柏木由紀子は1947年12月24日生まれの日本の女優・タレント。東京都世田谷区出身で、劇団若草出身。1964年の映画『明日の夢があふれている』でデビューし、ドラマ『細うで繁盛記』や『華麗なる一族』などで活躍。1971年に歌手・坂本九と結婚し、二人の娘をもうけた。1985年の日航機墜落事故で夫を失うも、女優業を続け、ファッションやライフスタイルを発信。ブログやInstagramで人気を博し、シニア世代のおしゃれ番長として知られています。社会福祉活動や講演も行い、著書も複数出版。家族思いで、孫の存在を大切にする。
プロフィール
- 名前:柏木由紀子
- 本名:大島由紀子
- 旧姓:柏木
- 生年月日:1947年12月24日(77歳)
- 出生地:日本の旗 日本・東京都世田谷区
- 血液型:A型
- 職業:女優・タレント・歌手
- ジャンル:映画・TV
- 活動期間:1964年~
- 配偶者:坂本九(1971年~1985年)※死別
- 著名な家族:大島花子(長女)、舞坂ゆき子(次女)
- 事務所:坂本九音楽事務所
- 公式サイト:ameblo.jp
- SNSサイト:Instagram
生い立ち・教育
柏木由紀子は、1947年12月24日、東京都世田谷区で生まれました。三人姉妹の末っ子として、印刷会社を経営する父親のもとで育ちました。幼少期は引っ込み思案な性格で、人見知りが激しく、母親はその性格を改善しようと、小学校低学年の頃にカナリア児童合唱団に入団させました。そこで歌を学び、路線バスの中で延々と歌を歌うほど音楽に親しみました。この経験が、後の芸能活動の基盤となったと言えます。
小学校5年生の時、母親の勧めで劇団若草に入団します。劇団では演劇の基礎を学びながら、雑誌『女学生の友』などのファッションモデルとして活躍しました。子供らしい可憐な容姿が注目され、モデル業を通じて自然と表現力を養いました。しかし、中学に入学すると学業が忙しくなり、劇団を辞めます。それでもモデルのお仕事は続け、高校生になる頃には芸能界への道が開かれていました。
教育面では、玉川学園の小学部、中学部、高等部を順に卒業しました。玉川学園は自然豊かな環境で知られる学校で、由紀子はそこでバランスの取れた教育を受けました。高校時代には、映画のオーディションを受け、1964年に松竹映画『明日の夢があふれている』で女優デビューを果たします。このデビュー作で共演した三田明の所属事務所からスカウトされ、女優としての道を歩み始めました。
由紀子は、幼少期の合唱団や劇団経験を通じて、芸能界に自然と引き込まれました。引っ込み思案だった少女が、母親の支えと自身の努力で花開いた生い立ちは、彼女の謙虚で家族を大切にする性格を形成したと言えるでしょう。教育は玉川学園で一貫し、芸能活動と両立しながらも、学業を疎かにしませんでした。この基盤が、長期にわたるキャリアを支えています。(約850文字)
経歴
柏木由紀子の経歴は、1964年の映画デビューから始まります。高校生の時に出演した『明日の夢があふれている』で鮮烈な印象を残し、すぐに注目を集めました。翌1965年には、歌手としても『若い真珠』でレコードデビュー。女優と歌手の二刀流で活躍し、若手有望株としてブレイクします。1966年のドラマ『東京の人』ではヒロインに抜擢され、以後、数々の作品で主演や主要キャストを務めました。
1970年代に入ると、ドラマ『細うで繁盛記』で主人公の妻役を演じ、家庭的な女性像を確立。続いて『これが青春だ』や『新妻鏡』で、現代女性の複雑な心情を繊細に表現し、人気を博しました。1971年、歌手の坂本九と結婚しますが、育児と並行して女優業を続け、1973年の『華麗なる一族』では財閥の娘役でドラマチックな演技を披露。ロート製薬などのCMにも多数出演し、幅広いメディアで活躍しました。
1985年、夫・坂本九が日本航空123便墜落事故で亡くなると、一時活動を控えますが、半年後には仕事に復帰。ピンクの華やかな衣装を選んで現場に立ち、前向きな姿勢を示しました。以後、ドラマ『必殺仕事人』シリーズや大河ドラマ『北条時宗』に出演。1990年代にはミステリードラマ『女友だち同窓会殺人事件』で重要な役を果たします。
2000年代以降は、家族ユニット「ママエセフィーユ」を2004年に結成し、娘たちと音楽活動。2010年代前半、長女の大島花子から勧められ、ブログ『柏木由紀「子」でございます』を開設。ファッションや日常を綴り、アメブロ女優部門で1位を獲得する人気に。2017年からInstagramを開始し、フォロワー11万人超。2023年にはムック本『柏木由紀子ファッションクローゼット』を出版し、重版決定のヒット作となりました。
現在も女優としてドラマやバラエティに出演しつつ、講演活動や社会福祉に携わります。2025年、日航機事故40年を機にメディア出演が増え、夫の遺志を伝える活動を続けています。芸歴60年を超える由紀子は、おしゃれと前向きな生き方で、シニア世代のロールモデルとなっています。(約950文字)
私生活
柏木由紀子の私生活は、家族を中心に穏やかで充実したものです。1971年、坂本九と結婚し、二人の娘をもうけました。長女の大島花子は歌手・女優、次女の舞坂ゆき子(旧姓・坂本)は女優として活躍。夫婦仲は良好で、九さんは由紀子を深く愛し、家族旅行や日常のささやかな幸せを共有しました。九さんの死後、再婚を望まず、夫の存在を心の支えにしています。「九さんは私にとって大きい存在」と語り、未亡人として40年以上を過ごしました。
現在は娘たちと3世帯同居で、孫たちと賑やかな日々を送っています。孫の誕生日には手巻き寿司パーティーやゲーム大会を楽しみ、家族の絆を大切に。ブログやInstagramで孫の成長を時折共有し、温かな祖母像を見せます。ペットとしてトイプードルを飼い、散歩を楽しむ姿も日常的です。
趣味は多岐にわたり、編物、麻雀、テニス、ゴルフ、サックス演奏が挙げられます。自宅には麻雀コーナーがあり、友人との集まりで活用。運転好きで、初めてのマイカーはビートル、後にBMWも所有しましたが、現在は実用的な車を選んでいます。料理は当初苦手でしたが、夫の死後、家族のために工夫を凝らし、玉ねぎたっぷりのしょうが焼きや冷しゃぶサラダなどのヘルシー食を作成。箸置きを工夫する細やかさも特徴です。
健康管理には、ジム通いは苦手ですが、日常の家事や散歩で体を動かします。白内障の手術を受け、視力を回復。夜型人間で、午前0時前に寝ることは稀ですが、毎日の床掃除を日課とし、清潔を保ちます。おしゃれはライフワークで、ユニクロやZARAのプチプラアイテムを色違いで購入。エステやマッサージでリラックスし、甘いものを毎日のおやつに楽しむ甘党です。
夫の事故後、失意の底から立ち直ったのはファッションの力。明るいピンクの服が勇気を与え、おしゃれを通じて元気を取り戻しました。ポイ活やスマホ活用も上手く、娘の勧めでSNSを始め、幅広い世代とつながっています。私生活は、家族愛と自己表現のバランスが取れた、輝くシニアライフです。(約950文字)
出演作品
- 映画『明日の夢があふれている』(1964年、松竹) – デビュー作、主演級
- 映画『CUTE』(1970年) – 主要キャスト
- 映画『炎の青春』(1970年) – ヒロイン
- 映画『これが青春だ』(1970年代) – タイトルロール
- 映画『はりまや橋』(2009年) – 脇役
- 映画『The Harimaya Bridge』(2009年) – 国際版出演
- ドラマ『東京の人』(1966年、NET) – ヒロイン
- ドラマ『細うで繁盛記』(1970年代、TBS) – 主人公の妻
- ドラマ『これが青春だ』(1970年代) – 主演
- ドラマ『新妻鏡』(1970年代) – ヒロイン
- ドラマ『華麗なる一族』(1973年、NET) – 財閥の娘
- 大河ドラマ『北条時宗』(2001年、NHK) – 波津役
- ドラマ『必殺仕事人』(1980年代、ABC) – シリーズ出演
- ドラマ『女友だち同窓会殺人事件』(1989年、フジテレビ) – 京子役
- ドラマ『必殺! 主水死す』(1996年) – 脇役
- 音楽シングル『若い真珠』(1965年) – 歌手デビュー
- ユニット『ママエセフィーユ』(2004年~) – 家族三人での音楽活動
- CM:ロート製薬など多数(1960-70年代)
- バラエティ・情報番組:『徹子の部屋』(2023年)、『プラチナファミリー』(2025年)など
- 講演・ドキュメンタリー:日航機事故関連(2025年)
柏木由紀子の出演作品は、映画20本以上、ドラマ50本超に及び、多様な役柄をこなしました。デビューから現在まで、時代を映す作品群が彼女のキャリアを象徴します。
レビュー 作品の感想や女優への思い