BDSMの場面が出てくる映画やドラマを紹介しています。
BDSMはたんにセクシャルなアダルト行為や関係ではなく、肉体面や精神面でいろんな問題をもっています。自傷行為、強い主従関係、トラウマなどはその代表例です。
BDSMとは、緊縛、規律、支配と服従、サドマゾヒズム、およびその他の関連する対人力学を含む、しばしばエロティックな実践やロールプレイの様々なものであります。
BDSMの実践は多岐にわたりますが、なかには自分ではBDSMを実践しているとは思っていない人も含まれるため、BDSMコミュニティやサブカルチャーに含まれるかどうかは、しばしば自己認識と経験の共有にかかっているといわれます。
BDSM
側面
- B&D、B/D、またはBD…緊縛と規律
- D&S、D/s、またはDs…支配と服従
- S&M、S/M、またはSM…サディズムとマゾヒズム
役割
- トップ/支配者…行為を行なう、またはコントロールするパートナー
- ボトム/服従…支配を受ける、または支配されるパートナー
- スイッチ…役割を交代する
文化的側面
今日、BDSM文化はほとんどの西洋諸国に存在します。この広がりによって、BDSM実践者たちは、BDSMに関連する話題や問題を同じ考えをもつ人々と議論する機会をもつことができます。
この文化はしばしばサブカルチャーとして見られていますが、これはおもにBDSMがまだ一部の一般人によって「異常」と見なされることが多いためです。多くの人々は、理解されないことや社会的排除を恐れているため、自分がBDSMに傾倒していることを社会に隠しています。
心理学的、精神分析的、医学的、法医学的アプローチによってサドマゾヒズムを説明しようとする枠組みとは対照的に、ロマーナ・バーンは、このような実践は美的セクシュアリティの例として見ることができると提案しています。
そのような実践においては、生理的、心理的な衝動は関係ありません。むしろ、サディズムやマゾヒズムは、スタイル、快楽、アイデンティティと結びついたある種の美的目標に突き動かされ、選択と熟考によって実践されるのかもしれません。これらの実践は、特定の状況や文脈においては、芸術の創造と比較することができます。
映画にみるBDSM
BDSM行為は当初は微妙な形で登場しましたが、1960年代には『O嬢の物語』や『毛皮を着たヴィーナス』のような有名な文学作品が露骨に映像化されました。
1986年に公開された映画『ナインハーフ』によってBDSMの話題は映画の主流となりました。
1990年代からは
- Graphic Sexual Horror(Insexというウェブサイトをもとにした2009年の映画)
- Kink(Kink.comというウェブサイトをもとにした2013年の映画)
といったドキュメンタリー作品を中心に製作されました。昨今では「フィフティ」シリーズが注目されています。
- フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ(2015年)
- フィフティ・シェイズ・ダーカー(2017年)
- フィフティ・シェイズ・フリード(2018年)
これらの映画に見られるように、BDSMを含むオルタナティブ・セクシュアリティの映画的表現は、この20年間で劇的に増加しました。
しかし、主流社会ではBDSM行為が虐待であると誤って考えられていて、この誤解には、先の「フィフティ」シリーズが一役買っています。このシリーズのおもな関係性のなかで起こることの多くが、肉体的・精神的な家庭内虐待であり、BDSMの全体的な理解をジグルボールや拷問部屋に集約させる人々にとって、さらなる誤解を生む恐れがあります。