マギー・チャン(張曼玉)は香港出身の女優。香港で生まれ、幼少期にイギリスに移住し、中学校を卒業します。17歳でスカウトされ、ミス香港コンテストで2位となり、1984年に芸能界デビューします。
ジャッキー・チェンとの共演で人気を博し、ウォン・カーウァイ監督作品で演技派に転身します。香港電影金像奨を5度、金馬奨を4度受賞し、カンヌ国際映画祭の女優賞も獲得しています。2004年以降は女優業を休業し、音楽活動にシフトします。国際的に活躍するアジアを代表する女優です。
マギー・チャン
- 漢字表記:張曼玉
- 簡体字表記:张曼玉
- ピンイン:Zhāng Mànyù
- 英語表記:Maggie Cheung
- 生年月日:1964年9月20日(61歳)
- 出身:英領香港
- 母校:①セント・ポールズ・プライマリー・カトリック・スクール、②ハッピー・バレー・セント・エドモンド・スクール 、③カンタベリー・エディンバラ大学(名誉博士号)
- 職業:女優
- 活動期間:1984-2004年、2009-2013年
- 配偶者:オリヴィエ・アサイヤス(1998年結婚、2001年離婚)
ファム・ファタル
マギー・チャンは1964年9月20日に香港で生まれた女優です。中国・香港の映画監督ウォン・カーウァイの作品で最多出演を誇ります。
映画「花様年華」でスー・リーチェンという中年女性を演じた女優がマギー・チャン。この映画でたくさんの旗袍(チャイナドレス)を着こなし、世界中の男女中高年をウットリさせました。
マギー・チャンは女優デビューした当初、 ジャッキー・チェンの映画に多く出演していました。その後、ウォン・カーウァイの映画に出はじめ、それとともに欧米圏の映画作品にも出演するようになりました。彼女のキャリアを振り返ってみると、デビュー当初は使いまくりのアイドル、欧米圏ではクールな役柄。クールなうえに悪女的か高湿度な女性を演じたことが、ほとんどありません。
つまり、マギー・チャンのもつ、ファム・ファタルのビジュアルをうまく活かした登場人物が少ないのです。
ファム・ファタル役をあえていうなら、オリビエ・アサイヤス監督の「イルマ・ヴェップ」(外見だけ)、さらにウォン・カーウァイ監督の「花様年華」くらいしか思いつきません。この映画では数多くの旗袍(チャイナドレス)を着こなし、世界中の男女中高年をウットリさせました。
私もその一人です。マギー・チャンは理想のファム・ファタル。
マギー・チャン、花様年華、旗袍(チャイナドレス)をとりまく素敵な世界を探求した愛読ブログをご紹介します。合わせてご覧ください(^^)
生い立ち・教育
マギー・チャンは1964年9月20日にイギリス領香港で、上海出身の両親のもとに生まれます。彼女の家族は中産階級で、父親はビジネスマン、母親は主婦でした。幼少期は香港のセント・ポール・プライマリー・カトリック・スクールに通い、基本的な教育を受けます。しかし、8歳の時に家族とともにイギリス・ケント州に移住します。この移住は、父親の仕事の都合によるものでした。イギリスでは、ケント州ブロムリーのセント・エドマンズ・スクールに通い、中学校レベルの教育を修了します。当時の彼女の夢はヘアスタイリストになることで、美容やファッションへの関心が早くから芽生えていたようです。
中学校卒業後、16歳でロンドンに移り、書店員として働き始めます。この時期は独立した生活を送り、経済的な自立を経験します。イギリスでの生活は、彼女の国際的な視野を広げ、英語を母語レベルで習得する基盤となります。また、多文化環境で育ったことが、後のフランス語習得や国際映画界での活躍につながります。1982年、17歳の時に香港の親戚を訪ねた際、街中でスカウトされ、パートタイムの広告モデルとして活動を開始します。これが芸能界入りのきっかけとなります。18歳でミス香港コンテストに出場し、2位とミス・フォトジェニック賞を受賞します。このコンテストは、彼女の美貌と才能を世に知らしめ、TVB(香港電視廣播有限公司)と契約を結ぶことになります。教育面では、正式な高等教育を受けていませんが、独学で多言語を学び、フランス語も流暢に話せるようになります。このような生い立ちは、彼女の柔軟性と適応力を象徴します。イギリスでの経験が、香港映画界でのアイドルから演技派への転身を支えたと言えます。
経歴
マギー・チャンの経歴は、1984年のデビューから多岐にわたります。ミス香港コンテスト後の1983年にミス・ワールドの準決勝に進出し、注目を集めます。1984年にコメディ映画『君が好きだから』(原題:青蛙王子)で映画デビューし、キティ役を演じます。当初はアイドル的な役柄が多く、1985年の『ポリス・ストーリー/香港国際警察』でジャッキー・チェンと共演し、メイ役で人気を博します。この作品は大ヒットし、彼女をアクション映画のヒロインとして確立します。以降、『ポリス・ストーリー2/九龍の眼』(1988年、メイ役)や『ポリス・ストーリー3』(1992年、メイ役)でシリーズを続け、香港映画界のスターとなります。
1980年代後半から演技の幅を広げ、ウォン・カーウァイ監督の『いますぐ抱きしめたい』(1988年、ンゴー役)で本格的なドラマチックな役柄に挑戦します。この作品で彼女の演技力が評価され、演技派女優への転身を果たします。1990年の『欲望の翼』(スー・リーチェン役)では、複雑な人間関係を繊細に表現し、国際的な注目を集めます。
受賞歴も豊富で、香港電影金像奨最優秀主演女優賞を5度受賞します。具体的に、1989年の『仔猫のように抱きしめて』(ファン役)、1993年の『ロアン・リンユィ 阮玲玉』(阮玲玉役)、1997年の『ラヴソング』(リー・チアオ役)、1998年の『宋家の三姉妹』(宋慶齢役)、2001年の『花様年華』(スー・リーチェン役)です。
また、台湾金馬奨最優秀主演女優賞を4度獲得し、1989年の『フルムーン・イン・ニューヨーク』(リー・フォンジャウ役)、1991年の『ロアン・リンユィ 阮玲玉』(阮玲玉役)、1997年の『ラヴソング』(リー・チアオ役)、2000年の『花様年華』(スー・リーチェン役)で受賞します。1990年の『レッドダスト』(ユエ・フェン役)では金馬奨最優秀助演女優賞も得ます。
国際映画祭でも活躍し、1992年の『ロアン・リンユィ 阮玲玉』でベルリン国際映画祭銀熊賞(女優賞)を受賞します。1990年代後半からはパリ在住となり、1996年の『イルマ・ヴェップ』(本人役)でフランス映画界に進出します。1997年の『チャイニーズ・ボックス』(ジーン役)で英語デビューを果たします。2000年の『花様年華』はカンヌ国際映画祭で高い評価を受け、世界的に有名になります。2002年の『英雄』(飛雪役)はベルリン国際映画祭出品作となり、タイム誌のトップ10に選ばれます。2004年の『クリーン』(エミリー・ワン役)でカンヌ国際映画祭女優賞を受賞し、アジア人女優として初の快挙を成し遂げます。この作品は元夫オリヴィエ・アサヤス監督作です。2007年にはカンヌの審査員を務めます。
日本との関わりでは、1992年のNHKドラマ『ホンコン・ドリーム』に出演し、奥田瑛二と共演します。2004年の『クリーン』を最後に女優業を休業し、フィルム編集や音楽を学びます。2010年の『ホット・サマー・デイズ』(ゲスト出演)や短編作品に散発的に登場しますが、本格復帰はありません。
2014年にロックバンドのボーカルとして歌手デビューし、上海の音楽フェスティバルでパフォーマンスします。音程のずれが指摘されましたが、北京のフェスティバルで「子どもの頃の夢なので諦めない」と宣言し、観客の支持を得ます。2015年のオムニバス映画『恋する都市 5つの物語』で主題歌の作詞・作曲を担当します。
2023年にはOLAYと再協力し、短編作品を撮影します。2024年には中国フランスバドミントン慈善フェスティバル大使に就任します。また、UNICEF親善大使やエディンバラ大学名誉博士号の授与など、社会貢献も行っています。これらの経歴は、彼女の多才さと進化を示します。
服飾・美容
マギー・チャンは、ファッションと美容のアイコンとして知られます。168cmの長身と洗練されたスタイルが特徴で、幼少期のヘアスタイリストの夢から美容への関心が高いです。作品では、ウォン・カーウァイ監督の映画で着用するチーパオやドレスが注目され、『花様年華』での優雅な衣装は彼女のエレガンスを象徴します。
ファッション界では、2001年から2002年にJean-Louis Scherrerのイメージアンバサダーを務めます。2003年にはOlayのグローバルブランドスポークスパーソンとなり、美容製品のプロモーションに携わります。2005年にはマンダリン・オリエンタル・ホテル・グループのブランドアンバサダー、2008年から2009年にPiagetのグローバルブランドアンバサダーを担当します。2023年にはOLAYと再び協力し、短編フィルムを撮影します。これらの活動は、彼女の美容意識の高さを反映します。
私生活では、自然な美しさを保つケアを重視し、パリ在住時のフランス風スタイルが評価されます。メイクアップは控えめで、スキンケアを優先するアプローチです。香港の星光大道に手形を残す際のプレートも、彼女のファッションセンスを表します。美容面では、多言語習得のように自己研鑽を続け、加齢を自然に受け入れる姿勢が見られます。ファッション誌やイベントでの登場は少なく、プライベートを重視しますが、影響力は大きいです。この分野での活躍は、女優業を超えた彼女の魅力を示します。
私生活
マギー・チャンの私生活は、家族中心でプライベートを重視します。1964年に香港で生まれ、8歳でイギリスに移住した家族のもとで育ちます。16歳からロンドンで書店員として独立生活を送り、強い自立心を養います。1998年にフランス人監督オリヴィエ・アサヤスと結婚します。彼とは1996年の『イルマ・ヴェップ』で出会い、交際が始まります。結婚生活はパリを中心に過ごし、フランス語を習得しますが、2001年に離婚します。離婚理由は公表されていませんが、多忙なキャリアが影響したと推察されます。2007年から2011年までドイツ人建築家オーレ・シェーレンと交際しますが、破局します。以降、恋愛関係は報じられていません。
撮影現場でのエピソードとして、『ポリス・ストーリー2/九龍の眼』(1988年)のアクションシーンで頭部を負傷し、入院します。これらの事故は、彼女の献身的な姿勢を示します。休業後はフィルム編集や音楽に没頭し、2014年の歌手デビューで新たな挑戦をします。私生活では、メディア露出を控え、パリや香港で静かに暮らします。家族との絆は強く、両親の影響で国際的な視野を持ちます。2026年現在も、プライベートを公にせず、芸術活動に集中します。このような私生活は、彼女の内省的な性格を表します。
なお、2000年に公開された映画「花様年華」をきっかけに、共演者トニー・レオン(カリーナ・ラウの夫)と恋愛関係にあると噂されたことがありました。でも、カリーナが2013年に空港でマギーと遭遇した写真をアップロードして確執の噂を打ち消しました(^^)
2020年、シンガポールの出版社『トゥデイ』は、マギー・チャンは女優業に復帰する予定はなく、ファッション、音楽、映画の製作・編集に時間を割いていると書きました。
引退後
2014年5月、マギー・チャンは2014年上海苺音楽祭に出演。2019年6月、ボーイズバンドのネクストを指導するマンゴーTVのリアリティ番組『マスター・イン・ザ・ハウス』にゲスト出演した際、チャンは2014年のパフォーマンスの不評について率直に語りました。
2015年、マギー・チャンはアンソロジー映画『恋する都市 5つの物語』の主題歌「If You Were Gone」(中国語:如果沒了你)を作曲・演奏。プロデューサーのグー・シャオドンによると、マギーはこの曲の制作に半年近くを費やしたそうです。2022年6月、マギーは香港のザ・ランドマークにあるグッチの新店舗のグランド・オープニングでDJセットを披露しました。






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