この映画でたくさんの旗袍(チャイナドレス)を着こなし、世界中の男女中高年をウットリさせました。
マギー・チャンは1964年9月20日に香港で生まれた女優です。
中国・香港の映画監督ウォン・カーウァイの作品で最多出演を誇ります。
香港と英国で育ち、1983年のミス香港コンテストで2位に入賞したのをきっかけにキャリアをスタート。
1980年代後半から2000年代前半にかけて成功を収め、2004年の主演作を最後に女優業を休止。
ファッション・イベントや授賞式を除いて、公の場に姿を現すことはほとんどありません。
マギー・チャン
- 本名:張曼玉(张曼玉)
- 生年月日:1964年9月20日(60歳)
- 出身:イギリス領香港
- 母校:①セント・ポールズ・プライマリー・カトリック・スクール、②ハッピー・バレー・セント・エドモンド・スクール 、③カンタベリー・エディンバラ大学(名誉博士号)
- 職業:女優
- 活動期間:1984-2004年、2009-2013年
- 配偶者:オリヴィエ・アサイヤス(1998年結婚、2001年離婚)
- 漢語ピンイン:Zhāng Mànyù
- 英語表記:Maggie Cheung
生い立ちと教育
香港生まれ
マギー・チャンは1964年9月20日、上海人の両親のもと香港で生まれました。
ハッピー・バレーのセント・ポール・プライマリー・カトリック・スクールに入学。
英国へ移住
8歳のときに家族で香港からイギリスへ移住。
幼少期と思春期を英国ロンドンのブロムリーで過ごし、カンタベリーのセント・エドモンド・スクールで学びました。
香港へ
1982年、18歳のときに休暇のため香港へ戻り、モデルやほかの仕事のために滞在。
このとき、一時的にレーン・クロフォード・デパートで販売の仕事もしました。
1983年、マギーはミス香港のページェントに出場し、準優勝とミス・フォトジェニック賞を受賞。
また、同年のミス・ワールドのページェントでは準決勝に残りました。
言語
香港と英国で育ち、パリに10年間滞在した結果、マギー・チャンはポリグロットとなりました。
映画「センター・ステージ」では、広東語、北京語、上海語を話し、簡単に言語を切り替えて演技しました。
また、「クリーン」では、英語、フランス語、広東語を流暢に操りました。
引退後
2014年5月、マギー・チャンは2014年上海イチゴ音楽祭に出演。
ここでのパフォーマンスが不評で、のちに回顧。
2019年6月、次世代ボーイズバンドを指導するマンゴーTVのリアリティ番組「Master In The House」にゲスト出演し、イチゴ音楽祭でのパフォーマンスの不評について率直に語りました。
2015年、アンソロジー映画「Cities in Love」の主題歌「If You Were Gone」(中国語:如果沒了你)を作曲・演奏。プロデューサーのグー・シャオドンによると、チャンはこの曲の制作にほぼ半年を費やしたそうです。
2022年6月、香港のザ・ランドマークにあるグッチの新店舗グランド・オープニングでDJセットを披露しました。
私生活
1998年にマギー・チャンはフランス人の映画監督オリヴィエ・アサイヤスと結婚し、2001年に離婚しました。
そして、2007年にドイツ人建築家のオーレ・シェーレンと交際をはじめましたが、2011年に破局。
2000年に公開された映画「花様年華」をきっかけに、共演者トニー・レオン(カリーナ・ラウの夫)と恋愛関係にあると噂されたことがありました。
でも、カリーナが2013年に空港でマギーと遭遇した写真をアップロードして確執の噂を打ち消しました(^^)
ファム・ファタル
マギー・チャンは女優デビューした当初、 ジャッキー・チェンの映画に多く出演していました。
その後、ウォン・カーウァイの映画に出はじめ、それとともに欧米圏の映画作品にも出演するようになりました。
彼女のキャリアを振り返ってみると、デビュー当初は使いまくりのアイドル、欧米圏ではクールな役柄。
クールなうえに悪女的か高湿度な女性を演じたことが、ほとんどありません。
つまり、マギー・チャンのもつ、ファム・ファタルのビジュアルをうまく活かした登場人物がないのです。
ファム・ファタル役をあえていうなら、オリビエ・アサイヤス監督の「イルマ・ヴェップ」(外見だけ)、さらにウォン・カーウァイ監督の「花様年華」くらいしか思いつきません。
とくに「花様年華」でたくさんの旗袍(チャイナドレス)を着こなし、世界中の男女中高年をウットリさせました。
私もその一人です。
最後に、マギー・チャン、花様年華、旗袍(チャイナドレス)をとりまく素敵な世界を探求した愛読ブログをご紹介します。
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