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女優・モデル

ヴィルナ・リージ

ヴィルナ・リージで知られるヴィルナ・リサ・ピエラリシはイタリアの女優。国際的な映画出演作に『女房の殺し方教えます』(1965年)、『おれの女に手を出すな』(1966年)、『サンタ・ビットリアの秘密』(1969年)、『ルー・サロメ 善悪の彼岸』(1977年)、『Follow Your Heart』(1996年)など。1994年の『王妃マルゴ』ではカンヌ国際映画祭主演女優賞とセザール賞助演女優賞を受賞。

彼女が出演した映画やTV番組は、ヴィルナ・リージの出演作品(映画・TV)をご覧ください。
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ヴィルナ・リージ

  • ヴィルナ・リージ(Virna Lisi)
  • ヴィルナ・リサ・ピエラリシ(Virna Lisa Pieralisi)
  • 生年月日:1936年11月8日(88歳)
  • 出身地:イタリア共和国マルケ州アンコーナ
  • 逝去:2014年12月18日(78歳)
  • イタリア共和国ラツィオ州ローマ
  • 職業:女優
  • 活動期間:1953年〜2014年
  • 配偶者:フランコ・ペシ(1960年に結婚、2013年に死去)
  • 子供:1人
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経歴

初期

ヴィルナ・リージ(本名:ヴィルナ・リサ・ピエラリ)は1936年11月8日にイタリア共和国マルケ州アンコーナで生まれました。

10代で映画界での経歴を開始。ナポリの二人のプロデューサー、アントニオ・フェリーニョとエットーレ・ペッシェにローマで見出され1953年に『La corda d’acciaio』でデビュー。当初はミュージカル映画『Naples Sings』(1953年)、『Questa è la vita』(1954年、トトと共演)などに出演。1955年に公開された『Le diciottenni』や『Lo scapolo』など、当初はその容姿を強調した役柄を演じていましたが、その後、『The Doll That Took the Town (The Woman of the Day)』(1956年)、『エヴァの匂い』(1962年)、スペクタクル映画『Romolo e Remo』(1961年)など、より過酷な役柄を演じるようになります。

1950年代後半にヴィルナはミラノ・ピッコロ劇場でジョルジョ・ストレラーの指揮のもと、フェデリコ・ザルディの『ジャコビーニ』に出演。1960年代にコメディにも出演し、イタリアで広く視聴されたTV番組に参加。また、イタリア人の間でキャッチフレーズとなるスローガンを掲げた歯磨き粉のブランドをテレビで宣伝しました。「con quella bocca può dire ciò che vuole」(その口があれば、彼女は何でも言うことができる)。

ハリウッド

ハリウッドでヴィルナ・リージは『女房の殺し方教えます』(1965年)でジャック・レモンと緑の瞳のブロンドの誘惑者としてハリウッド・コメディにデビュー。『おれの女に手を出すな』(1966年)ではトニー・カーティスと共演しました。当時のハリウッドのプロデューサーたちが新たなマリリン・モンローを求めていた潮流にヴィルナは乗れました。『007/危機一発』(1963年、後に改題:ロシアより愛をこめて)のタチアナ・ロマノワ役は断わりました。

その後、ヴィルナはフランク・シナトラと『クィーン・メリー号襲撃』(1966)年、ロッド・スタイガーと共演した『女と将軍』、アンソニー・クィンと共演したスタンリー・クレイマー監督の『サンタ・ビットリアの秘密』と戦争ドラマ『25時』出演。『エスクァイア』誌1965年3月号の表紙を飾った「顔剃り」写真で注目を集めました。

その後のヨーロッパ

魅惑的な女性を演じるという型にはまった役柄を克服するため、ヴィルナ・リージは新しいタイプの役柄、例えば悪女や年齢の離れた恋人役を探しました。1965年の『ゴールデン・ハンター』や『Le bambole』、1967年の『Arabella』、1968年の『Le dolci signore』など、イタリアの作品に出演。彼女はロジャー・ヴァディム監督の『バーバレラ』(1968年)でジェーン・フォンダが演じた役を断りました。ヴィルナはまた、『 蜜がいっぱい』(1966年)にも出演し、同年のカンヌ国際映画祭でクロード・ルルーシュ監督、アヌーク・エーメ主演の『男と女』とグランプリ(当時はパルムドールに相当、当時は授与されていない)を分け合いました。

ニューヨーク・サンデー・タイムズ紙によると、イタリアの建築家フランコ・ペッシと結婚後、ヴィルナは夫と息子コラードと過ごす時間を増やすため、1970年代初頭に一時女優業を引退。それにもかかわらず、『ルー・サロメ 善悪の彼岸』(1977年)、『美しき少年/エルネスト』(1979年)、『スキャンドール』(1980年)など、数々のプロジェクトでヴィルナのキャリアは絶頂に到達。映画『王妃マルゴ』(1994年)では、カトリーヌ・デ・メディチを演じ、セザール賞とカンヌ国際映画祭賞を受賞。2002年、ヴィルナは『わたしの一番幸せな日』に出演。その後、多くのシットコムやTV番組に出演。彼女の最後の出演作は、亡くなる直前の2014年のイタリアのコメディドラマ『ラテン・ラバー』でした。

私生活と死

ヴィルナ・リージはイタリアの不動産開発業者であり建築家のフランコ・ペッシと結婚。ペシが亡くなる1年前まで53年間連れ添いました。結婚後、彼女は女優業を一時引退。夫フランコは嫉妬深い人で、結婚後、彼はヴィルナを映画の仕事から遠ざけようとしました。最終的に彼が譲歩したとヴィルナは述べています。

2014年12月18日、ローマで肺癌のため78歳で死去。ヴィルナには息子のコラード・ペッシと3人の孫がいます。

遺産

アルゼンチンのバンドSumo(ルカ・プロダン率いる)がヴィルナ・リージのために作った曲「TV Caliente a.k.a. Virna Lisi」(1986年)は、ルカ・プロダンが作曲したもので、彼の弟で俳優のアンドレア・プロダンは、映画『I ragazzi di via Panisperna』(1988年)でヴィルナと共演しています。ブラジルのロックバンドVirna Lisi(1989〜1997年)は、彼女にちなんで名づけられました。1989年、Meilland International SAがヴィルナにちなんでバラを命名。

出演作品

ヴィルナ・リージが出演した映画やTV番組は、ヴィルナ・リージの出演作品(映画・TV)をご覧ください。

なむ

洋画が好き(字幕派)。妻と2匹の猫と一緒にサスペンスやスリラーを見ています。だいたいU-NEXTかNetflixで観ています。詳細は名前をクリックしてください。猫ブログ「碧眼のルル」も運営。

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