マドンナ・ルイーズ・チッコーネは米国のシンガー、ソングライター、レコード・プロデューサー、女優。一般的に「クイーン・オブ・ポップ」として知られる彼女は、音楽製作、作詞作曲、ビジュアル・プレゼンテーションにおける絶え間ない改革と多才さで認められてきました。社会的、政治的、性的、宗教的テーマを取り入れたマドンナの作品は、賛否両論を巻き起こし、批評家からも高い評価を得ています。20世紀と21世紀の両方にまたがる文化的アイコンであるマドンナは、さまざまな学術的、文学的、芸術的作品の題材となり、マドンナ研究というミニ学問的サブディシプリンもあります。
マドンナはダンスのキャリアを追求するため、1978年にニューヨークへ移住。ロック・バンド、ブレックファスト・クラブとエミー&ザ・エミーでドラマー、ギタリスト、ヴォーカリストとして活動した後、1983年に同名のデビュー・アルバムでソロ・スターダムにのし上がりました。マドンナは、史上最も売れたアルバムとなった『ライク・ア・ヴァージン』(1984年)、『トゥルー・ブルー』(1986年)、『イマキュレイト・コレクション』(1990年)、そして21世紀のベストセラーとなった『コンフェッションズ・オン・ア・ダンス・フロア』(2005年)など、合計18枚のマルチ・プラチナム・アルバムを獲得しています。彼女のアルバム『Like a Prayer』(1989年)、『Ray of Light』(1998年)、『Music』(2000年)は、ローリング・ストーン誌が選ぶ史上最高のアルバムにランクイン。マドンナのチャート上位曲のカタログには、「Like a Virgin」「Material Girl」「La Isla Bonita」「Like a Prayer」「Vogue」「Take a Bow」「Frozen」「Music」「Hung Up」「4 Minutes」などがあります。
マドンナの人気は、『デスパレートリー・シーキング・スーザン』(1985年)、『ディック・トレイシー』(1990年)、『リーグ・オブ・ゼア・オウン』(1992年)、『エビータ』(1996年)といった映画への出演によっても高まりました。後者ではゴールデン・グローブ賞主演女優賞を受賞しましたが、その他の作品の多くは不評。実業家としてのマドンナは、1992年にマーヴェリック社を設立し、史上最も成功したアーティスト主宰レーベルのひとつであるマーヴェリック・レコードを傘下に収めました。ほかの事業には、ファッション・ブランド、著作、ヘルスクラブ、映画製作などがあります。1998年にはレイ・オブ・ライト財団を、2006年にはレイジング・マラウィを設立し、さまざまなチャリティに貢献し、ジェンダーの平等とLGBTの権利を提唱しています。
マドンナは、世界で最も売れた女性レコーディング・アーティストであり、コンサートで10億ドルを稼いだ最初の女性パフォーマー。米ビルボード・ホット100チャート史上最も成功したソロ・アーティストでもあり、世界の主要音楽市場で44曲のナンバーワン・シングルを獲得しています。グラミー賞7回、ゴールデン・グローブ賞2回、MTVビデオ・ミュージック・アワード20回、日本ゴールドディスク大賞17回、ロックの殿堂入りを果たしています。フォーブス誌の年間ランキングで、マドンナは40年間(1980年代~2010年代)にわたり、世界で最も稼いだ女性ミュージシャンに11回輝きました。ビルボード誌は、彼女をアーティスト・オブ・ザ・ディケイド(1980年代)、グレイテスト・ダンス・アーティスト・オブ・オールタイム、グレイテスト・ミュージック・ビデオ・アーティスト・オブ・オールタイムに選出。また、ローリング・ストーン誌の「史上最も偉大なアーティスト」「史上最も偉大なソングライター」にも選ばれています。
両親ともイタリア系の熱心なカトリック信者。6歳頃に母が乳ガンで他界し、男手一つで育てられました。いつも成績優秀で、高校ではチアリーダーを務めました。
ジャンポール・ゴルチエ、ジャンニ・ヴェルサーチなどはマドンナから影響を受けたファッション・デザイナーです。
マドンナ
本名は長くマドンナ・ルイーズ・ヴェロニカ・チコーネ。
- 本名:マドンナ・ルイーズ・ヴェロニカ・チッコーネ(Madonna Louise Veronica Ciccona)
- 生年月日:1958年8月16日(66歳)
- 出生地:米国ミシガン州ベイシティ市
- 出身地:米国ニューヨーク州ニューヨーク市
- 職業:シンガーソングライター、女優、ダンサー、レコード・プロデューサー、映画監督、作家、実業家
- 活動期間:1979年から現在
- 配偶者:ショーン・ペン(1985年結婚、1989年離婚)、ガイ・リッチー(2000年結婚、2008年離婚)
- パートナー:カルロス・レオン(1995-1997)
- 子供:6人(ルルド・レオン含む)
- 親族:クリストファー・チッコーネ(兄)
- 公式サイト:madonna.com
ディスコグラフィ
- マドンナ(1983年)
- ライク・ア・ヴァージン(1984年)
- トゥルー・ブルー(1986年)
- ライク・ア・プレイヤー(1989年)
- エロチカ(1992年)
- ベッドタイム・ストーリーズ(1994年)
- レイ・オブ・ライト(1998年)
- ミュージック(2000年)
- アメリカン・ライフ(2003年)
- コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア(2005年)
- ハード・キャンディ(2008年)
- MDNA(2012年)
- レベル・ハート(2015年)
- マダムX(2019年)
出演作品
日本語以外の題名表記は原題または英題です。マドンナがキャストとして出演した映画のみを挙げ、スタッフとして参加した作品は除外しています。
公開年 | 題名 | 配役 |
---|---|---|
1985 | 堕天使 | ブルーナ |
1985 | ビジョン・クエスト/青春の賭け | クラブシンガー |
1985 | マドンナのスーザンを探して | スーザン・トーマス |
1986 | 上海サプライズ | グロリア・タトロック |
1987 | フーズ・ザット・ガール | ニッキー・フィン |
1989 | ワンナイト・オブ・ブロードウェイ | ホーテンス・ハサウェイ |
1990 | ディック・トレイシー | ブレスレス・マホニー |
1991 | イン・ベッド・ウィズ・マドンナ | 彼女自身 ‡出演 |
1991 | Shadows and Fog | マリー(カメオ出演) |
1992 | プリティ・リーグ | メイ・モルダビト |
1993 | BODY/ボディ | レベッカ・カールソン |
1993 | スネーク・アイズ | サラ・ジェニングス |
1995 | ブルー・イン・ザ・フェイス | 歌う電報少女(カメオ出演) |
1995 | フォー・ルームス | エルズペス |
1996 | ガール6 | ボスNo.3 |
1996 | エビータ | エヴァ・ペロン |
2000 | 2番目に幸せなこと | アビー・レイノルズ |
2002 | スウェプト・アウェイ | アンバー・レイトン |
2002 | 007 ダイ・アナザー・デイ | ベリティ |
以上がマドンナが出演、または監督してきた映画。彼女は最悪の映画を選ぶゴールデンラズベリー賞(ラジー賞)の常連でもあります。最悪主演女優賞は『上海サプライズ』『フーズ・ザット・ガール』『BODY/ボディ』『2番目に幸せなこと』『スウェプト・アウェイ』 の5回(『スウェプト・アウェイ』は最悪スクリーンカップル賞も)、これに最悪助演女優賞の 『フォー・ルームス』『007 ダイ・アナザー・デイ』、2000年の特別賞としての20世紀最悪主演女優賞とあわせて9回の受賞歴があります。その一方で、歌唱力を生かした『エビータ』のエバ・ペロン役ではゴールデン・グローブ賞の女優賞を獲得するなど、真っ当な評価を受けました。
初監督作品『ワンダーラスト』はロンドンを舞台とする群像劇で、2008年に製作・公開され、日本では2009年1月に公開。監督第2弾作品『W.E.』は全米で2012年2月(英国2012年1月)、日本では2012年11月に『ウォリスとエドワード 英国王冠をかけた恋』の邦題で公開。
デビューまで
ダンスの開始
マドンナは1969年からダンスのレッスンを受け始めました。
1975年に奨学金でミシガン州立大学のダンス課程に入学しますが1年で中退。わずか35ドルを持って(37ドル説あり)、単身ニューヨークへ渡りました。
その後ウェイトレスをしながら、本格的にダンスのレッスンを受けます。ダンスだけでなく音楽活動も始めたのは1979年。
歌手デビュー
1982年にワーナー・ブラザーズ傘下のサイアー・レコードにデモテープを送り、これが認められて契約締結。
仲介となったマーク・ケイミンのプロデュースにより「エヴリバディ」で歌手デビュー。
デビュー・アルバム「バーニング・アップ」(1983年)もヒットし、収録8曲中5曲がシングル・カットされました。
セックス・シンボルの表現を変えつづけたファム・ファタル
ライク・ア・ヴァージン
ヒット作
マドンナは、1984年に2枚目アルバム「ライク・ア・ヴァージン」を発売し、同名シングル曲ともに爆発的な人気をよびます(初の全米1位)。
音楽的にも衣装的にも、初期マドンナのイメージはこのアルバムとシングルで決まりました。
ファッション
アルバムジャケットの衣装(フリフリのウェディング・ドレス)はマドンナ・ルックとしてヒット。
PVのルックもついでにヒット。なかでも目立ったヘソ出しルック(ベア・ミドリフ・ルック)は、当時のファッション・キーワードになりました。
- 途中、落ち着かない新婦の感じで、ウェディング・ドレスを着てうろちょろ。
- ヘソ出しの短い黒色トップ、タイトな黒色ミニスカート、青色のスパッツ。
- スパッツには、ジャラジャラと付けすぎのパール、チェーンのネックレス、そして十字架のアクセサリー。
- カラー・タイツ。
腹部・胸部以外の女性美
80年代にデビューしたマドンナは「ライク・ア・ヴァージン」以後も、露出度の高いファッションをしませんでした。
マドンナは、腹部や胸部だけを楽しむ女性美を覆そうとしました。自分の脚にも愛を示せとアピールしたのです。
カラー・タイツは脚とともにマドンナ・ルックを完璧に形成しました。
マテリアル・ガール
マリリン・モンロー主演映画「紳士は金髪がお好き」を模したPVで有名な「マテリアル・ガール」が「ライク・ア・ヴァージン」に続きます。
「マテリアル・ガール」でマリリンを露骨に真似たとおり、世間はマドンナの登場について「マリリン・モンローの再来」と言いました。
マリリン・モンロー再来の真意
1950年代のセックス・シンボルだった マリリン・モンローが1980年代に再来したことは間違いありません。
ここで立ち止まって考えたいのは、同じセックス・シンボルであるマリリン・モンローとマドンナの間には深い違いがあること。
マリリンがもっていたセックス・シンボルは腹部と胸部であり、形容詞として最もふさわしい言葉はグラマー。
俗に言えばボンキューボン。2度目のボンは臀部。
これに対してマドンナがもったシンボルは脚部であり、また、筋肉美でもありました。
脚部をセックス・シンボルとする場合、上半身の重要度が下がり、それとともに上半身と下半身のバランスが重視されていきます。
マドンナが取り組んだ身体づくりはボンキュボン ではなく、ボディ全体、とくにボディ・バランスでした。
1990年代以降にマドンナがボディビルや フィットネスへ傾倒していく起点が、「マテリアル・ガール」と「ライク・ア・ヴァージン」に作られたわけです。
これら2曲のPVは、当時のマドンナ・ファッションを1980年代のセックス・シンボルや女性美の基準にしていったのです。
確立されたセックス・シンボル
「ライク・ア・ヴァージン」発売頃からマドンナはPVやステージで過激なパフォーマンスやファッションをして、ヌード写真集「SEX」(1992年)も出版しました。
そのため、マドンナは一見、非道徳的・反社会的な存在だと見られがちでした。
しかし、当時からマドンナは社会貢献に熱心で、彼女の主張・行動がフェミニズムの観点から大きな影響を与えたとみる見解もたくさんあります。
一例に次の引用を挙げておきましょう。
virgin という言葉は、じつはもう、あまり無邪気に使えない時代になっています。(中略)≪誰の手垢も付いていない≫ものをvirginを表現するのは、今の時代、女性に対して失礼この上ない―という意識が先進国では強烈です(中略)(この曲は)virginのイメージを逆手にとった、強くて大胆な女性企業家マドンナによる、女権拡張の歌、と言っていいんじゃないかと思うんです。NHK「3ヶ月トピック英会話」(2007年1月号)20頁
このように、NHK「3ヶ月トピック英会話」(2007年1月号)は、マドンナの「ライク・ア・ヴァージン」を積極的に解釈しています。
「トゥルー・ブルー」から1990年代前半へ
3作目のアルバム「トゥルー・ブルー」(1986年)はマドンナ自身がプロデュースしたものです。
「パパ・ドント・プリーチ」は、出来ちゃった結婚に悩む少女の告白として人気を呼びました。
網タイツの定着
「トゥルー・ブルー」に収録された「オープン・ユア・ハート」で、マドンナはボディスーツと網タイツを着用。これが1980年代マドンナのイメージとして定着しました。
カラー・タイツが脚と呼応して完璧なマドンナ・ルックを形成したことは述べました。そして、「オープン・ユア・ハート」からしばらく、マドンナの脚は網タイツと共生していきます。
アルバムの連発と「ライク・ア・プレーヤー」の破壊力
「トゥルー・ブルー」に続いて、マドンナは立て続けにセクシャルなテーマを取りあげていきました。
- ライク・ア・プレーヤー(1989年)
- エロティカ(1992年)
- ベッド・タイム・ストーリーズ(1994年)
マドンナの活動が有名になるにつれ、公的な問題も生じました。
名前の「マドンナ」は聖母マリアのことを意味するため、保守的なキリスト教団体などが、しばしばクレームしたのです。
4枚目アルバム「ライク・ア・プレーヤー」の同名シングルでは、PVで大胆にも十字架を燃やす演出をしたことで、世界的規模で宗教議論を巻き起こしました。
マドンナは次の一言でこのスキャンダルを終わらせました。
十字架ってセクシーだわ、だって裸の男がついているのよ。ミック・セント・ミッチェル監修「マドンナ語録―時代を生き抜く女の言葉」富原まき江訳、ブルース・インターアクションズ、2006年、132頁
脱セックス・シンボル宣言
1990年代にマドンナは映画面で評価されはじめます。
「ディック・トレイシー(1990)、「エヴィータ(1996)はサウンド・トラックも含めて高い人気をよびました。
「エビータ」はミュージカル映画で、主演のマドンナはゴールデン・グローブ賞主演女優賞を受賞。
この間、1994年にとりあえず脱セックス・シンボルを宣言します。
1998年、8枚目アルバム「レイ・オブ・ライト」で、グラミー賞を受賞。このうちシングル「ハング・アップ」が米ビルボードHOT100で36曲目のTOP10入り。トップテン入りが36曲ある点でビートルズを抜き、エルビス・プレスリーに並びました。
脱セックス・シンボル アメリカン・ライフ
2003年の米国によるイラク侵略戦争に対して、マドンナは音楽家やセレブたちのなかで早々と反対表明を出しました。
同年にアルバム「アメリカン・ライフ」を発表。
ジャケット写真は挑発的で戦闘的な軍曹のマドンナ。

チェ・ゲバラをイメージしたアルバム「アメリカン・ライフ」。
キューバ革命のゲリラ戦士チェ・ゲバラを模したファッションは、侵略戦争の激化と相まって放送を自粛するなど、話題には事欠きませんでした。
なお、2004年にイギリスのミュージックシーンに多大な影響を及ぼした音楽家として「英国音楽の殿堂」(UK Music Hall Of Fame)に殿堂入り。なお、当殿堂は2008年に資金難で打ち切り。
2006年、マドンナ自身の通算6度目となる2年ぶりのワールドツアーをスタート。同年9月中頃に、13年ぶりとなる日本公演が東京と大阪で実現しました。
新たなセックス・シンボル
2000年代、マドンナのファッションは一気に奇抜になり、身体の露出部分が広がりました。
具体的に、ダンスウェア用のレオタードと男性支配のためのボンデージです。
レオタード
2005年にリリースしたアルバム「コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア」は、ダンス・ミュージックを前面に出した作品。
収録曲のうち、「ハング・アップ」で桃色レオタード、「ソーリー」では銀色レオタードを着用し、脚部のセックス・アピールを行ないました。

2006年頃、二人の女性と失恋した後遺症がありましたが、このアルバムを知って毎日10回ぐらい聞くことで、ファッション歴史の研究に没頭できました。
「ソーリー」では「俺イケてる」と思っている男性たちを次から次へとバンに乗せ、車内で女性数名でからかう場面があります。
勘違い男性を下位に置く場面は、この頃のライブでも頻繁にみられる場面となっていきます。
なお、2008年にリリースした「ハードキャンディ」のうち、「ギブ・イット・トゥ・ミー」にも、レオタードを着用。
マドンナのレオタードとストッキングは脚部と臀部を強調しました。
ボンデージ・ファッションでマドンナは臀部をさらに強調します。
ボンデージ・ファッション
まずは「ハーパース・バザー」誌2013年11月号の特集になったボンデージ衣装。
マドンナはボンデージ衣装を新しくリードしていく。Madonna to premiere a new workout called Bondage
「オープン・ユア・ハート」で定着した網タイツを維持しながら、拘束性とラバー素材を重視するようになります。
また、この特集でマドンナは網タイツの上にサイハイブーツを履いています。
注目したい部位は、今まで露出してこなかった臀部です。オープンな御尻とクローズなサイハイブーツとのコントラストに、強烈なセックス・アピールを感じます。
なお、マドンナがサイハイブーツを履いていることにフェティシズムを感じることがあるかもしれません。この場合、ブーツは 脚部を隠蔽して臀部を強調するだけでなく、脚部のセックス・アピール ともなります。
ついで「V Magazine」誌に掲載されたケイティ・ペリーとのツーショット。
マドンナとケイティ・ペリーのボンデージ写真 「ヴイ・マガジン」2014 8月号。Gossip | Katy Perry and Madonna get pretty saucy on a bondage-themed photoshoot – entertainment.ie
二人のガーター・ストッキングとピンヒールに目が輝きますが、女性同士のサドマゾ関係(主従関係)も衝撃。
この頃を機にマドンナはボンデージ・ファッションを定着させていきました。
男性は女性が支配するもので、また、女性同士は主従関係が流動的であるというマドンナのジェンダー表現、なかなか素敵だと思います。
まとめ
セックス・シンボルの表現を変えつづけたマドンナというファム・ファタル。
デビュー以来、マドンナはセックス・アピールとして脚部を意識的に飾ってきました。
脚部の強調は、それまでの女性のセックス・シンボルだった 胸部・腹部の女性美に対立的でした。
カラータイツや網タイツ、レオタードや ボディスーツ、ピンヒールやサイハイブーツなどに彩られながら、マドンナのセックス・アピールは男性の脳髄を溶かし、女性中心のステージへと人間関係を変更して来たように思います。

マドンナ、ごちそうさまでした(^^)
近年の活動
絵本作家
近年は絵本作家として活動幅を広げ、世界中で翻訳され世界中の親子を魅了しています。
主な作品は次のとおりです。
- イングリッシュ・ローズィズ
- イングリッシュ ローズィズ2
- オカネ・モッチャが見つけたしあわせ
- ピーボディ先生のりんご
- ヤコブと七人の悪党
14枚目のアルバム「マダム・エックス」
2019年6月14日、マドンナは14枚目のスタジオ・アルバム「マダム・エックス」(Madame X)を世界中でリリースしました。
シングル曲「クレイヴ」のビデオ撮影時のマドンナの写真がFacebook公式ページに紹介されています。
X印のついた紺色の眼帯を付けて、タイトな紺色ベースの服を着ている画像です。
一番好きなアルバム
初めて買ったアルバムは「トゥルー・ブルー」。大阪公演にも行きました\(^o^)/
その後、1990年代からマドンナは男性ダンサーをたくさん使うようになりました。
多用しすぎで少しウンザリ。
オッサン的にはマドンナ単体のパフォーマンスが好きです。あるいはオープン・ユア・ハートのライブに連れてきた少年ダンサーくらいに留めてほしいところ。
ところが、2005年頃から女性ダンサーが増え、マドンナを再び見たり聞いたりするようになりました。
この前後、「アメリカン・ライフ」も好きなアルバムになりました。
そんななか、マイベストは、マドンナの脚部美・身体美や衣装美を堪能できるうえ、女性の優位をはっきりさせた「コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア」」に尽きます。
シングル曲ベストテン
マドンナのシングル曲のうち好きな10曲を無理やり選びました。
- 10位:ドレス・ユー・アップ(Dress You Up)∈「ライク・ア・ヴァージン」
- 9位:ライク・ア・ヴァージン(Like A Virgin)∈「ライク・ア・ヴァージン」
- 8位:オープン・ユア・ハート(Open Your Heart)∈「トゥルー・ブルー」
- 7位:マテリアル・ガール(Material Girl)∈「ライク・ア・ヴァージン」
- 6位:イントゥ・ザ・グルーヴ (Into The Groove)∈映画「マドンナのスーザンを探して」サウンドトラック
- 5位:リブ・トゥ・テル(Live to tell)∈「トゥルー・ブルー」
- 4位:アメリカン・ライフ(American life)∈「アメリカン・ライフ」
- 3位:ハング・アップ(Hung Up)∈「Confessions On A Dance Floor」
- 2位:ギヴ・ミー・オール・ユア・ラヴィン(Give Me All Your Luvin’)…リズムが楽しすぎます。プロモーションビデオもなかなか勝ち誇っていて心地いいです∈「MDNA」
- 1位:ソーリー(Sorry)…最初の台詞が終わった頃から始まるリズムが好き。プロモーションビデオでは調子こいてる男性たちを嘲笑うようなテーマで面白い。∈「Confessions On A Dance Floor」
外部リンク
マドンナに関する書籍
- ミック・セント・ミッチェル監修「マドンナ語録―時代を生き抜く女の言葉」富原まき江訳、ブルース・インターアクションズ、2006年
レビュー 作品の感想や女優への思い