彼女について私が知っている二、三の事柄

この記事のうち「見どころ」には若干の誇張表現があります。

「彼女について私が知っている二、三の事柄」は、1966年に公開されたフランス映画。主演はマリナ・ヴラディ

猫女
猫女

この映画と「メイド・イン・ユーエスエー」をゴダール監督はかけもちで作りました。午前中に1本、午後にもう1本撮影…。

みみ
みみ

「メイド・イン」が物語、「彼女について」がエッセイ、丁度彼の分岐点となる2作です。

なむ
なむ

毎日、アンナ・カリーナマリナ・ヴラディの二人に会えたのは羨ましい!

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彼女について私が知っている二、三の事柄

予告編はこちら。

  • 邦題:彼女について私が知っている二、三の事柄
  • 原題:2 ou 3 choses que je sais d’elle
  • 製作国:フランス
  • 公開年:1966年
  • 上映時間:90分
  • 製作会社:
  • 配給会社:

あらすじ

1960年代パリの都市再開発と、分断されて枯れ切った住民の生活とを、マンションに暮らす団地妻ジュリエット・ジャンソンの日常から描いた作品。

ゴダールの映画が物語からエッセイに変わった最初の作品。

キャスト

ナレーター(声) ジャン=リュック・ゴダール
ジュリエット・ジャンソン マリナ・ヴラディ
青年 イヴ・ベネイトン
ロバートと話す少女 ジュリエット・ベルト
入浴中の少女 ヘレナ・ビエリチッチ
クリストフ・ジャンソン クリストフ・ブルシエール
ソランジュ・ジャンソン マリー・ブルシエール
(クレジットなし) マリー・カーディナル
メーター・リーダー ロベール・シュヴァス
マリアンヌ アニー・デュペレー
ムッシュ・ジェラール ジョセフ・ジェラール
少女 ブランディーヌ・ジャンソン
地下室の男性 ベンジャミン・ジュール=ロゼット
作家 ジャン=ピエール・ラヴェルヌ
ペキュシェ ジャン=パトリック・ルベル
ジョン・ボーガス ラウル・レヴィ
地下室の女性 アンナ・マンガ
ブヴァール クロード・ミラー
ロベール・ジャンソン ロジェ・モンソレ
ロジャー ジャン・ナルボニ
ピンボールで遊ぶ女性 エレーヌ・スコット

スタッフ

監督 ジャン=リュック・ゴダール
脚本 ジャン=リュック・ゴダール
衣装デザイン ギット・マグリーニ

見どころと感想

キーワード

団地、団地妻、人妻、売春、都市開発、ベトナム戦争、ブティック、セーター、60年代ファッション

見どころ

感想

映画の主題は、1960年代・1970年代の経済大国が歩んだ社会的状況を映し出すことです。

題名にある彼女とは、主演女優マリナ・ヴラディや登場人物ジュリエット・ジャンソンであり、またパリでもあります。

パリとはフランスとの首都であると同時に世界中の都市でもあります。

映し出される項目は都市化がもたらした諸問題。

  • ベトナム戦争時代のアメリカ
  • 生活必需品の高騰
  • 仕事・失業
  • 主婦の売春
  • コンクリート・ジャングル
  • 希望なき結婚生活
  • 上の空の育児

荒みつつ疲れつつも自己問答をするマリナ・ブラディの冷たくやつれた表情が印象的です。

このような意味から、1970年代ににっかつロマン・ポルノが製作した数多くの映画もこのテーマに即したものだと判断できます。

トリビア

ジュリエットが娘をデイケア(売春宿)に送り届けたとき、壁には「女と男のいる舗道」(1962年)のポスターが掲示されていて、アンナ・カリーナが演じたナナ・クライン・フランケンハイムのスクリーンショットを見られます。

ファム・ファタル

主演のマリナ・ブラディという女優

なむ
なむ

過激な描写がなくても魅惑的なファム・ファタルをマリナ・ヴラディが表現。彼女のデフォルトでのファム・ファタル能力がとっても高いです💜そのうえ本作のように、何気ない団地妻のキャラクターを、冷たさとエロスを混ぜて表す演技力も素敵。

ミケランジェロ・アントニオーニ監督の映画「欲望」と対比すると、本作が分かりやすくなります。

「欲望」は、1960年代ロンドンの都市再開発下における若者たちの反抗を、男性カメラマンの性的な点から捉えたものでした。

これとは対照的に、ゴダールの「彼女について私が知っている二、三の事柄」は、団地妻のジュリエット(マリナ・ヴラディ演)を主役に添えて静的な点と性的な点を重ねて描きます。

この映画の冒頭でゴダールは次のように主題を設定します。

彼女について私が知っている二、三の事柄∋彼女とはパリ首都圏

そして、パリの整備拡張計画が続いて映し出されます。

少し経つと次のように展開します。

彼女とはマリナ・ブラディ/女優だ

これが2つ目の主題です。

こうして、女優の生活拡張計画がパリの整備拡張計画に重ねて描かれていきます。

主演のパリという女性

パリを女性として描いたのはゴダールに限りません。

そもそもフランス語のcapitalには2つの使い方があります。

  1. La Capitale(ラ・キャピタル)
  2. Le Capital(ル・キャピタル)

前者は首都を意味し、後者は資本を意味します。

大地としての女性

古今東西、女性を大地や土地と考える発想はよくあるものですが、ここではイラストの事例を挙げます。

アメリカの経済地理学者デヴィド・ハーヴェイは著書「パリ」にて一つのイラストを挿入しています。

このイラストは、「ガリバー旅行記」に出てくるような巨大な女性が横たわり、その上を無数の男性肉体労働者が這い上がっている様子を描いています。

そして、イラストのキャプションに「パリはしばしば女性として表象される。ここでは縛り付けられ、無数の建設労働者たちが群がったものとして描かれている」と説明しています。

ゴダールはこの映画を大地の再開発を描いたとも述べていることから、女性を大地や土地と考えています。

大地とは仏国のパリ首都圏であり、それは映画公開時から10年や15年前に再開発の行なわれた米国ロサンゼルスでもありました。

具体的に描かれているのは高速道路やインターチェンジですので、この映画は交通の問題つまりコミュニケーションの問題でもあります。

領土や交通から再編成されるものとして大地・パリを捉えた一方で、もう一つの主題である売春も、大地の問題として重視されてきます。

売春する女性

この映画で売春は販売すべき領土や販売可能な領土と考えられています。

また、売春は女性が自分の領土の一部を外国人に販売したり、一時的に外国人に占領されるのを受け入れたりすることとして描かれています。

マリナ・ヴラディたちが売春した相手の男性にアメリカ人がいました。

工業化社会における居場所のズレとアイデンティティの揺れ

この映画では、価格高騰や低賃金労働が生活問題として描かれているより、都市問題として描かれているのが興味深いです。

都市に暮らす数万人の人間を消費者として捉えるだけでなく、生産者(または労働者)としても捉えています。

生産と消費が結びついた、語彙と構文で満たされた従来の都市が変容する最中、マリナ・ヴラディは未来都市について頭で想像します。

そして、「もう、誰にも分からない。過去の語彙の豊かさは失われ」と述べ、都市の果たした創造的役割は終了して、テレビやラジオという新しい語彙や構文が創造的役割を担うようになると感じます。

情報メディア(情報媒体)の普及と都市の変容を共時的に捉えています。

マリナは、ベトナム戦争帰りのカメラ・マンの買春客について「1966年8月17日 ヨーロッパにて アジア人の事を考えられるなんて」と不思議そうに感じます。

夫がベトナム戦争に関するニュースをラジオで聞くのと同じく、それは情報メディアの普及がなせる技。

都市から分断されたマリナ・ブラディは生活の欠落を感じますが、何が欠落しているのかは分かりません。そのため理由なく不安になり、始終、アイデンティティ問題を考えます。

そこで、マリナは自分が何者か・誰か、妻、母、娘、女。そして労働者の可能性を模索します。

そしてマリナは模索をはじめて生活者としての欲望をさがします。でも「欲望の対象が分かっている時もあれば、分かっていない時もある」。

ここに主婦が買物をしたり売春をしたりする理由なき理由があります。自分の欲望の対象が分かっていない点は、アパレル工場に働くミシン縫製工をとりあげた場面にも描かれています。

この映画で描くジュリエットの退廃感を一言すると次のナレーションになります。「生きた人間はしばしば既に死んでいる」。

なむ
なむ

ドヤ顔のマリナ・ヴラディの顔が画面にデーンとアップされて、この文章が字幕に流れるので、かなりパンチあります。

アンサンブルとしての団地と一人の団地妻

団地とはフランス語でアンサンブル。

アンサンブルには2点以上の衣服を組み合わせた言葉でもあります。各1点は衣服です。

でも、それだけは衣装になるのかどうか難しい問題です。ワンピースでなければ衣装になりません。

映画の冒頭で映し出される団地とマリナ・ヴラディの対比的な描写は要チェック。

意外に、各戸の集合といろんな役割をもつ団地妻一人は対比的に描かれているのでしょうか。私には類似的なイメージとして読めます。

パリという女性が資本という男性をドライに諦める

フランス語の「Capital」には女性名詞「La Capitale」(ラ・キャピタル)と男性名詞「Le Capital」(ル・キャピタル)があります。

女性名詞は首都(都市)、男性名詞は資本を意味します。

英語の「Capital」には首都と資本の両方が含まれます。

ドイツ語の「Kapital」には資本の意味しか無く、都市は「Stadt」が担います。

ジャック・デリダ「他の岬」の射程範囲

文法的な性別からヨーロッパ史までを展望したジャック・デリダの名著にジャック・デリダ「他の岬―ヨーロッパと民主主義―」があります。

本書は、第1次世界大戦がヨーロッパ知識人に与えた衝撃を多様な観点から捉えています(ギリシア・ローマという甘い夢、西洋の没落)。

また「土地と都市」「土地と資本」「資本と都市」という組み合わせで近代国家を考える点を疑問視し、20世紀末から21世紀にいたる「首都」「都市」のあり方や、近代に形成された国民国家の概念を再検討する必要性を論じています。

その意味では本書の枠組みはこの映画の枠組みを批判しているとも受け取れます。

他方で本書が示すように、オスヴァルト・シュペングラー(独)、マルティン・ハイデガー(独)、ポール・ヴァレリー(仏)ら、ヨーロッパ半島に暮らした知識人たちにとって第1次世界大戦の戦後荒廃は衝撃でした。

大戦をきっかけに同半島の意味が「西のUSAに突き出た岬」から「ユーラシア大陸のただの西端」へと変わりました。

1920年頃は威厳を誇った対USAに明らかな差や劣等感をヨーロッパが感じ始めた時期でした。

この映画と「他の岬」との共通点

「他の岬」は≪西に突き出た男根キャピタル≫が大戦後にインポテンツになったことを詳細に論じました。

他方でこの映画「彼女について私が知っている二、三の事柄」もまた、資本たる男性が投下資本を増やさず(簡単にいえば努力せず)、ラジオばかり聞いていて家族に無関心であるという生活上のインポテンツが描かれています。

ここに「他の岬」とこの映画の共通点があります。

作品の特徴

デリダ「他の岬」が描かなかった都市内部の問題をこの映画は淡々と詳細に描いています。

子供の託児所通いと主婦の売春開始が毎朝同時に始まります。ここには家族ぐるみの労働の解体が描かれているともいえます。

マルグリット・デュラス「モデラート・カンタービレ」は幼児期からの過剰教育と主婦に発生する空虚な時間が同時進行でした。「彼女について私が知っている二、三の事柄」は過剰教育以上に枯れ果てた団地妻が強調されています。

デュラスの小説がウェットに富んでいるのにたいし、ゴダールはドライをもってきました。

その点で、やはりこの映画は日活ロマン・ポルノを生んだといっても過言ではありません。

ギット・マグリーニ

衣装を担当したギット・マグリーニ(Gitt Magrini)は1914年にイタリアのリグーリアのゾアーリに生まれたファッション・デザイナー兼女優です。

1977年にローマで没。

ジャン・リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーらの映画で衣装を多く担当しました。ギット・マグリーニと表記されることもあります。

補遺(2017年6月)

最近、ゴダールの映画「彼女について私が知っている二、三の事柄」を見直したり考え直したりしています。

この映画は視覚的にも哲学的にも深いもので、何度見ても新しい発見があります。この映画はちょうど半世紀前の1967年に公開された映画とは思えない新鮮さを持っています。

最近分かってきたキーワードは色です。

本作の色は赤色と青色が中心ですが、白と緑も大切な色として描かれています。彼女とはパリのことですが、映画に出てくるように都市圏でもあり、マリナ・ヴラディ自身でもあります。

映画の途中、「trans world airlines」のバッグとパックス・アムのバッグを被った二人の女性が出てきます。女性たちを風刺しているよりも時代と都市と男性たちを嘲笑しているように感じます。

そして、男性たちはアメリカやベトナムと航空機で往来し、アメリカのレコード会社の音楽をフランスのパリで聞く。

映画はこの現実感覚の錯誤が1960年代からはじまったことを示しています。

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