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ジョン・レノン殺害事件

1980年12月8日、元ビートルズのジョン・レノンがニューヨークのダコタ・アパート前で、マーク・デイビッド・チャップマンに射殺されました。チャップマンはレノンの生活や発言に憤り、ストーキングの末に犯行に及びました。25歳の元警備員は逮捕され、終身刑を受けました。

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経緯

マーク・デイビッド・チャップマンは、1955年5月10日、テキサス州フォートワースで生まれました。ジョージア州デカトゥールで育ち、幼少期からビートルズ、特にジョン・レノンの大ファンでした。しかし、1970年代に入り、レノンのソロ活動や「Imagine」の歌詞が彼の理想と矛盾すると感じ始めます。レノンが「所有物などない世界」を歌いながら豪邸やヨットを所有し、1966年に「ビートルズはイエスより人気がある」と発言したことが、チャップマンの怒りを誘いました。彼はレノンを「偽善者」と見なし、殺意を抱くに至りました。

チャップマンの精神状態は不安定でした。高校卒業後、YMCAで働き、ベトナム難民のカウンセラーも務めましたが、うつ病に悩まされ、自殺未遂を繰り返しました。1977年頃からキリスト教に回帰し、1978年に世界旅行へ出かけます。そこで出会った旅行代理店員のグロリア・ヒロコ・アベと1979年に結婚しましたが、関係は冷え切っていました。失業状態で警備員の職を転々とし、妄想に囚われやすくなりました。J.D.サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を愛読し、主人公ホールデン・コールフィールドのように「偽善者を排除する」使命を感じるようになります。

殺意が具体化したのは1980年夏頃。チャップマンはレノンだけでなく、デイビッド・ボウイやジョニー・カーソンなども標的に考えましたが、最終的にレノンに絞りました。名声を得るための犯行だと後年語っています。10月27日、ハワイのホノルルでチャーター・アームズ・アンダーカバー.38スペシャルリボルバーを購入し、弾薬は後で調達する計画を立てました。10月29日、ニューヨークへ向かう前に連邦航空局に銃の輸送方法を確認しています。

10月29日から11月上旬にかけて、チャップマンは初のストーキングを開始。ダコタ・アパート周辺をうろつき、レノンの生活を観察しましたが、決行には至らず、11月12日または13日にハワイへ帰国します。妻に相談し、精神科医の助言で殺意を抑えようとしましたが、失敗に終わりました。12月6日、再びニューヨークへ向かい、最初は上西側のYMCAに宿泊し、翌日ミッドタウンのシェラトン・センター・ホテルに移りました。このホテルはダコタからレノンのアパートが見える位置にあり、監視を容易にしました。

12月8日、事件当日、チャップマンは朝からダコタ前で待ち構え、ファンやドアマンと談笑しました。レノンの子育て中の姿を想像し、興奮を抑えきれませんでした。正午頃、レノンの息子ショーンとベビーシッターのヘレン・シーマンに遭遇し、「Beautiful Boy」の歌詞を引用してショーンの手を握りました。午後、レノンはアニー・リーボヴィッツによるローリング・ストーン誌の撮影に応じ、裸でオノ・ヨーコと抱き合う写真が撮りました。夕方5時頃、RKOラジオのインタビュー後、「Walking on Thin Ice」のミキシングのためレコード・プラントへ向かう際、チャップマンがDouble Fantasyのアルバムにサインを求めました。レノンは親切に応じ、アマチュア写真家のポール・ゴレシュがその瞬間を撮影しました。

夜10時50分頃、レノンとヨーコがスタジオから帰宅。72丁目側のリムジンから降り、アーチ状の入口へ向かう際、チャップマンは約3メートル後ろから五発のホローポイント弾を発射。四発がレノンの背中に命中し、一発は窓ガラスに当たりました。レノンは「撃たれた!」と叫び、ロビーへ這い入って倒れました。ドアマンのホセ・ペルドモがチャップマンの銃を叩き落とし、コンシェルジュのジェイ・ヘイスティングスが警察を呼びました。チャップマンは逃げず、『ライ麦畑でつかまえて』を読んでいました。警官のスティーブン・スパイロとピーター・カレンが到着し、逮捕。レノンは警察車両でルーズベルト病院へ運ばれましたが、11時15分に死亡が確認されました。外科医のリチャード・マークスは大量輸血と心臓マッサージを試みましたが、蘇生は叶いませんでした。

チャップマンは現場で「私はクレイジーだ」と自白し、精神鑑定で妄想性障害と診断されました。1981年6月22日、二級殺人罪で20年~終身刑の判決を受け、グリーン・ヘイブン刑務所に収監されました。2025年現在も服役中で、仮釈放申請は複数回却下されています。事件は世界に衝撃を与え、ヨーコは平和活動を続けられました。

映画化・ドラマ化

ジョン・レノン殺人事件は、その衝撃から数多くの映画やドラマ、ドキュメンタリーで描かれてきました。これらの作品は、犯人マーク・デイビッド・チャップマンの心理や事件の経緯を掘り下げ、レノンの遺産や社会への影響を考察するものが多いです。以下、代表的な作品を丁寧に紹介します。なお、一部の作品は倫理的な議論を呼び、ヨーコが犯人の名を広めないよう訴えたこともありますが、事件の教訓として語り継がれています。

ジョン・レノンを撃った男

まず、2006年の映画『ジョン・レノンを撃った男』は、アンドリュー・ピッジントン監督によるインディペンデント映画。ジョナス・ボールがチャップマンを演じ、事件の数ヶ月前から殺害直後までを追います。脚本はチャップマンの言葉やインタビューを基に、ハワイでの生活、妻との関係、妄想の深化を描きます。『ライ麦畑でつかまえて』に傾倒する様子や、10月と12月のストーキングが詳細に再現されます。レノン役はエマニュエル・セノールが務め、サインシーンや射殺の瞬間は控えめながらリアルに描かれました。本作はチャップマンの孤独と狂気をドキュメンタリー風に探求し、「なぜレノンを標的にしたのか」を考えさせます。IMDbでは6.1/10の評価で、批評家から「不気味な心理描写」と称されました。商業的には成功しませんでしたが、カルト的な人気を得ました。監督は、現代のストーカー心理を反映したかったと語っています。Amazonで確認する

チャプター27

次に、2007年の『チャプター27』は、ジャレット・シェイファー監督のデビュー作。タイトルは『ライ麦畑でつかまえて』の章数に由来し、12月8日のチャップマンの行動に焦点を当てます。ジャレッド・レトが体重を増やしてチャップマンを熱演し、リンジー・ローハンが目撃者役で出演。ニューヨーク到着後の徘徊や独白が描かれ、ストーキングの執拗さが強調されます。サインシーンでは、レノン(マーク・ヘブデン)の親切さが対比され、チャップマンの葛藤が爆発します。ヨーコやポール・マッカートニーが「犯人を英雄化する」と批判し、公開中止を求める請願が起きました。IMDb5.6/10で、「レトの演技は秀逸だが物語が浅い」との評価。一方、チューリヒ映画祭で賞を受賞し、精神病理のリアルさが称賛されました。監督は、チャップマンの「誰もいない存在」を探求したと述べています。Amazonで確認する

ジョン・レノン:審理なき殺人事件

2023年のApple TV+ドキュメンタリー『ジョン・レノン:審理なき殺人事件』は、ニック・ホルト監督による3部作。キーファー・サザーランドのナレーションで、事件の再検証を行います。未公開の犯罪現場写真や、目撃者(タクシー運転手、ドアマン、警官、医師)のインタビューが含まれます。チャップマンのハワイ生活、銃購入、ストーキングの詳細が時系列で描かれ、妻グロリアの証言が彼の不安定さを浮き彫りにします。FOIAで入手した警察文書やFBI/CIAの関与疑惑を検証し、陰謀論を扱いますが、結論は控えます。ヨーコは参加せず、プロデューサーは「真実の解明」を目指したと語ります。IMDb6.5/10で、「生々しい証言が心を揺さぶる」と高評価。Amazonで確認する

その他

2016年の『The Lennon Report』は、病院とメディアの混乱を描くドラマで、医療従事者の視点が新鮮。2010年の『The Day John Lennon Died』は陰謀論を強調。舞台『One Bad Thing』やオペラ『Lennon』も、事件を芸術的に表現しました。音楽界では、ジョージ・ハリスンやエルトン・ジョンのトリビュート曲が間接的なドラマ化と言えます。これらの作品は、ストーキングの長期性とレノンの親切さが悲劇を際立たせ、精神衛生や有名人保護の重要性を啓発しています。

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原作・実話
なむ

洋画好き(字幕派)。だいたいU-NEXTかNetflixで、妻と2匹の猫と一緒にサスペンスやスリラーを観ています。詳細は名前をクリックしてください。猫ブログ「碧眼のルル」も運営。

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