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大原麗子

大原麗子は日本の女優。本名は飯塚麗子。端正な顔立ちと鼻にかかった甘い声で独特の存在感を放ち、テレビドラマを中心に活躍。1964年のデビューから2004年まで映画、TV、舞台、CMなどで幅広く出演し、代表作にNHK大河ドラマ『春日局』や映画『おはん』など。1987年に山路ふみ子映画賞女優賞を受賞するなど、演技力が高く評価された。私生活では二度の結婚と離婚を経験し、ギラン・バレー症候群などの病気に苦しみながらも女優業に情熱を注いだ。2009年8月3日、62歳で不整脈による脳内出血のため逝去。国民的な人気を博した彼女の人生は、炎のように激しく美しいものだった。

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プロフィール

  • 名前:大原麗子(おおはられいこ)
  • 本名:飯塚麗子(いいづかれいこ)
  • 生年月日:1946年11月13日
  • 出生地:日本国東京都文京区小石川区丸山町
  • 没年月日:2009年8月3日(享年62歳)
  • 血液型:AB型
  • 職業:女優
  • ジャンル:映画・TV・演劇
  • 活動期間:1964年~2004年
  • 配偶者:渡瀬恒彦(1973年~1978年)、森進一(1980年~1984年)

生い立ち・教育

大原麗子は、1946年11月13日、東京都文京区小石川区丸山町で生まれました。本名は飯塚麗子で、長女として老舗和菓子屋の経営者を父に持つ家庭に育ちました。父親の飯塚政光は、伝統的な和菓子店を営む厳格な人物で、家族を大切にする一方、仕事に没頭するタイプでした。母親は穏やかで家庭的な女性で、麗子は幼少期から両親の愛情に包まれて育ちました。しかし、戦後の混乱期を過ごしたため、物資の乏しい中で質素な生活を送りました。兄弟は弟の政光がおり、後に麗子の死の第一発見者となります。

麗子は幼い頃から活発で好奇心旺盛な少女でした。小学校は府中市立府中第四小学校に通いましたが、詳細はあまり公表されていません。家庭の影響で和菓子作りに親しみ、甘いものが大好きになりました。中学校は潤徳女子中学校に進学し、女子校特有の繊細な感性を養いました。この頃、文学や演劇に興味を持ち始め、将来の夢を模索するようになります。高校は北豊島高等学校に進み、1964年に卒業しました。高校時代は成績優秀で、友人たちとの交流が活発でした。進路については、当初スチュワーデスやアナウンサー、観光バスのガイドになることを考えていましたが、俳優の道に進むきっかけが訪れます。

高校生の頃、麗子は歌手で俳優の田辺靖雄を中心としたグループ「六本木野獣会」に所属しました。このグループは、富裕層の子女が集まるサークルで、加賀まりこや峰岸徹らもメンバーでした。パーティーやイベントを通じて芸能界の華やかさに触れ、18歳の時に大野伴睦の長男で東京放映社長の大野直にスカウトされました。これが芸能界入りの契機となります。大学進学はせず、すぐに女優の道を選びました。生い立ちは複雑な家庭環境を反映し、愛情を求める一方で自立心が強くなる基盤を築きました。教育面では、女子校での学びが彼女の優雅な物腰を形成し、後の演技に活かされました。このような背景が、麗子の内面的な深みを生み、女優としての独自の魅力を支えました。

経歴

大原麗子の経歴は、1964年のデビューから約40年にわたり、多彩な活躍を繰り広げました。1964年、NHKのテレビドラマ『幸福試験』で本格的に女優デビューを果たします。この作品で初々しい演技を見せ、注目を集めました。翌1965年、東映に入社し、佐久間良子主演の映画『孤独の賭け』で映画初出演。端正な美貌と落ち着いた声質が評価され、すぐに看板女優の仲間入りをします。以降、高倉健主演のアクション映画『網走番外地』シリーズに連続出演。1966年の『網走番外地 荒野の対決』では準主役級の役を演じ、人気を博しました。千葉真一や梅宮辰夫との共演も多く、『夜の青春』シリーズではホステス役を演じ、勝気で溌剌としたイメージを確立します。

東映時代は「不良性感度映画」と呼ばれるジャンルが多く、25歳頃までパンスケや不良少女役が中心でした。しかし、麗子自身は山本周五郎の小説のような日本的美人役を望み、1971年に東映との契約が切れると渡辺プロダクションに移籍します。この転機でテレビドラマにシフトし、しっとりとした和服美人のイメージに転身。1970年代には『前略おふくろ様』などのホームドラマで家庭的な女性を演じ、好感度を高めました。1980年代に入り、NHK大河ドラマ『春日局』で主演を務め、平均視聴率32.4%という歴代3位の記録を樹立。橋田壽賀子や石井ふく子から「演技の深みがある」と絶賛され、女優としての地位を固めます。

映画では、1970年代の『獄門島』や『柳生一族の陰謀』でサスペンスの女王役を、1980年代の『おはん』で内気な女性を演じ、1987年に山路ふみ子映画賞女優賞を受賞。寅さんシリーズでは『噂の寅次郎』と『寅次郎真実一路』でマドンナ役を2度務め、国民的な人気を獲得しました。舞台では『女系家族』などで好演し、演劇界からも評価されました。CMでは1980年から1990年までサントリーレッドの広告に出演。「すこし愛して、ながーく愛して」のセリフが大ヒットし、市川崑監督の演出で短編映画のようなクオリティを誇りました。歌手としてもレコードをリリースしましたが、台詞中心の語りで女優らしさを発揮。

1990年代以降は、病気の影響で活動が減少。1999年にギラン・バレー症候群の再発疑いで休養し、2004年の『十津川警部シリーズ』が最後のテレビ出演となります。晩年はワンポイントに所属し、プライドを保ちつつ仕事を選びました。経歴全体を通じて、麗子は「一人で生きる女優」という美学を貫き、幅広い世代から愛されました。受賞歴にはエランドール賞新傑出し女優賞(1966年)、テレビ大賞優秀タレント賞(1972年)などがあり、業界の重鎮から信頼を集めました。彼女のキャリアは、時代を超えた女優の鑑と言えるでしょう。

私生活

大原麗子の私生活は、華やかな芸能活動とは対照的に、苦難と孤独に満ちたものでした。1973年、26歳の時に俳優の渡瀬恒彦と結婚します。二人は東映での共演がきっかけで、高倉健との食事会で出会い交際に発展。渡瀬は3歳年上ですが、後輩として慕われました。しかし、結婚5年目の1978年に離婚。理由は仕事優先の生活と性格の不一致で、麗子は「家庭に男が二人いた」と振り返りました。子宮外妊娠で胎児を失う悲劇もあり、精神的ダメージが大きかったです。

離婚から2年後の1980年、33歳で歌手の森進一と再婚。渡辺プロダクションの同僚で、1歳年下の森とは音楽番組での共演が縁。熱愛が報じられ、周囲の祝福を受けましたが、結婚4年目の1984年に離婚。森の多忙と家庭内不和が原因で、麗子は会見で「仕事をやめたくなかった」と語りました。一度の妊娠がありましたが、堕胎を選択。子供は生まれず、二度の結婚は無子で終わりました。以降、30年近く独身を貫き、母方の飯塚姓に戻して暮らしました。

健康面では、1975年29歳の時にギラン・バレー症候群を発症。末梢神経の障害で手足の麻痺を起こし、1年間の療養を余儀なくされました。一時は回復しましたが、1999年11月に再発疑いで芸能活動を休止。実弟の政光や専門家は「再発ではなく慢性化」との見解を示しています。また、47歳の時に乳がんの手術を受け、克服。53歳の1999年に左目の二重まぶた整形手術を試みましたが、失敗し腫れが残り、仕事に影響。原因は匿名性を求めた「モグリ」の医師選択でした。2008年には自宅転倒で右手首骨折と膝打撲を負い、母の介護も重なりました。

家族関係は、母親との絆が深く、晩年は世田谷区の豪邸で二人暮らし。2009年3月に母を介護施設に入所させ、一人暮らしを始めました。豪邸の維持費に苦しみ、貴金属を売却するなど経済的に厳しく、孤独を感じていました。マネージャーの佐藤嘉余子とは公私ともに親しく、1999年から5ヶ月同居するほど信頼が厚かったです。死去の2009年8月3日、不整脈による脳内出血で亡くなり、8月6日に弟の政光が発見。死後3日経過しており、孤独死と報じられました。墓所は世田谷区妙壽寺、戒名は「花香院麗風妙舞大姉」。私生活の苦難は、インタビューで「常に死を意識していた」と語る麗子の強靭な精神を物語ります。スペイン詩人サン・ファン・デ・ラ・クルスの詩『孤独な鳥の、5つの条件』を愛し、一人で生きる美学を体現しました。2011年に出版されたノンフィクション『大原麗子 炎のように』は、彼女の人生を深く描いています。

出演作品

大原麗子の出演作品は、映画、テレビドラマ、舞台、CMと多岐にわたり、約100本以上に上ります。以下に主なものを挙げます。

  • 映画:『孤独の賭け』(1965年、東映、佐久間良子主演の助演でデビュー作)
  • 『網走番外地 荒野の対決』(1966年、東映、高倉健と共演、準主役)
  • 『夜の青春シリーズ』(1960年代後半、東映、梅宮辰夫・緑魔子と共演、ホステス役)
  • 『獄門島』(1977年、角川映画、横溝正史原作のサスペンス)
  • 『柳生一族の陰謀』(1978年、東映、富司純子と共演の時代劇)
  • 『おはん』(1984年、東宝、林芙美子原作で主演、内気な女性役)
  • 『新・喜びも悲しみも幾歳月』(1986年、東映、坂口尚主演の人間ドラマ、山路ふみ子賞受賞作)
  • 『男はつらいよ 噂の寅次郎』(1980年、松竹、寅さんマドンナ役)
  • 『男はつらいよ 寅次郎真実一路』(1984年、松竹、再びマドンナ役)
  • 『紫式部 源氏物語』(1987年、松竹、古典文学のヒロイン)
  • 『居酒屋兆治』(1983年、東映、家庭的な妻役)
  • テレビドラマ:『幸福試験』(1964年、NHK、デビュー作)
  • 『前略おふくろ様 第2シリーズ』(1976年、NTV、本人役でゲスト出演)
  • 『春日局』(1989年、NHK大河ドラマ、主演・春日局役、視聴率32.4%)
  • 『獅子の時代』(1980年、フジテレビ、三島由紀夫原作)
  • 『山河燃ゆ』(1983年、TBS、橋田壽賀子脚本の人間ドラマ)
  • 『チロルの挽歌』(1992年、NHK、水谷豊と共演の家族劇)
  • 『十津川警部シリーズ』(2004年、TBS、名和晃平と共演、最終出演作)
  • 『女優たち』(1991年、フジテレビ、ドキュメンタリードラマ)
  • 舞台:『女系家族』(1980年代、橋田壽賀子作、母娘の絆を描く)
  • 『北朝鮮拉致』(1990年代、現代劇、社会問題をテーマ)
  • CM:サントリーレッド(1980-1990年、市川崑監督、「すこし愛して、ながーく愛して」の名フレーズ)
  • 歌手:シングル「愛のきずな」(1970年代、台詞中心の語りでリリース)

まとめ

これらの作品で、麗子は多様な役柄を演じ分け、時代を象徴する女優となりました。特に大河ドラマや寅さんシリーズは、彼女の国民的人気を象徴します。晩年の作品は少なくとも、存在感は色褪せませんでした。

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