野川由美子は日本の女優。京都府京都市出身。本名は山像由美子。1963年にテレビドラマ『孤独の賭け』でデビューし、1964年の映画『肉体の門』で映画界に進出。以降、時代劇を中心に数多くの作品で活躍。夫は演出家の逢坂勉、義娘は女優の山像かおり。身長160cm、A型。
プロフィール
- 名前:野川由美子
- 本名:山像由美子(やまがた ゆみこ)(旧姓:野川)
- 生年月日:1944年8月30日(81歳)
- 出生地:日本国京都府京都市
- 血液型:A型
- 職業:女優
- ジャンル:TV、舞台、映画
- 活動期間:1963年 –
- 配偶者:逢坂勉(1971年 – )
- 著名な家族:山像かおり(義娘)
- 事務所:オフィス天童
- 公式サイト:office-tendo.jp
生い立ち・教育
野川由美子は、1944年8月30日に京都府京都市上京区で生まれた。実家は野川家で、幼少期から伝統的な京都の風情に囲まれて育った。家族の恒例行事として、年末年始にはお重箱のお弁当を携えて歌舞伎座の桟敷席で歌舞伎を観劇することが習慣となっており、この環境が彼女の芸能界への興味を自然と育んだ。小さな頃からお芝居の世界に親しみ、華やかな舞台に憧れを抱くようになった。
小学校3年生の頃、映画に触れる機会が増え、特に中村錦之助(後の萬屋錦之介)の演技に強く魅了された。この出会いが、彼女の女優への夢を具体化させるきっかけとなった。鏡の前で錦之助の相手役を演じてマネをし、いつか一緒に芝居をしたいと心に誓うほどだった。小学校4年生の時、伯父に連れられて琵琶湖一周のドライブ旅行をした際、紅葉館で食事をした日が、東映映画『鳳城の花嫁』のカラー封切り記念パーティーの日と重なった。偶然宴会場で中村錦之助に遭遇し、サインをもらうことができた。この幸運な出来事が、彼女の志をさらに強くした。
女優になるためには、京都弁ではなく標準語を身につけなければならないと考え、ひたすら映画を観てセリフを真似して練習した。中学生になると、NHKの関係者が週に一度学校を訪れ、滑舌と発声の指導をしてくれる機会を得た。この恩恵を活かし、勉強を後回しにして丸3年間、猛練習に励んだ。こうした努力が、彼女の基盤を固めた。
高校生の頃、芸能界入りの足掛かりを求めてミス着物コンクールに応募。1961年に準ミスに選ばれたことが、芸能界への第一歩となった。教育面では、京都府立朱雀高等学校を卒業。学業と並行して女優への道を模索し、1963年に高校卒業後に上京の道が開けた。こうした生い立ちは、彼女の強い意志と環境の影響が融合したものであり、後年のキャリアの原動力となった。
経歴
野川由美子の芸能界デビューは、1961年のミス着物コンクール準ミス選出に遡る。この受賞がきっかけで注目を集め、1963年にNET(現テレビ朝日)のテレビドラマ『孤独の賭け』で女優デビューを果たした。主人公のいとこの高校生・美香役を演じ、その演技が評価され、上京の機会を得た。このデビュー作は、彼女のテレビ界への足がかりとなった。
翌1964年、20歳の時に鈴木清順監督の映画『肉体の門』で映画デビュー。官能的な役柄を体当たりの演技でこなす姿が話題を呼び、以降鈴木監督作品に連続出演した。1965年の『春婦伝』では、春婦の役で妖艶さを発揮。1966年の『河内カルメン』では、カルメン役でさらに存在感を示し、鈴木清順監督の映画に独特の官能的な美しさを加えたと評された。1967年の『ある殺し屋』や『悦楽』など、60年代後半にかけて映画を中心に活躍。こうした初期の作品で、彼女の演技力が認められ、人気を博した。
1971年に結婚を機に一時活動を控え、関西中心の仕事に移行。1972年には舞台『夫婦善哉』に出演し、舞台女優としてもデビュー。同年、テレビドラマ『必殺仕掛人』で鉄砲玉のおきん役を演じ、時代劇シリーズの常連となった。この役は、粋な姉御肌のキャラクターで視聴者に愛され、以降の必殺シリーズに欠かせない存在に。1974年の『暗闇仕留人』、1976年の『桃太郎侍』では、梅宮辰夫や藤田まことらと共演し、痛快な演技で人気を確立した。
1980年代に入ると、『長七郎江戸日記』(1983年)で里見浩太朗と共演。華麗な二刀流の時代劇で、複数のエピソードに登場し、安定した演技を披露した。また、『大岡越前』や『水戸黄門』などの人気時代劇にもゲスト出演を重ね、バイプレイヤーとして活躍。1990年代以降は、映画『プライベート・レッスン』(1993年)、『ラストゲーム 最後の早慶戦』、2004年の『母の居る場所 台風一過』など、現代劇にも進出。2003年の『白い巨塔』では、ベテラン女優として脇を固めた。
2016年の映画『海すずめ』では、高木悠子役を演じ、近年も精力的に活動を続けている。1977年には映画『北陸代理戦争』での演技が評価され、京都市民映画祭助演女優賞を受賞。所属事務所は当初中田プロダクション、渡辺プロダクションを経て、現在はオフィス天童に所属。バラエティ番組『サラリーマンNEO』や情報番組『ウェークアップ!』ではコメンテーターとしても登場し、社会問題に対する意見を述べるなど、多角的なキャリアを築いている。80歳を超えても現役で、時代を超えた女優として尊敬を集めている。
私生活
野川由美子の私生活は、芸能界の華やかさとは対照的に、穏やかで家庭的なものが多い。1971年、27歳の時に演出家・脚本家の逢坂勉(本名:山像信夫)と結婚した。逢坂勉は、テレビドラマや舞台の演出を手がけるベテランで、二人は仕事を通じて出会い、意気投合した。結婚後、本名を山像由美子に改名し、夫婦で支え合いながら生活を送っている。夫婦の間には実子はいないが、逢坂勉の連れ子である女優の山像かおりを義娘として迎え入れ、家族として仲良く暮らしている。山像かおりは、野川の影響を受け女優の道を歩み、親子のような絆で結ばれている。
家族構成の詳細は公にされていないが、息子が一人いるという情報もある。ただし、実子か連れ子かは不明で、プライバシーを尊重した慎重な情報公開がなされている。野川自身は、好物が生ちらし寿司であることを明かしており、京都育ちの食いしん坊な一面を覗かせる。住居については、静岡県熱海市に温泉付きで海が見える家を構え、ゆったりとした生活を楽しんでいるという。芸能活動の傍ら、夫婦で旅行や趣味に時間を費やし、健康管理に努めている。
私生活でのエピソードとして、幼少期の両親の離婚経験が挙げられる。2歳の時に両親が離婚し、母親に引き取られて育った。この経験が、彼女の自立心を養い、強い精神力を築いたのかもしれない。また、台湾国籍や帰化の噂が一部で流れたが、これは本名変更や結婚関連の誤解によるもので、彼女は日本国籍を保持している。全体として、私生活は仕事と調和し、家族の絆を大切にする温かなものだ。近年は、孫世代の存在も示唆され、家庭の喜びを味わっている様子がうかがえる。
出演作品
- テレビドラマ『孤独の賭け』(1963年、NET) – 美香役
- 映画『肉体の門』(1964年、監督:鈴木清順) – 主演
- 映画『春婦伝』(1965年、監督:鈴木清順) – 春婦役
- 映画『悦楽』(1965年)
- 映画『河内カルメン』(1966年、監督:鈴木清順) – カルメン役
- 映画『ある殺し屋』(1967年)
- 舞台『夫婦善哉』(1972年)
- テレビドラマ『必殺仕掛人』(1972年、ABC) – 鉄砲玉のおきん役
- テレビドラマ『暗闇仕留人』(1974年、NET)
- テレビドラマ『桃太郎侍』(1976年、NET) – 複数エピソード出演
- 映画『北陸代理戦争』(1977年) – 助演女優賞受賞
- テレビドラマ『長七郎江戸日記』(1983年、YTV) – 複数エピソード、牛吉の純情、瓦版かっぱ騒動、友吉・愛に死す、螢の哭く川など
- テレビドラマ『大岡越前』(1980年代、TBS) – ゲスト出演
- テレビドラマ『水戸黄門』(1980年代、TBS) – ゲスト出演
- 映画『プライベート・レッスン』(1993年)
- 映画『ラストゲーム 最後の早慶戦』(1993年)
- テレビドラマ『白い巨塔』(2003年、フジテレビ) – 脇役
- 映画『母の居る場所 台風一過』(2004年) – 高木悠子役
- 映画『おもちゃ』(1999年)
- 映画『海すずめ』(2016年) – 高木悠子役
- テレビドラマ『渡る世間は鬼ばかり』(複数シリーズ、TBS) – 峯屋主人役
- その他、時代劇シリーズ多数:『必殺仕事人』、『剣客商売』など
レビュー 作品の感想や女優への思い