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加賀まりこ

加賀まりこは日本の女優・司会者。本名は加賀雅子。1960年ドラマでデビュー後、映画『月曜日のユカ』などで人気を集め、「小悪魔」や「和製ブリジット・バルドー」と称された。奔放な言動で注目され、映画『泥の河』などで助演女優賞を受賞。長く活動を続け、現在も新宿区在住。

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プロフィール

  • 名前:加賀まりこ
  • 本名:加賀雅子(かがまさこ)
  • 生年月日:1943年12月11日(81歳)
  • 出生地:東京都神田区小川町(現千代田区神田小川町)
  • 身長:156cm
  • 血液型:O型
  • 職業:女優、司会者
  • ジャンル:テレビドラマ、映画、歌番組
  • 活動期間:1960年~
  • 配偶者:高田明侑(1974年-1980年)、清弘誠(事実婚)
  • 著名な家族:加賀四郎(父)、加賀千景(姪)

生い立ち・教育

加賀まりこは、1943年12月11日、東京都神田区小川町(現在の千代田区神田小川町)で生まれました。末っ子として育ち、姉は13歳年上、兄は12歳年上の加賀祥夫で、大映・松竹のプロデューサーとして活躍した人物。父の加賀四郎も大映のプロデューサーであり、祖父の加賀卯之吉は元衆議院議員でした。母方の祖母は神田錦町で貸席を営む松本フミさんでした。このように芸能一家に生まれ、幼少期から映画界の雰囲気に囲まれて育ちました。新宿区神楽坂で成人し、現在も同区に住んでいます。

幼い頃から早熟で活発な性格でした。小学生時代には、神田神保町の古本街に通うのが習慣で、特に澁澤龍彦訳の「マルキ・ド・サド選集」を愛読するほど文学に親しみました。この時期から歯に衣着せぬ性格が形成され、奔放な言動の基盤となったと言えます。中学校時代は陸上競技に熱中し、走幅跳で東京都大会を優勝するほどの活躍を見せました。一橋中学校を卒業後、明星学園高等学校に進学しますが、芸能界入り後、中退しています。高校時代は六本木や麻布界隈で活動範囲を広げ、キャンティなどの場所で安井かずみらと親交を深め、自由奔放な青春を過ごしました。1960年、明星学園高等学校在学中の17歳の時に、週刊誌の表紙を飾ったのをきっかけにスカウトされ、芸能界に足を踏み入れました。父の仕事柄、映画界の人々とは幼少期から顔見知りでしたが、本人は当初、芸能界に興味がなく、女優志望ではなかったそうです。しかし、このスカウトが運命を変え、女優としての道を歩み始めることとなります。

生い立ちの環境が、加賀まりこの独自のキャラクターを育んだことは明らかです。芸能一家の影響を受けつつも、自身の好奇心と行動力で多様な経験を積み、後の演技力や発言の基盤を築きました。教育面では、明星学園高等学校での学びが基礎となり、芸能活動と並行して自己研鑽を続けた姿勢が、長期的なキャリアを支えています。

経歴

加賀まりこの経歴は、1960年のデビューから現在に至るまで、波乱に満ちたものですが、常に第一線で活躍し続けた女優人生です。1960年、篠田正浩監督と寺山修司氏にスカウトされ、フジテレビ系ドラマ『東京タワーは知っている』で芸能界デビューを果たします。芸名「加賀まりこ」は、秋山庄太郎氏が命名したものです。このデビューは、17歳の若さで訪れたチャンスでした。1962年、松竹と5年間の新人契約を交わし、映画『涙を、獅子のたて髪に』で映画デビューを飾ります。以降、映画を中心に活動を広げ、中尾彬氏や山本陽子さんらと共演した主演映画『月曜日のユカ』(1964年)は、彼女の代表作の一つとなり、小悪魔的なルックスと高い演技力が評価され、人気女優としての地位を確立しました。この作品は、日本のヌーヴェルヴァーグと称され、加賀まりこの魅力を象徴する一作です。

しかし、人気絶頂の1964年、20歳の時にメディアのプレッシャーと仕事へのやりがい不足を感じ、女優を辞めるつもりで単身フランスのパリに渡りました。8ヶ月間の遊学生活を送り、ヨーロッパの文化や芸術に触れ、自己を見つめ直しました。1965年帰国後、劇団四季の研究生として2年間演技を基礎から学び直し、舞台『オンディーヌ』で女優復帰を果たします。この経験は、彼女の演技の幅を広げ、以降のキャリアに大きな影響を与えました。復帰後は、黒木和雄監督の『美しさと哀しみと』(1965年)など、実力派監督の作品に次々と出演し、演技派女優としての評価を高めました。

1970年代には、奔放な言動がマスコミを賑わせ、「生意気」「小悪魔」のレッテルを貼られることもありましたが、これが逆に彼女の個性を際立たせました。1981年の映画『泥の河』と『陽炎座』でキネマ旬報助演女優賞を受賞し、1980年の『夕暮れまで』でブルーリボン賞最優秀助演女優賞を獲得するなど、受賞歴も豊富です。1980年代には舞台や司会業にも進出し、1989年から1990年まで『夜のヒットスタジオSUPER』で司会を務め、幅広い層に親しまれました。1990年代以降も、ドラマ『妻たちの初体験』(1986年)や『出逢った頃の君でいて』(1994年)などで活躍を続け、2000年のNHKドラマ『私の青空』では母親役を演じ、新たな魅力を発揮しました。

2005年から2007年の『花より男子』シリーズで道明寺司の母親役を演じ、若い世代にも認知度を上げました。2011年には、中尾彬氏と肺炎予防大使に就任し、社会活動にも参加。2013年にはエッセイ『我が道』を連載し、自身の人生を振り返りました。近年では、2015年の『5→9〜私に恋したお坊さん〜』、2017年の『やすらぎの郷』、2024年の『南くんが恋人!?』など、ドラマを中心に活躍を続けています。また、2021年の映画『梅切らぬバカ』では54年ぶりの主演を果たし、自閉症の息子を持つ母親役で深い演技を披露しました。有限会社活動屋に所属し、80歳を超えても好奇心旺盛に活動を続ける姿勢は、多くの後輩に影響を与えています。加賀まりこの経歴は、挫折を乗り越え、常に挑戦を続ける女優の鑑と言えるでしょう。

私生活

加賀まりこの私生活は、女優業と同じく奔放で波乱に満ちたものです。1972年、27歳の時に未婚の妊娠を公表し、シングルマザーとして女児を出産しますが、生後7時間後に死去するという悲しい出来事を経験しました。この出来事は、当時の芸能界で大きなスキャンダルとなり、仕事を全て降ろされる事態を招きましたが、彼女はこれを乗り越え、女優として復帰しました。1974年、フジテレビのプロデューサーである高田明侑氏と結婚しますが、1980年に離婚しています。この結婚生活は、短いながらも彼女の人生に影響を与えました。

現在は、TBSの社員で演出家の方と事実婚の関係にあります。この関係は、加賀まりこが60歳の時に始まり、5年越しのアプローチで結ばれたもので、彼女自身が主導したと明かしています。相手の連れ合い(義理の息子)は自閉症で、45歳を超えていますが、加賀まりこは彼を「可愛い息子」と呼び、深い愛情を注いでいます。コロナ禍で会えない時期が続き寂しさを募らせましたが、薬の受け渡し時に「加賀まりこ!」と認識されたエピソードを笑顔で語っています。この事実婚は、彼女の自由な生き方を象徴しています。

家族関係では、父・加賀四郎の影響が大きく、幼少期から映画界の裏側を知る環境でした。兄・加賀祥夫もプロデューサーとして活躍し、姪の加賀千景は女優で、夫は田中健氏です。幼馴染に川添象郎氏がいます。私生活では、読書、麻雀、花札、ガーデニング、ゴルフ、フランス語を趣味とし、多趣味で好奇心旺盛です。ヌード写真集『PRIVATE 私生活/加賀まりこ』(1971年、立木義浩撮影)で大胆な姿を披露したこともあり、常に自分らしさを貫いています。パリでの遊学経験や、未婚出産の過去を率直に語る姿勢は、加賀まりこの強さと優しさを表しています。77歳のインタビューでは、「自由に生きてきた」と振り返り、ネット時代への同情を述べるなど、時代を超えた視点を持っています。私生活の出来事は、彼女の演技の深みを増す糧となっています。

出演作品

加賀まりこのおもな出演作品は次のとおりです。

映画

  • 『涙を、獅子のたて髪に』(1962年)
  • 『月曜日のユカ』(1964年)
  • 『美しさと哀しみと』(1965年)
  • 『濡れた逢びき』(1967年)
  • 『泥の河』(1981年)
  • 『陽炎座』(1981年)
  • 『夕暮れまで』(1980年)
  • 『麻雀放浪記』(1984年)
  • 『梅切らぬバカ』(1984年、2021年リメイク主演)
  • 『洋菓子店コアンドル』(2011年)
  • 『神様のカルテ』(2011年)
  • 『ラブレター』(1981年)

TV

  • 『東京タワーは知っている』(1960年、フジテレビ)
  • 『妻たちの初体験』(1986年、日本テレビ)
  • 『出逢った頃の君でいて』(1994年、日本テレビ)
  • 『私の青空』(2000年、NHK)
  • 『花より男子』(2005年、TBS)
  • 『花より男子2』(2007年、TBS)
  • 『5→9〜私に恋したお坊さん〜』(2015年、フジテレビ)
  • 『やすらぎの郷』(2017年、テレビ朝日)
  • 『南くんが恋人!?』(2024年、テレビ朝日)
  • 『東京バンドワゴン〜下町大家族物語』(日本テレビ)

舞台

  • 『オンディーヌ』(1965年、劇団四季)
  • その他の劇団四季作品(研究生時代)

司会・その他

  • 『夜のヒットスタジオSUPER』(1989-1990年、フジテレビ)
  • 肺炎予防大使(2011年、中尾彬と)

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