アンジェリーナ・ジョリー(Angelina Jolie)は米国の女優、映画監督、プロデューサー、脚本家。アカデミー賞受賞女優でアクション映画からドラマまで幅広いジャンルで存在感を示してきました。「トゥームレイダー」シリーズや『マレフィセント』での主演で良く知られます。生い立ち、教育、経歴、私生活、出演作品について詳しく説明します。
- アンジェリーナ・ジョリー(Angelina Jolie)
- 本名:アンジェリーナ・ジョリー・ヴォイト(Angelina Jolie Voight)
- 生年月日:1975年6月4日(50歳)
- 出生地:米国カリフォルニア州ロサンゼルス
- 国籍:米国、カンボジア
- 身長:169 cm
- 職業:女優・映画プロデューサー
- 活動期間:1982年〜現在
- 配偶者:①ジョニー・リー・ミラー(1996 – 1999年)、②ビリー・ボブ・ソーントン(2000 – 2003年)、③ブラッド・ピット(2014 – 2016年)
- 著名な家族:ジョン・ヴォイト(父)、ミシェリーヌ・ベルトラン(母)
生い立ちと教育
アンジェリーナ・ジョリーは、俳優のジョン・ヴォイトと女優のマルシェリン・ベルトランの間に生まれました。彼女の父親はアカデミー賞受賞俳優であり、母親も女優として活動していましたが、主に舞台や小規模な作品に出演していました。両親は1976年に結婚し、1975年にアンジェリーナが生まれた後、1978年に兄ジェームズ・ヘイヴンが生まれました。しかし、両親は1976年に別居し、1980年に正式に離婚。アンジェリーナは母親に育てられ、父親との関係は長年疎遠でした。
ロサンゼルスで育ったジョリーは、幼少期から映画や演劇に囲まれた環境にいました。母親の影響で芸術に興味を持ち、5歳の頃には父親の映画『大狂乱』(1982年)に子役として出演。しかし、父親の不倫や家庭の不和が彼女に影響を与え、ティーンエイジャーの頃には自己破壊的な行動やうつ傾向に悩まされたと後に語っています。彼女は、幼少期に感じた孤独や疎外感が、後の人道活動への情熱につながったと述べています。
教育は、彼女の不安定な家庭環境や反抗的な性格により、伝統的な枠組みには収まりませんでした。彼女はビバリーヒルズの名門校、ビバリーヒルズ高校に通いましたが、標準的な学業には興味を示さず、演技や自己表現に傾倒しました。14歳の頃には、リー・ストラスバーグ演劇映画研究所(Lee Strasberg Theatre and Film Institute)で演技を学び始め、演劇への情熱を深めました。この時期、彼女はモデルとしても活動し、音楽ビデオやファッション広告に出演していました。
高校卒業後、ジョリーは大学には進学せず、演技のキャリアを追求することを決意。彼女は、演技の技術を磨くためにワークショップやオーディションに積極的に参加しました。彼女の教育は、正式な学術的訓練よりも、実践的な経験と自己探求によって形成されたと言えます。この非伝統的な学びのスタイルは、彼女のユニークな演技スタイルや人生観に反映されています。
経歴
初期(1990年代)
アンジェリーナ・ジョリーの女優としてのキャリアは、1990年代初頭に始まりました。1993年の低予算SF映画『サイボーグ2』で初主演を務めましたが、作品自体は商業的に成功しませんでした。彼女のブレイクは、1995年の『サイバーネット』での役柄で注目を集めたことから始まります。この映画で共演した俳優ジョニー・リー・ミラーと結婚したことも話題となりました。
1997年、TV映画『ジョージ・ウォレス/アラバマの反逆者』での助演が批評家から高く評価され、ゴールデングローブ賞を受賞。続く1998年の『ジーア 悲劇のスーパーモデル』では、実在のモデル、ジーア・キャランジを演じ、再びゴールデングローブ賞を受賞し、スターとしての地位を確立しました。1999年の『17歳のカルテ』でのリサ役は、彼女のキャリアの転換点となり、アカデミー賞助演女優賞を受賞。この作品で、彼女は精神的な不安定さをリアルに表現し、演技力の高さを証明しました。
ハリウッドのトップスターへ(2000年代)
アンジェリーナ・ジョリーは2001年の『トゥームレイダー』でララ・クロフト役を演じ、世界的なアクションスターとしての地位を獲得。この映画は、彼女の身体能力とカリスマ性を最大限に活かした作品で、商業的にも大成功を収めました。その後も『Mr.&Mrs. スミス』(2005年)でのブラッド・ピットとの共演や、『ソルト』(2010年)、『ウォンテッド』(2008年)など、アクション映画で活躍。一方で、『マイティ・ハート/愛と絆』(2007年)や『チェンジリング』(2008年)では、深い感情表現を要する役柄で批評家から称賛されました。『チェンジリング』ではアカデミー賞主演女優賞にノミネートされています。
監督・プロデューサー
2010年代以降、アンジェリーナ・ジョリーは監督・プロデューサーとしても活動を広げました。2011年の監督デビュー作『最愛の大地』は、ボスニア戦争を題材にした作品で、戦争の残酷さと人間性を描き、批評家から注目されました。2014年の『不屈の男 アンブロークン』では、第二次世界大戦の英雄ルイ・ザンペリーニの物語を監督。2017年の『最初に父が殺された』では、カンボジアのクメール・ルージュ時代を描き、Netflixで公開されました。これらの作品は、彼女の人道活動への関心とリンクしており、戦争や人権問題に焦点を当てています。
私生活
アンジェリーナ・ジョリーの私生活は、メディアの注目を集めることが多く、彼女の人間性や価値観が反映されています。
結婚と家族
アンジェリーナ・ジョリーは3度の結婚を経験しています。最初の結婚は、1996年に『ハッカーズ』で共演したジョニー・リー・ミラーとでしたが、1999年に離婚。2000年には俳優ビリー・ボブ・ソーントンと結婚し、奇抜な行動(互いの血を入れたペンダントを着用するなど)で話題になりましたが、2003年に離婚。2005年の『Mr.&Mrs. スミス』でのブラッド・ピットとの共演をきっかけに交際が始まり、2人は「ブランジョリーナ」として世界的な注目を集めました。2014年に結婚しましたが、2016年にジョリーが離婚を申請し、2019年に正式に離婚。2人の間には6人の子供(3人が養子、3人が実子)がおり、親権を巡る争いが続きました。
子供たちは以下のとおり。
- マドックス・シーヴァン(2001年養子、カンボジア出身)
- ザハラ・マーリー(2005年養子、エチオピア出身)
- シャイロ・ヌーヴェル(2006年実子)
- パックス・ティエン(2007年養子、ベトナム出身)
- ノックス・レオン(2008年実子)
- ヴィヴィアン・マーシェリン(2008年実子)
ジョリーは、子供たちを国際的な環境で育て、異文化や人道問題への理解を深める教育を重視しています。
人道活動
アンジェリーナ・ジョリーは2001年からUNHCRの親善大使として活動し、2012年には特使に昇格。彼女は難民キャンプを訪問し、シリア、ヨルダン、コンゴなどでの支援活動に従事しています。また、女性に対する暴力や教育問題に取り組む財団を設立し、積極的に寄付や啓発活動を行っています。彼女の人道活動は、自身の養子縁組や子供たちへの教育方針にも影響を与えており、彼女の公的イメージの一部となっています。
健康問題
2013年、アンジェリーナ・ジョリーは乳がんリスクを下げるため、予防的両乳房切除術を受けたことを公表。彼女の母親が乳がんで亡くなった経験から、BRCA1遺伝子の変異が確認されたためこの決断に至ったと説明しました。2015年には卵巣摘出手術も受け、女性の健康問題について公に語ることで、多くの人々に影響を与えました。
おもな出演作品
以下は、アンジェリーナ・ジョリーの代表的な出演作品の一部です(公開年順)。
- ハッカーズ(1995年)…:ハッカー役でブレイク。
- ジーア 悲劇のスーパーモデル(1998年)…:実在のモデルを演じ、ゴールデングローブ賞受賞。
- 17歳のカルテ(1999年)…:アカデミー賞助演女優賞。
- トゥームレイダー(2001年、2003年)…:ララ・クロフト役でアクションスターに。
- Mr.&Mrs. スミス(2005年)…:ブラッド・ピットと共演。
- チェンジリング(2008年)…:実話を基にした感動ドラマでアカデミー賞ノミネート。
- ソルト(2010年)…:スパイ・アクション映画。
- マレフィセント(2014年、2019年)…:ディズニー映画で悪役を再解釈。
- エターナルズ(2021年)…:マーベル映画でスーパーヒーロー役。
監督作品
- 最愛の大地(2011年)
- 不屈の男 アンブロークン(2014年)
- 最初に父が殺された(2017年)
まとめ
アンジェリーナ・ジョリーは、女優としての成功だけでなく、監督や人道活動家としての影響力で、現代のエンターテインメント業界と社会に大きな足跡を残しています。彼女の生い立ちや私生活での試練は、彼女の演技や社会貢献への情熱に深く影響を与え、多様な役柄やプロジェクトを通じてその信念を表現しています。ハリウッドのスターでありながら、難民や女性の権利といったグローバルな問題に取り組む姿勢は、彼女を単なるセレブリティを超えた存在にしています。
レビュー 作品の感想や女優への思い