シャーミアン・カー(Charmian Carr)は米国の女優、歌手、インテリアデザイナー。1965年の映画『サウンド・オブ・ミュージック』でリゼル・フォン・トラップ役を演じたことで知られています。シカゴ生まれの彼女は、芸術的な家庭で育ち、短いながらも輝かしいキャリアを築きました。晩年はデザイン業に転じ、回顧録を執筆。2016年に73歳で死去しました。
プロフィール
- 名前:シャーミアン・カー(Charmian Carr)
- 本名:Charmian Farnon
- 生年月日:1942年12月27日
- 出生地:アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ
- 没年月日:2016年9月17日(享年73歳)
- 死没地:アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス
- 職業:女優・歌手
- 活動期間:1965年 – 2016年
- 配偶者:ジェイ・ブレント(1967年 – 1991年)
- 著名な家族:シャノン・ファーノン(姉)、ダーリーン・カー(妹)
生い立ち・教育
シャーミアン・カーは、1942年12月27日または28日、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴに生まれました。本名はチャーミアン・アン・ファーノン(Charmian Anne Farnon)です。彼女の名前は、父親のブライアン・ファーノンがウィリアム・シェイクスピアの戯曲『アントニーとクレオパトラ』に登場するクレオパトラの侍女の名前に魅了されたことに由来します。父親は音楽家で、母親のリタ・オエメン(Rita Oehmen)はヴォードヴィル(軽演劇)の女優でした。この芸術的な環境は、幼少期のシャーミアンに大きな影響を与えました。
シャーミアンは、3姉妹の2番目として生まれました。姉のシャノン・ファーノン(Shannon Farnon)と妹のダーリーン・カー(Darleen Carr)も女優として活躍し、家族全体がエンターテイメント業界に深く関わっていました。1957年に両親が離婚した後、母親とともにロサンゼルスへ移住しました。当時10歳だったシャーミアンは、この転居により新しい生活を始めます。ロサンゼルスでは、芸術的な刺激に満ちた環境で育ち、演劇や歌唱への興味を自然と養いました。
教育面では、シャーミアンは地元の学校で活発に活動しました。高校時代はサンフェルナンド高校(San Fernando High School)に通い、バスケットボールやバレーボールなどのスポーツに取り組み、チアリーディングチームの一員としても活躍しました。明るく社交的な性格が、この頃から表れていました。高校卒業後、彼女はサンフェルナンド・バレー州立大学(San Fernando Valley State College、現在のカリフォルニア州立大学ノースリッジ校)に入学し、言語療法(speech therapy)と哲学を専攻しました。しかし、演劇への情熱が強く、学業を中断してエンターテイメントの道を選びました。この選択は、彼女の人生を大きく変えることとなります。
幼少期のシャーミアンは、母親の影響で舞台芸術に親しみ、歌やダンスを自然に学びました。家族の芸術的背景が、彼女の才能を早期に開花させました。ロサンゼルス移住後、彼女は地元の劇団やオーディションに参加し始め、女優としての第一歩を踏み出しました。教育は大学レベルで中断されましたが、彼女の自己研鑽と実践的な経験が、後の成功を支えました。この生い立ちは、芸術一家の温かな支えと、自己の情熱が融合した典型的なハリウッド物語です。
経歴
シャーミアン・カーの経歴は、短いながらも輝かしいものです。女優としてのキャリアは1960年代に始まり、主に映画とテレビで活躍しました。大学在学中に演劇の道を選んだ彼女は、最初は小さな役やオーディションを通じて経験を積みました。1965年、彼女の人生を一変させる出来事が訪れます。それが、ミュージカル映画『サウンド・オブ・ミュージック』のリゼル役のオーディションです。
監督のロバート・ワイズは、シャーミアンの本名「ファーノン」を長すぎると考え、短い一音節の姓のリストを渡しました。彼女は「カー(Carr)」を選び、芸名をシャーミアン・カーとしました。この役のオーディションには、ジェラルディン・チャップリン、キム・ダービー、パティ・デューク、シェリー・ファバレス、テリ・ガー、ミア・ファロー、レズリー・アン・ウォーレンら多くの有望な若手女優が競いましたが、シャーミアンの自然な魅力と歌唱力が勝り、見事リゼル役に抜擢されました。リゼルはフォン・トラップ家の長女で、16歳の少女を演じましたが、当時22歳のシャーミアンは、若々しい美しさでこの役を完璧に体現しました。
『サウンド・オブ・ミュージック』の撮影中、シャーミアンはさまざまなエピソードを経験しました。例えば、象徴的なシーン「Sixteen Going on Seventeen」の撮影で、ガゼボのガラス窓から滑落し、足首を捻挫するアクシデントがありました。それでも、彼女のプロフェッショナリズムは共演者から高く評価されました。この映画は大ヒットし、興行収入で成功を収め、シャーミアンを一躍有名にしました。彼女はジュリー・アンドリュースやクリストファー・プラマーら一流のキャストと共演し、映画史に残る名演を披露しました。
映画の成功後、シャーミアンは女優業を続けました。1965年には、ヴァン・ジョンソンと共演したテレビパイロット番組『Take Her, She’s Mine』の制作に参加しました。1966年には、ABC Stage 67のミュージカル特別番組『Evening Primrose』に出演し、スティーブン・ソンドハイムの脚本による一時間のミュージカルで、印象的な歌唱を披露しました。この作品では、「Take Me to the World」や「I Remember」などの曲を歌い、彼女の歌声の美しさが際立ちました。また、同年、ゴールデングローブ賞の授賞式で、ロバート・ワイズ監督を代表して最優秀ミュージカル・コメディ映画賞を受け取りました。
しかし、女優としてのキャリアは長く続きませんでした。1960年代後半、彼女は結婚を機にハリウッドの表舞台から徐々に離れていきました。1970年代以降は、女優業よりも家庭や別の分野に注力しました。1990年代に入り、彼女はインテリアデザイナーとして新たなキャリアをスタートさせます。エンシノ(カリフォルニア州)に「Charmian Carr Designs」というデザイン事務所を設立し、成功を収めました。クライアントには、マイケル・ジャクソンや脚本家アーネスト・レーマンらがおり、ジャクソンは『サウンド・オブ・ミュージック』のファンだったため、彼女を起用したそうです。この事業は、彼女の創造性を活かしたもので、女優時代とは異なる形で才能を発揮しました。
晩年のシャーミアンは、著述活動にも取り組みました。2000年に回顧録『Forever Liesl』を出版し、『サウンド・オブ・ミュージック』の撮影秘話やその後の人生を綴りました。2001年には、ファンからの手紙を集めた『Letters to Liesl』を共著で出しました。これらの本は、彼女の経験を後世に伝える貴重な資料となっています。また、2010年には、オプラ・ウィンフリーのトークショーで共演者らと再会し、映画45周年を祝いました。経歴全体を通じて、シャーミアンは多才な女性として、演技、歌唱、デザイン、執筆の分野で貢献しました。彼女の人生は、短い華々しい時期と、静かな充実した後半生のバランスが美しいものです。
私生活
シャーミアン・カーの私生活は、女優としての華やかなイメージとは対照的に、穏やかで家族中心のものがありました。1967年、彼女は歯科医のジェイ・ブレント(Jay Brent)と結婚しました。この結婚は、女優業のピーク時にあり、彼女のキャリアに転機をもたらしました。夫のブレントは、安定した職業を持ち、シャーミアンを支える存在でした。二人は1967年から1991年まで結婚生活を続け、娘のジェニファー(Jennifer)とエミリー(Emily)の二人の子をもうけました。子育ては、シャーミアンにとって大きな喜びであり、彼女は母親として献身的に家庭を顧みました。
結婚後、シャーミアンはハリウッドの忙しない生活から離れ、家庭を優先しました。ロサンゼルス近郊で静かに暮らしながら、子どもの教育や家庭内の調和を大切にしました。共演者とのエピソードとして、『サウンド・オブ・ミュージック』撮影中に、35歳のクリストファー・プラマー(父親役)と互いに惹かれ合う感情があったと、彼女の自伝で明かされています。しかし、これは軽いフラート(軽い恋愛感情)に留まり、深刻なものには発展しませんでした。このような個人的な逸話は、彼女の人間味を表しています。
離婚後の1991年以降、シャーミアンはシングルマザーとして娘たちを育てました。経済的には、インテリアデザインの事業が成功し、安定した生活を送れました。マイケル・ジャクソンとの仕事は、彼女の私生活にエンターテイメントの要素を加えましたが、基本的にプライベートを公にしすぎないよう努めました。姉妹との絆も強く、シャノンとダーリーンとは家族的なつながりを保ち、互いのキャリアを応援し合いました。
晩年、シャーミアンは健康面で苦労しました。2010年代に入り、稀なタイプの認知症の症状が現れ、徐々に体調を崩しました。家族の支えのもと、静かに療養生活を送りました。彼女の私生活は、愛情深い家族関係と、内面的な充実が特徴です。公の場では控えめでしたが、ファンや共演者からは温かな人柄で慕われました。2016年9月17日、ベアトリス(カリフォルニア州)で73歳の生涯を閉じました。死因は認知症の合併症でした。葬儀は家族のみで執り行われ、彼女の願い通り、静かな最期を迎えました。私生活を通じて、シャーミアンは女優の華やかさだけでなく、普通の女性としての強さと優しさを示しました。
出演作品
シャーミアン・カーの出演作品は、女優としてのキャリアが短かったため、数少ないですが、どれも印象深いものです。主に1960年代の映画とテレビ作品に集中しています。以下に主なものを挙げます。
- サウンド・オブ・ミュージック(1965年):彼女の代表作。リゼル・フォン・トラップ役で、ジュリー・アンドリュース、クリストファー・プラマーらと共演。ミュージカルシーンでの歌唱と演技が絶賛され、映画はアカデミー賞5部門を受賞。シャーミアンのキャリアの頂点。
- Take Her, She’s Mine(1965年):テレビパイロット番組。ヴァン・ジョンソンと共演したコメディドラマ。彼女の初期のテレビ出演作。
- Evening Primrose(1966年):ABC Stage 67の特別ミュージカル番組。スティーブン・ソンドハイム作。アンソニー・パーキンスと共演し、「Take Me to the World」「I Remember」などの曲を歌唱。批評家から高い評価を受けた一時間番組。
- The New Interns(1964年):端役出演。彼女の映画デビューに近い作品だが、クレジットは限定的。
女優業以外では、著書が重要な作品に挙げられます。
- Forever Liesl(2000年):自伝。『サウンド・オブ・ミュージック』の撮影裏話と人生を詳細に語る。ファンに人気の回顧録。Amazonで著書を確認する
- Letters to Liesl(2001年):ファンからの手紙を集めた本。映画の影響を共有する内容で、共著。Amazonで著書を確認する
また、2010年のオプラ・ウィンフリー・ショーでの再会イベントや、映画記念イベントへのゲスト出演も、彼女の後年の「作品」として挙げられます。
まとめ
出演数は少ないものの、『サウンド・オブ・ミュージック』の影響力は計り知れず、彼女の遺産を永遠に残しています。近年、『The Marvelous Mrs. Maisel』などの作品でアーカイブ映像が使用されることもあり、彼女の存在は今も生き続けています。
レビュー 作品の感想や女優への思い