ジャーナリストとなり、1964年には中国で革命後初の西側ジャーナリストとなりました。
1973年、再びフリーランスとなり、タイム・ライフ・ブックスのために「サハラ砂漠」に関する本を制作し、ピープル誌とスミソニアン誌と契約。1982年 『パリ・マッチ』誌とのコラボレーションを始め、10年にわたりカラー雑誌のルポルタージュの分野で活躍。1993年9月、芸術文化勲章シュヴァリエを授与されました。
1998年1月11日、パーキンソン病を患ったピエール・ブーラは、60年間フォトジャーナリズムに捧げた生涯を閉じました。
ピエールは、フォトジャーナリストでレポーターのアレクサンドラ・ブーラ、映画製作者のアントワネット・ブーラ、グラフィックデザイナーのパトリス・ブーラ・マソトーの父です。 アニー・ブーラの夫であり、アガンス・コスモスの創設者兼ディレクター、夫と娘の創作活動を促進するピエール・エ・アレクサンドラ・ブーラ協会の設立者でもあります。また、パリのジャズクラブ「ニュー・モーニング」のディレクター、エグラル・ファルヒとも結婚しています。

2010年9月9日から2011年2月11日まで、パリのプティ・パレで国境なき記者団主催の展覧会が開催されました。
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