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ピエール・カルダン

ピエール・カルダン(Pierre Cardin、1922年7月2日 – 2020年12月29日)は、イタリア生まれのフランスのファッション・デザイナー。20世紀のファッション業界に革命をもたらした「モード界の革命児」として知られています。本名はピエトロ・コスタンテ・カルディン(Pietro Costante Cardin)。

彼は前衛的なデザインと先見性のあるビジネス戦略で、オートクチュール(高級注文服)からプレタポルテ(既製服)への移行を牽引し、ファッションの民主化を実現しました。また、服飾だけでなく、家具、香水、航空会社のユニフォームなど多岐にわたるライセンスビジネスを展開し、ブランドの名を世界中に広めました。彼のデザインは、未来的な「コスモコール・ルック」や幾何学的なシルエットで特徴づけられ、特に1960年代から1970年代に一世を風靡しました。カルダンは、ファッションだけでなく演劇やレストラン経営にも情熱を注ぎ、文化と芸術の支援者としても名を馳せました。晩年まで現役で活動し、98歳で亡くなるまでその創造力と影響力は衰えることがありませんでした。

カルダンの功績は、ファッション業界における多様性の導入にも及びます。彼は日本人モデルや黒人モデルを積極的に起用し、当時としては革新的なキャスティングで業界の常識を打ち破りました。また、日本中国、ロシアなどファッション後進国や社会主義国にも進出し、ファッションを国際的な文化として広めることに貢献しました。彼の人生は、波乱万丈でありながらも常に未来を見据えた革新性に満ちており、その姿勢は多くのクリエイターや若者に影響を与え続けています。

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歴史

ピエール・カルダンは1922年7月2日、イタリアのヴェネト州サン・ビアージョ・ディ・カッラルタで生まれました。2歳の時に家族とともにフランスに移住し、ファシズムが台頭するイタリアを離れました。幼少期は貧困の中で育ちましたが、早くから芸術やデザインに興味を示しました。1945年にパリに移り、建築家を目指していましたが、ジャンヌ・パキャンのブティックで働き始めたことでファッションの道に進むきっかけを得ます。その後、クリスチャン・ディオールのブランド立ち上げに参加し、1940年代後半にはディオールのアトリエで経験を積みました。1950年に自身のブランド「ピエール・カルダン」を設立し、1953年には初のオートクチュールコレクションを発表。これが彼の名を一躍有名にしました。特に1954年に発表した「バブルドレス」は、斬新なシルエットで注目を集め、カルダンの前衛的なスタイルを象徴する作品となりました。

1959年、カルダンはオートクチュール業界で初めてプレタポルテ(既製服)に本格参入し、パリの百貨店プランタンでコレクションを発表しました。これは「ファッションの民主化」とも称され、富裕層だけでなく一般の人々にも高品質なデザインを提供する画期的な試みでした。しかし、この革新は伝統的なオートクチュール組合の反発を招き、カルダンは一時除名されるという試練を経験します。それでも彼は屈せず、1960年代には「コスモコール・ルック」と呼ばれる未来的なデザインで若者を中心に熱狂的な支持を得ました。このスタイルは、宇宙時代を思わせる幾何学的な形状や斬新な素材を用いたもので、ビートルズが愛用した襟なしジャケットなどもその一部です。

カルダンはまた、ライセンスビジネスをファッション業界に初めて導入した先駆者でもあります。服飾だけでなく、航空会社のユニフォーム、自動車、家具、香水、タオルなど、800点以上もの商品にブランド名を展開。これにより「ピエール・カルダン」は世界110カ国以上に広がり、国際的なライフスタイルブランドとしての地位を確立しました。特に日本では、1958年の初来日を機に高島屋とのライセンス契約を結び、1960年代から1970年代にかけて爆発的な人気を博しました。彼は日本に注目した初の欧州デザイナーとして、立体裁断の技術を文化服装学院で披露し、日本人モデル松本弘子をパリコレに起用するなど、日仏のファッション交流に大きく貢献しました。

1970年にはパリで「エスパス・ピエール・カルダン」を創設。演劇、音楽、映画、展示、レストランを備えた文化拠点として、カルダンの芸術への情熱を体現しました。同じ年、彼のアトリエは火災で全焼する被害を受けますが、これを機にさらに精力的に活動を展開。1974年には富士銀行の制服デザイン、1991年には日本郵便のネクタイデザインを手掛けるなど、日本との関わりは深く、2002年には80歳で「ピエール・カルダン展」を日本橋高島屋で開催しました。また、1993年には南フランスに前衛的な建築「パレ・ビュル」(泡の宮殿)をオープンし、ファッションショーやイベントの会場として活用しました。2020年12月29日、98歳で亡くなるまで現役で活動を続け、その人生は常に新しい挑戦と創造に満ちていました。

関連する映画・ドラマ

ピエール・カルダンの人生と業績は、映画やドラマを通じて多くの人々に伝えられています。特に彼の波乱万丈なキャリアと革新的な精神を捉えたドキュメンタリー映画が注目を集めています。以下に、カルダンを取り上げた主な映画とドラマを紹介します。

ライフ・イズ・カラフル! 未来をデザインする男 ピエール・カルダン(2019年)

ドキュメンタリー映画『ライフ・イズ・カラフル! 未来をデザインする男 ピエール・カルダン』は、カルダンの97年にわたる人生とファッション界への貢献を詳細に描いた作品。監督はP・デヴィッド・エバーソールとトッド・ヒューズで、2020年10月2日に日本で公開されました。

映画は、カルダン自身のインタビューを中心に、彼の幼少期、ジャンヌ・モローとの恋、プレタポルテへの挑戦、ライセンスビジネスの開拓など、彼の人生の重要な局面を振り返ります。ジャン・ポール・ゴルチエ、シャロン・ストーン、ナオミ・キャンベル、森英恵、高田賢三、桂由美といった豪華ゲストの証言や秘蔵映像を通じて、カルダンのチャーミングな素顔と輝かしいレガシーが浮かび上がります。特に、日本人モデル松本弘子を起用したエピソードや、中国の万里の長城でのファッションショーなど、彼の多文化へのアプローチが強調されています。

カルダン自身がこの映画を「すべて真実だ」と絶賛したことも話題となり、ヴェネツィア国際映画祭でワールドプレミア上映されました。野宮真貴が日本語版ナレーションを担当し、カルダンのエネルギッシュな生き方に感動したとコメントしています。この映画は、ファッション愛好者だけでなく、人生を楽しく生きるヒントを求めるすべての人に訴えかける作品として高く評価されています。

美女と野獣(1946年、仏国、監督:ジャン・コクトー)

カルダンは、キャリアの初期にジャン・コクトー監督の『美女と野獣』で衣装と仮面のデザインを担当しました。この映画は、フランス映画史における名作であり、カルダンのファッション業界への第一歩を示す重要な作品です。彼のデザインは、映画の幻想的な雰囲気を見事に引き立て、若きカルダンの才能を世に知らしめました。この経験を通じて、彼は映画界とも深い関わりを持つようになり、後の女優ジャンヌ・モローとの出会いにもつながりました。

エヴァの匂い(1962年、仏国、監督:ジョセフ・ロージー)

カルダンは、女優ジャンヌ・モローとの恋愛関係を通じて、彼女が出演する複数の映画の衣装を手掛けました。『エヴァの匂い』では、モローの衣装を担当し、彼女をファッションアイコンとして輝かせました。カルダンのデザインは、モローの独特な魅力を引き出し、映画の視覚的な美しさに大きく貢献しました。この作品は、カルダンの映画界での影響力を示す一例です。

天使の入江(1963年、仏国、監督:ジャック・ドゥミ)

この映画でもカルダンはジャンヌ・モローの衣装を担当し、彼女との公私にわたるパートナーシップを象徴する作品となりました。モローのシックで洗練されたスタイルは、カルダンのデザインによってさらに際立ち、ファッションと映画の融合を体現しました。この時期、カルダンは映画界の著名人との交流を深め、彼のデザインがスクリーンを通じて世界に広がりました。

バナナの皮(1963年、仏国、監督:マルセル・オーフュルス

カルダンはこの映画でもモローの衣装をデザイン。彼女の個性的な魅力を最大限に引き出す衣装は、カルダンのクリエイティブな才能を示しています。この作品は、彼の映画衣装デザインにおける一貫した美学と革新性を反映しています。

マタ・ハリ(1964年、仏国、監督:ジャン=ルイ・リシャール)

ジャンヌ・モロー主演のこの映画でも、カルダンが衣装を担当。スパイ映画としてのドラマチックな雰囲気とモローの魅力を引き立てるデザインは、カルダンの多才さを物語ります。彼の衣装は、物語の時代背景を現代的に解釈し、観客に強い印象を与えました。

愛すべき女・女たち(1967年、仏国、監督:ジャン=リュック・ゴダール)

この映画でもカルダンはモローの衣装をデザインし、彼女のファッションアイコンとしての地位をさらに高めました。カルダンの斬新なデザインは、映画のモダンなトーンと調和し、視覚的なインパクトを与えました。

赤い疑惑(1975年-1976年、日本、TBS)

日本で放送されたこの人気ドラマでは、カルダンが岸惠子の衣装を提供しました。山口百恵主演の『赤い疑惑』は、1970年代の日本で大きな話題を呼び、カルダンのデザインはドラマの洗練された雰囲気を高めました。この作品を通じて、カルダンのブランドは日本の視聴者にも広く知られることとなり、彼の日本での人気をさらに確固たるものにしました。

小括

カルダンの映画やドラマへの関わりは、彼のファッションがスクリーンを通じて大衆に浸透する重要な機会でした。特にジャンヌ・モローとのコラボレーションは、彼のキャリアにおいて特別な意味を持ち、彼女の魅力を引き立てることでカルダン自身の名声も高まりました。また、日本のドラマへの参加は、日本市場でのブランドの浸透に大きく寄与しました。

まとめ

ピエール・カルダンは、ファッション業界における革新者として、プレタポルテの導入、ライセンスビジネスの確立、多様なモデルの起用、国際市場への進出など、数々の「初めて」を実現しました。彼の人生は、ファシズムを逃れた幼少期から、ジャンヌ・モローとの恋、劇場やレストラン経営まで、波乱万丈でありながら常に前進する姿勢に貫かれています。

映画『ライフ・イズ・カラフル! 未来をデザインする男 ピエール・カルダン』は、彼の輝かしい軌跡と人間性を鮮やかに描き出し、若い世代にもその影響力を伝えています。また、『美女と野獣』や『エヴァの匂い』、『赤い疑惑』などの映画・ドラマへの参加は、カルダンのデザインが文化の一部として根付いた証です。彼の遺したレガシーは、ファッションを超えて、創造性と挑戦の精神を体現するものとして、今なお多くの人々にインスピレーションを与え続けています。

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